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2006年02月14日の記事のリスト

マイルストーン

2006年02月14日 (火) 09 : 15
終末思想の書として取り上げられることの多い、ひふみ神示。
日月神示とも言われる。

その内容は、再三その中で神示を岡本天明氏に降ろしたひつくの神がおっしゃっておられるように、「八通りに読める」「身魂相当に取れる」の通りだ。
だから、何回読んでも、その都度自分の中に違った気付きが芽生えてくる。
これは、新約聖書なども同じだ。
深いものは、どこまでも奥が深いので、その深さを知らないから知りたい状態、もしくは「知った気になった」状態、知りたくないと拒否する状態、知ってもわからない状態、その「身魂相当」までの、深さから見える景色が広がるだけだ。

よく一般的にも、幼稚園児の理解度、小学生の理解度、中学生、高校生、大学生、社会人・・・を、段階的な理解度を示す比喩として分かりやすいように使うことがあるが、ひふみ神示の理解が困難なのも、「成人した身魂」というものが、どういうものなのかを実物で見たことがないのに、「自分は成人なのだから」という視点から読んでしまうことが、混乱を生む要因になるのだろう。

「わかるけど、できない」ことが書いてあるな。
というのが、私が最初に、ひふみ神示を読んだ時の感想。
その後は、「わかるし、なんとかしたいな。」と「なんとかしたいけど、なんとかならないのはなぜなんだろう。」の一進一退である。
ひふみ神示の中にもよく出てくる、「お出直し」ばかりだ。
そもそも、人生そのものが、あまりにも「お出直し」が多いので、「なんとかすること」を本当になんとかしないことには、このまま一生お出直しし続けつつ人生が終わり、霊界に戻った時に(まだ霊界がその時あれば、の話だが)私を支援し続けてくれていた、守護霊様や指導霊様や、たくさんの魂をがっかりさせることになりかねない。
それは、あまりに忍びない。

悪いことをしない、程度は、人間の基本中の基本で、「できること、成し得ることをしなかった」というのは、それも悪い。
できる善は、すべきなのだ。
今年の年明けに引いた御神籤にもそのことが書かれていた。

「神の心に叶えば嬉し、暗いこころも、晴れてくる

金をためたら、慈善をするという人は、ためるお金に限度がないから、なかなか慈善が出来がたい。物がなければ力で、力がなければ言葉ででも、人を慰め、人の力になってやれ。情は人のためならず慈善をすれば心が明るくなって、まづ自分が救われる。」

という内容だった。
私は、パワーストーンのことなどは、もっともっと「自分がちゃんと一分も漏らさない見識を深めてから」語りたいと思っていた。
自分が分かりもしないのに、物事を語る人間が好きではなかったからだ。
でも、よく考えてみると、語っている人その人が何であろうと、「その中に意図されていようといまいと、受け取る側の真実を見出す人」というのは、ちゃんと、縁があって存在してくれている。
そして、まさに、パワーストーンというものは、「石を持つ人それぞれの真実を見せてくれる存在」なのだ。
だから、人によって、その顕在化される効果やはたらきが変わって現れる。

通り一遍の意味や鉱物としての歴史や言い伝えや神話などを知ることは、重要だと思う。日本語を知らなければ、日本語表現ができないのと同じで、知識は大切だ。
そして、そこから「何を自分の中に置き換えて、その意味を探るのか」ということの面白さを、パワーストーンたちは与えてくれるのだ。
人生に対して、注意深くさせてくれる。
(それが過ぎれば神経質、となって現れ、それが足りなければ、鈍感、自己中心から離れられない自分を、見つけさせてくれる。)

ひふみ神示から、話が離れた。
ひふみ神示も、まさにそれと同じことを、“私には”教えてくれている書物だ。

ひふみ神示については、ひふみ神示の内容をダイジェストで示す本などを読むのもいいが、興味があれば、ぜひ原文を全部読んでみて欲しいな、と思う。
ダイジェストで、終末思想やアセンションの方向へ持っていく言葉で書かれたものは、ひつくの神が、何を人間にくどいくらいに伝えてくれていたのか、を、曲解してしまうかもしれないし、そうなると、ただの恐怖心に終始してしまい、もったいない気がする。

恐怖心や不安、というものが、どこからくるものなのか、自分がどうやって生み出しているものなのか、ということや、なにをどうすることが自分の幸せ、自分を含めた周囲の幸せ、そして世界の幸せというものへ繋がっていく可能性があるのか、ということについて考えを巡らす時、“私には”これ一冊でじゅうぶんという感覚がある。
過去世など知らなくても、霊感などなくても、超能力などなくても、お金持ちでなくても、頭が良くなくても、特別美人でなくても、自分には何の才能もないと思っても、今この時にこの地球上に生を受けて生かされている、というだけで、とても意味のある期待された勇敢な魂なのだ。今生きている人は、一人残さず全員そうなのである。
その魂を磨き、それを工夫して応用して表現していくのが、「それぞれの仕事」であり、まさに人生そのものなのだと思う。

“人間はパンのみに生きるにあらず”という、今や奇麗事の代表文句と化したイエス・キリストの言葉の意味を、薄々は、「でもそれは本当に大事なことなのだ」と思っている人には、ひふみ神示の示してくれる内容は、深く深く身に心に肝に魂に沁みていくのではないかしら。


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カテゴリ :  私にとっての2012年
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