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2007年11月10日の記事のリスト

実現はいつかするだろうけれど、焦らない

2007年11月10日 (土) 19 : 06
・・・というのは、大事なことだと思いますよ。
おなじみひつく神も「一足飛びは見ていて危ない」って言ってるし。
時々、かように、「石が望む現実を連れてきた」かのようなことが、わりとすぐに起こることだってありますけれど、けっこうそれが叶うことが、「魂を鍛えるための試練の幕開け」ってこともあったりしますしね^^。


私も、夢中でこうしてアクセサリをお出ししたりするために、けっこう資金繰り的にも綱渡りで、過去記事読んでいただければわかると思うんですけれど、「うわ~、石ビーズ屋に払うお金が入る予定もなんにもないのに、石ビーズ買っちゃったよ・・・」というようなことを繰り返してきておりますが、その都度、「必要額ぴったりを、支払いの必要な時期に」3日後なら3日後、一週間後なら一週間後、という感じで、用意してもらってきておるなどの、いわゆる「石の恩恵、天の恩恵」に預かって、なんとか続けてこれた、ってのが、実情だったわけなんだけど、昨今はおかげさまで、そこまでの綱渡りをしなくてもなんとかなる、余裕を持たせてもらえるようになってきました。

こうなるのに、一年以上かかっています。
本当にね~、「もうやめさせてもらえないだろうか?」って、石になんども聞いたりもしていましたよ。
こんなの、自分にはやっぱり大それているし、お金があって余裕があるヒトがやればいいし、それに石のアクセサリ作って売りたい人じたい、ごまんといる世界なわけですから。

でもさ、等の石のほうは、にこにこ笑って? 「大丈夫だから」と。
まぁ、私自身が、「天におまかせ、神様におまかせ」の境地に至っていないため、あれこれと、心配するわけですよ、我が身をね。
結局は、「世のため、人のため」をテーゼにしつつも、自分自身が計りにかけられるわけです。
で、「高い霊性」を持ち合わせていないため、つらくなってくるわけです。
自己犠牲、なんて気持ちになってくる、っていうことは、それは単純に「霊的に鈍感」になっている証拠です。


石は、望みを叶えてくれたりもするし、守ってくれたりもしますが、「それが天の理に叶う」場合限定、という感じ。
「我良し」のみの野望に対しては、けっこう「シゴキ」なんかもくれちゃったりもしますんでね。
つまり、状況が悪いな~具合が悪いな~なんとかならんか~、ってのを、石がなんとかしてくれたりするのは、「こいつを具合悪くさせといたままだと、神の手足に使えない、これはまずい」ってことで、良いほうへ誘導してくれるだけ、って気がしますね。
人間って、具合がよくなればなったで、ころっと、自分だけの欲望にまたふけっていったりしますから、そうなるとまた具合悪くなったり。

だから、今は傍目には、「すごいな~、いっぱいアクセサリが売れてるな~。」の成功例のように見える、のかもしれないけれど、実情としては、そこへ至るまでの経緯は、「ばたばた」でしたよ。
本当に、それを支え続けてきてくださったみなさまには、感謝しております。



時々、石を欲する動機として、やっぱり、「その石がもたらすと言われている効果・効能書き」で、私たちは石を選んでしまうこともあるけれど、謳われている言葉ってのは、「それが実現する時期の保証」はないものです。

私自身も、「こういう石の組み合わせ」ということで、アクセサリを作っているし、もちろんそこに十分に「ヒトの気持ちを左右させる要素がある」こともわかったうえで、そうしています。
が、時期保証は謳っていない。
速攻、実現と効果を求める方には、いささか雲を掴むような話で恐縮ですけれど、なんらかの願望などの実現、即効性を「他力」で求めるのであれば、それは、「呪術師さん案件」ではないかな、と思いますね。ブラックマジックのほうです。
但し、それにはそれなりの、命を賭ける覚悟が必要かとも思いますが。
この場合、物理的な命もそうですが、霊的命というか。
自分の現状を、一足飛びに好転させるという我欲を実現する、ということのバーターです。


石というのは、身につけて一日とか一週間で、なにかしらの石のはたらきを感じることもあれば、結局、ず~~~~っとわからずじまいもあれば、ずっとずっと後になってから、「あれはそうだったんだ」と気がつくこともあれば。

けっこう、自分自身が、石によるものであろうとなかろうと変化していることに気がつかずに変化の過程を経験して、一段あがっちゃってから、気付く人は気付くし、気がつかなくてもそれはそれ。
だけど持ち主が石のシゴトに気がつかないからって、石は、別になにか「変化の手伝いの報酬くれ」とも言わないし、怒りもしませんし。

それよりも、「これで変わるはずなのだ!」と思うのはまぁそれでかまわないと思うし、実際、石って現実的にちゃんと謳われている意味どおりのそれなりのはたらきかけは、持ち主がイメージしていたとおりかどうかはわからないけれど、頼まれなくてもするものだしね。

