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2007年11月22日の記事のリスト

天然石ビーズのグレード、希少性による違い

2007年11月22日 (木) 01 : 13
先日、「大きさ」による違い、ってことに触れましたんで、今日は「グレード差」「希少性」による違い。
どちらかというと、石の場合、大きさよりも、こっちのほうが気になるヒトが多いのかもしれません。
このあたりは、個々人の価値観、美的感覚に思いっきり左右される部分でもあり、基準は決めがたい内容であると同時に、それゆえ、「高グレードで希少性のある綺麗なイシじゃないと、パワーがない」と感じるか否か、というのも、結局は、その「石の持ち主となる方の、趣向」に委ねられるところが相当大きいように思います。
結論的には、「好きになれるか? 身につけること、そばにいることが嬉しいか?」が大事なのは、前回なども「大きさ」のところでお話しておりますが、非常に単純明快で、グレードや希少性にも同じコトが言えます。


某占星術師の方などは、どういう意味なのかはわかりませんが、
「とにかく、綺麗なイシを持ってくださいね・・・」と、テレフォンショッピングの番組に出演し、ご自分がプロデュースなさっている「ジュエリー」のテレビ即売で、語っておられました。扱っている石は、すべて「高グレードな宝石」なんだそうです。
また、他の某占星術研究家なるお方も、その昔、「素人が、ミネラルショーなんかでイシなど買ったり作ったりしないほうがいい」というようなことを語っておられたようです。とにかくグレードの高い石をもったほうがいい、とおっしゃっていたんだそうな。が、その後「イシの組み合わせ」の本なんかを、時代の趨勢に負けて出されている様子などを見ると、その昔、「素人が自分で買うなどと・・」と語っておられたその根拠はいずこへ? とも思います。


「グレードが良いもののほうがいい」と語る方は、けっこう占星術系や風水系の、パワストアクセ販売を兼ねている面々に多いように見受けられます。ご自身が、少々値段のはる「グレードの高い綺麗なイシ」を提供することを信条としている方は、そりゃそう言うだろう、という、単純な理由も、その中には含まれているように感じます。


おっしゃるとおり、確かに、「グレードが高い」、つまり、その鉱物の中で選りすぐりの「カラー、光沢、模様、純度(インクルージョンの少なさ)」などなどを兼ね揃えている石が、そうでない石よりも「美しい」ことは、客観的に見て、誰にでもわかることですから、そりゃ、願わくば「パワー云々抜きにして」誰だってそっちのほうがいいに決まっています。


そしてそれは、結局「分かりやすい選び方」でもあり、「薦め方」でもあります。


つまり、求める側も「石に落ち度はない、あとは自分だ」というような、グレードが高い、もしくは希少性の高い、つまり価格の高い石を手に入れることで、どこかでハラを括る気持ちになれるでしょう。いわゆる、「ホンモノ中のホンモノ」を手にした、という気持ちです。
安い石には、それが感じられないヒトも多いんじゃないでしょうか。
ヒトは、「高い買い物」への付加価値、つまり「いいものは値が高いのだ」を納得するところがありますし、値段が高かったものは、大事にします。満足感という自己暗示の効果は、実際の効果を生み出します。
(食品なんかにも、言えることだったりするんですよ。実は中身は価格ほどの高級食材というわけでもなくても、そういうお約束が慣習的にあるものを食している満足感で、健康を維持できている方も、けっこう多いのです)


なので、「グレードが高い石」「希少性の高い石」にもし「効果」が、そうでない石よりも見受けられる、という根拠があるとしたら、単に上記のような、「気持ちへの作用」がはたらく結果でもあるように思います。
それはそれで、結果オーライ、いいことですけれどね。


但し反面、それはある意味、結局はちょっと「臆病な選び方」でもあるのかな? とも思います。
もし、単に「高グレードである」ということだけが、その石を手にする基準になるのであれば、の話ですが。
その手の思いは、単に慢心や見栄など、石にとっては不要な、というか、逆効果のようなミスマッチも生み出すこともあります。
つまり、魂のスパルタ教育をされちゃうことも、ないわけではありません。
まぁ、それも「必要有っての縁」とも言えますけれど。
貴石である、ルビーやダイヤモンドが厳しい石、と受け取られるのも、彼らが厳しいというよりは「見合っていない」「10年早い」ケースもありますから。(私は、青二才で彼らを手にして、で、彼らは私の目の前から「消えて」しまいました。落とした、とかではなく、ホントウにある日突然、「確かにここに置いておいたのに」という場所から消えてしまい、二度と現われませんでした^^)


