やっと、土曜日。休みである。
実は、今週、昼間の派遣のシゴトの「今後」について、二転三転、色々、契約先企業の都合で契約形態の変化を余儀なくされる・・・・という内容の話が持ち上がり、心の中はてんてこまいだった。
やれやれ、リアルな夢ってのは、やっぱり「示唆」しているもんなんだなぁ、と、しみじみ。
(詳しくは、2月21日の、「ボーカリストのシゴト(夢で見た話ですが)」を参照してください)
あの夢は、「シゴト、変わるよ。今のままじゃないよ。」という、心の準備を私に示唆していたのと、それと、「自分にできること」もそうなんだけど、「ホントウに自信のあること」を、見定めていく時が、そろそろなんじゃないのか? ってことを、言いたかったのだろう。
その後、先日の3月5日、3月10日の記事の、「エレスチャル水晶」とのコミットの話なんかもそうなんだけど、私の中でどこかにある「このまま、楽ちんに行きたいよう」の甘えを、根こそぎ一掃されるかのように見える、この世的に言えば、「逆境」「試練」的な状況が、訪れまくっていて、なんだか怖い^^。
だけど、今までが単に、ラッキーで甘い汁だっただけ、という見方も当然できるし、ある意味、やっと「妥当」といえば妥当な報酬と条件を、提示されているだけなんだとも言える。
簡単に言うと、
わかりやすい事実として、「減給」となり、収入がいっきに、ちょっと目減り感のある金額で減る。
シゴトの内容は、今までのような「完全マイペース型」から、「少し責任感を背負わされる」「精神的肉体労働(女子にはちょっとキツイ。あまり、その業種の中ではやっている人を見かけない。まったくいないわけじゃないけど。)の負荷が加わる」といったところ。
この「精神的肉体労働」ってのは、ただ単純作業として、憶えればできる云々系の類ではなくて、なんというか、「取引先相手のゴキゲンを加味しながら行う」的なもので、今までは、そこんちの正社員がやっていたシゴト。
これを、すべて私が引き受けることになる。
営業活動に直結するわけではない、面倒なシゴトなのに、業態的に「義務化」されているシゴトなのだ。
だから、必ず会社の中の誰かがやらなくてはならない。
それを、やってくれ、という話になっている。
つか、それをできない、ということであれば、解雇であろう。
なのに、なんで「減給」かというと、
まぁ、今までが「実労働より無駄に多く払いすぎていたのではないか」と、いうことなのだ。
これは、確かにそうも言えるし、しかし「その条件だからこそ、やってきた」という面は、私の側には、大いにあるだけに、なかなか「ああ、そうですか。」とは言えない。
甘い汁だろうがなんだろうが、実質的に、減らしていいと思われることじたいが、非常にとんでもない話だよな~、と、少々悔しい気持ちと、こっちにも「生活」あって、やっているシゴトだったわけで。なめるなよ、という感じである。
最初その話をされた時には、「自分が楽して、自分の好きなことを続けてくることができた」という、私にとって都合の良い好環境が、ものの見事に奪われていく脱力感を感じて、憤りやら、虚しさやら、怒りやら、色々な感情が吹き荒れた。
だけど。
見方を変えると、私がこうして、天然石にクビつっこんだままでここまでやってこれたのは、まぎれもなく、この昼間のシゴトあってのことだ。たぶん、このシゴトでなければ、こうして、「天然石アクセサリ」も「ブログ」も、こんなペースではやってくることはできなかったと思う。
少しずつだけど、一歩一歩、常に、前進してきた。
まだまだかもしれないが、「基盤」「骨格」づくりの期間と、このカイシャでの楽なシゴトの期間は、きっちり、クロスしている。
で、仮にシゴト内容が変わって、減給になるにしても、今のペースで、天然石のアクセサリ販売をやっていけるであろう、ということは、そこのシゴトを続けるのであれば、まだ可能なのだ。
