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2007年06月28日の記事のリスト

自分が生まれてきた目的というもの

2007年06月28日 (木) 01 : 49
これを知るための手がかりとして、過去世を調べてみたり、チャネリングやらなにやら、昨今、こういう「自分の知らないことを知ること」や「ワザを身につけること」が、「スピリチュアル」だというような風潮もあるのかもしれません。

私自身、ある種の使命感というわけではありませんが、多少、石のことならわかるので、こういうブログをやり続けておりますし、時々、「霊界」のこととか、あと、アセンションと呼ばれるそう遠くもなさそうな未来のこととか、はたまた、この千路に乱れた現実世界への哀愁やら、まぁ、いろいろなものが原動力となって、こうやって書きとばしている文章を(しかも長文)読んでくださっているみなさまには、大変、励みをいただいております。

ところで、私は「自分が、これをやろうと決めて生まれてきた目的」というものを、いまだに知りません。
大筋では、今現在生きている自分も含めてほとんどの人が、「なにやら地球が次元上昇をする」とか、とてつもないまたとない機会を経験したくて、ニンゲン志願したらしい、っていうことは、よく精神世界系では言われていることですので、そうなのかもしれないですし、いっとき、自分もだいぶ、そういう思想に傾倒してはまっている部分がありました。

だけど最近よく思うのですが、それはそれで、確かにそうなのかもしれませんが、だからといって、「霞を食って生きていける」ということではありませんので、やはり、日々、寝て起きてシゴトに行って、ということは、それで継続していかなならんわけです。そこでは、スピリチュアル的ものの考え方をすることが生きる場面ももちろんあります。しかし、現実というものは、それなりにシビアですし、そんなにそんなに「スバラシイこと」の連続でもありません。
そして、時々、緩慢としていて、カラ回りのようにしか感じられなかったり、そうでありながら、日々は矢のように過ぎ去ってもいく。

先日、初めて経験してみた、今風スピリチュアル系のセッションなどでも、自分が実際に知りたかったことは、「これだけ石にまみれた自分の、その“チャクラ”とやらの状態はいかほどか?」ということが主目的で、過去世でシャーマンだった、と言われても、だからといって、この現在の人生で「それと同じ事をしていくこと」が目的であろうはずがありませんし、また、私はあまりその手合いの、いわゆる「スピリチュアル系能力」に興味がないというか、そんなのは、「勘がいい」程度でよろしいかと思っていますし、実際、神様に「私に、見えたり、聞こえたり」などのことが起こらないようにお願いしていますし。
なぜか、というと、
それは、間違いなく、自分程度のニンゲンに、そういうスペシャルな異次元の干渉があるとしたら、舞い上がって「ゴーマン病」になるであろうということが、見えるからです。もしくは、浮世離れに拍車がかかってしまいます。

誰だって、自分に語りかける存在を「良きもの」と思いたいですし、また、相手もそこまで見通して「良きもののフリ」をしてやってきそうですしね。
今の私にであれば、ひつくの神様、とか、いかにもの姿で現われれば、黙って言うことを聞いてしまいそうですし^^。
「天使」とかでてきても、わかんないです。詳しくないし^^。
それに、あまり「天使」様方の役割について、ぴんとこない部分がありまして。

でも、絶対に、現われないと思います。
なぜなら、「なにか実現しなければならないこと」を言われても、現在それが約束できる器ではありませんから。
それだけの「責任」を背負う、覚悟が本当に自分に、そもそもあるだろうか?
自問自答すれば、わかることです。

基本的に神様は、本人の気づきと自由意志、具体的行動に期待というか、まかせる、それが原理原則だと思いますから。
示されている「道」はあっても、「レール」はしいてはくれないです。

「自分が生まれてきた目的」を知ることは、悪いことではないと思います。
でも、もしそれが、「あなたは過去世で栄華の極みを経験し、極貧から学び、這い上がる喜びと成長への理解が欠如している。だから、今回の世では、どうしてもそれを学びたかったから、そういう環境を選んで生まれてきたんですよ」なんて言われて、それで、納得できるものなのでしょうか?

「真実なんて知ってきみは何をするの」
というフレーズは、私が好きだったブランキー時代のベンジーの歌詞の一部なんですけれどね、真実を知って、それがどんな真実であろうと、知って、知りっぱなしで、何もしなければ、それはもっと苦しいわけですよ。

目的がなにであったと知ったとしても、今、ここに生きている事実は、一変するものではない。
変えていくのは、「スピリチュアルなチカラ」がなんとかしてくれるのではなく、自分自身のチカラなわけです。
それが、すなわち、「スピリチュアル」なんですよね。
その「自分自身」の中の「霊の声」を聞けるようになることとか、外からやってくる存在の声を聞けるようになることが、スピリチュアル、ではない。

最近、ひふみ神示を読んでいて思うのですが、やはり、「道」なのですね。
道は自分で歩め、と。
そして、「人は、人と語れよ」と、あります。
地上人に構う霊は、九分九分九里が邪霊であるぞ、と。

目に見えない世界があることは、もちろん事実ですし、その見聞を深めていくことは、確かに有益でもありますけれど、同時に、自分の自我欲のさらなる拡大の引き金となることも、じゅうぶん有り得ます。

「霊性を高めたい」とか「波動を高めたい」とか、ハイアーセルフの声を聞きたい、とか、「向上心」なのか、「欲」なのか、自分で自分を常に監視していないと、あっというまに、「悪の総大将」の意のままになりかねないな・・・ 
と、私自身、よくよく我が身を振り返って、思うところですね。

まぁ、いずれにしても、それは、すべて「お見通し」で、びっくりするくらい、「ずる」ができないな、と。
それがまた、時々「ちぇっ」と思ってしまうところでもあるのですが^^。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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