「18」って聞くと、連想するのは、
カラオケなんかでそのヒトの得意とする楽曲のことを、よく「18番」と言ってみたり、野球のピッチャーのエースナンバーであったり、まぁ要するに「これぞ自分の切り札、持ち味、才能の極み」のような、「18番で駄目だったら、いたしかたあるまい。」と、諦めがつくような、自分的スペシャル、「決め手」のことをいうのかしらん、と思います。
先日、銀行に振込の用事があって行った時、そこのみずほ銀行では宝くじ売り場が併設されていて、ドリームジャンボ宝くじ最終日です!って、叫んでいたわけです。
で、あーそうか最終日かぁ、と思って、まぁ連番一束だけ購入したわけです。
その売り場で、私の前に並んでいた女性が購入したのは、
「ドリームジャンボ、バラ18枚。」だったんですが(そう言ってるのが聞こえた)その時は別に「18」がどうの、とは考えませんでした。
で、自分も宝くじを購入したあとに、自転車に乗って、いつも和菓子を購入するお店に向かったのですが、自転車を止めてすれ違った男の子の着ていたTシャツのバックプリントに、「18」の文字が。
その日は、8月1日。ひっくりかえすと、「18」。
うわー、と思い、そこから「18」が気になりだしちゃって、で、こんな表題のテーマとなったわけです。
今日、買い物をして、ふっとレシートを見たら、平成「18」年なんだな、そういえば。いやまぁ、こんなの当たり前といえば当たり前なんですが。
実際、平成18年なわけですから。
こういう風に、「偶然なキーワード」に出会うことが続く時、実はそれはけっこう大事なことなのだ、ということを、経験上体得しているので(去年は「時間がない」だったな~、そういえば)「18」について、考えてみたのですが、我が身を振り返ると、私には、決定的にこの「18」が足りていなかったこと、「18」を見つけようと掘り下げていなかったことを思います。
私の場合、そこそこ器用な面があるため、何をやっても「そこそこイケル」ということは、これも経験上わかってきていることなのですが、それが「そこそこ止まり」になるであろう行く末も、お蔭様で、なんとな~く想像できるのですな。
でも、だからといって、「18」ってのは、思い込んで必死になって努力したからといって、得られるものでもないことを知っています。
そのヒトの単なる思い込みだけでは習得できないものなのです。
昔、作詞家の仕事をほそぼそとやっていた頃、たくさんの「アーティスト志望」のコたち、「作家志望」「プロデューサー志望」たちに出会いました。
みなさん、こちらがたじろぐくらいに自信満々、かつ思い込み満々です。
モノを創るという、音楽というのは創造性フル活用の産物ですが、そういったクリエイター的側面を自分の中に見つけた人々というのは、どこかで自分を「誤解」してしまうことも大いにある話で、そういった人々に出会うにつけ、「まぁ、この人ならイケルだろう」と感じる人間は、実際にはかなり確率的には少数でした。
「好きこそものの上手なれ」は、もちろん真実ですが、反面、それは間違った執着を生み出す、諸刃の剣でもある。
そういう自分はどうなんだ?と言われると^^、私の場合、その「18」が自分の中にないな、という自覚が少しづつ仕事としてやっていくうちに芽生えていたため、自分が「そこそこ」であることをわかっていました。
チャンスもなかったわけではないのですが、結局それを「モノにする」だけの徳分のなさも手伝って、まー泣かず飛ばずの作詞家人生でした。
その経験を、後悔しているわけではありません。
しかし、「同じ山を登ったり降りたり、ご苦労の多いこと」と、ひふみ神示のひつくの神がおっしゃるように、人間、基本的に「自分が越えなければならない山」っていうのは、登ったり降りたり、「同じ山」は何度でも、「越えるまで」目の前に立ち塞がるものです。
これが、先日、氏神様をお参りしたときに聞かされた「カルマ」の正体なのでしょう。
祈りも大事です。
まず、願うこと、イメージすることの重要性は、よくさまざまな成功術やら潜在能力の発揮術やら、そういったノウハウ本なんかでも言われることです。
しかし、祈りってのは、「祈り地獄」にもなるわけです。
その、自分の「祈り、願い」に固執し、そこから出られなくなる「祈り地獄」も作りやすい。(「祈り地獄」を生み出すのは、単に「我欲」に過ぎる願いであることが、ままあるのですが、これもけっこう分かっているようで、自分ではなかなかそう思えないんですよね。)
この辺りの、微妙さを越えていくには、やはり「18」が必要なんだな、そしてその「18」ってのは、懐手していればある日突然天から降ってくる才覚、というわけではなくって、「己の中に見つける神」のことなのだろうな、やはり。
と、思ったわけです。
私自身の「18」探しは、まだまだこれからも続くわけです。
