アーカイブ
2006年09月の記事のリスト

やっと!

2006年09月20日 (水) 14 : 42
やっと、決まりました。シゴト。
時間かかったな~。探し始めてから、約一ヶ月弱。
今までで、最長だったでした。どんなに長くても職探し期間2週間というのが、今までの定番だっただけに、この時間のかかり方には、途中かなり焦りまくりました。
やっぱり、年齢ハンデっていうものの威力と、私が長年に渡り積み重ねてきたカルマのなせる技ですね。今回は、ひしひしとそれを感じましたよ。

でも、おそらく今の私に必要な要素を勉強できる、いい仕事を見つけることができたと思います。感謝、感謝です。
微妙に、「あ、その要素は、私には必要だ。」と思える、「やったことがないこと」が仕事で、且つ、ここがポイントなのですが、営業ノルマのない営業なのです!yeah!
なので、ある意味、私に必要な要素を追求することに集中できる環境。
数字を上げなくてはならないという逼迫感の中で、普通の営業の人々はソレをやっていかなければならない内容の仕事なので、おそらく、数字ノルマを抱えつつでは、なかなか獲得できないスキルじゃないかと。
売らんかなの気持が先に立つとできない、マーケティングの仕事です。

この仕事をみつけてくれた石は、ふふふ、王道「翡翠、クォーツキャッツアイ、スギライト、デンドリチックアゲート、水晶」でございます^^。やはり、私の睨んだとおり、「道を探すレシピ」でございました。
アンド、面接ではしっかり、「プレナイト&カイヤナイト&アイオライト&アメジスト」も大活躍。私自身は、特に感情が前のめりになることもなく、眠くてぼーーっとしていたのが、たぶんかえって良かったんじゃないかという気がしますね^^。

実は、色々物色する中では、最初はいちばんあんまり乗り気じゃなかった仕事なのですが、ようく考えてみると、今後、天職にベクトルを向ける時に、すごく役に立つ要素を勉強できる仕事であることに気がつき、俄然、やる気になったのでした。

「急がば回れ それがカンジン 負けないで めげちゃダメだよ」
って、むっかし昔、とあるアニメの楽曲に歌詞書いてる自分が、それができていなかったというのが・・・笑えます。(私は、行動の結果に対してものすごくせっかちなのです。なので、プロセスを生きることに非常にもどかしさを感じ、結果プロセスを省く一足飛びばかりしようとする。でも、そんなん、無理なんだ、ってことが、ようやく判りかけてきましたよ)
ちいさい子は、おそらくDVDとかでそのアニメを繰り返し見ていたりして、もしかしたら、唄ってたりするかもしれない^^。映画の曲だったので、DVDになってるんだよん♪ 紀伊国屋で見て、知ったんですけどね。
そういう小さい子が、あたしみたいな大人にならないように、祈るのみですね・・・・。
なぜあんまり乗り気じゃなかったのかというと、「通勤時間が長い」という点。長いといっても45分くらいなのですが^^。
仕事先が近い、歩いていける、ってのを、長年経験してきちゃうと、電車に15分以上乗ることが、ちと怖いわけです。今まで通勤ラッシュ知らずだったからね~。
でも、そんなワガママ(それこそワガママだと思う)言ってる場合じゃないですしね^^。人間、ラクを覚えると碌なことないですな。

実はまだ、他のカイシャの面接が残っているのですが、そっちは。。。
遊びに行くだけ行こうかな、とは思っているけど^^。
グループ面接とからしいので、なんとな~く、今後の後学のためにも行くかな、とは思っているんですけどね。
でも、もう他へ行くことは決めているので、あんまり意味が無いことは無いのですが。
受からないように振舞えばいいのかな、と。(そういう問題じゃない?)

