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2007年06月09日の記事のリスト

右?左? はて?Which?

2007年06月09日 (土) 18 : 06
パワストアクセっていうのは、「天然石ブレスレット」「パワーストーンブレスレット」「ヒーリングストーンブレスレット」などなどの呼び名で、圧倒的に「ブレスレット」のカタチで販売されているものが多いと思います。

これは、「ブレスレットがいちばん石の効果を引き出しやすいから」ということでもなくて、単純にコストバランスの関係からだろうと思われます。夢をぶちやぶるようで恐縮ですが、自分が「販売のカタチでご提供する」側になってみると、よおくわかることです^^。

使用できる石の「量」と、身につけるカラダの部位を考えると、たぶん「ネックレス」が、いちばん、「石を身につけた上での効果らしきもの」を感じることができる形態ではないでしょうか。

ただ、ネックレスの難点があるとすれば、「自分では鏡つかわないと、年がら年中眺めることはできない」というのは、ちょっと難点。必然的に、「ロングネックレス」のほうがいいんだけど、そうすると、コストも高くなる分値段もはるし、ロングネックレスって天然石使うとけっこう重たかったり邪魔だったりもするし、目立つ分、日常的にするのにはモンダイあるシゴト(華美な装飾品御法度のお仕事とか)だったりすれば、結局「服の中」だったり^^。
(でも、ブレスレットもどうせ「服の下」に隠すんであれば、だんぜん「ネックレス」のほうをオススメしますがね)

それと、石の場合、目視での満足感って、それなりに重要なのですね。

昔、石のチカラというか、発している気や石の思いのようなものなど、微塵も気にかけたこともなく、単純に宝石フリークだった頃の私は、とにかく「指輪」が好きでしたね。
なぜなら、指輪は「見ることができる」、という理由。
綺麗な石は、「ヒトに見せるため」というよりは、自分がいちばん見たいですよね。
(指輪の良いところは、使用している石の分量と加工上の関係から、「宝石」としては、いちばん低価格で手に入れることができる形態であることもありましたね。ピアスや、ネックレス、バングルだと、使用貴金属と加工の関係で、けっこうお高くついてしまいます。指輪なら3万円で買えても、それがバングルだと7、8万円くらいしたり。)

そういう意味では、「ブレスレット」は、目にすることができるので、石のケアもしやすいし、石の変化に気が付きやすいぶん石が語ろうとすることを見つけやすいし、指輪よりも邪魔じゃないし、あと、指輪よりは「使用する石の量と種類」を増やすことができる点があるので、いいのかもしれません。

あと、天然石ビーズは、宝石質の石に比べれば、そりゃ圧倒的にお安いですしね。
この前、ラリマーのタンブルカットのビーズってやつを買ってみたんだけどね、「これ一連でいったい、他の石ビーズ何本買えるんだよ・・・ぶつぶつ・・・丸玉じゃない、タンブルカットなんだぜ・・・ぶつぶつ・・・」って思いながらも、でもまぁそれでも、宝石として考えれば、それほどの価格じゃないんですよね。(でも高いけど。)
そう煮え切らなく思っていたら、たまたま宝石屋を久々に覗いた時に、ラリマールースのペンダントトップのネックレスが「16万円」だったんだけど、それに使用しているラリマーはそりゃ美しいんだけど、自分が買ったタンブルの美しさも、それほどひけをとっていないな、と思い直し、「高いんだよ・・・ぶつぶつ」が、緩和されましたがね^^。


話がそれまくりましたけど、
その「ブレスレット」なんですがね、「右につけるか、左につけるか」で、考えちゃう方も中にはいますよね。
ネックレスなら、首は一本なんで悩みませんが、腕は意味があって二本ありますからね。
そりゃ、「左右どっちでも同じだよ」とは思えないお気持ちも分かります^^。

