カテゴリ
高次ガイダンス  の記事のリスト

「会わないと」コミュニケーション

2020年01月23日 (木) 00 : 00
「会わないと」コミュニケーション、自分、これがそもそもそれほど好きじゃなかった(笑)んだわ、ってことに気が付きましたw

これは大昔のO.L11年時代に培ってしまった、ちょっと間違ったトラウマまでではないけれど、好きじゃなかった経験の積み上げでしょうか。
こういうのが「ブロック」の一因になっていたんだな、とも、多少思います。

おじさんたちの世界の風習では、「会う、会食する(酒飲む)」的な場をつくる、いわゆる「接待飲み会」みたいなものが多かったわけです。
いっしょに飲んで食って、その機会を持つことが、のちの「ビジネスの世界」においても、なんかそれまでよりも”やりやすい(都合聞いてもらいやすいとか)”まぁ、そういう「なぁなぁ関係」つくりやすいっていう幻想があったわけですよ。

で、そういうのに、いっしょに連れて行かれるわけ。
仕事終わったあとの大事なプライベート時間を(笑)そういう「つきあい」に持ってかれるところが、度々あったんですよね。

私が属していた側は、「接待される側」なので、接待する側ではなかったんですけれど、一見「ならいいじゃん」っぽいところはあるでしょう?

美味しいもの食べさせてもらえて(今思うと、自腹では絶対行けないようなタイプの高級店ですとか、けっこう良い場所にある良い店、銀座、青山、六本木、ほうぼうに連れて行ってもらっていましたよ)こっちが気を使う側じゃない、いいご身分で、しかも、「女の子はポジションとして責任ないし」な女子社員は嫁入り前の腰掛け時代(笑)だったんだから、な~~~んの気兼ねもいらないというのか、お気楽にして楽しんでればいい身分でした。

でも苦痛だったんですわ。

だからここ最近の時代、
忘年会とか、上司との飲み会とか、嫌がる、断る、「ゆっくりできる自分の時間が欲しいのに、そんなのつきあってられるか」って(笑)正直にそれを断る人たち、そういう若い子たちが増えてきた、みたいな話は、「そりゃそうだろうよ」って思っていましたよ。

今思うとですが、やはり、なんていうんですかね~、”ビジネスにおける”っていうおじさんたちのああいう壁のはらい方的なものに、子供のあたしはついていけてなかったんだろうな、って気がします。

で、今思うとですが、人間観察っていう意味では、「まったくの無駄」っていうわけでもなかった気がします。

仕事終わったあとの大事なプライベート、っていうほどの(笑)たいそうなプライベートってわけでもなかったんだし(笑)結局ね、「仲のいい人達同士であろうと、会社や仕事の関係の人達同士であろうと」なんか、表面的にコミュニケーション手段としてやることなんて、人間のコミュニケーションって、どのみち実際そんなに変わらない(笑)じゃないですか^^

だから、「経験」として、人のやりかたを学ぶじゃないけれど、「諦らめて」能動的に参加していれば良かったなぁ、っていう感じが、強いて言えば、当時やらずにいて、そこがもったいなかったな、って思うことかもしれません。
(人間は、「今目の前の世界の”諦めるところは諦める”ことが肝心」って、よく言っていますけれど(笑)こういうことなんですよ。同じ時間が過ぎるなら、諦らめて挑む、そうするとアナタを育てる経験になっていきますので)

自分が能動的じゃないと、「あれだけ、ほうぼう連れて行ってもらった」わりにはですね、どこの店のことも、美味しかった料理も、街と店のロケーションも、「何ひとつ、記憶にない」という(笑)あっぱれ現象があるわけです。



私の場合、とにかく、ああいった当時は、自分のイシキとして「ここは自分の居場所じゃない」的イシキが、すごく強かったんですよ。
その前提で生きてるので、「今、目の前のこと」に当事者意識がいつも持てなかったんです。