ところで、ゲンキンなあたしは、さっそくロングバケーションのラストを飾る、アクセサリ作りかなんかしちゃってます♪
ああ、これで、晴れてこそこそ作らなくてもいいんだわ~~~と思うと、もう、明け方というか、朝8時くらいまで作ってたりするんですよ。
月~金で働き始めると、もうこういう生活はできないですね。
基本、夜型人間のあたしには厳しい早起き9To5が始まるんだわ~、と思うと、でもそれはそれで、生活が規則正しくなるので、いいことかもしれないです。

ここのところ、店置きをしていただいている千駄ヶ谷のお店のアクセサリが、矢継ぎ早に飛ぶように売れていて(と言っても、10個、とか、そういう単位ですが)めちゃめちゃ嬉しいのです。
ご購入いただきましたお客様、ありがとうございますっっ!
ここを見ていてくれていると信じて・・・この場を借りて御礼申し上げます。

店置きは、ネックレス、ブレスレット、ピアスのラインナップで、ひとつひとつの価格は、かな~り抑え目で販売しているため、使う石ビーズを気をつけないと「原価割れ」してしまうという、ほんと、長い目で見ると苦行になりかねない価格のため、入れ替わりに納品する商品に関しては、微妙に、微妙に価格を少しだけアップするようにしています。といっても、それでも2000円台ですが^^。
でも、今度ストラップも出しますよ~。これは、やっぱりビックリ価格にします♪

初期ロットは、真面目に「ホンモノなの?」と聞かれてしまうような値付けなので、実際に、お高いパワスト屋さんで作った手作りアクセなどをなさっているお客さんなどが、びっくりしていたそうです。でも、そういう「パワーストーンアクセサリというものは2万、3万するもの」という概念で、石がぽちっと入ったアクセサリを購入するような方は、私のふんだんに石まみれのネックレスなどは買ってくれないそうです^^。「ほんとにアクアマリンなの?」「石の質が悪いんじゃないかしら」とか思っちゃうみたいですね。
まぁ、昔ジュエリー好きだったあたしも、山梨県あたりの、みやげ物の千円二千円の天然石アクセとか、ほったらかしにしてたもんな~。いらね、とか言ってたよ、そういえば。「知らない」というのはおそろしいことですな。今から思うと、ジャパンメイドのアメジストとかだったのにな~・・・どこへやっちゃったんだろ~なぁ。
価格の先入観というのは、本当に難しいですね。

でも、そういう方は別として、そのお店のほうは、あまり高い石を使ったお値段の高いアクセサリを置いても、やはり天然石屋さんではないので意味ないのが、ちょっとフラストレーションの溜まるところでもあるのですが、逆に、いろいろポップな感じの「遊びのある」ものにトライできるので、それはそれで楽しいのです。

石の価格相場を知らない一般の人向けに作っているカジュアルアクセサリなので、ネットのほうでお出ししているアクセの感じとは、また少し違います。
たぶん、このお店にモルダバイトとか、ハーキマーとか、ルチルクォーツとか、そのあたりを使ったアクセを置いても、絶対誰も買わないだろうな~と思うと、なんか可笑しいですね^^。
今度、試しに置かせてもらおうと思ってます。
だって、ファイヤーオパールとインカローズを使ったピアスとか、千円以下で置いてるのに、見向きもされんのですよ^^。
店主の順子さんも、私のモルダバイトチップを組んだブレスを見せて「この三角形のカタチのこれ、一粒あたり千円しちゃうんですよ」と言ったら、目を丸くしてましたもん。

あと、ラブラドライトとか、「パワスト好きの人気石」が、一般人には受けないのも面白いですね。地味な石に思えるみたいですね。
地味じゃないラブラドレッセンスまみれのハイクォリティのラブラドアクセなんて、千円二千円台じゃとても作れないし、この辺りが、価格を抑え目に作ることの悩ましさでもあるのです。

ネットのほうでも、そろそろ、次回アクセを準備中です!
今度は、単価を下げる単品出しにしますね♪
ネックレス、ブレスレット、ピアスの三点セットにも、もちろんこだわっていきたいのですが、あれですね、やっぱり5千円前後のラインになると、なかなか触手を伸ばしていただけないようだ、ということが判りました。

かといって、石を変更しようにも、なかなか「この石の代用はコレ」と、右から左へと、マテリアルにはいかないものなので、ネックレス、ブレス、ピアスで作るときは、なるべく4000円までのラインでできるものを作ろう、って思ってます。
お高い石の場合は、ブレス単品。もしくは、ネックレス単品。
じゃないと、せっかく作っても、やっぱり、最後にぽつん、と持ち主を見つけられないコの孤独な姿を見るのは、忍びないものなのです^^。
「こ~んなに立派なのになぁ、おまえさん。」とか言いながら、専用ケースの中で寝かしてるんですけどね^^。

