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2007年05月07日の記事のリスト

イシ好きは、寂しがりや?

2007年05月07日 (月) 23 : 58
昔、言われたことがあるんですよ。O.Lだった頃。

ジュエリー大好き、貴金属大好き人間だったその昔、常に何かしらの指輪(指輪が特に好きだった。なぜなら、イシを眺めることができるから)を、とっかえひっかえしてたんですね。
で、歳もず~~~っと上だった先輩に、「いっつも綺麗なのしてるね~~」って言われて。
で、その彼女がぽろっと。
「そういうの好きな女の子(当時は“女の子”でしたしね^^)って、寂しがりやなんだよね。」と。

私は、それを聞いて、なにかこう、自分の弱点を思い切り突かれたような衝撃を、感じたんですよね。
ヒトからは、「寂しいヒトに見えるんだ!」という^^。

まぁ、確かに、イシ好きもそうですが、アクセサリ好き、服好き、の傾向としては、「孤独」ってのはありますね。
だって、そんなん、ヒトから見れば、「えぇえ、これがそんなにするのぉ~?!」な目を剥くプライスだったり、食えるわけでも笑わせてくれるわけでもない、ひたすら、自己の美意識(というか、ある種の偏執狂というか、おたくというか)と審美眼を頼りに遊ぶ、ちっぽけな世界ですから。
そこには、「ヒトに見せたい」も、もちろんないわけではないけれど、やっぱり「自分の世界」なんだわな~。
また、「こだわっている」ことがバレバレだと、実に格好悪い。

そう、私は「寂しいヒト」=「恥」「格好悪い」という、個性もくそもない、短絡的な烙印をその時自分に押していたのかもしれません。
「自分の中の寂しさ」を外側に漏らすなど、自分のプライドが許さない。そんな感じでした。

ところで、当時はまだ「おたく」というカテゴリに属する人種の認知がなされていない時代でしたから、いわゆる「コレクター」というのは、集めているブツのジャンル問わず、一見非常に危うい暗い趣味を持ったヒト、という烙印を押されかねない、危ない行為だったわけです。
コレクター=モノへの執着でもありますしね^^。

せいぜい、ヒトから不思議がられないのは「映画鑑賞」「読書」とか「テニス」とか、そういうもの。
「本好き」だって、かなりキテルようなところありました。
ましてや、「モノを書く行為」など、まぢ、奇人扱いでしたよ。
基本的に、アウトドア系の趣味ならまぁ納得してもらえても、それが「登山」とか、なんかこう「苦しそう系」も、マゾっぽい感じしてましたね、そういえば。

だけど、普遍的に、O.Lさんというのは、占いとか好きでしたよね、昔っから。
当るという評判があれば(またこの情報ソースが少ない^^でも、基本、「肉声」「体験談」が、今よりもっと身近な周囲から聞けていたように思う。今は、ヒトはだいたい「二面、三面」使い分けしてますよね。だから、逆に滅多にリアルの周囲には自分を見せない、っていうヒトも増えているのかも)つるんでいっしょに行ってたな。
で、その結果を、ああでもないこうでもない、とやることそのものが楽しかっただけで。当ってる~当ってない~、、、で、驚く世界。

そうそう、昔は、「書くヒト」と「読むヒト」の棲み分けが、きっちりなされていましたからね。活字媒体しかなかった頃。
音楽だってそうでした。「創るヒト」「聴くヒト」。
今ほどインディーズというジャンルが勢力として(つまり金になる木として)機能してなかったのもあるし、そもそも、「音楽などという、金にもキャリアにもならぬ無駄なこと」を大まじめにやるには、それ相当の覚悟が要される、というか。気軽にバンド、っていう空気はなかったな~。
だから、私などがその昔「聴くヒト」のカテゴリから、「創るヒト」のカテゴリに移ろうとした時には、周囲は、たぶんとうとうアタマがおかしくなったのか? と、思っていたと思いますね。

そのぐらい、「周囲」なんてものに、「ホントウの自分」なんてものは、そうやすやすと見せられるものではなかったのです。

しかし、今はいいですね~。

イシ好きだ、っていって、ブログを始めれば、同じようにイシを好きなヒトたちとのコミュニケーションが、瞬時にできる。
自分の知らなかったことを、教えてくれる先生まで現われる。

今でも、天然石の認知度は広がったとはいえ、「詳しい」という時点でやはり怪しい人物であることに代わりはない。
気味悪がられることだってあります。
世間一般にはくら~~~い趣味にしか見えていなくても、好きなヒト同士のあいだには、イシを媒介とした、暖かい空気が生まれます^^。
時々、叱咤激励もございます。同族嫌悪のようなものも、中にはあるかもしれません。
でもまぁ、それもみんな、ありがたいことですわ。


ただ、「ホントウの自分」なんてものを人様に見せるフィールドが、自分の至近距離以外にはそうやすやすとなかった頃は、無理して「ホントウの自分」についてなんて、それを表現しようとしなくても、それはそれでよかったわけで、ある意味それほど悪いことではなかったんですよね。
自己実現なんていう耳障りのいい、たいそうなものを追いかけているのは、どちらかというと「地に足のついていない、うわっついたヒト」という扱いだったわけで。いわゆる、変わり者、ということ。
「こんな自分は“ホントウの”自分じゃない」ってやつです。
個性という言い方もあるけれど、個性的であろうと務めれば務めるほど、変わり者になっていくんですよね。
(これは、自戒を含めての話です)

むしろ、今は、ちゃんとちゃんと堅実に生きてきたヒトが「ホントウの自分を、自分は生きていないんじゃ・・・?」って、「気づき」ではなく、「迷路」にわざわざ足を突っ込む、わざわざ「変わり者」なろうとしているケースも増えてきているのも事実のように感じます。
かえって「変わり者」同士の中で他との比較もしやすい環境を自ら作り出しているとも言えるし。

進みゆく時代のスピードを止める術はありませんから、今後このあたりがどうなってゆくのか。
面白い時代といえば、面白い時代なんでしょうね。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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