だからといって、自分のやりたいこととか、何かを見つけてチャレンジするとか、そういう気概もぜんぜん出てこなかった(笑)わけなんですよ。

心のどこかで、「偶然、そういう世界が、展開し始めること」を夢見ていたと思います(笑)。

(ありがちかもしれませんが。これ、絶対に(笑)ないですので。いや、絶対とはいいませんけれど、でも、「あなたにおあつらえの、あなたを満足させる世界」のほうから、自分が何もしないでいて、すり寄ってくる…っていうのは、ただそれを待っているだけでは、「ない」ですよ。自分でそれを「創造する」というのが、どこにいようと大原則です。でも、何もかも自分で創造する必要がないんですよ。ここが面白い部分で、自分の心に嘘がない創造の世界をつくろうと動き始めると、「まるで、そっちから、寄ってくる現象」が、起こることは起こるのです。)



おっさんたちの世界で、私が毛嫌いしていた「会わないと」コミュニケーション。

自分が「会わないと、コミュニケーションにならんのか?」と(笑)なんとな~くそれを、自分の好きじゃないものに位置づけていた、「因」が自分が生きてきた時代の中でやってきたことの中に、まぁ、あることはあるんだな…と、こうして思い出してみると、あるものなんだな、って思いました。

会うことにとくにメリットを感じていない(笑)だけならいいんですが^^、要するに「あなたがたのメリットづくりに利用されるのはゴメン」というような、自分の時間を奪われる被害者意識は、残っていたと思います。
自分のメリットでもあるのに、当事者意識がないと、人間とはこうなるのです。

ここに気づけて良かったです。

(私がヘミシンクのゲートウェイとか長年ずっとパスし続けていた理由に、その「自分の時間を奪われる感」がずっとありました。CD一枚70分なんて、そんなの聴いてられるか、というやつですよ。それ掛ける21枚ですよ。しかも、一回一回聞けばただちに次のステップへ、というわけでもないんですよ(笑)。まぁ、二の足踏みますよね)

なんでこんな昔の、古い時代のことを思い出していたのかというと、
うちの人がなんでそんなこと調べたのかは詳しくは知りませんけれど(ガイド差し金だと思います^^。私のブロックはずしのための)、
「過去に、日本が、良かったらしき時代」
いわゆる世界経済の中で、日本企業が世界のトップ50の中に、30くらい入っていたらしき時代があるそうなんですが、その時代に、私が過去にいた会社も、その世界トップ50の中に入っていたようで、

「ちょうどオマエが23とか24とか、20代中盤のそのあたり。でもそれ以来、そこの会社は一度もないな、そういうの」

っていう、要するに過去のバブル全盛期な話なんですが(笑)それを”思い出させられた”わけです。
(ほんと、ガイド差し金です…よくブログで言ってますが、こういう風に「身近な人を使って」アナタに必要なことをさせるのが高次ガイドのやりかたです。なので身近な人が”なにげなく”言うことやること「そのもの」がガイダンスではなくても、そこから「繋がってくること」の中に、「アナタにとって”今”意味があること」が見つかることは多いのですよ)

まぁ、だからこそ、「腰掛けで、ただ毎日会社に行ってるだけ、毎日不満垂れ流し放題」でも(笑)毎月お給料が入る、そういうレベルの人間でも”ただ社員だから”の理由で会社に食わしてもらえる、夜な夜な接待まで受ける(笑)いいご身分だったわけです。



だけど……

「今のほうが、ずっと、いい」

ですよ(笑)。

ほんとうですよ。

王族のような贅沢、まではいかないかもしれませんけど、今の時代は、人間の歴史の中においては、特殊な人々の特権だったようなことが、「誰でもできる」ようになった時代、っていう側面が、20年30年前から比べれば、遥かにそうなってきた面が、あるにはあると感じられます。

日本も、バブル全盛期よりも、今のほうが、「普通の人」が、ものすごく実は生きやすくなっている時代ですよ。

但しソレは、「本人次第」です。

そこは、景気が良かろうと悪かろうと。
時代がどうあろうと。
同じです。

(時代の雰囲気としては、「あの世1」のブルーアイランドな世界により近づいてきていると思います。それぞれの「良い落ち着きどころ」に、移行がとてもしやすい時代なので、「自分に他人に嘘をつかない、正直に生きる」のがいいんですよ)



バブルの時も、一見、野心のある人は成功街道登り詰めたり、そういう現象はありましたが、結局、落ちていっている人も多いです。でも落ちたままではなく再浮上している方も、落ちたままの方も、色々です。