まぁ、実物を見て買っていただけるわけではないので、当たり前ですね。
ちなみに、私の石アクセは基本的に「写真より美しい」のが定番です♪
自画自賛のようで恐縮ですが、普通のデジカメで「接写撮り」ができるレンズではないのと、画像修正をしていないものを載せていますので、どーしてもアクセサリのネット販売を手がけているショップさんには、写真で負けてます。
アクセショップさんは、基本接写撮り、色修正して、石のカラーや光を際立たせてますからね。
接写すると、ピンぼけになっちゃうし、距離があると、輝きやニュアンスが表現できない。デジカメ買いたいけど、デジカメ買う金が・・・。
どっかから、デジカメ買えるお金が降ってくることを願います^^。
でも、カメラの問題抜きに、石の写真は本当に難しいですね。

ブレス単体は、手数の問題もあり、やらないつもりだったのですが、あれですね、服装自由の学生さんとか、比較的そのあたりが自由な職業の方だと、パワストアクセをいっぱい身につけていてもノープロブレムなのですけれど、ちょっとお堅いお仕事になってしまうと、あんまりじゃらっと普段身に付けられないですもんね。
「みっついらない」という意味が分かりました。不自由ですなぁ、社会人。

でも自分も今度そういう身分になるため^^、自分自身が「さりげないアクセ需要」に迫られて、なんとな~~~く、でかい石アクセに後ろ髪を引かれつつ、「さりげな系」も作らな!! と、奮起しちゃってるんです♪

ということで、アクセ以外にも、ぶらさげ系統のものも考えているところです。
ストラップ、というか、バッグとかにつけるネックレス代わりにもなるやつ(名称がわかんない。ウォレットチェーンみたいなやつ?)とかね。
あれ、合成パールとかアクリルビーズで作られたものを売ってるのとか見るけど、バッグにぶら下げるとすっごく可愛いよね。これなら身近に、ポーチとかにしまっちゃわないで自分の目に入る場所に石を感じることができるし♪
まぁ、わんさか、アイディアだけは出てきます。
問題は、それをカタチにする「手」が追いつかないことですね^^。


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  自己実現stone
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

思いが現実を創造する

2006年09月16日 (土) 02 : 01
このことも、あまりにもあちらこちらで言われ続けているコトなので、今さら私がこの事実に対して、解説、注釈を展開させる必要はないと思います。

思いが現実を創造する。

先日、適職と天職についての記事のコメントに、「できないと思ってしまえばできないけれど、天職で食べていくことができると思えば、できる」というものをいただきました。大変励みになるコトバです。
そして、実際に世の中には「好きなことをして生きていけている人たち」が、それなりにいらっしゃることも、おそらく事実です。
それがどういうことなのか、「自分のこと」ではないから、知らないだけなんですね。

確かに、適職と天職の話って、なんとな~く「罠」のような仕掛けがあるようにも感じます。これを、誰が言い始めたのか? という部分を探ると、確かに、「だから無駄な夢は見ないで、凡人はおとなしくありがたくサラリーマンやっておけや」という見えない意図みたいなものも、感じられなくもないですよね^^。

適職、天職のバランスについては、結局「人それぞれ」というのが正しい見方なのかもしれません。

思い、というのは、強固な潜在意識部分からも発せられるネガティブ信念から根こそぎ変えることができなければ、なかなか「変える」ことなんてできないものです。
特に、自分が経験してきたことによる実感からのネガティブ信念は、なかなか変えられません。
これを、変えたくて、変えたくて、そのために自己啓発本、精神世界系セミナーなんかを渡り歩くような方も大勢いらっしゃるんじゃないでしょうか。
パワストを手にするのも、そういう目的での方も多いでしょう。

自分の過去世を探ってみたり、はたまた、未来が読めるアカシックリーディングにチャレンジしてみたり、神秘世界を探求する心には、すなわち、「その仕組を解き明かすことができれば、自身の運命じたいを自由自在に変化させることが可能かもしれない」という期待感が、心のどこかにあるから、なのかもしれません。

先日、バンドのボーカリストをやっている、という方からメールをいただき、それに返信をしていて気がついたのですが、私は作詞そのものは私に備わった天賦の才と運でやってきたつもりですが、音楽業界で「経験してきたこと」は、必ずしもいいことばかりではなかったんだな~、ということに、あらためて気がつきました。
で、自分のその経験値から発せられるネガティブな信念というものは、とても根強いものがあって、それゆえ、どんどん自分の世界を狭くしていったのかもしれないな、と感じた次第です。

