占星術とパワーストーンっていうのは、けっこう密接に歩みを進めているようなところがあって、何かと、「この石の支配星は、何々で、何座」の人にこの石はうんちゃら、って話が出てきます。
今回の話は、そういう話ではなくて、(星座と石のカラミについては、また後日)純粋に、この世に存在する「占い」というものについて。
私が思うこと、というか、経験したことです。
人は、「当たった占い」のことは印象的なので、ようく覚えています。
まず、「作詞家になりた~い」とは思っていたけれど、まだ作詞家にはなっていなかった頃のこと。
渋谷の、センター街を抜けたあたりの小さなビルの2階だったかなー、「占い」の看板を見つけて、なんとな~くふらっと入ってみました。
内容は、占星術とたしかタロットによる占いでした。
聞きたいことは、「私は、作詞家ってやつになりたいんですけど、なれますかね?」ただひとつ。
答えは、「なれると思う。向いてるとも思う。但し。」
この、「但し」が、すごい「肝」だったんですよ。今振り返るとね。
「但し、天国と地獄の両方を知る必要がありますね。」
ひぇぇ~。でしょ。
なんだ?地獄って。と思って、当然聞きますよね。
まぁ、その占い師の彼女が言うには、作詞家、っていう職業、つまり歌の歌詞を書くってことは、魂を表現する仕事。本当の光を知るためには、闇を知る必要があるでしょ、ということでした。
で、これは、当たりでしたよ。
私は作詞家になったし、天国も地獄も経験した。
確かに、闇を知ると、光の意味は分かるようになるひとつの方法ではある、ってことも知った。
だけどねー。
その「肝」の部分、「地獄」にびびって、「作詞家にはなりたいけど、地獄を知るなんてやだな~。」と、踵をかえすことも、できたわけですよ。
つまり、占いっていうのは、基本的に「当たる」も「当たらない」も、自分が選んでいるわけですね。
あともうひとつ。
契約社員で働いていた頃の話なんだけど、自分の所属していた部署が大幅縮小されることになって、残る人員は、年俸がそれまでの約半分、残らないで他部署に移る人間は、年俸据え置き、って話になったことがあるんです。
「おいおい、半分じゃ生活成り立たないってばー。」
と、誰しもが、思うところかもしれませんが、移動を促された部署のハードさは、社内的な噂を聞くと相当のもの。
悩みましたねー。
それまでの仕事を、三分の一の人員でやりつつ、年俸は半額。
つまり、仕事量や気苦労は増大しながらも、半額。
片や、それまでの年俸はキープされるものの、今までの仕事のように、自分のペースでできそうにもない、帰りはいつも夜遅い、というもっぱらの悪評高い部署。
こりゃ、究極の選択だな、と思いましたね。
その頃は、今のように「石の言ってることが分かる、自分で判断できる精神状態」の自分ではなかったので、私は、久しぶりに「占い師のところにいってくるか。」
と、まず、よくデパートなんかにある占いコーナーへ。
四柱推命の占い師の方でした。
その方は、「新しい部署へは行かないほうがいい。あなたは今天中殺だから、どんなに苦しくても現状維持。新しいことを始める時ではない。」と言いました。
私は、自分が天中殺の真っ最中ってことを、その時までまるで知りませんでした。
で、じゃぁ年俸半分でも、残るほうを希望するか・・・と、しょんぼりと、その時は決めたつもりでした。
でもねー。
なんか、引っかかってたんですよ。心に。
「それでいいのか?」と。
金の問題もあるんだけど、その、少ない人員でこれまでどおりじゃない扱いを受けて不満たらたらになって・・・っていう、自分の明日が見えるんですね。
それで私は翌日、「そうだ!あの新宿の西口の駅前にいる女の人!」ということを、思い出したのです。(その頃の私が常に見につけていたのは、ルチルクォーツのブレスと、ルチルのペンダント。さすが、ルチルですね。ルチルって、大事な勘所で働くのです。当時は分かってませんでしたが。)
なんだかいつも長蛇の列で、JR新宿西口を知る人なら見たことのある光景だと思いますけどね。
夜、行ってみたら30分待ちでした。
並んで、私の順番になって、その占い師の方の前に座った時、
「あなたは、お仕事のこと、仕事を変える、変えない、のことね。」
と言われて、心の中はもう心臓が飛び出てきそうになりました。