音楽業界バブルは、実は、日本のバブル景気の10年あとくらいにやってきているのですが(ちょうどその時代に(笑)そのご相伴にあずかっていない作家だったんですよ…いや、そうじゃないな、私のようなものでも作詞家になれてCD音盤出せていた、ということじたい、時代のご相伴にあずかっていた、と言えますね…今はわりとソコソコ知名度があるアーティストさんでさえ、音源としてCDが出せない時代になっているので)その時代の頂点だったような人々も、この前、YouTUBEで見ましたけれど、月光さんとか。
嘘~、今こんななんだ~、と思いました。
かんたんに言うと、人はここまで落ちぶれると言ったらアレなんですが、持っていた人が「なんで?」レベルでここまで失うこともあるのだな、というストーリーにテレビでは仕上がっていたようです。

こう言っちゃうとアレなんですが、あの時代、実はこの人の会社に私はちょっと…な経験もさせられた(笑)っていうのがあったな、ってそういえば当時は思ってた(カンタンに言うと金銭的損失でいい思い出ではない^^)のをもう忘れていて、それを思い出しましたが(今はもうなんとも思ってないですよ)、今は、この人はこうなんだ~…と。
ひとりの人の人生の中でここまでの落差というものも、起こってしまうんだから凄いな…とは思いました。
そして、「能力」というのも、仮に過去と同スペックであっても、時代が変われば、波からはずれれば、かつては「価値」をつけることができていたものが、アルバイト並に成り下がってしまう世界…(月光さんは音楽の才能の人で経営はプロじゃなかったから、こうなったのかな、と。同様に一斉を風靡したビーイングのほうの方などは今大阪で不動産王だそうなので。なんの世界でもトップになる人そうでない人、いるんだな…と)



私はバブル全盛期には、「会わないと」コミュニケーションを避けてる(笑)人でした。

O.L時代もそうでしたが、遅れてきた音楽業界バブルでも(笑)よく考えてみると、行動は似たりよったりだったと思います^^。(でもまぁ、それで良かったんですけど、結果的には)

あの「浮かれた空気」に本当はついていけなかった人間です。
(ついていかなくても良かったんですけれど、結果的には)

そして、スピリチュアル・ブームでも(笑)
とくに「誰かや、時代に、ついていく」というわけでもなく、淡々と、独自街道を走ってきました。
(高次という、「会わないと」コミュニケーションの必要ない上司を(笑)得たからです。と言いながらも、途中までは「アセンション概念」の突飛な実現(笑)の夢と希望も捨ててはいませんでしたけれど。今はスピ業界で実際にお会いする人、学ぶ人は結局「ほうぼうにやたらとアンテナ広げずに」極小です)

過ぎ去ったスピリチュアル・ブームでも、みなさん、ちょっとそういう空気に踊らされていた方もいらっしゃったのでは?

バブルを知るものとしては、スピリチュアル・ブームにも、日本のバブルの時の特有の空気に少し似ているものもあったかな、という感じがします。

で、それが去った今なので、ようやく、

私は「会わないと(高次ガイドに)」コミュニケーションに、ようやく目覚めた(笑)ということなのだろうと思います^^。
会ってもらえるんなら、会いたいわ♪ そう思っています。




この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  高次ガイダンス
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

「手」だけの理由

2020年01月22日 (水) 00 : 00
なんで「手だけがリアルに観えた」のか? の理由。

勘のいい方でしたらおわかりかもしれません。

私にとっては、肉体部位全体の中で、そこがいちばん自分にとってリアルに必要(職業柄)で、「いつも見ている、自分にとって存在していることが必要で、それをいつも自分が「見て」あることが実感できている肉体の部位」だからです。

石アクセサリをつくるのも手。

石を触るのも手。

石ブレスするのも手(これは腕ですけどね)。

ブログ記事をタイピングするのも手。

近年は、ブログにお写真載せてるのも(笑)手。

(アトランティス過去生でも(笑)「手と目を使ってダウンロード」していたんだそうです(笑)この時は目も使ってたんですねw)
個人的には、「手にも、目がある感じだな」というのも、昔からよく感じてるところがあります。