しかもこのモンダイは、やはりパワストショップの数のぶんだけ、諸説ありすぎですね^^。

なので、ここで私が私の時論をぶちまければ、その「諸説」がひとつ増えるだけの話でもありますので、まぁ、テキトウに聞き流してみてください。


私の場合は、右、左、に両方身につけています^^。
右腕ですが、水晶単体のブレスや、ルチルクォーツ単体のもの、アンバー、トルマリン、アクアオーラなども右手です。
基本的に、「単体の石をメイン使用している」ブレスレットが、右手・・・という感じです。
それと、右手は利き腕のため、単純にあんまりたくさん付けられないですよね^^邪魔になるから。
なので、水晶一本、それプラス、何か。そんな感じ。

左腕には、「複数石のコラボブレス」が、わんさかいます。
だいたい、常時3本くらい、多い時は7本くらい。
これからの季節、腕を外に出さなくてはならなくなるので、このじゃらじゃら状態を、「1本、ないしは2本」に集約しようと、今画策中^^。
左にも、水晶やルチルやトルマリンがいることもあるのですが、この場合彼らは「メインの石の補佐役」に回っているケースで存在しておりますね。

この棲み分けに「理由」はあるのか? と、言われると・・・・・
「いろいろ試しているうちにこうなった」が、理由ですね。


自作をし始めた頃に、やはりこのモンダイについては、色々なパワストの店の「諸説」も目にしましたし、その中には「ふ~ん」なものもあれば、「なるほどな~」もあり、でも、「これが絶対」ってもんはありませんでした。
こういうのは、
結局、「自分で試し、自分で見つけていく」ことに意義を感じますね。
「あの人がああ言っているから、絶対正しい」というのは、ヒトを神格化し、教祖の持論を実現するために行動する使徒行伝のような感覚の、新興宗教みたいになってしまいます。
自分で試してみて、で、「ああ、あの人が言っていたことは、自分にとってもそうだったのね」と思えれば、それでいい話。

一般的には、よく言われているポピュラーなものが、「石のチカラを吸収したい場合には左、石のチカラを発揮したい場合は右」、とかいうやつですね。
しかし、上記の説とは一見真逆の「左手は外に出す、右手は自分の中に入れる」みたいなものもあるようです。

でもこの2説、字面では一見真逆ですけれど、「石のチカラ」の部分を無関係にしてみると、結局、似たようなことを言っているようにも思えます。

左で感じたものを掴んでいくのが右、という感覚じゃないかしらと。
この場合「石の助けを借りて」左で感じる(この時点で、外に出ている)ものを「石の助けを借りて」に右で血肉(カラダ&心&精神の)とする(自分の中に入れる)ということなんじゃないでしょうか。

「左で石のチカラを吸収している」、というのは、おそらく、左側で石のチカラによるなんらかの気付きを得ることで、自分の中から、なんであれ「カタチとなって出てくる」のではないですかね。それを顕在化しやすいのが左手。

で、それを血肉としないと、「発揮」はない。

「右で石のチカラの発揮」、というのは、顕在化する事実というものは、自分の潜在能力と成長した部分の発揮に他ならないので、「右手は自分の中に入れる」は、「血肉としたものを、いつでも使える状態にする」ことを言うのではないでしょうか。


まぁまぁ、
とにかく、色々やってみて、自分が「まぁこれがいいアンバイかしら」を、見つけましょう。
もちろん、「あの人がああ言っていたから」を、無条件に、自分にとってのいいアンバイとして捉えることができる人にとっては、いろいろ言われている「諸説」の中から見つけていくのも、手っとり早い、手間暇かからぬ方法ではあります。

「人の言うことを鵜呑み」は「富士山の五合目までは、観光バスで行く」ようなものです。
でも、連れて行ってくれるのは、五合目まで。

結局、そのあとモノを言うのは、本人の「ふだんの足腰のチカラ、鍛え方」に他ならない。
自助努力をどんなにすっとばしても、最終的には「自分しだい」なのです、どこまでも。


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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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