カラオケなんかでそのヒトの得意とする楽曲のことを、よく「18番」と言ってみたり、野球のピッチャーのエースナンバーであったり、まぁ要するに「これぞ自分の切り札、持ち味、才能の極み」のような、「18番で駄目だったら、いたしかたあるまい。」と、諦めがつくような、自分的スペシャル、「決め手」のことをいうのかしらん、と思います。
先日、銀行に振込の用事があって行った時、そこのみずほ銀行では宝くじ売り場が併設されていて、ドリームジャンボ宝くじ最終日です!って、叫んでいたわけです。
で、あーそうか最終日かぁ、と思って、まぁ連番一束だけ購入したわけです。
その売り場で、私の前に並んでいた女性が購入したのは、
「ドリームジャンボ、バラ18枚。」だったんですが(そう言ってるのが聞こえた)その時は別に「18」がどうの、とは考えませんでした。
で、自分も宝くじを購入したあとに、自転車に乗って、いつも和菓子を購入するお店に向かったのですが、自転車を止めてすれ違った男の子の着ていたTシャツのバックプリントに、「18」の文字が。
その日は、8月1日。ひっくりかえすと、「18」。
うわー、と思い、そこから「18」が気になりだしちゃって、で、こんな表題のテーマとなったわけです。
今日、買い物をして、ふっとレシートを見たら、平成「18」年なんだな、そういえば。いやまぁ、こんなの当たり前といえば当たり前なんですが。
実際、平成18年なわけですから。
こういう風に、「偶然なキーワード」に出会うことが続く時、実はそれはけっこう大事なことなのだ、ということを、経験上体得しているので(去年は「時間がない」だったな~、そういえば)「18」について、考えてみたのですが、我が身を振り返ると、私には、決定的にこの「18」が足りていなかったこと、「18」を見つけようと掘り下げていなかったことを思います。
私の場合、そこそこ器用な面があるため、何をやっても「そこそこイケル」ということは、これも経験上わかってきていることなのですが、それが「そこそこ止まり」になるであろう行く末も、お蔭様で、なんとな~く想像できるのですな。
でも、だからといって、「18」ってのは、思い込んで必死になって努力したからといって、得られるものでもないことを知っています。
そのヒトの単なる思い込みだけでは習得できないものなのです。
昔、作詞家の仕事をほそぼそとやっていた頃、たくさんの「アーティスト志望」のコたち、「作家志望」「プロデューサー志望」たちに出会いました。
みなさん、こちらがたじろぐくらいに自信満々、かつ思い込み満々です。
モノを創るという、音楽というのは創造性フル活用の産物ですが、そういったクリエイター的側面を自分の中に見つけた人々というのは、どこかで自分を「誤解」してしまうことも大いにある話で、そういった人々に出会うにつけ、「まぁ、この人ならイケルだろう」と感じる人間は、実際にはかなり確率的には少数でした。
「好きこそものの上手なれ」は、もちろん真実ですが、反面、それは間違った執着を生み出す、諸刃の剣でもある。
そういう自分はどうなんだ?と言われると^^、私の場合、その「18」が自分の中にないな、という自覚が少しづつ仕事としてやっていくうちに芽生えていたため、自分が「そこそこ」であることをわかっていました。
チャンスもなかったわけではないのですが、結局それを「モノにする」だけの徳分のなさも手伝って、まー泣かず飛ばずの作詞家人生でした。
その経験を、後悔しているわけではありません。
しかし、「同じ山を登ったり降りたり、ご苦労の多いこと」と、ひふみ神示のひつくの神がおっしゃるように、人間、基本的に「自分が越えなければならない山」っていうのは、登ったり降りたり、「同じ山」は何度でも、「越えるまで」目の前に立ち塞がるものです。
これが、先日、氏神様をお参りしたときに聞かされた「カルマ」の正体なのでしょう。
祈りも大事です。
まず、願うこと、イメージすることの重要性は、よくさまざまな成功術やら潜在能力の発揮術やら、そういったノウハウ本なんかでも言われることです。
しかし、祈りってのは、「祈り地獄」にもなるわけです。
その、自分の「祈り、願い」に固執し、そこから出られなくなる「祈り地獄」も作りやすい。(「祈り地獄」を生み出すのは、単に「我欲」に過ぎる願いであることが、ままあるのですが、これもけっこう分かっているようで、自分ではなかなかそう思えないんですよね。)
この辺りの、微妙さを越えていくには、やはり「18」が必要なんだな、そしてその「18」ってのは、懐手していればある日突然天から降ってくる才覚、というわけではなくって、「己の中に見つける神」のことなのだろうな、やはり。
と、思ったわけです。
私自身の「18」探しは、まだまだこれからも続くわけです。

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カテゴリ : ちょっとスピリチュアルな話
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