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2006年11月の記事のリスト

そこでやめちゃだめだ

2006年11月25日 (土) 21 : 31
11月ももう終わりなんですね。
なんか今月はめまぐるしかったな~・・・どうしてなのかな~・・・と思っていたのですが、なんとなくその原因が分かりました。

今月って、昨月の終わりぐらいからなんですけど、千駄ヶ谷の店置きアクセサリを、気付けば合計30点くらい納品していたのです。
今フル就業で昼間派遣の仕事をやりながらなので、まぁ定刻に帰れることが幸を相してというのもあるのですが、それでも、それなりに目一杯感があったのは、そのためだったんですかね。

季節柄、こういったちょっとしたアクセサリの類が出るようになっているみたいです。
自分用に、誰かへのプレゼント用に、と、理由は色々ですが、やはり12月のクリスマスシーズンに向けて、ヒトはなぜか、こういったものに目が向くようですね。
(そういえば、昔自分がジュエリーフリークだった時代も、間違いなくボーナスシーズンの12月には大物買ってましたね。単なる自分の金回りだけの問題とも言えるのですが、でもそうでした、そういえば。ヒトに買ってもらうのも、自分の誕生日が冬なので、いつも冬でしたしね~)

それにしても、そこのお店には、私のアクセサリの他にも、BeadsBalanceというビーズアクセサリブランドのアクセ(なんかデパートアクセで、ビーズ系では名が知れているらしい)なんかも、デパートで売られている価格などよりはかなり割安感のあるお値段で売られているのですが、私の天然石アクセサリが動くようになってから、あんまり売れなくなっちゃったらしいんですね。

まぁ、おそらく原因は一目瞭然というか、似たような価格で、いわゆるプラスチックアクリルビーズ非金属のアクセサリと、そこそこデザイン性のある天然石のアクセサリが並んでいれば、よっぽどカッコ悪いデザインじゃない限りは、「ホンモノの石の素材」を使用しているアクセサリのほうを選びますよね。

でもその話を聞いて、私は素直に喜べなかった部分があるんですね・・・。

なんかあんまりよろしくない消費者教育をしてしまっているのかな~。。。という思いがこの1ヶ月、拭い去れなかったというか。
売れるのは嬉しいんです。
でも、やっぱりそれが「安いから」っていうのが根底にある理由だと、創り手としては少々寂しいものがあるものなのです。

その寂しさ感のピークは、同じ商品を合計三点ご注文いただいて、それを作り終えた時だったかな。
普通これは喜ぶところなのでしょうけど^^。
実はこれ、素材の石代にけっこう無理していた部分があって、二本、三本、となってしまうと、自分の中に目減り感が生まれてしまうものだったんですね。値付けをちょっと安くし過ぎてしまった商品だったのです。
そんなんじゃ、どんなにビーズなら石は安いといっても限界ですわ、って感じの。
でも、人が気に入るのって、結局その手の「お得感」があるものなんだな、って。

作っているうちに、こんな「自分が無理をしている」という感情になるために作るのであれば、アクセサリになる石たちに失礼だな、と思い、何度か思い直したり、それでも割り切れない感情は湧いてくる。

まぁそんなこんなで忙しくしていたのですが、先日、ものすごく鮮明な夢を見ました。
昔マンションの営業マンをやっていた時の同僚複数人が登場してきて、なぜか私の一年間の販売成績表をみんなで見ながら、ああでもない、こうでもない、という話をしている。(たぶん、この昔働いていた会社の夢を見たのは、その日の昼間に「黒田ご夫妻が購入したマンション」について、サーヤさんの日常を綴る女性週刊誌を覗いた時に知ったからなんだと思います。実はここ、私がこの会社にいるあいだに売ってました^^。おそらく現存する日本のマンションの中では、いちばん耐震性に優れた(というか、ゼネコンがそれなりにチカラをかけた)物件だと思います。いちばん安い独身用の小さな平米数のものでも、確か4千2百万円くらいした記憶が・・・金持ちしか絶対に住めない物件でしたね~~。でも、サーヤ様もお住まいとなると、おかげで一応ホンモノの高級物件らしいハクがついて良かったんじゃないですかね。立地的には、由緒ある都心の高級住宅地、というわけではないところを、無理矢理そのように名打っていたわけですから^^)

