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2006年07月24日の記事のリスト

石アクセサリ行商道中記・アクセ販売初心者がぶつかった壁

2006年07月24日 (月) 23 : 04
今日は、行きつけの神社さん(って氏神様なんだけど)のすぐ近くにある、お洋服屋さんに、自分が作った石アクセサリを持っていった。ドキドキ。
いわゆる、「こんなん作っているんですけれど、置いてもらえないでしょうか?」の、飛び込み営業である。

ここは、外から見ると、年配の女性向けの洋品店っぽい雰囲気なのだが、まじまじと商品のラインナップを見てみると、実はけっこう素材にこだわった「ニュアンス系」とでもいうのかしら、大人のエスニック、という感じだった。
商店街のおばちゃん服屋、っていうのとは、微妙に違う。
(それぐらい、ちゃんと調べていけよな、である。)

外から覗いていて、アクセサリーも陳列しているのは知っていたので、アタシはけっこう気軽な感じで、行商に入ってみたのだが、飾ってあるアクセサリー、実はわりと「センスがいい」ことに気がついた。で、値札を見ると、そんなに高くない。

やっばいなー。やっぱり、甘くはないなー。
心の中で若干怖気づいたものの、「置いてもらえませんか。」の出てしまった言葉は、口の中に戻せないもんね。

店主の女性と、たまたま店内にいたお客さんと、私とで、私が持ってきた石アクセサリを囲む。見てくれるだけは、見てくれる様子。
店内にいたお客さんは、いわゆる千駄ヶ谷ジモティの年配の女性なのだろう、どことなーく、どことなーくお洒落な感じで、身につけている大ぶりのアクセサリも、微妙に素敵だった。

脂汗、まではいかないけれど、「自分の作ったものをプレゼンする」ということの難しさに、しどろもどろ。
見せるアクセの順番も決めていかずに、とっとと家を出てきたことを悔やんでも遅い。

あー、これ何かに似てるなぁ・・・と、思ったら、昔むか~しの、自分の「歌詞作品のプレゼン」のことを思い出した。
まーだ、そっちのほうが、「こういうタイプの歌詞と、こういうタイプのと」と言う風に、見てもらう側が困らないように、ちゃんと考えてたことを思い出す。

自分が自己満足で作るアクセサリ。
けんもほろろ・・・まではいかないが、「わーこれもいいわね、あれもいいわね」となるわけもなく、しかも、こういうお店では「何々の石を使っているので」という部分は関係ないのである。
あくまでも、「身を飾るアクセサリとしての付加価値」の判断なのだ。
そして、人の好みというのは、「ま、これでいっか。」の人もいれば、とにか~く、徹底的に「こだわる」人もいる。
そのお店のお客さんというのは、あとで聞いた話だが、「こだわる」そうなのだ。あー。
しかし、けっこう長く店内にいて、お店にいたお客さんが帰ったあとは、こういった、服飾系の販売の面白さ、難しさ、について、店主から、いろいろためになるお話をお伺いした。「変なちっぽけな趣味なんかよりも、本当に面白いわよ。商売っていうのは。」と、おっしゃっていた。
値段のつけ方の、微妙な微妙なさじ加減。買う側の思惑と、売る側の思惑。

そして、「売れるものを作るのが、プロ。」ということを、教わった。
人が必要としているもの。人が喜んでくれるもの。
そこには、努力も費やした労力も時間も、関係ない、と。
そして、その「人が必要とする」を、継続させることができるのが、プロの創り手なのだと。
作詞と同じじゃん。音楽と同じじゃん。と、思った。

そこのお店に置いてあるアクセサリは、一部天然石を使用しているものもあったが、基本的には、アクリルビーズなどのパーツを使った、手作りアクセサリ。
しかし、「センスいいな。」と感じた理由がわかった。
そのアクセサリをその店に委託している人は、ある都心のデパートにもアクセサリを出している人らしい。プロなのだ。当たり前か。
しかし、デパート売りというのは、なんやかんやの諸経費がかかり、実は大赤字なんだそうである。デパートでそこの店の倍くらいの値段で販売しているアクセサリーが売れても、確かに、話を聞いた感じでは、そりゃぁ「赤」になるだろうな・・・と、溜息の出るような話だった。店子にいろいろ強いるんだなー・・・と。実情はシビアだ。
華やかな場所で、あんなに高い値段で売っていても、その実際の創り手というのは、火の車なのだ。

これは、アーティストのさがなのだろうか。。。
私は、自分の甘さをよくよく思い知るような気持になった、と、同時に、なんだかものすごくワクワクしてきた。

なので、デパートやセレクトショップなどでアクセサリをよく見る人であれば、そこのお店に置いてあるアクセサリが「あれ?安いのね。けっこうイイのに。」に見えるはずだ。実際、分かる人には分かるらしい。
そこのお店にそれらのアクセサリを納品しているアーティストのすでに固定ファンのお客さんもいて、新作ごとに買っていく人もいるのよ、と、店主はおっしゃっていた。