「手がなくなったら仕事にならんな」ということは常に痛感しているので、自分にとって不可欠な部位です。



そんな自分なんですが、記事でもよくここんとこ私的よもやま話に上がってるけど、一昨年くらいから、けっこう服を買うようになりましてん、の話をしているんだけど、それで何がいったい変わったのか? っていうと、

なんとか、自分の顔ってこんな顔なんだな、背格好、体型ってこんな感じなんだな、

ということを、「見る、認識する」観点が、出てきたことです(笑)。

実はですね、ここ10年くらい、「自分自身が、どんな顔しているのか、どんな姿しているのかよく知らない」というところがあったのです(本当だよ)。

体重だって(笑)めったに測りませんw
たまに測ると、びっくりします。
(年をとると、人間は太ってくか痩せてくか、どっちかの傾向があるのだろうと思いますが、うちは家系的に痩せ型なのですけれど、さらにちんまりしてきています。この前買ったファーティペットはなんと女児用子ども用ですw(普通のオトナ用のつくりだとなんかぶかぶかなんですよ…)ほんと、吹けば飛ぶ体重なんです。そのわりには、へんなところに囚われた肉がたっぷりついてるやらしい体型ですけど)

カンタンに言うと、「そういうことにこだわらなくなってしまったから」というのもありましたし。
あと、ほんとにね~、これが「うち仕事」のデメリットなのかもしれませんけれど、日常が極小人間関係(笑)なもので、「色々、着飾る」的なことが、ほんとうに、ぜんぜん必要ないっちゃ必要ないのよ(笑)。
それを人に見せる楽しみも、少なくとも、日常の中にありませんからね。
現実生活の、要、不要、の観点からだけなら、”まったく必要ない”と言えます。
「流行りのミニマム」になら、明日からでも即なれる(笑)立場とも言えたりしますよ。



だけど、服を買うようになると、人に見せる見せない別問題で、いやがおうにも、「少なくとも、自分は、自分を見ている」わけ(笑)。「ださ!」とか(笑)、「まぁこれはいいな」「これは似合うな」とか、その違いは自分でわかりますでしょ。

で、イシキが変わるので、実際に見てるところが、部分だけ、平面感覚じゃなくなってくるんですよ。
(私は、石に関してもそうですが、わんちゃんや、ようするに「自分以外」に関しては、平面で見ていないんです。ですが、「自分自身の物質としての肉体の姿」は平面どころか、物質としての存在感そのものが希薄なところがずっとあったんです^^)

クレアボヤンスには、この立体的観点、造形イシキは、必要なものなのです。そしてそこに「遭遇している私」が必要なのです。いなくなっちゃ駄目なのです。
(って、観えてないくせに(笑)オマエが言うか、なんですけれどね)
なので多少変わってきたとはいえ、それでもいつももっとも「見て、必要で認識し続けている、手」これがまず観えたんだ~、ということ。

ここを解消するリハビリ(笑)のために、
「10年ほとんど買うことのなかった服」を(笑)ほぼ10年分と言えるレベルに、ひといきに買うことになったんだろうなぁ…と感じています。(服に散財する、すっごい言い訳(笑)のようですがw)

服買えば、それを着て必ず姿見に自分を写して、全体を観ようとしますし、コーディネートのバランス感とか、だんだん「全身レベルで自分を見ざるを得なくなる」ところがあるのです(笑)

そういうことだったのか… と、感じていますよ。
(ただし、うちのガイドのお薦めは、「これだけじゃない」です(笑)。服ならまぁ、もともとが服好きでしたんで、とっかかりやすかったんですが…それはまず「自分をちゃんと見る観点」ですからw)

クレアボヤンス云々の話ではなくて、服のお洒落が、その人にいい影響を与えるのは、単に見た目だけの問題ではないです。
常に「その人を形作るエネルギー」として一体として機能するようになるので。
お洒落になることで自信が出てきて、その人じたいに自信が出てくる人、っていらっしゃいますが、そういう、人の本来持つ輝きを引き出す部分があるので、「モノ増やしたくないミニマムの人から見れば、無駄」かもしれませんが(笑)確実に無駄じゃないですよ。
これも「人による」わけです。

ちなみに、「手ひとつ見ただけ」で、これだけガイダンス、必要情報が「わかった感覚」で湧いてくる、
これが「クレアコグニザンス」能力によるものです。
高次ガイドが、わけわかめの私に、手取り足取り教えてくれた、ということではありません(笑)。