「そうです。なんでわかるんですか?」
その占い師の方は、「新しいほうへ行ったほうがいい。そのほうが、あなたにとっていい展開になるはずだ。」と、言いました。
天中殺であることを話すと、「天中殺って、関係ないのよ。プロは天中殺で片付けないの。」と言います。
ひゃーーーー。でしたね。
で、私の選択は、天中殺でしたけど、新しいコト、始めちゃいました。
新しい部署で揉まれ、新しいことをたくさん覚え、たくさん苦労して、仕事もキツクなって、帰りも遅くなり、へとへとになりました。
でも、たくさんの素敵な人たち、優しさに、出会いました。
(意外と、傍から見ると大変そうな仕事って実際大変なんだけど、中にいる人間には面白かったりもするんですよね。その典型例でした。)
でも、結果的に、この選択で正解だったと思います。
結局私はその会社を辞めたのですが、同じ辞めるにしても、前の部署しか知らずに辞めるのと、そこでの経験を持って辞めるのとでは、自分自身の「希望」の持ち様は、雲泥の差だったと思います。
だからねー。
占い、っていうのは、自分で「当ててる」んだと思います。
「仕事がきつくなって、帰りも毎日遅くて、疲れた・・・やっぱり天中殺の時は新しいことなんか始めちゃいけなかったんだ。」という「後悔の日々」という私の心の持ち様であれば、前者の、四柱推命の占い師さんが当たりだったわけです。
で、西新宿の占い師さんは、ハズレになっていたわけです。
自分の思いが自分の現実を創造している、というのは、本当です。
占いというのは、本当は自分はもう答えを潜在的に知っていて、行動のきっかけを作ってくれるための、一助ですね。
だから、占いで「私は幸せになれますか?」なんて聞いてみたところで、「なれる」のではなくて「なる」わけなので、おそらくそういう漠然とした質問をされる占い師さんっていうのは、答えに苦労するんだろうなぁ、、と、想像できますねぇ。
石も、同じですよ。
「私を幸せにしてくれ~」と石に頼むよりも、石がもっと答えを出しやすい質問を投げかけてみると、石が何らかのきっかけやヒントをくれることが、ようく分かってきますよ。
今回の話は、そういう話ではなくて、(星座と石のカラミについては、また後日)純粋に、この世に存在する「占い」というものについて。
私が思うこと、というか、経験したことです。
人は、「当たった占い」のことは印象的なので、ようく覚えています。
まず、「作詞家になりた~い」とは思っていたけれど、まだ作詞家にはなっていなかった頃のこと。
渋谷の、センター街を抜けたあたりの小さなビルの2階だったかなー、「占い」の看板を見つけて、なんとな~くふらっと入ってみました。
内容は、占星術とたしかタロットによる占いでした。
聞きたいことは、「私は、作詞家ってやつになりたいんですけど、なれますかね?」ただひとつ。
答えは、「なれると思う。向いてるとも思う。但し。」
この、「但し」が、すごい「肝」だったんですよ。今振り返るとね。
「但し、天国と地獄の両方を知る必要がありますね。」
ひぇぇ~。でしょ。
なんだ?地獄って。と思って、当然聞きますよね。
まぁ、その占い師の彼女が言うには、作詞家、っていう職業、つまり歌の歌詞を書くってことは、魂を表現する仕事。本当の光を知るためには、闇を知る必要があるでしょ、ということでした。
で、これは、当たりでしたよ。
私は作詞家になったし、天国も地獄も経験した。
確かに、闇を知ると、光の意味は分かるようになるひとつの方法ではある、ってことも知った。
だけどねー。
その「肝」の部分、「地獄」にびびって、「作詞家にはなりたいけど、地獄を知るなんてやだな~。」と、踵をかえすことも、できたわけですよ。
つまり、占いっていうのは、基本的に「当たる」も「当たらない」も、自分が選んでいるわけですね。
あともうひとつ。
契約社員で働いていた頃の話なんだけど、自分の所属していた部署が大幅縮小されることになって、残る人員は、年俸がそれまでの約半分、残らないで他部署に移る人間は、年俸据え置き、って話になったことがあるんです。
「おいおい、半分じゃ生活成り立たないってばー。」
と、誰しもが、思うところかもしれませんが、移動を促された部署のハードさは、社内的な噂を聞くと相当のもの。
悩みましたねー。
それまでの仕事を、三分の一の人員でやりつつ、年俸は半額。