具体的な例で言うと、作詞という活動は、作詞単体で成り立つものではありません。
曲と、唄う人間。最低限、そのコミュニケーションが必要です。
楽曲だけがあっても、仮にそれが「最高に素晴らしい楽曲」であっても、それを唄って表現できる力量を持つアーティストがいなければ、楽曲だけでは何も機能しないのです。

歌詞を書く才能など、たいしたものではありません。
実は音楽の仕事というのは、いかにして、この「自分のパート以外の部分」とのベストタイミング、ベストカップリングを生み出せるか、にかかっているのです。

こういうものは、座って待っていて、巡り会えるものではありません。
だからといって、やみくもに、知り合いを増やすように業界に名刺配りすれば出会える、というものでもありません。(こういう人も多いんですけどね^^。)
やりたい人間の数だけは多くても、なかなか「これ!」がいない世界であることも、特徴の業界です。(自分のことを棚上げして恐縮ですが。)
ひっじょうに、先のわからぬ未知との遭遇の世界なのです。

で、私が出会っていった「ネガティブマインド」を根付かせた経験の繰り返し、というのは、結局、私の歌詞云々、ということではなく、「私の歌詞をずっと必要としてくれる両思いのアーティスト」に、出会えなかったことに尽きるのではないかな、と思います。
この経験を繰り返すうちに、潜在意識の中で、「どうせ、最初だけ利用されて、あとからアーティストは自分でへたくそな歌詞を書きたがるようになる」というパターンが出来上がり、実際、そうなりました。
というか、実際私が接したアーティストというのは、ある意味「プロデューサーの目から見て、歌詞を書く力量がまだない」といえるアーティスト(作家に頼む、っていうのは、そういうことです)なのですが、ご本人の本心としては、おそらく歌詞を書きたくないのではなく、やりたいけれどプロデューサーがそれを認めていないから、という「命令」に従っている、というのが実態であることが多い。

でも、歌詞って、正直「経験を積めば」「勉強すれば」のものではないのです。
これは、曲にも言えるし、ボーカルの才能も、結局は天分、もともとのセンスと勘の良さが、かなりのウェイトを占めている。
だけど、なんでしょうかね、歌詞って、コトバだからなのだと思いますが、結局その本人の力量云々は別に、誰でも書けそうな感じがするものなんですよね。
「アーティストが自分で書く流れ」が主流であったことの影響ももちろんあるのですが、作詞家が延々ひとりのアーティストとのカップリングでいける、という世界は、閉じられつつあったのですね。
これは、私だけではなく、そういう締め出されていく作家さんは数多く存在するのを見ているので、ある種の刷り込みにもなっているわけです。

では、そういう中で作詞家が生き残るために、何が必要だったか? を振り返ると、当然ですが、「実力と個性」しかし、それ以外に重要だったのが「企画力」「演出力」「コミュニケーション力」「アピール力」という、なんと、いわゆる「営業力」と「プロデュース能力」であったわけですね。営業力がなければ、人脈も、機会も広がらない。企画力、提案能力がなければ、要求された仕事を請け負い、忠実にシステムを具現化するSEさんみたいなもの。ひとつ終われば、それでお終い。
これは、作家に限らず、アーティストも同じです。
「自分の才能をいつか誰かが見出してくれる、わかってくれる」っていう、こういう音楽だの芸事方面では、月並みなありがちな妄想を人は抱きがちかもしれませんが、それは夢です。
最初は、きっかけは、それかもしれません。
誰かの目にとまる、というやつですね。
私はそれでしたから。
しかし、「継続していく、発展させていく」のは、そういう偶然のチカラだけでは、不可能なわけです。

作詞家になる以前の私は、いわゆる「普通の事務やってたOL」というやつで、そういった「営業力」「プロデュース能力」の持つ意味も、また、そういったものを身に付けていこうという、そのためには何をしたら良いか、ということを模索する情報収集能力も分析力も何もあったもんじゃありませんでした。
なので、さっぱ~り、その積極性が生まれませんでした。

まぁ、そんなわけで、私はその「時流を変える」ほどの情熱も、実力も、根性もない人間でしたので、流れのままにジリ貧となっていったわけでした。
私程度のぺーぺーなんかよりも、おそらく、そこそこ名の知れた作家さんたちでさえもが、今何をしているかを追跡すれば、作詞家の悲哀の成る程感覚が、より倍増しちゃうんですけれどね^^。

