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2006年08月10日の記事のリスト

勇む石たち

2006年08月10日 (木) 23 : 46
アクセサリの販売というものをさせていただく経験をするようになってから気がついたことですが、自分のために石ビーズを購入し自分のための石アクセサリを作るぶんには、その石はとりあえずは自分の手元にいるわけですから、浄化やらパワーチャージやら自分で好きなようにすればいいわけですし、石も好き好きな主張を私に対してするのですが、はじめから「これは自分の石ではなく、誰かのための」ということでアクセサリに変身する石たちというのは、とても寡黙です。

しかし、「さて、ご主人様が決定したよ。出かける準備はよろしい?」という段階に至ると、ものすご~く嬉しそうに、石が勇んでいるのが分かります。
これって、飼い主が決定したときの小さいワンコみたいです。
うちの犬を幼少の頃、ペットショップで購入して連れて帰ってきた時の、あの光景が蘇りますね。(なんでか知りませんが、信じられないくらい、私のことをうちの犬は即効「母親」扱いで甘えていましたから。)

よく、石は持ち主を選ぶ、と言いますけれど、私は自分が人様にご提供する側を経験してみて、ますますその確信を深めた思いがします。
自分が好きな石を好きなだけ買っていると、「それってホントかよ?」って思いも出てくるものです。お金を出せば、とりあえずは手元にくるわけですから、ただの迷信というか、ていのいい思い込みにも思えなくもないですよね。

私自身、これでもかこれでもか、の勢いで、石を買いつづける幸福な石貧乏経験にどっぷり浸かっていた時期があったし、とにかく「持ってないものはないぞ」という欲求を満たしたいがために、ミネラルフェアなんかに行くとお財布にお札がなくなるまで買ってしまったり、そういう経験をしていると、もちろん「出会い」ではあるものの、「お金を出せば実際なんだって買えるんじゃないの。結局。」と、自分の行為を振り返って思いたくなるのも人情。

しかし、なんとしてでも、石は行きたいヒトのところへ行くのです。
時々それができないかわいそうな石も、もちろんいるかもしれません。
石は自分で行きたい持ち主、自分を必要とする持ち主のところへ歩いて行けるわけではありませんので、場合によっては、「ちぇ。」という持ち主のところに送り込まれることもあるのかもしれません。
でも、さまざまなタイミング、とんでもない偶然、いろいろ取りようはありますけれど、そういうものだと思います。
少なくとも、私が今まで経験してきた限りでは、そうなのだな~、という再確認をさせてもらっているんだな、という思いです。

それは、宝石店で取り扱われている宝飾品となった石であろうと、どうってことないタンブル一個であろうと、同じです。
彼らは、待っている。仕事をする、チカラを発揮する場を求め、役にたつことをしたがっている。
人間と違って、石には「ここに雇われたら仕事が楽だろうな。」「ここに就職できたら、待遇良さそうだろうな。」とか、そういうケチな目論見はいっさいありません。
仕事がハードであろうと、ラクチンであろうと、あんまり大事にしてくれない持ち主であろうと、行ったその場でできる最善のはたらきをしてくれます。
持ち主が、彼らの手柄やはたらきにピンとこようがこなかろうが、必ず、持ち主をよりよい方向へ導くための手引きをしようと、勇んでいます。

石とのミスマッチがあるとしたら。
「彼らが促すよりよい方向」の質と、持ち主個人が望む自分像との質が、どうしてもかけ離れてしまっている時でしょう。
「石なんて持ってみたけど、別になんも運なんて良くなってない。変わらないよ。」
ということは、往々にしてあることですが、石は持ち主に「必要な壁や試練を避けさせる」ことはしません。「必要ない試練や不運を避けさせること」はしてくれますが。

だから、石を持ったけれど変わらない、と言わず、仮にどうしても何も変わらないと感じるのであれば、何ゆえその変わらない状況がそこに依然として横たわっているのか、石に謙虚に問うてみるとよいと思います。
なにかしらの、「ああ、そうだったのか。」に繋がるヒントを、色々なヒトの言葉や、出会う状況を通して気付くように、仕向けてくれますから。

「幸・不幸」「都合のよい・悪い」を決めるのは、自分です。
それは外側からもたらされるものではない。
そのことを、教えてくれるのが、パワーストーンです。

このブログを読んでいただいている方には、もしかすると、この女はもともと気が強くって、傷ついたりヒトに虐められたこともないんだろう、いつも自分の言いたいことを主張するだけして、言いたいことを言えずにそれがストレスになったこともないんだろう、という風に見えるかもしれませんね。

でも、昔は、私も「効果に期待して」パワストを買ったりした経験持ちの人間です。
昔働いていた職場で、「もしかしてこれを“イジメ”と世間ではいうのか?」という、とても苦手な人と机を並べていた頃、その人をおっぱらいたくて「レインボーオブシディアン」のアンクレットを買いましたからね^^。その時は、「レインボーオブシディアンは、嫌な人を遠ざける石」という触れ込みで買いましたから。

その人は、私に対してはっきり「あなたは職場のみんなに迷惑をかけていて、みんなに嫌がられている。みんなそう言ってるよ。」と面と向かって言うような、びっくりな人でした。
で、これって不思議なもので、そう言われると、なんとな~く確かに周りみんなにそういう風に嫌われているような錯覚を覚え、どんどん言葉少なになっていくんですね。
もの凄くダメージだったし、つらくて、職場に出向くのが、それから毎日憂鬱になりました。「そうかぁ。みんな、言わないだけで、本当はそうなんだ・・・」って思うと、もう、普通に人と会話ができなくなるのです。

でも、そのレインボーオブシディアンを身につけてからしばらくして、その人ではない別の同僚に、夜遅くふたりで残業状態になった時に、勇気を出して聞いてみたんです。
「誰々にこんなこと言われたんだけど、あたしってみんなにそんなに迷惑なんかな。」って。

そうしたら、その同僚はものすごくびっくりして、そして溜息をつき、こう言いました。「その同じ台詞、〇〇さんもやっぱり彼女に言われて、すっごく悩んでたんですよ。信じられない。神崎さんにも、そんなこと言ったんだ。どーしてそういう嘘を言うかなぁ。」
つまり、「嘘」だったわけです。
私を、悩め苦しませたものは。
私は、「ないもの」に悩み、そして自分から周囲の人たちをどんどん遠ざけていたわけです。でもこの時、「嘘」のチカラって凄いな、と思いました。
だって、私がそのまま周囲の人と話をしないようにして、硬直した態度のまま周囲に接していれば、彼女の言ったとおりの「みんなに嫌われている」が実現していたことになるからです。

レインボーオブシディアンという石は、要するに「人の意見に左右されて自分が見えなくなっている状態を解消する石」だったわけです。
自分にとって嫌な人をおっぱらうのではなく、自分にとって相手が嫌な人でなくなれば、それは、嫌な人を追っ払ったことになりますよね。
私はその真相を聞いた時、その苦手だった女への気持が一瞬にして変化しました。
「なんて、かわいそうな人なんだろう。」という風に。
そして、「自分は職場のみんなに嫌われている」という呪縛から解放されたのでした。

でも、その後、現実的にもそのイジメの彼女は、会社側の配置転換で、職場から消えることにもなってしまいましたが^^。
私は、ひゃーーー。と、この時思いましたけれどね。

でも、これは単純にカルマの法則が発動しただけだと思います。
「自分が投げたものが、回りまわって、自分に返ってくる。」
彼女は、それを「受け取った」だけの話ですね。私のレインボーオブシディアンの仕事ではなかったと思います(たぶん)。


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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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