これが、正社員となれば、確かに、身分の安定、ある程度の収入の保証はあれど、おそらく、物理的に、「石のシゴト」は、ほんの「シュミ程度」にしか、できなくなるだろう。
負荷は増え、条件は悪くなるとはいえ、2月21日の夢の中の話じゃないけれど、「現実的に、あれがイヤ、これがイヤ」と言っていられるご身分ではない。
解雇される事態になっていないだけ、まだマシというか、幸福なのである。いや、ほんと。
変わることがあるとすれば、今までは、心のどこかで「余力」があった。いわゆる「余裕のある状態をキープしつつ」という、保険的ルーティーンの昼間のシゴトだけで、生活費をまかなうことができていたぶん、天然石のほうの資金繰りには、きっちり別枠で採算ができてきていたわけだけど、その本業が減給になってしまうぶん、その「天然石で、ごはんを食べるのを、少し助けてもらう」っていう比重がでてくること。
なので「石でごはんを食べていく」ということについて、考えていた。
世の中には、石でゴハンを食べている人々は、大勢いる。
だから、私がそれを、できない、ということはないはずだ。
問題は、石の「何」で、それが可能なのか? ということだ。
今のところ、それが可能なのは、天然石ビーズ卸の業態だろう。
しかし、この業態は、「資金繰り」命で、且つ、「原資」をまとまって必要とする。
その「原資」の持ち合わせがないので、まず無理。
それから、それをやる裁量を持っていない。つまり、仕入れルートの開拓と、価格競争の体力、バリューを、先手必勝で走っている業者を追い越せるだけのものを、持っていない。
では、「天然石アクセサリ」で、それは、可能か?
というと。
実は、まだ、「それ一本」でやっていけるだけのところへは、毛頭来ていない。
だけど、昔昔、天然石アクセサリの制作、販売なんてことを始めさせてもらった頃に比べると、格段に、変わってきている。
みなさんに認知していただき、少なくとも石の資金繰りに右往左往してしまう状況はなくなった。
とはいえ、その「純利で、生活させてもらえるレベル」には、ほど遠い。
だが、みなさまのおかげで、続けていくにあたって「自分が金銭的負担をかかえる」ところをすっかり脱出、循環していることは事実。
あとは、それを、どうやってこれ以上に「拡大する」ことが、自分にできるかどうか、だけだと思う。
そのための努力は、まだまだ、不十分だ。
そして、なによりも、自分が見極めなくてはいけないこと。はっきりさせておかなくてはならないこと。
それは、できることできないこと、現実的問題はさておき、
「自分に、自信を持ってやれること、やっていきたいこと」である。
私が自分にできることで、混じり気なく自信があること。それは、なんだろう、と考えた。
ひとつずつ、声に出してみる。
とりわけ、胎の底から、声がでてきたこと。
それは、「持ち主にとって、ちゃんとはたらく、天然石アクセサリを作る自信がある。」ということ。
自分でも、その自分の声の大きさにびっくりするくらいの、大きな声で、それがでてきた。
気持ちが、ぱぁっと、そう声にして言った時、明るくなった。
「開けた」感、が、あったのである。
こういうのを、スピリチュアル的に言葉にしちゃうと、クラウンchakuraがどうの、みたいな話になるのかもしれないけれど、たぶんまぁ、そういう感じなんだろう。アタマの上から、まっすぐに、背骨を伝って、何かに貫かれたような感覚。
こういうものは、日常的には、あまりないものである。
胎の底から、大きな声で、それが言えるか。
この方法って、自分の本心がわかる。本心というか、邪念、邪心、を追い出す方法でもあると感じる。