今、こうして振り返ってみると、そもそも、作詞家という絶滅危惧種の職を選んだことじたいにそもそもの問題があった^^とも言えるのですが、そういうことは抜きにして、
今回、思うことは、こういう「触れ込み」「時流」「常識」の打破、それは、可能なんだろうか? ということです。
当時のこの経験は、こんな無名作家の私一人の単なる「思い」「信念」程度でなんとかなるような現象とは、私にはとても思えませんでした。

それが「可能である」という確信を自分の中に持てる、目の前の荒野を見ても、どんな逆境を経験し続けようと、絶対自分はたったひとりでもこれをやっていけるのだ、のマインドを持ちつづけることができる強靭な精神力を持つことももちろん大切です。
しかし、「それが自分に具体的にできるのか? 根拠は、策は、アイディアはあるのか? おまえはそれをやる気があるのか? 誰がなんと言おうと、世界中の全員にそれは無理だろうと言われても、自分がそれをできるはずだ、と言い切れるのか?」を、客観的に、問いただすことも重要なんじゃないでしょうか。
つまり、そこまでの真剣味がないのであれば、撤退する勇気だって必要なんじゃないか、と思うわけです。

思いは確かに現実を創造するのですが、思いのとおりに行動する自分を、信頼できないのであれば、それはただの「ないものねだり」。
夢が夢のまま「絵に描いた餅」で、何も動かない、「思いが現実をつくる」という、どこか都合良く聞こえるシンプルな部分だけに、すがってしまうだけなんじゃないかしら。
私が、スピリチュアル系や、占い系、自己啓発系の成功本なんかを(既存のパワーストーン本も含めて)あまり広くは読まないし、たいしてのめり込まないのも、その辺りにあるんですよね。
「イイコトしか書いてない」ものを求めるその心の中に、それを根拠に拠り所にしてしまうかもしれない自分の弱さ、優柔不断さを、直感的に判っているからなのだと思いますけれど。

まぁ、今の自分には、天職もなにもあったもんじゃないな、というのが、今日のところの自分的結論です。


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  私にとっての2012年
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

「適職」と「天職」

2006年09月13日 (水) 23 : 14
この両者というものは、どうやら「違うモノである」という認識が、広く出回りつつあるようで、私自身も、今その「適職探し中」の身ゆえ、考えさせられているところ。

適職というのは、日々の生活を支えるためのワーク。
心躍ることばかりでもないし、けっこうつまらなかったりもするのだけど、それでも精神や体への負担感もさほどなく、無理なくこなせ、ここがいちばん大事なポイントなのかもしれないけれど、「続けられる仕事」であること。

天職というのは、やっていて本当に楽しい、充実感が持てる、しかし、それで生活を支えるとなると、とたんに夢物語化してしまうような仕事。
でも、本人の願望としては、本当はこれをやって食べていけたらどんなに幸福だろうか・・・と思えるような、我を忘れて喜んでやれる仕事のこと。

そういう意味では、私にとっては、まさに作詞家は「天職」だったと思うし、石アクセサリ作り&販売も、その領域の仕事だな~と、実感できる。
しかしこれを「適職」としようとすると、だいぶ話が違ってきてしまう。
まず、作詞のほうは、なにしろ音楽の仕事というのは、そもそも不確定要素の多い仕事で、出してみなきゃ売れるか売れないか、なんてものはわからないのだ。
そりゃある程度、枚数が見込める音盤というものもある。
しかし、そういう仕事は、ライバルも多く、常にコンペ、コンペ、の争奪戦。
コンペのたびに毎回、会社の面接しに行ってるよーなものである。

石アクセサリ制作&販売で、食べていく、なんてーのは、最初から論外だ。
3000円のアクセサリが100個売れて、売り上げ30万円。
そこから、材料原価やらなにやら引いたら、いくら手元に残るか。
そもそも、3000円のアクセサリが、月に100個は売れない。
月に100作品売ろうと思ったら、400作品くらいの展開をしなければ無理だろう。
物理的に、個人の力では不可能なのである。

ということで、理想は「適職」をやりつつ、お金のことを考えなくていい「天職」を続けていければ、わりとハッピーなのではないかしら。
その場合の「適職」って、実はかな~り重要な意味を秘めているのだ。

