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思わぬ石からのリスペクト

2020年09月06日 (日) 00 : 00
週末に(いますでにそうですが)大型台風がやってくるそうなので、お気をつけくださいね。

養生テープをガラスの飛散防止に貼る場合には、台風が過ぎ去ったら早めにすべてはずすことをご提案します…
昨年、東京にも大型台風が来る!の時に、一応ガラスというガラスにこれをやって、ある一箇所、普段は手が届かなくて、石をどかしたりが面倒な(笑)窓ガラスの養生テープは、まぁいいか、外から見えるわけじゃないし、と、はずさないでいたんです…
そしたら、浴室の排水の調子がなんか悪くなってきて、色々そっち対策をやってみた(パイプマンとか)結果、それでもビミョーだなぁと思っていたところ、この窓の「養生テープのばってん印」がずっとそのままだったことに気が付き。
これが原因だ、とテープを外したら、すぐに流れがよくなりました。
以来、排水溝不具合は長期に渡りないです。
養生テープのばってん印は、実にほんとうに外からのエネルギーを寸止めするのだということが、これでよぉくわかったのですが、その代わり、「そこに外から流れていた神氣エネルギーの流れも止める」ということもわかりました。


By the way…

こちらの「とあるブレス」綺羅星で、うわこんなインナーチャイルド持ってたんだ~~~って気がついたという話。

やるなぁ…綺羅星、とは思ってたんですが。

今日(昨日)閃きました。







(クォーツinクォーツ…この石は、別名「インナーチャイルドクォーツ」という名称がありまして。卸元がくれる、インナーチャイルドクォーツの意味、というものが書かれたカードがあるのですが、それを読み返してみて「まんま、これだわ」と(笑)思いました…このカップリングだからこそ、極めてこの石の本領発揮が可能になったのか…このカップリングはモルダバイトもカップリングしているため、その加速化が進んだとも言えますが、クォーツinクォーツ…この水晶めっちゃ高いんだけど(笑)メタフィジカル的に、じゅうぶんその対価の価値を感じましたwww…いやでも、ちょ~っと高いんだよなぁ…また仕入れたい気はするんだけど、対価の価値をわかってくれるお客さまがいないと(笑)ってところもあるんですよね…見た目には、特に「高い石に見えるわけではない水晶」だからなかなか難しいんだよなぁ)



インナーチャイルドの傷、って言われるものがありますけれど

これ…正直、かなり、かなり、「本人自身が思いがけない、あの時」っていうんでしょうか…

「え!! あれが原因?!!」という意外性

私達がインナーチャイルドの傷って言ってるものって、けっこ~具体的にわかりやすいものをそう思っている気がします

幼少期、親に虐待されていたとかイジメにあっていたとか、そういう感じのことは、本人リアルにわかってますよね

ところが

そういうわかりやすいもの以外にも、ほんとに、ほんとに、意外な

でもその時の、その自分にとっては、実はちょっと言葉にしがたかったようなショック、傷になっていたもの

そして、「今」はそこに戻ってとり戻せない修復不可能なもの

たとえば不仲な人間関係であっても、今でも、交流が続いているなら(家族とかはそうですよね)そこでの修復は可能なんです
だけど、もう関わりのない人とのあいだにできていた傷、これは、自己治癒するしかないので



でも気づいていないんですよね(笑)

私も…今の自分を形成しているこの状態の原因は、どこにあるんだろう…とは思っていたんだけど

意外なところに、それを見つけてしまい、困惑中w

困惑中なんですけれど。。。でも、「これ、知って良かった!!!」と思います

これで心置きなく自分を変えられそう(笑)って思いました



これに気づいたのは、綺羅星オンリーを身に着けて就寝して、その日見た夢がきっかけ

「なんでこの人が出てくるんだろう」という人が夢に出てきて

私は普段の夢で、自分の知ってる人が出てくることは、ほとんどありません。

(これは、「自分の今生における別の生」まるの日さん用語で言うと「別の世界線」での人間関係における摩擦の整理をしている状態なんだろうな…と思います。今生の今現在の人間関係でできる摩擦が、今はもうとても少ない(笑。石のおかげというか)ため、夢の中で「別の生」の摩擦のほうに^^着手しているという…そんな感じの様相です)

