私達が「メディア」と聞いて思い浮かぶのは、主に新聞、テレビメディアや、週刊誌、雑誌、電車の中吊り広告などの、「公に公然を存在を認知されている」と思われる媒体のことだろう。
インターネットも、ヤフーなど、存在を広く認知されている知名度の高い存在は、メディアとしての認識を持たれていると思う。
時々、「メディアの嘘」というようなコトバを目にすることもあろうかと思う。
陰謀論系の話では、メディアを牛耳る影の世界政府的存在のことなども伝え聞くことはあるが、これについては、自分が見聞きし体験した話ではないので実像を確かめようがない。
そもそも、「ヒトが語ること」「ヒトがコトバで伝えること」が、「すべて真実」「すべて事実」ではあり得ない。
それは、こんな個人のブログふぜいでも同じコトだ。
私達は、それぞれが、自分の波長に合うものを咀嚼し、自分の中に情報として取り入れ、それを自分の真実として加えていくこともできれば、見切っていくこともできる。
話が少し逸れたけれど、その一般的にいうところの「大手メディア」に関わることで、私が大昔に高校生の頃に体験した話。
当時、私は都立高校の野球部のマネージャーで、3年生の夏、最後の甲子園の予選大会のことだった。
「都立高校が甲子園に出る」がまだ夢物語だった頃で、しかしながら、都立ながらも破竹の勢いで3回戦まですべてコールド勝ちを収め、4回戦は「因縁の対決」となる私立の野球の強豪高校との対戦となる・・・という状態にまで進んだ。
確かに、都立ながらに強いチームだった。
練習試合では、その年は4試合くらいしか負けていない、という状態だった。
でも、私達は「甲子園出場」なんてものは、スローガンにしたことは一度も無かった。
監督以下、合言葉は「まず都立の星を目指す」だったのだ。
その3回戦の試合終了後、新聞記者が私に寄ってきた。
インタビューだ。
私は、常日頃から監督がおっしゃっていた、「都立の星」を口にした。
それが目指すところです、と。
新聞記者は、「甲子園に行きたくないですか?」と、私に聞いた。
私は、「いや、まったくそれはあり得ないと思ってます。」と、答えた。
新聞記者は、「でもできるならやっぱり甲子園に行ければ嬉しいですよね?」と、再度尋ねる。
私は、「そりゃまぁ、そうなれば嬉しいかもしれないですけど、でも今は、都立の星、です。」と答えた。
高校生といえど、客観的に見て、特にそういったスポーツの世界というのは、実力の差というものを実感しやすい世界でもあるので、そんな身のほど知らずの夢は抱かないのだ。ものには順序というものがあり、私たちのチームは、そういうことを自然にわきまえているチームだった。
しかし。
翌日の、新聞記事を見て、私は仰天した。
監督の〇〇さんのコメント「都立の星を目指してやってきた」
主将の〇〇さんコメント「ベスト8を目指します」
マネージャーの「私」のコメント「甲子園に行きたい」
・・・おいおい、と思いましたよ。
三人の写真まで並んで載せられて、その新聞紙面の中で、私一人が、身に過ぎた調子の外れたバカな夢を見ている、チームの中でコンセンサスの取れていない頭の足り無そうな軽々しい野球部女子マネージャーとなっているのだ。
私は、後日、当時の主将に愚痴った。
「あたしは一言も「甲子園に行きたい」なんて言ってない。なんか、すっごいバカみたいじゃん。一人で夢見てるみっともないアホ女子マネージャーみたいに映るよね。ひどいよね。新聞とかって、嘘が多いってほんとだね。嘘が多い、というより嘘じゃん。」
私は、新聞記者の“誘導尋問”を思い出していた。
しつこく、甲子園、甲子園、と、聞かれたことを。
要するになんとかして「甲子園に行きたい」というニュアンスのコトバを私に言わせたかったのだ。
おそらく、監督も主将も、それにひっかからなかった。
私だけが、「そりゃまぁそうなれば嬉しいかもしれないけど」という、相手のひっかけに乗せられてしまった、ということである。
新聞というメディアは、「野球部の女子マネージャーというものは、甲子園に行きたがっている」というイメージで記事を仕上げたかっただけで、載せられたコメントはフィクションなのである。
私たちは、4回戦で負け、ベスト16止まりだった。
しかし、私達の卒業後、以前は都立校との試合など鼻にもかけてくれなかった私立校の野球の伝統のあるチームが、練習試合をしてくれるようになった、と、後に後輩に感謝の意を告げられた。
私が、電話で門前払いのように練習試合の交渉を断られていた名門私立校の名も、そのラインナップの中にはあって、私は「先人の苦労が報われる」という世界を、ここで体験していたことになる。
それはさておき、以来、私は、新聞やテレビなど、「編集された情報」の類は、かなーり眉に唾つけて見るようになった。
(これは、経済ニュースなんかでも同じだ。事実を多少知っていると、なんとまぁ、という内容の記事がある。昔、勤めていた会社で読んでいた新聞の記事に、やはり「をいをい・・・」と思ったことが、一度や二度ならずあった)
というか、基本的に、新聞、テレビの伝えることを「本当のこと」とか「事実」だとは思っていないし、今はもう、そういうものはまったくといっていいほど見ない。
そんなもん、別に見なくても生きていける。
これは、自分が実体験すると、実感できる世界観なのだ。