夢の中で、成績不振の頃の現場にいた時にわりと仲良しだった同僚が言いました。
1ヶ月間で、その成績不振の10ヶ月間分以上の契約を取った私の成績を見ながら、
「〇〇(私の苗字)は、ここまでは必ずやるんだよな~。」

そうなんです。
私は、必ず「ピーク」「トップセールス」を経験する、そこまではやるのです。

「たいしたもんだよな。でも、なんで続けないの?」

夢の中なりに、私は考えてました。そして言いました。
「めんどくさくない? 気遣うじゃん。面倒なのが嫌いだから、きっと。」

その彼は、当時のままの表情で笑って、言いました。
「それが俺らの仕事だからさ。だめだよ~、面倒くさがっちゃ。しょうがないじゃない。それが仕事なんだよ。」

そこで、目が醒めたのです。
なんか、痛い夢を見てしまったな~・・・と思うと同時に、「それが仕事」ってものか、と。

霊界に行こうが、永遠に「仕事」はあるようなので、仕事が面倒くさくなって「精神の進歩・向上心」を失ったスピリットは、格下げもしくはまた地上での修行があるようなんで^^、この、「向上心、前へ進む心」は生きているあいだどころか、死んでも不可欠なんですね。
ひつくの神様も、そういえば言ってるしなぁ。
「50の手習いどころか、死ぬまで勉強、死んでも勉強」って。
で、「仕事」というものは、実はピークを越えると、「同じことしてたんじゃ駄目」になっていくものなのです。
本能的にそれを知っている私は、いつも自分がトップを経験しちゃうとそれ以降の努力が面倒くさくなって、で、止めちゃうわけなんですね。
下降線を見るのが嫌なのでしょう。

アクセサリに関しては、おそらく、「安いから」を理由にしているのは、他ならぬ自分だったんだろうな、というふうに思いました。
というわけで、微妙に微妙にですが、店置きアクセサリについては、安いモノと高いモノという「差」をつける試みなどをし始めたところです。
やっぱり、「自分が無理して安く売る」っていうのは、精神衛生上良くないですしね。
「これは、これ以下で売るなら売れなくていいから戻っておいで。」
アクセサリって、制作者のそういう思いも加味されていたりして、でもそこに固執しすぎると「何のために作って売ってるの?」というくらい、誰にも買ってもらえない現実性を離れた価格付けをしがち。それをもっともっと実現性のあるものにしたいのであれば、やっぱり「ブランディング」が重要なんですよね。

ところで、そのように決意したあと、また同じ方から別の石のアクセサリのご注文をいただいたのですが、その時は心を鬼にして「〇〇円以下では作れませんね~。いかな私でも。」と言ってみたところ、私の提示額でも買ってくださる、というご了承をいただいたのですね。
これは、嬉しかったですね。
安いから、ってだけで買っているわけではないのだ。
という意志表示のような感じで^^。
まぁ、リップサービスかもしれませんが、私の作ったアクセサリを身につけるようになってから、調子が良いそうなので。
石は役に立っているようです^^。

なので、夢での忠告をそのまま鵜呑みにするわけではありませんが、やめませんよ~。
たぶんアクセ作りは霊界に行っても続けられる仕事となるでしょう。(霊界へ行けば、石代はタダだしね^^。やっと採算気にせず作り放題ですがな)


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石には困らない

2006年11月18日 (土) 23 : 08
ものすごくお久しぶりのアップですね~。
なんだろー、フシギなんですが、昼間の仕事じたいは定時上がりが当然で、何が忙しいというほどのこともないはずなのに、毎日気がつくと一日が終わってるんですよ。
もう外は秋も終わっちゃって、冬の様相ですしね。
冬の外回り中心のシゴト、って、これから初体験となるわけですが、すでに昨日の寒さでやばい、と、恐れおののいている部分もあり・・・。
けっこう、基本的に長時間外にいなきゃならん、っていうのは、通勤の行き帰りのみ外を歩くケースとは違いますね。
本当に、油断してると、体が冷え切ってるのがわかりますね。