なので、近年、知っている人が夢に出てくることじたいがとても珍しいことなので、「この意味は何だろう」と思っていました

そして…ようやくたどり着きました(笑)

「あの時のあの、この人に向けられた一瞥」…程度の…そんなことが(笑)今の自分をつくる一因にもなっていた
(いい意味で、ということもないわけではないのだけど、ネガティブでもある側面に関与していた)

これ、なかなか思い出せなかったというか、そんなこと…それこそ、すっかり忘れていました。紐付いてなかったというか。



わたしたちがそれぞれの「自分らしさ」を形成しているものって(笑)やはり、「接する情報の影響」があるにはあるんだけど
ただ情報に(この場合、人間そのものをも「情報の固まり」とみなします)接したからといっても、すべてのそれらに影響なんかされてはいないんだけど

ほんとに、意外なものに(笑)人格形成をゆだねているというところがありますね

ただ、その居心地が、その人にとって、ただの囚われとなっているのか、それとも大切なその人の色を出していくための個性を引き立たせるためのこだわりなのか、そこを見ていくことは必要だなと思いました



自分は、今自分にとって、やや問題というのか、「すご~く満足しているというわけではない行動」があるんだけど、それがやめられないのはなんでなんだろう? って思っていたことがあって、遠因がわかって嬉しいです

ここ2年くらい、「欲しいと思った服は全部買う」ということを(笑)やり続けてみて、わかったこと

服はかさばるため、たくさんあればあるだけいいというわけではなく、服持ちにはそのメンテも必要になってくるので
そろそろ、どうしようかな~…とも思っていたところでもあり

(家が広ければな~、とw こういう時思うんですけれど、これね…大豪邸に住むお金持ち女性の断捨離動画を見てw 正直、「これはヤバい…」と思いましたw その方は確かにものすごい広さの部屋数も多い豪邸住まいの奥さんなんですが…私がもっとも嫌だなと思ってしまうタイプの「こんなに広くて且つ部屋数あると、掃除も管理も大変」を地でいく生活っぷり(笑)で、且つ、信じられないくらいの服の数…なのに、なんかね、申し訳ないけれど、贔屓目に見ても、「今その人が着ている服が似合っていて、その女性が素敵に見える」ってわけでもない(笑)んですよね…「さすがにこれは持ちすぎだろう」という衣装部屋以外にも、服やモノが散乱していて、モノがギュウギュウ詰めで、広いぶんそうなるんだな~~~って観えました。)

私の服好き、これは例の「アトランティスの過去生」も(笑)実はめっちゃ影響していることは判明していたのでw

ちょっとどのくらいこれをやりたいのかやり続けてみよう、って思って、特にこれを「金の無駄遣いだからやめよう」とか、そういうことは考えずに、この2年くらいのあいだは、石に出会ってから長年「まったく服が欲しくなくなってしまった服買わなかった」反動もあってなのか(笑)めちゃめちゃ買いました

(というか、服を買う人は、そもそもそれを金の無駄遣いとは思っていないから買います。興味のない人にとっては、おそらく、ただの無駄遣いにしか観えないと思います)

「なんだ~、もともと、好きだったんじゃんか」と(笑)

ネガティブポジティブ両面に影響しているのが、アトランティス過去生かな、って思っていますので

服買いの満足感と、石買いの満足感とを、比べてみるということもしてました

結果としては、やはり「石とは別物かな」という感じです。服は、ほんと、消耗品ですね。石もそうなってしまう場合もあるんだけど、「消耗品となる過程で、もたらすものが違う」という点で、石のほうが自分には満足度が高いかな、というのがあります