ガイドコンタクト、ガイドメッセージ、とのいうのは、こういうふうに「自分でわかる」ように、こっちが多少示されている高次ガイダンスの意図の読解力を持つ必要があるわけなのですが、「え~、そんなの私にはわかんない…(汗)」という人を助けてくれるのが、「高次スマホの石」なわけなんですよ。



「見ている」ぶんには、人間というのは、何を見ても「平面」にしか見えない構造になっています。

でも、実際にはモノは立体感ありますでしょ。
質感として、容積ありますでしょ。

私は、「音」とか「文字(言葉)」「空気」とかにも、その質量というのか、見えはしないけれどぶわっと存在として平面ではなく有る感じ、有るから感じている、ということでしょうか、それなら、感じるのです。
だから、見えないけれど(笑)他のクレアは、発達できてきていたところはあるのかなと思います。

そして、そこを「感じる」そこと一体化する際に、仮に自分が透明でそこにいないとしても(笑)、それを「見る」ためには自分がいることをやはり端折れない(笑)ので、まず、自分という立体の肉体構造を知る、見る、感じる、これは必要だったんだな~と思っているところです。

石もそうですよ。

写真は平面ですから、写真でしかないので、だから、うちの石アクセサリの実物をぜひ手にして、質感を感じてほしいな~と、いつもお伝えしているところもありまして。

ぜひぜひ、質感伴う、そして「見えないけれど、実際にある、膨大なエネルギー」を持つ、石の心地よさ、これをお手元に。
そのように思います。



これ、ヘミシンクのゲートウェイのエクササイズによく出てくるんですが、「実演しなきゃなこと」がけっこうあって。

「回ってください」とか(笑)なんかそういうのあるんだけどね、

自分の肉体の身体感覚の束縛を離れる試みでありつつも、結局使うのは、自分の光の身体がある前提の、自分が実態として、そこに参加している状態の想像なので。
自分がどんな姿だったかを知らないと、そもそもそういうの想像できませんし。

そして、人物もそうですが、そこにあるものを正面や側面、裏面からだけではなく、「頭上から」「離れたところから」立体的に観ていく、その感覚、もともとの今現在の肉体物質レベルでの観察眼が、クレアボヤンスにはどうしても必要かなという気がします。

(というかまぁ、それが、高次がこっちを見る視点ではあります。ただ、ほんとうに「高次ダイレクト」側から見ちゃうと、たぶんこっちのやってることなんて(笑)直接見えませんw なので、間接的に、人間に近い「高次ガイド(もと人間経験がある、霊界の人)」の、取次が必要になるのです。私達生きている人間は、高次ダイレクトにご指導いただけますが、コミュニケーションはダイレクトではないです(無理ですw)。なので、高次ガイドを通して、「その人が理解できる、気付ける感じで」伝えてもらえるわけです)

クレアボヤンスは、視覚の記憶力に優れている人が有利なのかな、と思います。
見た目のビミョウな変化にすぐに気づき「ここが変わった」とすぐわかるような、そういう感じでしょうか。
私は、「石」なら(笑)それがわかるんですけど^^、日常のすべてにおいてそういう細かいところをすべて観察しているタイプではないので、どうしてもここが難易度高いところ。
基本は、人の顔や姿かたちを一度見たら忘れないとか、人や風景の見た目の変化とか着てるものとか、即わかる、思い出せる、記憶しちゃうような人はクレアボヤント向けなんじゃないのかな、という気がします。
で、ジロジロと人や目に映る対象物をはっきり見ることができる(笑)やはりコレですよ^^。
あたしは石やわんちゃんたちにはそれができるし、知り合いになったらまず姿を忘れないんですが、それ以外は普段でもこれは苦手なのです^^。とくに「人」相手は(笑)ちょっと苦手かも^^。