インターネットも、ヤフーなど、存在を広く認知されている知名度の高い存在は、メディアとしての認識を持たれていると思う。
時々、「メディアの嘘」というようなコトバを目にすることもあろうかと思う。
陰謀論系の話では、メディアを牛耳る影の世界政府的存在のことなども伝え聞くことはあるが、これについては、自分が見聞きし体験した話ではないので実像を確かめようがない。
そもそも、「ヒトが語ること」「ヒトがコトバで伝えること」が、「すべて真実」「すべて事実」ではあり得ない。
それは、こんな個人のブログふぜいでも同じコトだ。
私達は、それぞれが、自分の波長に合うものを咀嚼し、自分の中に情報として取り入れ、それを自分の真実として加えていくこともできれば、見切っていくこともできる。
話が少し逸れたけれど、その一般的にいうところの「大手メディア」に関わることで、私が大昔に高校生の頃に体験した話。
当時、私は都立高校の野球部のマネージャーで、3年生の夏、最後の甲子園の予選大会のことだった。
「都立高校が甲子園に出る」がまだ夢物語だった頃で、しかしながら、都立ながらも破竹の勢いで3回戦まですべてコールド勝ちを収め、4回戦は「因縁の対決」となる私立の野球の強豪高校との対戦となる・・・という状態にまで進んだ。
確かに、都立ながらに強いチームだった。
練習試合では、その年は4試合くらいしか負けていない、という状態だった。
でも、私達は「甲子園出場」なんてものは、スローガンにしたことは一度も無かった。
監督以下、合言葉は「まず都立の星を目指す」だったのだ。
その3回戦の試合終了後、新聞記者が私に寄ってきた。
インタビューだ。
私は、常日頃から監督がおっしゃっていた、「都立の星」を口にした。
それが目指すところです、と。
新聞記者は、「甲子園に行きたくないですか?」と、私に聞いた。
私は、「いや、まったくそれはあり得ないと思ってます。」と、答えた。
新聞記者は、「でもできるならやっぱり甲子園に行ければ嬉しいですよね?」と、再度尋ねる。
私は、「そりゃまぁ、そうなれば嬉しいかもしれないですけど、でも今は、都立の星、です。」と答えた。
高校生といえど、客観的に見て、特にそういったスポーツの世界というのは、実力の差というものを実感しやすい世界でもあるので、そんな身のほど知らずの夢は抱かないのだ。ものには順序というものがあり、私たちのチームは、そういうことを自然にわきまえているチームだった。
しかし。
翌日の、新聞記事を見て、私は仰天した。
監督の〇〇さんのコメント「都立の星を目指してやってきた」
主将の〇〇さんコメント「ベスト8を目指します」
マネージャーの「私」のコメント「甲子園に行きたい」
・・・おいおい、と思いましたよ。
三人の写真まで並んで載せられて、その新聞紙面の中で、私一人が、身に過ぎた調子の外れたバカな夢を見ている、チームの中でコンセンサスの取れていない頭の足り無そうな軽々しい野球部女子マネージャーとなっているのだ。
私は、後日、当時の主将に愚痴った。
「あたしは一言も「甲子園に行きたい」なんて言ってない。なんか、すっごいバカみたいじゃん。一人で夢見てるみっともないアホ女子マネージャーみたいに映るよね。ひどいよね。新聞とかって、嘘が多いってほんとだね。嘘が多い、というより嘘じゃん。」
私は、新聞記者の“誘導尋問”を思い出していた。
しつこく、甲子園、甲子園、と、聞かれたことを。
要するになんとかして「甲子園に行きたい」というニュアンスのコトバを私に言わせたかったのだ。
おそらく、監督も主将も、それにひっかからなかった。
私だけが、「そりゃまぁそうなれば嬉しいかもしれないけど」という、相手のひっかけに乗せられてしまった、ということである。
新聞というメディアは、「野球部の女子マネージャーというものは、甲子園に行きたがっている」というイメージで記事を仕上げたかっただけで、載せられたコメントはフィクションなのである。
私たちは、4回戦で負け、ベスト16止まりだった。
しかし、私達の卒業後、以前は都立校との試合など鼻にもかけてくれなかった私立校の野球の伝統のあるチームが、練習試合をしてくれるようになった、と、後に後輩に感謝の意を告げられた。
私が、電話で門前払いのように練習試合の交渉を断られていた名門私立校の名も、そのラインナップの中にはあって、私は「先人の苦労が報われる」という世界を、ここで体験していたことになる。
それはさておき、以来、私は、新聞やテレビなど、「編集された情報」の類は、かなーり眉に唾つけて見るようになった。
(これは、経済ニュースなんかでも同じだ。事実を多少知っていると、なんとまぁ、という内容の記事がある。昔、勤めていた会社で読んでいた新聞の記事に、やはり「をいをい・・・」と思ったことが、一度や二度ならずあった)
というか、基本的に、新聞、テレビの伝えることを「本当のこと」とか「事実」だとは思っていないし、今はもう、そういうものはまったくといっていいほど見ない。
そんなもん、別に見なくても生きていける。
これは、自分が実体験すると、実感できる世界観なのだ。

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カテゴリ : 私にとっての2012年
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