ただ、「服は消耗品なんだから、何でもいい」ということはなく(笑)ここが、服選びの面白さでもあり、石にも少し共通するところのある醍醐味なんですが



この「醍醐味」を邪魔する雑味があるな…と、自分でも気づいていましたが、それがまさかの(笑)インナーチャイルドw

インナーチャイルドは奥深いですね~

インナーチャイルドの問題はさっさと片付けよう(笑)というスピリチュアルもあるんですが

これも「一足飛び」にさくっとできそうで(もちろんそうしてもいいんだけど)

これらに着手することで、動きが止まってしまう人もいるので(その時点では辛くて認めたくなくて)
急ぎすぎないほうが、結果、良いような気がします

目の前のわくわくすることに身を委ねているうちに
高次が、もっともその囚われを解決できるタイミングとしてふさわしい時期を提供してくれます(笑)

囚われは何もかもがいけないものではなく、「その人を生かすための戦力」となる時期もあるので

たとえば、断捨離やミニマムな暮らし…とっても素敵なんだけど
(究極はあれは「ホテルライク」の世界よね…むか~し、マンションもね…モデルはそうやってホテルライクで売ってたよ…人間の生活はモデルルームどおりの見た目の暮らしには絶対にならないよな…って、一目瞭然なんだけどね…ここにモノが置かれていくうちに、確実に違うものになるということを想定できて(笑)マンションは買ったほうがいいと思いますね)

「生活感ないよね」という(笑)そこにその人が存在する生活がなくなる、というか^^
究極、「あなた自身もそこにいなくていいんじゃない?」な感じにも(笑)なんか、観えてくるところがあるんです

人間がいることそのものが違和感というかw
悟った人が、ならもうこの世にいる必要すらないんじゃね? という感じ^^

ミニマムでありながら、オシャレ、似合ってる、とか(笑)そこはあんまり成立していないようにも観えるし

「う~ん…それはただモノトーンの人になってるだけですよねぇ…」と観えてしまう、物悲しさもあったり

黒なら必ず、白なら必ず、という(笑)ことでもないんだよな~
(これは石でも(笑)「とりあえず水晶が無難、何にでも合う」みたいなことにも近いというかw)

でもスッキリした本人は、たぶん満足されておられるので(笑)それはそれでいいんですけれどね




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プランか執着か

2020年09月01日 (火) 00 : 00
自分の持っている「思い」が、プラン(高次の)なのか執着なのか

これの見極めってなんか難しいですよね

なので、その思いは、具体的に話したりしてみて、客観視してみると、観えてくるものがあると思います。





昨日記事にしていた、うちの事情(笑)ですけれど、わんちゃん多頭飼いみたいな話もw

これもね~

ほんとにね…自分としては、どうかなぁ~みたいなのは依然としてあるわけなんですよw
(積極的には、自分の表面的な意識状態では、とくに望んではいないということ)

実際に実は去年、大阪のブリーダーさんのところへ、わんこを見に行ったりもしてはいたんですよね
(日帰りでとんぼ帰りした…新幹線から富士山が見えた~…富士山見るためだけに行ってきたんだな、みたいな話、記事にしていましたけど)

でも会うとわかるんです。
「う…この仔ではないな」という、これはもう、ほんとうに感覚的なもので。

この仔を16年お世話するのかぁ…と想像してみて、でもお利口そうだし代々両親ともにチャンプで血統すごくいい仔だし健康は問題なさそうだし、そんな現実部分のメリットを数える思いとか、なんか「無難に良く考えようとする」ような部分(言い訳)が出てきたら、アウトかな、と思います。

「えっそれって、言い訳なんですか? 当たり前じゃないですか?」
って、一般のみなさんは、思いますでしょ?
誰もがそんなこと、当たり前になさっていますよね?