あ、だから、刑事さんとか(笑)びっみょうな観察眼を要するような職業の方とか。本人イシキしていなくても意外とクレアボヤントだったりするんじゃないでしょうか。(「刑事の勘」とかいうじゃないですかwあれはいつも人や場をただぼんやり見てるわけじゃないから、鍛えられるんじゃないかと。あの人達は見た目を「一瞬で」記憶しますよ。ただベクトルが「悪いの見つけるため」のほうだから^^そこは辛いかもね。あと個体差あって得手不得手もあるだろうから、刑事なら全員必ずそう、と言えるかどうかはわかりませんが、過去に私が出会った刑事さんはそうでしたね。遠い未来に、「警察のいらない社会」が訪れたとしても、その能力は別の形で活かせると思います。だから、この世に今、存在している形態に無駄はないんですよw 悪いやつがいるから捕まえようと、必要あってその観察記憶能力を伸ばせる方もいらっしゃるわけです。ぜひ、刑事職の方には「霊媒」の素質が素地がありますので(笑)、現実世界だけではなく、見えない世界にも興味を持っていただきたいものです)
あと、患者さんのビミョウな変化に本当は気づかなければいけないお医者さん看護師さんなどもそうですね。意外と医療系の方が、クレアを鍛えると、現実面でも能力アップに繋がるような気がします。(これも表面的には「悪いの見つける」の世界かもしれませんが、「良くなるための悪いの」なので、刑事さんとは違う気がします^^)


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  高次ガイダンス
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

直接、高次につながる

2020年01月20日 (月) 00 : 00
ダイレクトに高次につながることができる、直接ご指導をいただける(笑)のは、”生きている時だけ”です。

人間が肉体を生きているメリット、生きている特権があるとしたら、コレなのです。

これ、まるの日さんも、あの世を説明する「あの世動画」の中でおっしゃられていましたが(すべてのあの世を”知覚”できるのは生きている人間だけ、という風に)「知覚する」という観点からもそうなのですけれど、私も、「生きている時だけの、この意味」については、ぼんやりと、ずっと昔から、なんと(笑)親に教えられてw育っておりました。

(そういうことを「知っているはず」の親なのに、これかよ…のようにも、昔よく思っていたわけですよw…わかります? この感じ^^)

私個人としては、人間が普段メクラ(差別用語すみません)なのは、この特権があるので、ある意味メクラでも大丈夫(笑)、ではないですが、「その体制でこそ得られること(経験という財産)へのチャレンジがしやすい」から、そうなっているんではないだろうか、とか、色々考えてきました。

これを「知った」だけでは「ふうん」とか「信じられない」とか「だから何」とか(笑)
まぁ、そんなところなんですよ、人間って。

とくにエゴが育ちきっていない子供時代、エゴ満載の(笑)青春時代レベルで知っても^^

私にとってはそれは、「とても窮屈な縛り」のようにしか、感じられませんでしたものです。

親がスピリチュアルだと、「そういう親だったんだ、羨ましい」って、スピリチュアル否定の親を持っていた(あるいは持っている)方からは羨ましがられることはあるのですが、いや、親がスピリチュアル「知識がある」というよりもですね、

「親が、全開で、心に正直な生き方をしている、親同士、認めあっている(嘘じゃなく)」

という感じの「生き方」であると、たぶんこれら知識も活きるというか(笑)ちゃんと繋がるので、子供は違和感なく受け入れられるんじゃないのかな、という気がします。

「お題目」は子供の心には、響かないのです。

そして、「”型にはまった幸福”が、親、子、孫、一族仲良く、受け継がれていく」的な(笑)そういう人間の幸福定番スタイルは、確かに「霊界ヒエラルキーの一部」には、天国的様相スタイルとしてはハマるわけなのですが、「そうじゃない世界」の否定にも繋がります。
(意味、わかるかな? 仲良し信頼親子じゃなかった、この世でそれを作れなかった、持てなかった人が、失敗した人生と思いやすいのが、この世でもあるのですけれど。あの世へ行ってみると、必ずしもそうじゃないのだからw 安心しましょう、ということでもあるよ)



なまじ、「信仰心」のある人というのは、

「神様から見て、高次から見て、立派な人」

を目指してしまうので、無理をしてしまいます。

そして、そういった「あの世の人」をむしろ、「あの世の人の供養」というのでしょうか、「救うことができるのは生きている人間だけ」的な考え方になってしまい、「先祖のもろもろ背負う、重圧感」ではありませんけれど(笑)