だから、「これで変わる、こうなれるはずだから、この石」という理由で選ぶのは、ぜんぜんかまわないし、それで選んだその石たちを好きだと思えるなら、それでいいと思うんだけど、選んで好きになった石たちを手にしたら、もうその「こうなりたい」っていう願望は、手放すというか、忘れちゃったほうがいいんですよね。

「え~~~~~~! 願望があるから、こうなりたいから、石が効くっていうから、買ったのに?!」
なにそれ、と、思われる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、「こうなりたい、こうなりたい、こうなりたい」を、石に連呼するくらいなら、「もうこの石が自分のそばにいるんだもん、大丈夫に決まってる」ってことで、さっさと自力で問題を解決するほうに頭を回すべきなのです。
自分の願望を四六時中忘れずに、願掛け項目にしがみつく、願望が成就しない焦りをつのらせる、その姿、そんなものを見せられるよりも、石はその石を歓喜の気持ちで迎えてくれて、それによって前進する、良い方向に気持ちが向かっている持ち主の姿のほうが、断然好きです。
ひたむきに、自助努力をする持ち主を、頼まれなくても助けますから。


「あぁ、この石が、こうしてくれたんだ~」
っていうことがわかるのは、わかればそりゃ楽しいですが、それはただの結果、過ぎ去ったものです。

「実現しない」「まだ実現しない」「なんにも変わらない・・・・・」
そんな風に、じれじれされたら、たとえば、自分がそんな風に他の存在から、期待されたとおりのことをできていないことを「ず~~~~っと言われ続けたら」いやになりますよね。

「こんなに大切にしてるのに、浄化だって、パワーチャージだってしてるのにぃぃぃ」と言われても、たとえばこれが、相手が人間であれば、うっとおしくなって、できることさえ、やるのがいやになって、で、やらないでしょう。
「あなたのために、自分はこうしてやった、こんなに大切にしてあげたのに」という台詞。思い。この裏側にある、本人が気がついてないかもしれない、見返り要求の言葉。
そんな人のためには、出るチカラもしぼみます。

この場合、「思い」ってのはダイレクトに伝わるもの、という風に考えてみると、わかります。
口に出してそうは言わなくても、「まだなの?まだなの?お金だして買っただけの、なんか効果なんてあるのかな~~~」という思いを浴びせ続けられる日常は、クチをきけない石たちには、ちょっと可哀想ですからね。
ペットのワンコだってそうです。
「お金出して、私が癒やされるために飼ったんだから、おまえにはかわいいペットになる義務がある」と飼い主がもくろんでも、躾けの仕方しだいでは、「人を噛む犬」になってしまうことだってある。
彼らは、ほんとうに飼い主の写し身、というか、飼い主に顔つきまで似てきますからね。


私たちは、たとえば実現したくてもなかなかできないことがあることは、当たり前なのです。
思ったことがすべて即時に具現化する世界に生きていないのですから。
(むしろ、それは、ありがたいことでもあるんですけどね。)


石を手にする時。
私は、「もう、石に頼るでもなんでもいいから、なんとかならないだろうか・・・」という心弱さであろうと藁にもすがる思いだろうとなんだろうと、かまわないと思います。
だけど、石に頼る、石をお守りにする、ということは、「即、かなう」ではないケースがほとんどじゃないかと思います。
むしろその「なんとかならないだろうか」の本質、今起こっていること、自分が願っていることの本質への気づきというとっかかりのほうへ尽力するのが石。
それが、いわゆる、「宇宙の理」ってことでしょうか。

一見、「即、かなった」ような場合もありますけれど、これは、おそらく「だめ押しのラストスパートの起爆剤」のように、石を手にしている場合、つまり、「実現まぢか」であることを持ち主が潜在的にわかっていて、「なんとなく、気になって」軽い気持ちで、石を手にしていたり。石は、そういう時の持ち主にとって、本当にちょうどいいタイミングで出会うものだとも思いますのでね。

もしくは、私も度々経験しますが、即効なにかが思い通りに運ぶのは、「新たなるステップ(課題、試練への幕開け)」を知らせている、ということなんだろうと思います。
「そのていどにかまけてる場合じゃないよ~」って、ことです。だから、さっさと器の小さい願いなら実現させちゃって、次の段階へ進ませる道筋を作らせようとするわけですね。


ま、「永遠に癒やされる」「永遠の安泰を得る」なんてことは、人間やっている限りは、有り得ませんってことです。


よく、あんなに苦手だったことが、意外とすんなりできた、とか、昔はこんなことを苦にしてたなんて信じられない、とか、ありますよね。
それは、そう言う風に思えるようになるために、与えられていた困難だったわけで、人は意外と、自分が考えている以上に、成長し、さまざまなハードルを越えて、自分の願望を実現できているものなのです。石があろうと、なかろうと。
それに気がつかないのは、願望というのは、実現してしまえばそれが当たり前の現実だから。
当たり前の現実になっちゃうと、面白くなくなっちゃうんです。意外と。
人は、釣った魚に餌をやらない、自分の中に内在する財産にあまり感謝をしない、そういう生き物だから。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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