ところが、人間のこのタイプの思考は、言い訳なんですよ。
直感の選択ではありません。

ではありません、と言い切ってしまうのもアレなんですが(笑)、こういうね、付帯条件で納得させようとしているな…という選択が、直感の選択ではないな、ということであって、「直感で選んだことが結果としてとても条件がいい」というのはアリなので。
なにがなんでも、条件悪いものをあえて選ぶ、逆張りする必要は、もちろん、ないですよ。
(人によっては、これもやってしまいがちなんですよねw「どうせ私なんかこの程度…それが自分にふさわしい」と、自分で自分のランク下げて、ご自身を低く見積もる選択をする人もいるのですが、これもNGです。)
けっこ~、この世での「選択」というのはですね、都度都度、その時の、岐路なんですよ。

動物さんとの出会いもそうだし、ご結婚や就職や仕事選び、色んなことに言えるところあるかな、って思います。



私の場合、だいたいがですね、同居する人の希望することに関しては、こちらが叶えてあげられることに関しては、ほぼほぼ望みは却下してはいないんです(笑。まぁ、お金で買える彼の欲しいものに関しては、ほぼほぼ「私には不要でも」買ってたり、そういう感じ)

わんこも(笑)当初は今の仔も、そのノリで、私はどっちでも良かったし、むしろ最初は、私はもう「先代だけでじゅうぶん。次の新しいわんこなんていらない」って、まったく乗り気ではありませんでしたからねwww

それが今では…心から、この仔がいる、ということに感謝しておりますし

当初の自分の「表面的な思い」の部分では、「自分にできるのかなぁ~」って少し心配もあったような類のことでも、まぁ、「当初はこの人のキボウってだけだったんだよな~」っていうようなことの中で「これ正解だったなぁ」っていうことも、わりと、あるにはあるので
(高次は、「思い切りの悪い私」「行動しない私」「重い腰が上がらない私」という状態の私でいる時には、今までも、わりと、この手を使うことは、まぁ、あるにはありましたからwww)

「自分が、ものすごく切望していることではない」

そういうことでも、「高次プラン」ということは、けっこうあるんですよ

そして、人生においては

その高次プランに乗っていくことが、その人の人生の流れ的に、当初は大変そうに観えていたようなことが、結果的に「無理がない」どころか、良かった!って思える「スムーズな」展開となっていきます。





これが時々、「自分のやりたいことをやる」「自分の夢を叶える」ということと

一見、相反するようにも見えてしまうこともあるのです

お伝えしていた、「あなたが天命を見つけたと思う時」の10か条

これは必ずしも、一見この世において、生産的な風味にも観えることである

「あなたのやりたいことを、実現していくこと」ばかりがそう、とは限りませんので(笑)

すべては、流れの中に観えてきます



時代の変化、スピードも早いし、その人自身の年齢という無視できないものもあるにはあるわけなんですが

「年齢で諦める」が過ぎてしまうと(笑。これがいわゆる「常識の囚われ」というものですけれど)できることも逃してしまうしね

時々、お客様の中にも、いらっしゃいます

「もう、こんな年だし」という(笑)

「うぉおおお、うちを見に来る人々の中にも、このセリフを使う人がおったか!!!」と、とても新鮮なオドロキとともに

年齢お伺いすると、私よりも、ず~~~~っと下だったりしてw

「その年齢で、もう年…って言い出すと、5年後、10年後はいったいどうなるのだ」って思いますよwww

「もっと年」ということになるのでしょうか…
それが「年なんだし、体の悪いところがでてきて当たり前…それが、年、ということ」という発想なんかにも、のちに繋がってくる部分もあるようにも感じます

若ぶってる、若作りを無理にする必要はありませんけれど
(今の世の中、加齢どおりの見た目を恐れる(笑)いつまでも若くいようと、そういう部分での「美容」「健康」意識を煽る風潮も、あるにはありますよね…これの、究極にあるのが例のアドレノクロムとかじゃないかな?)