な~んか、「この世が、ちょい苦行」な感じ…

の捉え方しだす
(私は、どちらかというと、そう捉えていましたよ。そして、PSWの初期の頃などは、まだまだこういうタイプの基準をベースにも持つ考え方の影響も、大きかったと思います。先祖というより「人類の歴史」に拡大していましたけどね(笑)。いわゆる、当時としては、「まだ持っていていい囚われ」でしたね。お伝えしていますが、「囚われは、生きるためのツール」でもありますので(笑)使える時期にはむしろ”使い倒す”くらいのほうがいいですw)

そういうところがあって、

要するに、「なんか、気楽じゃない」のです(笑)

ねぇねぇ、人間って、自分の、好きなことを、しては、いけないの? 我慢の生き物なの?

と、昔、子供の頃~若い頃にはよく思ってました。

そして、「生きている人間の一生の生き方しだいで、自分の”守護霊さんの霊格も上がる”」という捉え方が、自分の中になんとな~くあったので(これも結局、「刷り込み」ですよ)、なんだろう、そういう妙な責任感ではありませんが(笑)「ちゃんとしなきゃ、生きているうちに”霊的に成長しなきゃ”」というやつですよw

こういうのベースにあると、「いい人、誰から見ても素晴らしい人」になれない自分を、否定し始めますよ。

そして、「学び中毒」に(笑)なる人も^^多いんじゃないでしょうか。「自分はまだまだ症候群」というのでしょうかね。
スピリチュアル系には、この自分はまだまだ…と言いながら、自分で何かをしようとしない人がやたらに多いな、と、過去に感じていました。私には、これはなかったんですけどね(笑)。
(軸が高次元にあり過ぎると、おのずと、自他に厳しい人になりがちで、「今の自分」を否定するところから、いつもスタートしている人になってしまう気がします。今を生きていない、今を認めていない、んですよね。そして他人と自分を比べた”劣等感”発生の因ともなりやすいです)

なので、これも人間にはその責任がある、的な、自分をごまかすことにもつながる「縛り」だよなぁ…「学び」と言いながらず~っと同じところにとどまり続ける言い訳にもなるような、ということにも、

「あなたの好きなことを、ハートに正直な生き方を」

とも、な~んか矛盾してくるところもあるなぁ…と思っていたのです。

実際のところ、実体験、実感として、私自身が

「あなたの好きなことを、ハートに正直な生き方を」へ、しっかり軌道修正し出してからの人生のほうが、「より高次との歩調が合っている」んです(笑)

(決して、「世のため、人のため」とかそういう理想像を胸に立派なことをやろうとしている、立派に見られそうな人になろうとしている、そういうわけでもない、「ただ、石ヲタなだけ」の^^気ち○○、この世的には駄目なオトナな自分なんだけど、正直な自分がわかってから、というのかしら^^…だから、ず~~っと初期の頃のPSWのほうが、ちょっと偉そうwというのか、「オマエ何様なんだ」な感じがしますよね。あれは精一杯頑張ってたんですよw)

なので「自分に正直に生きる」って、お薦めなのですが、これがお薦めの理由にできないブロックも、自分にはまだあるな…とも思っていました。

それがこの、「霊格を生きているうちに上げましょう」それが「守護霊さんもステージアップすることに繋がります」から的な(笑)なんでしょうかねぇ… 今度はなんかこう、この世基準の上を目指す理由以外の(笑)観えない世界外付け理由に縛られるというのか。
なにかをするのに、いちいち「理由、根拠」を求めるのはおかしいというのか(ここが生きている人間が持ちやすい「メリットを先に知りたい」欲です)なんかちょっとしっくりこないところはあったにはあったんですわ。

