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2006年08月07日の記事のリスト

思えば遠くへ来たもんだ

2006年08月07日 (月) 06 : 45
この、「パワーストーン・ワークス」ブログを始めて、なんだかんだ言って10ヶ月ちかくになる。
何をやっても、初めは情熱の限りを尽くすタイプの人間で、でも、何か困難なことに直面したり、手間のかかることにぶちあたったり、努力が必要な場面に出くわすと、なんだか面倒になって止めてしまうタイプの私が、こんなことを続けてこれたのも、ひとえに、石のチカラのなせる技だと思う。

突然思い立って「アクセサリ売り」なんか始めちゃったり、
「結局このブロガーも、単純に石売り商売したかっただけなのでは?だから、石の宣伝してるんじゃ?」と思っておられるご購読者の方もいらっしゃるに違いない。
まぁ、それはごもっともな感想だろうな、とは思う。

でも、私の最終目標は、それではない。
ブログも、アクセサリを販売させてもらうのも、単に「手段」に過ぎない。
私がパワーストーンのことを語る理由は、「身魂磨きに、こんなに優れたサポーターはいないぞ。」ってことを、ひとりでも多くの人にお知らせしたい、そして「実行」していただきたい、ということが目的なのだ。

しかし本来「身魂磨き」というものは、石のチカラなぞ借りなくてもできることではあるので、石などいらん、という人には、読んでいて面白味はないかもしれない。
でも、石は強力なツールとなり、味方となることは、事実。
せっかく、こんな神様が準備しておいてくれた、素晴らしいツールが山ほど世の中に出回っているのだから、遠慮せずに、使わせていただくべきなのである。

このブログを始めたきっかけは、当然ながら、「石に急かされた」ことが理由なのだけど、最初私は、パワーストーンの本を出版したくて、複数の出版社さんに当たっていた。
すべて、「たまたま」という「つてのつて」みたいな繋がりで、編集者の方に企画書を読んでいただき、中には編集会議にかけていただいたりもしていた。

まったく、こういった「目に見えない分野」を手がけたことのない出版社さんから、自己啓発系、啓蒙書系分野を手がけている出版社さん、そして、まさに「パワスト本」を何冊も出版なさっている出版社さんまで。

私は、「絶対やる、これはやる」と自分が決めたことに関してのみ、基本的にすべて実現してきている(まぁ、正確には、実現させていただいている、ということ。もちろん、石にサポートご尽力いただいているのは言うまでもない)今までの人生の経緯があるので、これだけ、ド素人が手がけているにも関わらず、あちこちで少なくとも門前払いにならずに、企画に目を通してもらえる機会がある、ということは、どこかから出版できるぞ♪ と、有頂天だった。
そして、こんな私が調子よく本を出版できれば、それこそ、「やっぱり凄いでしょ、パワストは」っていう証明にもなるし、と思っていた。
つまり、どこかで「石頼みの奇跡」を願っていたのである。
自分がもっとも、「それはアカンよ。」と日頃から主張していること、書いていること、を自分がやっていたのである。
やはり、人のことはわかっても、自分のことがいちばん見えていないのが、人間なのだ。
しかし、結果は全滅だった。当然のことながら。
理由はそれぞれに、さまざまだったけれど。
パワスト本を手がけている出版社さんでは、その編集部に声をかけてくださった方の力で、編集長じきじきに、お会いしてお話をすることができた。
が。やはり、私のような「フツーの平凡な人間」が、本を出させてもらえる運びになるには、遠い遠い道のりであることを痛感させられた。

その当時は、有名な占い師でも霊能者でもない、そういうバリューの無い人間が、いったい何を売りにして、パワーストーンについて語ればそこに説得力が生まれるのか? という点がネックだ、と言われたし、自分でもそう思っていた。
編集長は、「個人的には、読んでみたい本だとは思うけれど、商業ベースでは難しいよ。」ともおっしゃっていた。
なぜ難しいのか、というと、パワスト本を広く流通に乗せるには、「パワーストーンっていうのは、こういうチカラがあるのだ」という、簡単な紋切り型でないと売れないという定説があるのだろう、というのが察するところだった。
世の中に出ているパワーストーンの本が、一様に「石のチカラの説明」に留まっている理由は、ここにある。

さんざんトライしてみたけれど、夢破れ、私は、「それじゃ、ブログで、興味持って読んでくれる人に読んでもらえりゃいいからやっていくか。」と、気を入れなおした。
その結果が、現在だ。

ブログというのは、まず「長文は嫌われる」というセオリーもあり、こんな長文記事、よっぽど石に興味がなけりゃ、まず読まないよな~、と思っていたし、本のように「構成」や「頁数」「章立て」「項目」を気にして、また書けること書けないことを気にして言葉を選ぶ必要もないし、多少「てにをは」が間違っていたとしても、まぁよかろう、と、気軽にやってきた。

購読していてくださる方の人数が、日に日に増えていくにつれ、それじたいが励みになることもあったけれど、私自身、「こんなに書くことがあったんだっけ?」の、自動書記状態で石のことを書いていることが多いことに気がついた。

アクセサリについても、似たようなものだ。
私は、石組みをそれなりに考えてするのだが、基本的には「石に教えてもらって」作っているし、アクセサリの説明、テーマも、「石が伝えようとしていること」を、そのまま書いているつもりだ。
だから、時には「自分ができもしないのに」ってことも、ないわけではない。

先日お会いした、作家の山川さんに、私はお会いしていなかった期間に自分がやってきたことをかいつまんで話し、「実はパワストの本出したくて、去年出版社さんをいろいろ当たってたんですよね。」などのお話をしたら、ううむ、さすがに伊達に小説家を30年やってきたわけではない方。当たり前の、ごくごく当たり前のことをおっしゃられた。
「本はさ、一冊じゃ駄目なんだよ。マップが必要なんだよね。この本ではこういうことを展開する、次にはこれができる。っていう。」
ああ、その台詞。去年、同じコトを言われたな~、ということを思い出した。
パワスト本の編集長も、これ一冊じゃ駄目だよ、と。そう言っていた。
仮に、この企画で出せたとしても、次の引き出しが必要、と。

つまり、それがプロということでもある。
素人が、自費出版で渾身の思いを込めて書き上げる「一冊」は、それはそれで、貴重な経験だ。しかし、それでお金をいただこうというプロとなれば、その後の展開まで企画し、語れる、書きつづけることができ、それが人に何をもたらすものなのかまでの「青写真」を鮮明に持っている。そこまでできてこそ、「本を出す」なんていう大それたことができるわけだ。

しかし。私は、まだ諦めてはいない。
だって、「マップを作ればいいのだ。」ということを教わったわけだから。
石の言うことを、つれづれに書くこともそれはそれで必要だけど、何しろ「現世の人」にそれをお伝えするには、それなりの工夫、技を要する。
そして、その仕事は、当然だが石はやってくれない。自分がするのだ。
面倒くさいこと、大きな壁が目の前に立ち塞がると、常に迂回する癖のあった私だけど、この夢だけは、なぜかいつまでも私の中で鮮明に膨らみ続けているのだ。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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