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2006年07月20日の記事のリスト

「道楽」はイケナイことなのか?

2006年07月20日 (木) 20 : 27
石を買うとか、石を売るとか、すべて道楽の世界だ。
「そんなこと、道楽ができるご身分の世界の住人のたわごとだ。」
そう言う人がいる。
うちの旦那である。

彼はそういう、主婦の道楽、暇人の道楽、みたいな類のことを、大変嫌う。
特に、うちのように「主婦の道楽」が実質的に許されない経済事情の家は尚更であり、彼が言うことは、いちいちごもっともである。
実利がないものを嫌う人間が多いのは、ヒトの世の常。
なので、アクセサリを販売する、ということに大変懐疑的。
その商品取引にかかる手間やらなんやら考えたら、よくってトントン、大赤字だろうし、オマエのようなオークションもやったことのないアナログ人間じゃ、絶対にクレームの嵐になる、ネット販売の苦労も知らないくせに、やめておいたほうがいいんじゃないの、と。
(自分だってネット販売などしたことがないわりに、ネット販売のマイナス要因を、いくつもいくつも私に吹き込むのである。「インターネットに通じている詳しい」人は、ネットに通じた詳しい人たちの「短気っぷり」をよくご存知なので、そういうことをなんにも知らない私が、「え、だってヤフオクとかに出品すればいいんじゃないの。」と言ったら、この講釈が始まったのだ・・・)

私はそもそも「黒字」を考えていないけど、と言ったら、もっと嫌な顔をされた。
早い話が、「道楽でそんなことやるんだったら、ばかばかしいからやめとけよ。」という顔である。
「オマエは、ただそれを作るのが好きなだけで、“売る努力、苦労”を知らない。そんなネットなんかで売ろう、なんて甘いんだよ。そんなことするんだったら、道端で店広げて一日、やってみろよ。いったいどのくらいの人間がそんなものに足を止めるのか。よっぽど、そのほうが、自分のやろうとしていることの意味がわかるぞ。」

ということなので、私はこの最後の「道で売ってこい」が、妙に気に入ってしまったので、今週末、原宿へ行ってゴザ広げてやってみるつもり。
歩いていける原宿で、今まで、自分もそういう「道で売る人」の光景は見て来たけれど、自分がそれをやろうと考えたことはなかった。
(しかし、ああいうのも縄張りとかあるんだろうなぁ。当然、道路使用許可など取ってやっていないとは思うけれど、内輪での場所取り勢力争いがありそうだよね。明日、視察に行ってこよう。)

この国はモノが満ち溢れ豊かなはずなのに、社会の“ゆとりの空気密度”が、年々薄まってきているようにも感じられる。

確かに。
石では食べていけない。アクセサリでは食べていけない。
石で食べていけるのは、宝飾品としての品質のいいジェムストーンを取り扱う宝石屋さんか、品質はともかくネームバリューのあるブランドジュエリー、もしくは、仕入れルートを開拓し、潤沢な原資を常に循環させることのできる卸専門店か。

アクセサリーで食べていけるわけがない。
こずかいにもならない。
それは、私も知っていた。
昔々10年前くらい、短期派遣で入力事務の仕事をとある財団法人でしていた時、同じ派遣の同僚の女の子が、ものすごーぅく素敵なシルバーアクセサリを作る人で、これまた、石を使った素敵なアクセサリや指輪を、色々なお店に置いてもらったりなどの活動をしていた。
でも、「これで食べていければ本望なんだけど、なかなか難しいよね。」
と言っていた。

私も彼女の創ったシルバーアクセを購入した。
たしか、5000円くらいだったと思う。
池袋だったと思うけど、「なんとかアクセサリーフェア」に出店する、というので、同じく当時の派遣の別の同僚といっしょに、出かけて、それを購入した。

その時、「確かにな・・・。」と感じたことを記憶している。
ここにある、彼女の創ったアクセサリがすべて完売したとしても、派遣の1ヶ月の給料の半分にもならない。そう思った。
そして、完売などするわけもない。アクセサリなど、飛ぶように売れるものではない。
このアクセサリ制作と販売ルート開拓にかけている彼女の労力から換算すると、確かに、実利的には「まったくワリに合わない仕事」だったのだ。

いまでも、その彼女の指輪は大事にしている。
とても落ち着くのだ。
何気なく選んだ渦巻き模様だったが、今私が魂のバイブルとしている「ひふみ神示」のひつくの神がよくおっしゃる、あの渦巻き模様そのものであることに、何年も経ってから気がついた。

神様というのは、何年も何年もかけて、「道」を用意してくれている。

「道は、楽し、易し、ぞ。楽しないのは、道でないぞ。」
ひつくの神の言葉だ。

「道楽」というのは、とかく、どこか後ろめたい言葉の意味に使われる。
特に、この経済中心の社会の中では、ヒトは「道楽してちゃ、食っていけねぇー」という風に思い込んでいるし、実際に現実的に、「道楽」で生活していけるヒトなど、ほんの一握りだ。そして、実は、「道楽で生活できている」ヒトのことを、ちょっぴり、妬ましく思っていたりもする。

しかし、本当は誰しもが、「道楽」である世の中が実現すれば、実はそれが神様の理にかなった社会であり、人間の姿なのだ。
(まぁ、ひつくの神様は、「人間のやる政治じゃ無理。」とおっしゃっているので、当面実現は難しいかもしれませんが)

世の中の半分くらいの人間が、一瞬のあいだに、「人間は道楽で生きられる」という認識を世界共通で本気で持てば、この世の中、相当様相が変わるだろうな、と思うんだけど。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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