ところで、もう先週くらいの話なのですが、「ちょこっと太陽光チャージ」なら、太陽光NG石にもオッケーだよん、ということをお話したのですが、NGというよりは、「太陽光チャージしておくれ♪」って類の石って、ありますよね。

いわゆる「黄色系」の石。
黄色系で、陽光ダメってのって、ほとんどないよね。

私は携帯電話に、いわゆるその黄色石オンパレードの自分で作ったストラップを着けてるのですが、その中身はというとですね「ルチルクォーツ、シトリン、タイガーアイ、イエローオパール、イエロージェード、アラゴナイト、パイライト、金色ベネチアングラスレプリカ」というような、モロダシの「お金欲しい系」ストラップなんですわ^^。

一般的に、黄色の石はなんでも金運石の扱いで紹介されていることが多く、そんな石じゃないだろ~的な、イエロージェードとかまでそんなことに昨今はなっているので、どっかの部分で辟易もしてたんですけど、でも、実際に自分もなんだかんだ言ってそんなストラップ作ってるわけですよ^^。
口では色々言えても、「お金に困るのは勘弁してくれ」っていうのが、私の願望というか、基本スタンスなわけで。

で、話は太陽光チャージに戻りますが、外出先で、ちょこっと休憩タイムなんかを取る時にですね、毎日毎日眩しい太陽光をありがたくいただく中で、このストラップをそういえば日に当ててないや、ってことに気がついたんで、(意外と電話ってバッグの中に仕舞いっぱなしになってるので)他の石といっしょにね、ぎらぎらの陽光の中に甲羅干ししたわけです。

その時に特にお金のことだけを考えていたわけではないのですが、ちょうどその週末の土曜日に私には「支払わなくてはならないお金」というものがあり(石ビーズの代金なんですけどね^^)悩んでたんですよ。それが、代引きで一万八千円だったんだけど、実はそのお金がなかったのね。「持ち合わせがないのに、石を注文などしなければいいのだ」
と言われれば、まぁそうなんですけど、ほら、ご承知のように、石ってさ、時価のもので、また後でいいや、って時に必ずそれがあるとは限らないものじゃないですか。
だから私は、「これを今買わないでどうする?」ってのを見つけると、支払手段を考えず、全部買うんですよね。

一万四千円まではあるんだよな~~~。あと、足りない四千円をどうしようか・・・。
まぁ、そのことは考えてはいたんですよね。
しょうがないな~・・・家計から前借で借りるか~。
でも、そういうことをやって石を買ったりしていると、いつダンナから「アクセ作り禁止令」が発令されるかわからない。
(これ、アクセ作るのが好きな人には、けっこう経験ある話だと思うんだけど、石ビーズってさ、それなりにまとまったお金がないと買えないから、それなりかさむことはかさむんだよね。で、ダンナとかが、その実態を知ると、度肝を抜かれることってあるんですよね。)

という感じで悩んでいたのです。四千円くらいの、しょぼい悩みではありますが、「ない」となると、ないものなのです。
明後日、払わなきゃならない、っていう状態で。

前日、結局お金は足りないままで、当日を迎えたわけです。
やばいな~、でもしょうがないな、家計から前倒しだわ・・・
そんな風に考えていた矢先です。
午前中、私を叩き起こす一本の電話。
アクセサリを店置きしてくださっている千駄ヶ谷のお店の店主からでした。

挨拶もそこそこ、「これとこれとこれが売れてるわよ~。今日着ていただけたらお支払できますから。それとね、前にネックレスを買ったお客さんからの注文なんだけど、できるかしら?」
注文。支払。