つまり、仕事量や気苦労は増大しながらも、半額。
片や、それまでの年俸はキープされるものの、今までの仕事のように、自分のペースでできそうにもない、帰りはいつも夜遅い、というもっぱらの悪評高い部署。
こりゃ、究極の選択だな、と思いましたね。
その頃は、今のように「石の言ってることが分かる、自分で判断できる精神状態」の自分ではなかったので、私は、久しぶりに「占い師のところにいってくるか。」
と、まず、よくデパートなんかにある占いコーナーへ。
四柱推命の占い師の方でした。
その方は、「新しい部署へは行かないほうがいい。あなたは今天中殺だから、どんなに苦しくても現状維持。新しいことを始める時ではない。」と言いました。
私は、自分が天中殺の真っ最中ってことを、その時までまるで知りませんでした。
で、じゃぁ年俸半分でも、残るほうを希望するか・・・と、しょんぼりと、その時は決めたつもりでした。
でもねー。
なんか、引っかかってたんですよ。心に。
「それでいいのか?」と。
金の問題もあるんだけど、その、少ない人員でこれまでどおりじゃない扱いを受けて不満たらたらになって・・・っていう、自分の明日が見えるんですね。
それで私は翌日、「そうだ!あの新宿の西口の駅前にいる女の人!」ということを、思い出したのです。(その頃の私が常に見につけていたのは、ルチルクォーツのブレスと、ルチルのペンダント。さすが、ルチルですね。ルチルって、大事な勘所で働くのです。当時は分かってませんでしたが。)
なんだかいつも長蛇の列で、JR新宿西口を知る人なら見たことのある光景だと思いますけどね。
夜、行ってみたら30分待ちでした。
並んで、私の順番になって、その占い師の方の前に座った時、
「あなたは、お仕事のこと、仕事を変える、変えない、のことね。」
と言われて、心の中はもう心臓が飛び出てきそうになりました。
「そうです。なんでわかるんですか?」
その占い師の方は、「新しいほうへ行ったほうがいい。そのほうが、あなたにとっていい展開になるはずだ。」と、言いました。
天中殺であることを話すと、「天中殺って、関係ないのよ。プロは天中殺で片付けないの。」と言います。
ひゃーーーー。でしたね。
で、私の選択は、天中殺でしたけど、新しいコト、始めちゃいました。
新しい部署で揉まれ、新しいことをたくさん覚え、たくさん苦労して、仕事もキツクなって、帰りも遅くなり、へとへとになりました。
でも、たくさんの素敵な人たち、優しさに、出会いました。
(意外と、傍から見ると大変そうな仕事って実際大変なんだけど、中にいる人間には面白かったりもするんですよね。その典型例でした。)
でも、結果的に、この選択で正解だったと思います。
結局私はその会社を辞めたのですが、同じ辞めるにしても、前の部署しか知らずに辞めるのと、そこでの経験を持って辞めるのとでは、自分自身の「希望」の持ち様は、雲泥の差だったと思います。
だからねー。
占い、っていうのは、自分で「当ててる」んだと思います。
「仕事がきつくなって、帰りも毎日遅くて、疲れた・・・やっぱり天中殺の時は新しいことなんか始めちゃいけなかったんだ。」という「後悔の日々」という私の心の持ち様であれば、前者の、四柱推命の占い師さんが当たりだったわけです。
で、西新宿の占い師さんは、ハズレになっていたわけです。
自分の思いが自分の現実を創造している、というのは、本当です。
占いというのは、本当は自分はもう答えを潜在的に知っていて、行動のきっかけを作ってくれるための、一助ですね。
だから、占いで「私は幸せになれますか?」なんて聞いてみたところで、「なれる」のではなくて「なる」わけなので、おそらくそういう漠然とした質問をされる占い師さんっていうのは、答えに苦労するんだろうなぁ、、と、想像できますねぇ。
石も、同じですよ。
「私を幸せにしてくれ~」と石に頼むよりも、石がもっと答えを出しやすい質問を投げかけてみると、石が何らかのきっかけやヒントをくれることが、ようく分かってきますよ。

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カテゴリ : ちょっとスピリチュアルな話
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