どうもね、「直感サジェスチョン」とは違うことが多いのですよ。
そういう不自由感、自分の中での縛り感、思い切りの悪さに繋がるところがあったことはあったのです。

いわば、「この世のあまたの宗教が抱えている問題」にも、ちょっと繋がるところがあるかな。

(でもこの矛盾は、以前、夜会などで、まるの日さんの観てきたあの世論を知って、解消しました^^。あの世動画でもわかりやすく説明されているので、「あの世動画」お薦めですよ。まるの日さんブログから記事中リンクで見れるので、見てみてくださいね。「あの世知識」がまったくない人が見ると、どう思うのかなぁ? というのはありますが、「多少ある人」から見ると、矛盾が晴れるところがあると思いますよ。まるの日さんブログへは、「ブログランキングボタン」を押せば(笑)ブログランキングの現在40位あたりにまるの日さんブログはあると思いますので、そこから行けます。あれなんだよね、まるの日さんブログが40位で、うちが15位くらいっていうのは(笑)ちょっとおかしいw(自分で言うか)と思います。まるの日さんのブログのほうがうちよりも読者数そのものは多いハズなので、ファンの方は、ただブログ読んでるだけじゃなくて、ちゃんとランキングボタンがあるのですから、あれを押してください。あれだけ、ワークショップとかに行く人たちが大勢いるんですから、その中のほんの一部の人が全員毎日押せば、まるの日ブログでしたら、あっというまに10位以内にはランキングされるはずです。そのくらいのことは他人のためにしてみましょう。と、こんなことを自分のブログ内で(笑)言っていてもしょうがないんですけど^^、いや、それをさ、あのブログのコメント欄とかでしゃしゃり出るのが、要するに、部外者の余計なおせっかいでもあり、まるの日シンパのご気分を侵害する「人氣すったもんだ」を起こす、自分に穢がつくことでもあるからね、やらないのよ)



今のところの結論としては、

「あなたの生きたい生き方をすること(心に嘘がない)」が、どの人にとっても御神業です。

ポジション、職業、人間関係、持って生まれた運命、それら無関係でここは共通です。

どこに生まれ育とうと、「ダイレクト高次つながりが可能」であり、観えている世界と、観えていない世界を行き来することもそうなのですが、「この世の中の、波動の違う世界を、本人次第で、自由意志で、行き来できる、シフトできる」この特権だけは、等しく生きている人は持っていますので。
(波動の違う、あの世の色々な段階、高次元にも繋がれるのと同じです。あの世は個別性がある段階では、性質がある種似た者同士としか繋がることがない世界。この世でもこの法則じたいはありますよね。でも本人の努力や行動次第で”付き合う人変える”のはいくらでも可能ですよね? あの世ではそこが自由にできなくなるわけです。もし「今もできない」って思っているのなら、それが自分をリトリーバルする部分(過去生や先祖など様々な因が理由となりやすい囚われ)なのではないでしょうか)

この特権は、知ったからには(笑)活かしていただきたいw

そう、思います。

「あの世」へ行くと、完全ヒエラルキーの中で生きるので、
しばらくは、気軽にハイヤーセルフになど、会えませんから(笑)。

ただしあの世の完全ヒエラルキーは、この世の権力で押さえつけられるようなのとは違うし、お金持ちや権力者が有利だったり(笑)ではなく、納税義務も、扶養義務も、いっさいのそういった、責任とか義務感とか彷彿するようなタイプの、縛られる主従関係ではないです。
なので、ブルーアイランドはそういった重圧感の中で生きてきた人にとっては、「ほっとする、本当にしたかったことがようやくできる、天国の様相」の解放の世界となると思います^^。傷ついてきた人は、手厚いケアを受けられます。

だからって「早く死にたい」とならないように(笑)。

だって、この世を高次化する(高次とともに生きる)ことが可能なのは、本当に、生きている者の特権なのですから。
そして、「ようやく好きなことをする」のも、「手厚いケアを受ける」のも、
実に、「今すでに、可能」なので。
ブルーアイランで叶うことは、こっちでもじゅうぶん可能なのです。
今、目の前の世界に、手の届くところにそれはあるはずです。
こっちでできるんだから、やりましょうよ、という話です。


そして、この世だけではなく、「あの世でもどうやらあなたをサポートするらしいよ」という(笑)のが、石。
(あの世へ行ってからの第一段階「個としての囚われはずし」のお役に立つようでもありますw この世で自分には不用品(笑)だったのかな…この石、好きだったんだけど…と、自分がそれを所有していた意味がはっきりとはわからなかったとしても、きっとあの世でそれがわかるんですよw)

いや~、ますます、今のうちに、がんがん石を宣伝しなくては。
何はともあれ、みなさまに石を持ってもらわなくては。
という気になってきました(笑)。



この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  高次ガイダンス
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page