そうなんですよ~。
普段は忘れてますけどね、私には、店置きしてもらってるアクセサリという、強~い味方がいたのです。

千駄ヶ谷に、いそいそと出かけ、売れたアクセサリからいただける私へのご褒美は、なんとですね・・・・・「3980円」だったのです。
神様を久々に感じましたね。
アンド、「あ。黄色石だ。」
そう感じました。
きゃつらを日に干しながら、私は、「どうしよ。支払。」と悩んでたわけです。

で、目出度くそのお金を持ち帰り、夕方やってきた「代金引換」の石たちと引換えに、一万八千円、足りなかった四千円を調達して支払うことができたのです。

やっぱり、黄色い石は「金運石」で正しいかもしれませんね^^。

私は「石には困らないのだ」という感覚があり、またひとつ、妙な自信をつけちゃったな~~~~・・・ポリポリ、となっているところです。
ということで、「注文をいただいたぶん」もまた右から左へと、石ビーズに変わり、今日もうちには石が届くのでした^^。


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あのよ~

2006年11月10日 (金) 01 : 04
「A・NO・YO」という雑誌が創刊されるのですね~。
電車の吊り広告みて、例のエハラ~さんが編集長ということで、なんか笑っちゃいました。精神世界をビジネスとして拡大する、ある意味、あの方は開拓者なのかもしれません。
この世の話よりもあの世の話のほうが、俄然、好みの私としては、矢も盾も止まらず本屋へGo!と行きたいところですが、まだ、実物は見ていないです。
読んだ方はいらっしゃるのかな?

ところで、「あの世」と言えば、すでに現在あの世へ行ってしまわれた、なつかしの丹波哲郎氏が、一昔前のスポークスマンとしておいででしたね。
「大霊界」とか、本の出版もそうですが、とても精力的に、霊界を宣伝なさっておられました。

もう10年以上前の話になるのですが、私は、丹波さんがなさっていた、そういった霊界のことに関する「無料の講演会」を聴きにいったことがありました。
あの方は、テレビなどで霊界を「ネタ」にしているだけではなく、こういった地道な活動も、ハードであろうスケジュールの中、なさっていたのです。

「会場で、丹波さんに質問してみたいこと」というものを、申し込みハガキに記入する欄があったので、書いておきました。
当時、ほんっとうに悩んでいることが私にはあって、それは、「自分はこんなことをしていては、霊の自分を汚しているのではないだろうか。」という、ま、いたしかたない部分もあってやらざるを得ないのでやっていることがあったのですが、非常につらかったわけです。

丹波さんは、講演の最後に、その私が書いた質問を読み上げ、そして、その当時の私にとっては、「救われた」ような、ひとつの解答をくださいました。
丹波さんご自身の意見ではなく、「霊界というところはそういうところのようだ。」という考察に基づいた答えですから、という前置きで、「この世的には、非道であったり、罪という概念であったりすることであっても、霊界ではモノゴトひとつひとつの意味付けが違う。その動機がどこにあり、何ゆえそれを行っているか。その自分の中の答えが、自分の欲望を満たすためや、人を陥れるためや、そういう悪心から発するものではなく、この世的にはよくないこととされることでも、人のためにやっている、誰かを救うためにやっている、そこに本心からの動機があるのなら、それが霊を汚すということにはならない」というような、質問に対する言葉でしたね。

当時の私には、光が差すようなコトバでした。

素晴らしい人だな、と、私が丹波さんに感じていた点は、丹波さんは「自分の感情部分」での、けちな喜びでモノを語っていなかったことだったと思います。
本気で、「霊界があること」をたくさんの人に知ってもらいたい、そして、自分が俳優として有名になったのも、このシゴトをするのにそのほうが都合がいいから俳優にさせられたんだ、というようなことも、どこかでおっしゃっておられましたけれどね。

もうひとつ。
彼は、霊能者さんではなく、普通の人。
霊界があることを、目で見たり耳で聞いたり、という感触で知らなくても「あるのだ」と言えた人。
つまり、何かしらの「ソレ的能力」を自分が持ったがゆえに、霊界があることを主張しているのではない、奇跡的なパワーを得たり、実体験したからではない、という点。

私は、こういう人が好きです。


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