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2006年09月12日の記事のリスト

「選択肢がない」ということの強み

2006年09月12日 (火) 23 : 49
真剣に「職探し」ということに、向き合うようになってから、厳しい現実というものにも直面し、落ち込みもし、これでは「パワーストーンのチカラ」を標榜する者として、ブログをやってきた面目が丸潰れではないか、、、とも思うよーな気持ちになることもありました。
でも、よくよく考えてみると、「石は人生を一変させる幸福をもたらす魔法使い」だということを、そもそもお伝えしているわけではないし、私自身の、この実地での「運」の流れを実演でお知らせできることによって、ある種の「パワーストーン観」が、ご購読の皆様の中に出来上がってくる一助になるのではないか、と、半ば「ヒトゴト」と捉え、自分を観察していくと、字面では、面白い考えが浮かんできます。

あとは、それをどう具現化していくか。それだけですね。

ところで、今日はいわゆる求人募集雑誌「B」に載っていた会社の面接でした。
履歴書、職務経歴書をお渡しし、小さな会議室に通されたところ、そこには「アンケート」なるものが用意されていました。
いわゆる、「やる気度テスト」のような感じのペーパーです。
その会社に入って、自分が何を実現していきたいか。それは、何年後か。
具体的に年収をいくら必要とするか。将来、実現したい年収はいくらか。
将来実現したいことは何か、などなど。
やっべ~、、、、とは思いながら、約30分くらいかかって、記入しましたが。

なんとなーく、「これはリハビリだな。」と思いました。
なんのリハビリかというと、「リアルを取り戻す」リハビリ。
そういう意味では、私はそこの会社に面接を申し込んだことは、「単に年齢制限が多くて、結局あんまり選択肢がないな~」という気持半分であったとしても、ある種の必然性があるように感じたわけです。おそらく、この年齢制限がなければ、そこへ面接に行こう!と電話をかけることもしなかっただろうし、その広告が目に入ることもなかったと思います。

しかし、求人誌を見ていて、仕事そのものに関しては「これもできるだろう、あれもできるだろう」と、いくら自分が感じているところで、現実問題として、「〇〇才まで」のレンジが大幅に下回るものは、もう自分には縁のない別世界の話です。
それは、私にとってはこの世に存在していないも同然の話。

で、私の場合、あれこれあんまりもう迷う必要がないのだ、ということを知りました。
だって、そもそもその「選択肢」が、とても限定的で数が少ないので。
「選んでいる場合じゃない」どころか、「実は、選ぶほどないのねん♪」なのでした。

でも、これはそれなりに現実的に見れば悲壮感漂う話なのですが、けっこうラクチンだな、と、私は思っているのです。
私には、これから会社員として仕事をすることが実現すれば、得るものはあっても、「失うもの」は何もないわけです。現在がそもそも無職ですから^^。
そして何しろ、「探すのがとても簡単」です。数が少なすぎて^^。
(これは、単純に「必要年収」との兼ね合いの問題です。なんでもよければ、仕事そのものはないわけではありません。リストラされた妻と子を抱えるお父さんが、小泉総理大臣に「仕事がない、って言ってないで、なんでも、やれる仕事をやればいいじゃないか」と無責任なことを言われても、突然コンビニのバイトになれない理屈に近いかな。一家を養っていける最低限の年収がコンビニで得られるなら、お父さんは喜んで即効コンビニ店員を志願するでしょう。そうじゃないからね。)

よく、結婚したいけどできない、という人の理屈として、おそらく「選べる間は選びたい」「今自分が得ている出会いやモノやお金や時間を失いたくない」と条件を並べ、色々迷ってあんなタイプこんなタイプと物色しているうちに、「それほど選べない年代」に突入していく・・・というような話がありますが、その「選べない」ことって、決して不幸なことじゃないですよ。
むしろ、ある程度自分の道が限定的になっているほうが、結局、色々な外側に巡り来てはうつろう価値観や人の言葉に翻弄されている時よりも、自分にできることできないこと、やれることやれないこと、に集中できるし、焦点が「本当の自分の声」に向かわされます。これが、できるなら若いうちからちゃんとできていることが望ましいことは望ましいのかもしれませんがね。だけどそれでさえ「自分はうまくいっている」ってのが、一生続くかどうかなんて、誰にもわからないことですから。

結婚したりすると、より「自分の問題」と「相手の問題」というリアル部分に触れないわけにいかなくなる。これは、吟味して吟味して「間違いない相手(その時点では)」を選ぼうと、そうでなかろうと、同じです。
そしてなんであろうと、ひとたび相手を選べば、そこからの選択肢なんてものは、もう「別世界」なわけですな。
まぁ最近は、既婚者であっても、恋愛渇望症みたいな色気づいた人も多いですが、こういうのは人生の問題をより複雑にするための餌巻きみたいなものです。酔いしれていられるうちはいいですが、必ず目の醒める時が来ますから。

あたしは、昔、大人になる、年齢を重ねる、ってことは、楽しみや可能性がひとつひとつ失われていく、つまらないことだと考えていた時期がありました。
まぁ、今は中学生から見ると、すでに「高校生はオバサン」だそうなのですが^^、そこまででないにしても、若さを失うことのハンデを恐れていたことの裏返しだったのかもしれません。

でも結局、大人という定義が、自分が大人になってくると、どんどん変わるのです。
先日アクセサリを置いていただいているVIVRE順さんというお店に、納品と、売れた商品の清算にお伺いした時、店主の順子さんに、お知り合いに赤坂で高級料亭を経営している方がいるらしく、どーしても仕事が見つからなくて何かの足しにって時には、その人に話してあげられるわよ、と元気づけられ、いわゆる超高時給の仲居さんのバイトの話をいただいたのですが、「あ~でも私、もう〇〇才ですよ~。そんな、世の中のお綺麗な非常勤のスッチーとかでさえ、搭乗の仕事がない時にやってるようなバイト、無理っすよ~」と言ったら。
「だぁいじょうぶよ~。ぜんぜん、平気!見た目オッケー。私だって、来年〇〇才よー。」って・・・実家の母と同じ年齢でいらっしゃいました。
(この年代の女性は、実母も含め働く意欲満々の方々が本当に多いです。年金需給年齢を越えてるんですがね。でも、びっくりするくらい前向きなのです。やはり、長くさまざまに試練を越えてこられた年輪、実績、という裏付けのある自信ですかね。こういう方々から見ると、私など、めっちゃしょぼいひよっこなんですよ)

まぁ、今をスタート地点として考えれば、これから私が彼女らの年代に届くまでには、まだ更に何十年かあるわけです。
そう考えると、今すでに年齢的に仕事が限られてるだのなんだのと気に病んだところで、どの道遅かれ早かれ、誰もが「ある程度限定された道のり」を歩いていかざるを得ないことに間違いはないわけです。

私には、その観念が足り無すぎていたわけですから、今、この「選択肢がない」状態は、むしろとても幸福なことなのかもしれない・・・
という風に、思うのでした。
やっと、負け惜しみではなく、そう思えるようになってきました。
不思議ですね。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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