無理に年齢に合わせる必要も、あんまりありませんし、年々、「年相応」という概念も崩壊してきているところもあることはあるのでね


(トンボが止まってくれた(笑)のよ…写真でわかるかな?…虫は怖くて苦手な人間なんですけど、トンボとか蝶は怖くないかな…)


生きているあいだは、いつも、「今が、いつもいちばんいいな」という、「最善最適の今を更新していくこと」

私はこういう感じがいいかなぁ~~~って、思ってます

(この感覚がその人のどこかにあるのが、その人の高次ロードかなと思います…仮に、そんなにパーフェクトに良い現実とは言えなくても、どこかにこういう感覚が見出だせていることって、誰にでもあること、ほんとうは誰にでもできることだと思いますし)

私は石に出会ってから…この感覚が、できるようになったのです(笑)

これは「自分がわかっていること」なので、当社比はありますが、他者と比較する必要は、一切ありません

お勧めです(笑)

(だから、2頭飼いも…やってみたら、「わぉ!!! なんて…なんて、これっていいんだ!!!」経験に(笑)なる可能性も、あるかもしれないことは、なんとな~く…わかっていますw 実際、多頭飼いの人で多頭飼いを後悔している人に、私は出会ったことがありませんしw まぁ、自分の場合は、それぞれの主さんたちがご自身の飼っているわんこたちを愛している大事にしている人々にしか出会ったことがあんまりないところもあるので。中には、世の中の多頭飼いの人々の中でも、後悔している人もいるのかもしれないし。多頭はたぶん躾に失敗するとwそれが数が多くなるとw 大変かもしれませんしね。そこらへんへの不安はあんまりないんですけれどね…つか最初に「躾に失敗したな」みたいな場合はそもそも次の仔を考えないとも思うから、そういう人が多頭飼いになるケースじたいが少ないかもね…自分の場合は、「16年かぁ…」そこだけwですかねぇ)

まぁ、「プランなのか、執着なのか」については

今後の流れにまかせようかなと思います

(プランなのであれば、きっと「出会う」はずなので)



そうそう、このお写真の代々木公園の夕暮れ時に、

ちょうどこの多頭飼いについて、考えていたわけなんですが

トンボについて、スピリチュアル解釈があるようで、調べてみたところ

「幸運のトンボ」ということで
(笑。トンボが止まる、って、そうらしいですよね、スピ解釈では…代々木公園は、この季節、たくさん飛んでますので…トンボがいる!! ってだけじゃ、「トンボが止まったから幸運が!」とかw そんなことは思いませんよね、普通)

「手足に止まることがあれば、今は頭で考えるのではなく、手足を動かす。行動が必要だとアドバイスをくれている」
のかもしれません…ということでした。

んじゃ、やっぱり、流れにまかせようっと(笑)

(うちの人が「この仔はどうかしら」と見つけて、「ふ~ん。」って、会いに行って連れて返ってくる、最終決断をするのは私だしねwww 今の仔もそうでした)


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夏も終わりですね

2020年08月31日 (月) 00 : 00
カレンダーでの8月は最終日

そうすると夏も終わり…という気分ですが、今のところ天気予報的には、30℃超えの日々は、まだしばらく続くようです(また台風がやってきますね)

日本はすでに亜熱帯の気候の国なのかも知れないなと

30年前くらいには、将来日本はそうなる、と言われてましたが、ほんとにそうなってきたなという感じです





30年前くらいに言われていたかな、ということとして

寿命が100年の時代になるよ、っていうのは、ありましたっけ…?

どちらかというと、その逆だったと記憶しているんだけど

日本は長寿国になった~って言われていたんだけど、それは「今のお年寄り」がそうなっただけで

そこをピークに、また少しずつ寿命は短くなるんだよ、って話だったような(笑)

で、長生きしたくなかった私は(笑。そうなんですよ。長生きなんてしたくなかったんです。今も特に望んではいません)それをとても喜んでいましたwww

50年くらいでこんな人間の世界の苦行からはおさらばしたい…って思っていましたから、寿命なんてそれくらいでいい、って思ってたんですよ

でも、…それを超えてしまいましたし(爆)

