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2006年07月31日の記事のリスト

今さらラピスラズリ

2006年07月31日 (月) 03 : 06
何を今さら、の、ラピスラズリ。
実は私は正直、ラピスって「苦手」な石だったのだ。
ラピスラズリは、邪念を嫌う。
よく、ラピスラズリの意味なんかに「邪念をはらい、不幸を幸運に転じる」というような意味合いを見るけれど、私が手にしたラピスは、邪念をはらう、というんではなくて、邪念がお嫌いなのね・・・という空気感むんむんだった。
(まぁ、だから「邪念をはらって」るんだけど。私という邪念を受け付けない、という格好で^^)

でも、ラピスラズリという石が特別な石なんだろうな、ということぐらいは、石の気が見えるだの、石がこんなことを伝えようとしている、だの、そういうことを知らない時でも、前宣伝で知っていた。
パワーストーンという名称で石たちが世の中に知れ渡るようになった時代、水晶とともに、代表スポークスマンみたいな存在だったしね。
サッカー日本代表の、中田氏みたいなもん。
日本代表にはなれんかったけど、カズ選手みたいなもん。

そんなわけで、石が好きで、ジュエリー、アクセサリ好きで、天然石ブレスレットなんかを時々買う私でも、なんとな~くラピスラズリという石のことは遠巻きにしていた。
自分で作るようになってからも、それは同じだった。

だけど、実はよく考えてみると、いちばん最初に私が石が放つ気が見えるようになったきっかけは、そのラピスラズリなのだ。
招き猫の小さなオブジェなんだけど、明け方、徹夜明けで「さ、ねるか。」となった時に、ふっとそいつに目をやった。
はっきり言って、最初は見間違いというか、単純に疲れていて幻を見ているんだと思った。なんどもなんども目を凝らしてみる。
うーーーん。

どうやら、頭がおかしくなったわけではなさそうだな、と分かったのは、翌日以降も、「同じ色の気」を、そのオブジェが発していることが、肉眼で見えたから。
しかし、驚きはそれだけじゃなかった。
ラピスだけに限ったことではなく、まわりの、すべての石たちから、それぞれの振動が伝わってくることが分かったから。
今まで、なんで気付かなかったんだろう?
という勢いだった。

それまでも、違う意味で石は好きだったけど、そこから変わったなー、今思うと。
今はただの石好き、石狂い、石貧乏だけど^^。

ところで、パワーストーンのことに興味を持ったのは、もう本当に遠い昔だけど、これには自分の中のブームがあって、一時期そういうものから離れていて、また再燃する、ということがある。これは、精神世界系の話なんかも同じ。

その再燃した頃に、ネットでいわゆるパワストショップを検索していて、クレセントミラーさんというお店を見つけた。
ここに「ラピスラズリの薦め」というような文章がある。
ラピスラズリにそれほど興味のない私だったが、「ふ~ん。やっぱ、ひとつくらいラピスのブレスも持っとくか。」と思い、ラピスラズリ、そしてラピス単体の効果を倍増するらしクリソプレスのビーズも買って、ブレスレットを自作した。
初代、自作ブレスの誕生。
しかし、なんかしっくりこなかった。いわゆる、愛着というのが湧かない。

結局、ラピスラズリもクリソプレスも、あまり出番もなくそのまま放置していた。
その後、ラピスについては、ビーズを買ってみては、う~~~~ん。が続いていた。
自分用としてのアクセサリになることもなく、いわゆるタンスの肥やし常態で、ビーズの連のままのものが多い。
だが昨日、突然その放置していたラピスラズリとクリソプレスが、「あれ?こんなに綺麗な色だったけ?」に変化していたことに気がついた。
デニムラピスのオブジェは変わらずなのだが、他に持っているラピスの磨き石も同様、口で説明するのは非常に難しいのだけど、なんとなく、艶が違うのだ。今まで見ていたものと。

そうか。と思った。
私は、ラピスに何か「お願い」をしたことがない。いわゆる、「石に願掛け」というやつだ。願掛けなどをわざわざすると、石にそういうことをしたことじたいを忘れてしまいそうなのと、そもそも石は、いずれにしても「意味通りのはたらきをする」わけなので、私自身は願掛け不要派なのだ。
願掛け、っていうのは、結局「自分への確認作業」なのだと思う。
だとすると、私など年がら年中、願掛けしまくりだ^^。

なんとなく、ラピスラズリが私に、「なんか言いたいことがあるんじゃないの?」と、言っているような気がしたので、私は、久しぶりにラピスラズリの磨き石を使って、昨日瞑想の真似事をしてみた。
でも、いつのまにか寝てしまっていたんだけど。

そしてラピスを握りしめながら見たその夢が、どうしても気になる。

大津波の夢だった。
私は、桁はずれの大津波の夢は、けっこう定期的に見る。
で、たいてい遠くから、高層ビルくらいの高さの波が迫ってくる、というシチュエイションも同じなのだが、必ず私はそれを“高いところ”から目撃している。
昨日の夢もそうだった。
なぜか、タワーマンションに住んでいて、東京の街を飲み込む勢いの大波が部屋の窓から迫ってくるのが見えた。「あ~、こっちにくるねぇ。」とか言ってる。
そして、窓の目前に波がやってきた。
でも、ガラスは割れず、窓の外にはドラム式洗濯機の中身状態の光景が見えるのだけど、どうやらそこは持ちこたえた。
(自分が以前働いていた会社が作ったタワーマンションという夢の中の設定だったんだけど、な~んか色々しんどい会社ではあったけど、モノはいいもん作ってたんだなぁ、とか呑気な感想を、夢の中で呟いていた^^)

水が引き、たいへんなことになっちゃったね、と言い、なぜかそこにいっしょにいた母親に、一戸建ての父は大丈夫だろうか、連絡してみなよ、と言ったら、「駄目に決まってる。」と、ドライなのだ。確かに。ここ以外に生きてる人など、いないようにも思った。でも、母がしぶしぶ電話をしたら、電話が繋がって「凄かったな~」と電話の向こうで父が言っているのが聞こえた。
母も、「あれ~、なんで生きてられたの、お父さん。」とか言ってる。生きてて良かった、とか、お涙物語ではなく、なんかそっけない。
すごい窓の外の光景だった。怖かった、とか、そういうんじゃなくて。
でも、これが夢の都合のいいところなのだが、私は必ずその大津波に呑まれないのだ。
目前にはくるんだけど、たいてい、目前まで。

前に見た東京崩壊の夢の時は、でかいビルディングの一フロアの中にいて、そのビルごと空中に引き上げられる夢だった。遠ざかる“地球”を窓から見下ろしながら、「あ~、もう帰れないんだな~。」とか思っていた。でも、どうしても戻りたい、とは思っていなかったことを憶えている。その時私はひとりで、まわりは知らない人たちばかりだった。

こういうのは、スピリチュアル風に捉えると、「以前(ずっと昔の前世)にも、アトランティス大陸の崩壊(ポールシフト?)を経験していて、その思い出が信号のように現れる」そんな感じなんだろうか。
でもなぜか、本当に、いつも大津波なんだよね~。火山の噴火の夢とかは見たことないんだわ。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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