強がりや、負け惜しみや、義務感や、諦めの心があれば、「自分にはこれができる」とは、ホントウには「声を大にして」は言えないのだ、と思った。
選ぶ方向性を間違える、ってことを、人は嫌がる。
だから、パワーストーンの世界というのは、近年、これだけ拡大する業態のひとつとなってもいるのだろう。
不透明で、先のわからない、世の中。
だから、「不透明で、見えない、精神世界」が、受け入れられた。
しかし、昨今はそれも「玉石混合」の感覚が広がってもいるように感じる。
なかには、やっぱり、「スピリチュアルなんて、詐欺。」と思い、そう口にする人も増えてもいるだろう。
私が未だに見たことのない、テレビの、オーラの泉、の停滞感などの影響で。
(私はたぶん、この江原さんという人を、電車の釣り広告以外では、一生姿をお見かけすることはないように思う。本人を知らずに、昔このテレビがハヤリ始めた頃に、ちょっとおちょくるような記事を書いたら、ファンの方から、猛攻撃? があったけれど。あとからそういうのを眺めると、おもしろい。「よく知らないけれど、こう感じるな」って、感じていたことは、あながち的はずれでもなかったようだ、ってことがわかる。ブログは、時系列で、言ってきたこと、やってきたことがわかるので、自分でも時々、過去の自分の発言に、驚いたり励まされたりしていたりする)
その渦中、折々の岐路、誰もが、自分にとっての進路の舵取りを、あまり間違えずに、やっていきたいのが、本音だと思う。
私自身、こういう岐路に立たされるたびに、そう思っている。
誰でも、明晰な「確信」が欲しい。
だが、その「確信」というのは、実は「石が用意してくれる」わけではない。
守護霊様が用意してくれるわけでも、神様や天使が用意しておいてくれるわけでもない。
間接的にはたらきかけてくれる、それを見つけることができるように、促してくれるのは事実だが、自分の中に内在する、潜在的な確信とか自信への自覚は、やはり、持ち主が選び取るものだ。
そして、選んだら、実現するのも、自分だ。
なにかにシアワセにしてもらう、のではなく、自発的にシアワセになる、ということなのだ。
実は、今週、昼間の派遣のシゴトの「今後」について、二転三転、色々、契約先企業の都合で契約形態の変化を余儀なくされる・・・・という内容の話が持ち上がり、心の中はてんてこまいだった。
やれやれ、リアルな夢ってのは、やっぱり「示唆」しているもんなんだなぁ、と、しみじみ。
(詳しくは、2月21日の、「ボーカリストのシゴト(夢で見た話ですが)」を参照してください)
あの夢は、「シゴト、変わるよ。今のままじゃないよ。」という、心の準備を私に示唆していたのと、それと、「自分にできること」もそうなんだけど、「ホントウに自信のあること」を、見定めていく時が、そろそろなんじゃないのか? ってことを、言いたかったのだろう。
その後、先日の3月5日、3月10日の記事の、「エレスチャル水晶」とのコミットの話なんかもそうなんだけど、私の中でどこかにある「このまま、楽ちんに行きたいよう」の甘えを、根こそぎ一掃されるかのように見える、この世的に言えば、「逆境」「試練」的な状況が、訪れまくっていて、なんだか怖い^^。
だけど、今までが単に、ラッキーで甘い汁だっただけ、という見方も当然できるし、ある意味、やっと「妥当」といえば妥当な報酬と条件を、提示されているだけなんだとも言える。
簡単に言うと、
わかりやすい事実として、「減給」となり、収入がいっきに、ちょっと目減り感のある金額で減る。
シゴトの内容は、今までのような「完全マイペース型」から、「少し責任感を背負わされる」「精神的肉体労働(女子にはちょっとキツイ。あまり、その業種の中ではやっている人を見かけない。まったくいないわけじゃないけど。)の負荷が加わる」といったところ。