昔、自分が思っていた50代…そういうのと、ぜんっぜん、違う!! 違いすぎる!!…という現在

だからといって、100年生きたいとはw やっぱり思ってませんが

生きているあいだは、その長さがどれだけか、ということはともかく、今、生きていることを楽しみたい…今、心地よく生きていたい…って思うようになりました…

そして、「それは可能なことなんだ」と知ったわけです

(それで…死ぬまで仕事ができるのであれば、それなら別に生きていてもいいかなぁ、的な。隠居とか老後とかは私にはありません(笑)。もともと「老後はのんびり」とかそういう普通の人が考えるようなルートを一度も考えたことがない(老後を考えたことがない)ので、別に私はそれで構いません…という、殊勝な態度で「高次に丸投げ」しているわけですよw…)







個人的には、基本は、「わんちゃんの扶養義務」は果たさなくては、というのがあるので

絶対に自分がこの世で生きていなきゃいけない理由はつきつめるとここですかね(笑)

今の仔はもうすぐ8歳(早いですよね…ドッグイヤー、ほんとに早い…ついこの前パピーだったのに…ついこの前、先代がいなくなったような気がするのに…先代の次のこの仔も、もうすぐ8歳!! なのです…)

先代の寿命を考えると、あと8年、この仔が16、7歳まではがんばって生きようという感じなのですが

まさかの「多頭(笑)キボン」が、約1名のほうにありましてwww

まさかの次がいたりすると…「えっあと16年、ここから追加になっちゃうの?」という話にもなるので…

どうしようかと悩み中(笑)

(ちなみに、希望している当人は、自分が生き続けてお世話をし続けなくちゃいけないのだ、っていうような責任感めいたものは、微塵もありませんw それは”私の担当”だと常に思っているような人です)







ランでよく会うことのあったラン友の方も(私よりも推定10歳くらい上の方ではないかと思う)

いよいよ(笑)「次」をお迎えしたといううわさ話を聞きましたw

次の仔は考えていない、って、前に話してたことがあるのですが
(ご自身の年齢考えるともう無理かな~って、ご家族(お子さん)が引き継いでくれるなら、可能は可能ではあるけどね…とおっしゃっていたので、おそらく、その何かあった時の引き継ぎ話が、うまいこといったんじゃないかなと思いますね)

その話をうちに帰ってきてしたら

「2頭目…ものすごく羨ましい」とか言ってるし(笑。いい気なもんだよ…)

私の場合は、「引き継ぎ該当者」は不在ですから、自分があと16年(笑)しっかり現役でいる決意が必要です

けっこう決意は必要ですw





まぁ…

うちに「次」が増えたら

「詞音はあと16年はなんとしても元気で働いて生きるつもり…と決意したんだな」

って思ってください(笑)

わんこは人間の子供と違って、「ある年齢まで育てることができたら、自立して巣立っていってくれる」みたいなことはありませんので

そういうアテみたいなものがないのが、動物さんと暮らすことではありますから

よくペット飼う責任、のようなことが言われますけれど

飼うと決める時は、たしかにね、先は長いな…って、決意は要りますよね

(飼えなくなっちゃったら、手放せばいいし、とか、この時点で思っていたり、みたいなことは、それはヤメテ~~~とは思います。でも、ここへの決意ができなくて、「ほんとうはお迎え出来る人なのに、先を不安視して、諦める人」も、けっこういるんですよね。それはもったいないな~とも思います。生きている時だけなんですよ~~~わんこにゃんこの肉体だからこそのモフ感(笑)を味わうことができるのは。霊界では、その「モフ感」もそうだし、彼らのいたずらっ子的な小憎らしい、だけど、愛しい、というようなお茶目な素行とか、極めて現世的な…そういうものは楽しめないのです(みんなイイコになっちゃうからw)。だいたい…「食事」がなくなるのが霊界だからねw だから霊界の彼らは食いしん坊ではなくなるのです。食事がなくなるっていうのは、あたし個人にとっては人間のためのゴハンの支度がいらなくなる嬉しい話(笑)なんだけど、わんこがおいしそうにがっついてゴハンを食べる、「ごはん~ごはん~♪」のそういう姿ももう見れないということですよ)

でも、過ぎてみると「あっというま」なんですよ

なのでたぶん、「人生も、死ぬ時になれば、あっというまだったな~」って思うような気もします


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