心の奥にある、まちがいたくない、という本音。
いわゆる、良いモノ、希少性のあるものばかりに、つい手を伸ばしてしまう、目を奪われるのは「石選びを“絶対に失敗したくない”という、余裕のない気持ちと裏腹」ってことなのかな、と。
まちがった愛情や、まちがった恋人や、まちがった結婚、まちがった人間関係、まちがった仕事や学校、そういう「選択」を、常に「自分はまちがわずにいたい」ということなんでしょうか。いわゆる、「快適な人生」の渦中でしか、生きていきたくない、というような。
「パワーがある」と言われている、そういう希少石でクォリティの良いものであれば、なんとなく強力にそういう導きをしてくれそうに思うから、なんじゃないでしょうか。


自分の「見る目」を養う、「美しさを見出す」ひいては「自分を見出す」という能力を養ってくれるのは、どちらかというと、お膳立てされた、「AAA!!!」とか、「AAAAA!!!」(ちなみに、こんなグレード表記というものはありませんが、時々、見かけます。売る側の主観で言っているだけのようです)などの石の中だけでなくとも、ふんだんに、「通常グレード」「そこそこ」「普通」と呼ばれる、産出量の多い、特に珍しいともされない、天然石の中に、存在します。
クラックやインクルージョン、そういったものの中に、「個性」を持つ、多くの石。
そして、実際には、ほとんどの鉱物が、そういうものです。


「ドむらさき色以外は、スギライトじゃない」と、石を提供する側に“感じさせられている”ということが、たとえば、紫色ではないスギライトに触れると、わかります。
けっこう、情報操作されているものなのです。
スギライトの本家本元は、なんといっても、「うぐいす色」。
こっちが王道じゃないかな、と思います。世間はそうなってはおりませんが^^。
もちろん、紫色のものも、そりゃ美しいですが。
しかし、それ以外の色をランク外のように、見向きもしないのは、もったいないぜ、と思います。


上記は、一例ですが、
他の石にも、言えることです。
ラブラドレッセンスがふんだんの、そのレッセンスの色も「ブルー!母体は透明感のあるグレー」の特上ラブラドライトでなければ、ラブラドライトじゃないのか? というくらいに、ラブラドレッセンスがあまり出ていないBランクのラブラドなんて、とか。
インクルまみれの石、クラックと曇りの多い、透明感のそこなわれた石、などなど。


私自身は、いわゆるグレードが高い、と言われる石も、そうでない石も、どちらも好きです。
そして、彼らが伝えてくるものを受け取りながら、アクセサリのカタチにするのが、とても好き。
「手は手、足は足。」
必ず、存在するものには、存在理由があるものです。
神様は、無駄に「存在」を認めているわけではない。(もちろん、それは、私たち人間ひとりひとりも。)
石にも、その見た目そのものを「活かせる」ケースが多々あるわけで。
この、クラック、インクルージョンがある風貌だからこそ、こんなカタチだからこそ、透明感が有りすぎないからこそ、こやつはこの組み合わせの中で活きるのだ、というマジックに出会える瞬間というのが、とっても好きです。


綺麗なグレード良しのビーズだけを繋げて、綺麗なアクセサリにするのは、誰にでもできますしね。
ひとつひとつはそうでもないビーズを、なんだか知らぬが「パワー全開アクセ」にしてしまった・・・という時は、ひそかにガッツポーズ入ります。バカみたいな話ですが^^。


よく、私が作るアクセサリの石は、「生きている」ように感じる、などとおっしゃっていただくことが多いのは、たぶん、そういうことかと。
だって、実際、石は生きている・・・正確には、人間のように生命活動はしておりませんし、心臓もない、肺もないから、呼吸しているわけではないですが、彼らは「霊性」はお持ちです。
それも、かなり純度の高い霊性です。
これは石に限らず、大自然が形成する「すべて」に言えることではありますが。
石がその中で、私たちを特別に魅了する理由は、その「純度」にある、そう思います。
そして、その「純度」と一見対極にあるようにも見える、石たちそれぞれの中に秘められている、彼らの宿命の姿、内包物や亀裂や、他の鉱物との共生や・・・そういった「カオス」を宿命として抱く姿、その様は、まさに、私たちそのもの。


純粋さと、猥雑さ、それは、人間の誰の中にも共存している。


あまり美しく見えなかった石が、美しく光り輝く時。
私たちが石の中にそれを見つける時、それは、石とともに純粋さを、光を見つけている時なんだろうな、と感じます。


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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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