この「精神的肉体労働」ってのは、ただ単純作業として、憶えればできる云々系の類ではなくて、なんというか、「取引先相手のゴキゲンを加味しながら行う」的なもので、今までは、そこんちの正社員がやっていたシゴト。
これを、すべて私が引き受けることになる。
営業活動に直結するわけではない、面倒なシゴトなのに、業態的に「義務化」されているシゴトなのだ。
だから、必ず会社の中の誰かがやらなくてはならない。
それを、やってくれ、という話になっている。
つか、それをできない、ということであれば、解雇であろう。
なのに、なんで「減給」かというと、
まぁ、今までが「実労働より無駄に多く払いすぎていたのではないか」と、いうことなのだ。
これは、確かにそうも言えるし、しかし「その条件だからこそ、やってきた」という面は、私の側には、大いにあるだけに、なかなか「ああ、そうですか。」とは言えない。
甘い汁だろうがなんだろうが、実質的に、減らしていいと思われることじたいが、非常にとんでもない話だよな~、と、少々悔しい気持ちと、こっちにも「生活」あって、やっているシゴトだったわけで。なめるなよ、という感じである。
最初その話をされた時には、「自分が楽して、自分の好きなことを続けてくることができた」という、私にとって都合の良い好環境が、ものの見事に奪われていく脱力感を感じて、憤りやら、虚しさやら、怒りやら、色々な感情が吹き荒れた。
だけど。
見方を変えると、私がこうして、天然石にクビつっこんだままでここまでやってこれたのは、まぎれもなく、この昼間のシゴトあってのことだ。たぶん、このシゴトでなければ、こうして、「天然石アクセサリ」も「ブログ」も、こんなペースではやってくることはできなかったと思う。
少しずつだけど、一歩一歩、常に、前進してきた。
まだまだかもしれないが、「基盤」「骨格」づくりの期間と、このカイシャでの楽なシゴトの期間は、きっちり、クロスしている。
で、仮にシゴト内容が変わって、減給になるにしても、今のペースで、天然石のアクセサリ販売をやっていけるであろう、ということは、そこのシゴトを続けるのであれば、まだ可能なのだ。
これが、正社員となれば、確かに、身分の安定、ある程度の収入の保証はあれど、おそらく、物理的に、「石のシゴト」は、ほんの「シュミ程度」にしか、できなくなるだろう。
負荷は増え、条件は悪くなるとはいえ、2月21日の夢の中の話じゃないけれど、「現実的に、あれがイヤ、これがイヤ」と言っていられるご身分ではない。
解雇される事態になっていないだけ、まだマシというか、幸福なのである。いや、ほんと。
変わることがあるとすれば、今までは、心のどこかで「余力」があった。いわゆる「余裕のある状態をキープしつつ」という、保険的ルーティーンの昼間のシゴトだけで、生活費をまかなうことができていたぶん、天然石のほうの資金繰りには、きっちり別枠で採算ができてきていたわけだけど、その本業が減給になってしまうぶん、その「天然石で、ごはんを食べるのを、少し助けてもらう」っていう比重がでてくること。
なので「石でごはんを食べていく」ということについて、考えていた。
世の中には、石でゴハンを食べている人々は、大勢いる。
だから、私がそれを、できない、ということはないはずだ。
問題は、石の「何」で、それが可能なのか? ということだ。
今のところ、それが可能なのは、天然石ビーズ卸の業態だろう。
しかし、この業態は、「資金繰り」命で、且つ、「原資」をまとまって必要とする。
その「原資」の持ち合わせがないので、まず無理。
それから、それをやる裁量を持っていない。つまり、仕入れルートの開拓と、価格競争の体力、バリューを、先手必勝で走っている業者を追い越せるだけのものを、持っていない。
では、「天然石アクセサリ」で、それは、可能か?