私の場合、いままでの経緯から、どういう会社でどういう仕事なら、そんなに無理なく長く、ぬるぬると続けていられたのか? と、よくよく考えてみると、実はなんだかんだ言って、東証一部上場の、そこそこ名の知れた企業、だったりするのだ。
ベンチャー系、中小企業系、とは、なんだかんだ言って、縁が薄い。
結局、事務にせよ営業にせよ、会社の名前という看板あっての自分、だったわけである。
これは、やはり社会人初体験がいわゆる大企業勤務であったためなのだろう。
ここにはぬるぬると11年もいた。辞めなければ、まだいたかもしれない。
色々、信じられないくらいの紆余曲折を経て、二回目の大企業に入った時は、営業職だったけれど、今思うと、面接の時にやたら部長と話が合うというか、ウマがあったような気がしたのは、私的に「大企業の匂い」に生まれ故郷の懐かしさを感じて、安心していたからなんだろうと思うのだ。
東大出の頭のいいエリートちゃんだらけの職場だったけれど、ああいう方々の、良い点があるとすると、いい意味で人間が擦れていないの。
つまり、看板のある会社で「社会的には勝ち組み」とされる立場に最初からいるわけなので、妙な成り上がり欲がないぶん、その中で仕事をさせてもらうのはラクなのだ。
彼らにとっては、中途で入ってくる契約社員なんてものは、ハナから自分の立ち位置を脅かすライバルでもなんでもない存在なので、ある種の慈悲深さを与えてくれるわけ。
だけど、若い会社、これから伸びよう、業績を上げている会社っていうのは、それまでの数字を上げて会社を育ててきた自負心のある、先手がいて、後からそこに参入してくる人間っていうのは、どいつもこいつもライバルなわけで。
だから、けっこーくだらない「揉み手、おべっか競争」があるのって、私の経験上では、どちらかというと、大企業よりもちっこい会社のほうが目立つんだよね。

これは、大企業だからいい、ベンチャーだから駄目、という優劣の問題ではない。
相性の問題。
私は、私自身が「ここでがんばろう」というやる気を持っていようと、なぜかそういった発展途上の成長型企業との相性は悪く、続けたくても短命に終わっているのが、今までのパターン。

ここいらへんを、今回の職探しで、どう加味してやっていくか。
実は、さっそくこの問題に、ぶつかりつつあるのだ。
無い時はまったく無い、あればあったで、バッティングするこういう問題。
昨日、「選択肢がない幸福」を噛み締めていたと思ったら、一夜明けて、そういう悩ましい選択肢のようなものが出てきてしまったのである。
どうしよう。

「適職は続けられること」を重点に考えると、やはり精神的負担感をどうしても抱えざるを得ない「一般的にあまり名の知れていないインセンティブの比重の高い営業」は避けるのが無難なのかもしれない。私の場合、ですが。
固定で、ある程度見込めないところは、最後の最後、どうにもこれしかない、のがけっぷちに立たないと、できないのかもしれないなぁ、、、とも思った。

「続けられる」の要因に、私はまったく意識していなかったけれど、実際問題、自分の履歴書をしげしげと眺めてみると、その要因の中に「組織の大きさ」というものがあったんだな~、という事実があるのだ。

大企業ってところの悪口も、言いたい放題言ってたような記憶があるけれど、所詮、私は大きな組織向きの人間なのかもしれない。
大企業の良いところがあるとしたら、「適職」としてとても最高の条件、「昼間の仕事への思い入れの比重、人間関係の比重」を、自己コントロールで薄~くできることだ。
なぜそんなことができるかというと、それは組織の大きいところは、仕事そのものが細分化され、システマティックにできるところがあるため、逆に「個人の裁量や責任」なんてものからは、最終的には逃れさせてもらえるから。
これは、少人数体制の会社や、個人事業主ではなかなかできないこと。
「自分の力量でやったのだ!」という実感や喜びそのものは曖昧になりがちだけど、そもそも、「適職」なんだから、それでいいのだ。

う~~~~ん。
悩ましいところです・・・・・。
営業力だなんだ、って言ったって、本当の個人のそのチカラなんて、とても微妙ですもんね。見えないところでの大きなバックアップ「看板」を頼るウェイトが、今までの自分にどのくらいあったのか・・・。
今、検証中です。


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  私にとっての2012年
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page