で。アタシの「天然石アクセサリ」だが。
いわゆる、「天然石としての付加価値」を求めてやってくる客層ではないため、あくまでも、「デザイン」「センス」「価格(あんまり高くちゃ駄目だけど、安いからって安っぽいのは駄目)」のバランスが取れていて、且つ、ちゃんと「個性」が感じられるもの、という基準で、何点か「これはいいかもしれないね。」という見初められたものを、「じゃあ、値札と納品書を持ってきてみて。やってみましょう。」ということになった。

というわけで、「インカローズ&クリソコラ&カルサイト・ネックレス」、「アマゾナイト&アパタイト&プレナイト・ネックレス」などなどが、実にやばいお買い得価格で陳列されることになりそうだ。
これ、見つけた人、そして、「石の付加価値」を知っているヒトには、けっこうびっくりお値段になるのかも。「ニセモノ?」とか、思われるかもね^^。でも、ホンモノだよん。掘り出し物だと思う。売れれば。

でも、私もそうやって“掘り出し物”のイシを探し当ててきた歴史がある。
何気なく買ったものが、実は「えっっ」ってことを、後で知るのって、すごく嬉しいよね。順番、である。今度は、それを提供する側となるのだ。

原宿のとなりの千駄ヶ谷。
一見、辺鄙な洋品店に見えなくもない、そんなお店でも、マジ、あなどれない。
さすが、一応、日本のお洒落ゾーンである。
でもみんな、一見優雅で華やかそうに見えるステージの下では、白鳥の水面下のいっときも止むことのない「水掻き」をしているのだ。
やはり、「道楽」とは、そういうものなのである。


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レインボーが消えた

2006年07月24日 (月) 04 : 39
ミネラルフェアで買ってきたペンジュラム型のペンダントトップなんですけど、すごく綺麗な透明感の高い水晶だったのですが、一部、思いっきり「亀裂」が入っていたところがあったんですわ。
これ、いつか割れやしないかな、ぐらいの勢いで。

で、そのひびの箇所全体が「超レインボー」だったわけで、私はそれ、とても気に入っていたわけです。
で、ペンジュラム型なもんで、ペンジュラムにしていたわけで。

ところが、今日、気がついたのですが。
そのものすごい亀裂、ひび部分がなくなっていたんですわ。
よーく見ると、うっすらと残ってはいるのですが、もうほとんど見えません。
よく見なきゃわかんない程度になっちゃいました。

問題は、私がとても気に入っていた「超レインボー」が。
虹が、きれいに消えてしまったのでした。

おい。
私は、そやつに話し掛けました。

それで、よかったんか?
きゃつは、「へい。あっしゃ、無傷の水晶に昇格しましたぜ。ますます頼りにしてくだせい、だんな。(アタシは女ですが、そういう口調なんだもん・・・)」

水晶って、無傷のほうがいいわけ?
「いや。どちらでも。関係ないです。」

・・・という、不思議話に見えますが、これはよくある話です。
クラック水晶の謎、という感じで、「クラックが消えていく~♪」を摩訶不思議な神秘のよーに伝えている向きもございますが、実はこれ、根拠のある話なんだそーです。
(私も以前はやたらめったら不思議がっていた)

こういう微小な傷のあいだに、身につけている人の「皮脂」やらなんやらが、入り込みます。それが、振動数の非常に安定した物質である水晶にどう影響するのかまでは謎ですが、ある種の接着剤的要素を果す様子です。

石の「気」もこっちに入ってくるんですが、石にもこっちの、有形無形のいろんなもんが影響を与えるわけでして。
なので、別に不思議なことではないのですがね。
(今思い出したけど、やっぱり亀裂の入っていたロードクロサイトのルースを指輪にしたら、亀裂がなくなっちゃったというか、かなりはっきりしていた境界線が「うっすら」になったのも、これと同じ原理かもしれん)

ああ。でも、虹。
綺麗だったなーーーー。なんだよぉぉぉ。

でも、まるでかさぶたがはがれて、つるんとした肌が戻ってきたみたいに、綺麗になっちゃったこのペンジュラムくんも、凄いですな~。

虹のなごりがどこかにないものかと、いろんな角度で見てみたら、これまたう~っすらと消え残りの空の虹みたいなものが、まだありました。
でも、これも消えるんだろうな。いつか。

よく、クラスターとかポイントとか、最初はなかった虹が増えていくケースはよく経験しますが、「あった虹が消えるケース」は、クラック水晶のビーズ以外ではあんまりなかったな。クラック水晶も、クラックがなくなっていくと同時に、虹も消えるのよねん。

ところで、「虹が出てくる」ほうの話は、スピリチュアル話的に、天の祝福だなんだと、そこかしこで聞くような気がするのですが、「虹が消える」ってのは、ソレ的意味はあるんですかね?
あたしのペンジュラムじたいは、「んなもん、関係ありませんがな。」とは言ってるみたいなんですけど^^。
その手の、めるひぇんちっく風味に捉えると、いわゆる「不吉系」なんですかね?


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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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