というと。
実は、まだ、「それ一本」でやっていけるだけのところへは、毛頭来ていない。
だけど、昔昔、天然石アクセサリの制作、販売なんてことを始めさせてもらった頃に比べると、格段に、変わってきている。
みなさんに認知していただき、少なくとも石の資金繰りに右往左往してしまう状況はなくなった。
とはいえ、その「純利で、生活させてもらえるレベル」には、ほど遠い。
だが、みなさまのおかげで、続けていくにあたって「自分が金銭的負担をかかえる」ところをすっかり脱出、循環していることは事実。
あとは、それを、どうやってこれ以上に「拡大する」ことが、自分にできるかどうか、だけだと思う。
そのための努力は、まだまだ、不十分だ。
そして、なによりも、自分が見極めなくてはいけないこと。はっきりさせておかなくてはならないこと。
それは、できることできないこと、現実的問題はさておき、
「自分に、自信を持ってやれること、やっていきたいこと」である。
私が自分にできることで、混じり気なく自信があること。それは、なんだろう、と考えた。
ひとつずつ、声に出してみる。
とりわけ、胎の底から、声がでてきたこと。
それは、「持ち主にとって、ちゃんとはたらく、天然石アクセサリを作る自信がある。」ということ。
自分でも、その自分の声の大きさにびっくりするくらいの、大きな声で、それがでてきた。
気持ちが、ぱぁっと、そう声にして言った時、明るくなった。
「開けた」感、が、あったのである。
こういうのを、スピリチュアル的に言葉にしちゃうと、クラウンchakuraがどうの、みたいな話になるのかもしれないけれど、たぶんまぁ、そういう感じなんだろう。アタマの上から、まっすぐに、背骨を伝って、何かに貫かれたような感覚。
こういうものは、日常的には、あまりないものである。
胎の底から、大きな声で、それが言えるか。
この方法って、自分の本心がわかる。本心というか、邪念、邪心、を追い出す方法でもあると感じる。
強がりや、負け惜しみや、義務感や、諦めの心があれば、「自分にはこれができる」とは、ホントウには「声を大にして」は言えないのだ、と思った。
選ぶ方向性を間違える、ってことを、人は嫌がる。
だから、パワーストーンの世界というのは、近年、これだけ拡大する業態のひとつとなってもいるのだろう。
不透明で、先のわからない、世の中。
だから、「不透明で、見えない、精神世界」が、受け入れられた。
しかし、昨今はそれも「玉石混合」の感覚が広がってもいるように感じる。
なかには、やっぱり、「スピリチュアルなんて、詐欺。」と思い、そう口にする人も増えてもいるだろう。
私が未だに見たことのない、テレビの、オーラの泉、の停滞感などの影響で。
(私はたぶん、この江原さんという人を、電車の釣り広告以外では、一生姿をお見かけすることはないように思う。本人を知らずに、昔このテレビがハヤリ始めた頃に、ちょっとおちょくるような記事を書いたら、ファンの方から、猛攻撃? があったけれど。あとからそういうのを眺めると、おもしろい。「よく知らないけれど、こう感じるな」って、感じていたことは、あながち的はずれでもなかったようだ、ってことがわかる。ブログは、時系列で、言ってきたこと、やってきたことがわかるので、自分でも時々、過去の自分の発言に、驚いたり励まされたりしていたりする)
その渦中、折々の岐路、誰もが、自分にとっての進路の舵取りを、あまり間違えずに、やっていきたいのが、本音だと思う。
私自身、こういう岐路に立たされるたびに、そう思っている。
誰でも、明晰な「確信」が欲しい。
だが、その「確信」というのは、実は「石が用意してくれる」わけではない。
守護霊様が用意してくれるわけでも、神様や天使が用意しておいてくれるわけでもない。
間接的にはたらきかけてくれる、それを見つけることができるように、促してくれるのは事実だが、自分の中に内在する、潜在的な確信とか自信への自覚は、やはり、持ち主が選び取るものだ。
そして、選んだら、実現するのも、自分だ。
なにかにシアワセにしてもらう、のではなく、自発的にシアワセになる、ということなのだ。

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カテゴリ : ちょっとスピリチュアルな話
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