石の意味はまとめて来月ね

2020年01月24日 (金) 00 : 00
「石の意味」書かなくてはと写真は撮影しておいたこちらなのですが





気づけばもう、月末がもうすぐなのです

チラ見も始まってしまうと思うので、これらの意味は来月、もしくはいずれ
(来月になったらなったで、「その時お伝えする旬」があるかもしれないので)



こちらは、ヘブンで言うところのミスティックメルリナイトなんですけど

ようやく、っていうより、「偶然」昨年12月に、ビーズ大玉をゲットしました。

当然ずっとこの石の大玉欲しかったことは欲しかったんですけど、ヘブンだと大玉はやはりえらいお高い(笑)という事情もあるのですが、ミスティックメルリナイトに関しては、原石とか置物丸玉などはヘブンからじゃなくても、ガブロライトとして、前から流通あったんですが、ビーズの流通は皆無だったんですよね。ヘブンでもビーズは扱い少ない石です。

過去にやっぱり偶然ミスティックメルリナイトのビーズ見つけて、それでニューカンシャスネスっていうヘブンカップリングをぱくって(笑)お出ししたことありましたよね。
今月10年ぶりにそれをお出しします。

石は、これは私の個人的所感ですけれど、「ただ置いてある、時々触る」置物石や原石であってももちろん「効果」というのはあるのですが(「空間」への影響という点で。この場合やはり存在感のある巨石が(笑)いいんですけどね)やはり「身につける石」の影響力の高さ、これはあると思います。
ミスティックメルリナイトはずっと置物丸玉など自分の周辺には置いてた石なんだけど、エネルギーにコミットするという点で、石ブレスにしてみて「やっぱ違うな」と思いました。

(「周辺に置く」というのも、もちろん大事ですよ。それも無意識下にエネルギー影響を受けていないわけではないので。「石に、無駄はない」というのが(笑)大昔からの私の持論です。できれば、「原石」と「身につける石」と同じ石が両方揃ってると良い気もします。たとえばセンティエントなんかだと、存在感あるサイズのセンティエント原石水晶ポイントというハブの役割をする送受信基地がありつつ、センティエント組み込んでいる石アクセがあるとより良い感じだったり。センティエントポイントをお持ちでない場合には、「センティエントプラズマクリスタルで構成された巨大なミネラルキングダム」というのを、想像上で良いので脳内に作ってください。これを想像できてここに繋がることができるようになれば、ポイント所有していなくても、センティエント効果を増幅させることが可能です。要は、ビーズの場合、それがビーズになる以前の姿、大きなエネルギーフィールド状態の記憶をビーズたった一粒に持ってこれる人は、ちっさい石からでも恩恵受け取れる(笑)のです。過去にこれが端的にメロディ女史により示されていた石がスーパーセブンなのです。ひとかけらが鉱山全体の力を持つ、というその言葉に魅了されて(笑)大流行したスーパーセブンでしたが、これはスーパーセブンだけの特徴というわけでもないのですよ。2012クリスタルやセンティエントなどにもそういう性質があると思います)



ミスティックメルリナイト、ローゾフィア、フリントストーン、アゼツライト、いちばん最初のディビット調達の初期ロットのオーラライト23原石をワイヤーラップでいっしょに使っていたので、たぶん約10年くらい前の話なんですねぇ…

10年かぁ。と。

今回思ったのは、ほぼほぼ同じカップリングなんだから以前と同じ効果のはず、と言えますよね?

でも違っていました。たぶん、格段に(笑)違う気がします。

それは、「こっちが10年前とは違うから」という(笑)ごくごく、当たり前の話ではあるのですが。
多少、自分も進化しているのでしょうから(笑。と言うより、高次側からすると、忙しくて大変かもしれないけど、そろそろ進化してくれよ段階進めろよ、ってことでもあるかとw思います。人間というのは「とどまっていたい」生き物なのですが(笑)やっぱり無理なんですねぇ)

さらにあたらしい、最新ニューカンシャスネスに、常にアクセスしている状態を、まぁまぁ、がんばって受け入れ中というところなのだろうと思います。


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「会わないと」コミュニケーション

2020年01月23日 (木) 00 : 00
「会わないと」コミュニケーション、自分、これがそもそもそれほど好きじゃなかった(笑)んだわ、ってことに気が付きましたw

これは大昔のO.L11年時代に培ってしまった、ちょっと間違ったトラウマまでではないけれど、好きじゃなかった経験の積み上げでしょうか。
こういうのが「ブロック」の一因になっていたんだな、とも、多少思います。

おじさんたちの世界の風習では、「会う、会食する(酒飲む)」的な場をつくる、いわゆる「接待飲み会」みたいなものが多かったわけです。
いっしょに飲んで食って、その機会を持つことが、のちの「ビジネスの世界」においても、なんかそれまでよりも”やりやすい(都合聞いてもらいやすいとか)”まぁ、そういう「なぁなぁ関係」つくりやすいっていう幻想があったわけですよ。

で、そういうのに、いっしょに連れて行かれるわけ。
仕事終わったあとの大事なプライベート時間を(笑)そういう「つきあい」に持ってかれるところが、度々あったんですよね。

私が属していた側は、「接待される側」なので、接待する側ではなかったんですけれど、一見「ならいいじゃん」っぽいところはあるでしょう?

美味しいもの食べさせてもらえて(今思うと、自腹では絶対行けないようなタイプの高級店ですとか、けっこう良い場所にある良い店、銀座、青山、六本木、ほうぼうに連れて行ってもらっていましたよ)こっちが気を使う側じゃない、いいご身分で、しかも、「女の子はポジションとして責任ないし」な女子社員は嫁入り前の腰掛け時代(笑)だったんだから、な~~~んの気兼ねもいらないというのか、お気楽にして楽しんでればいい身分でした。

でも苦痛だったんですわ。

だからここ最近の時代、
忘年会とか、上司との飲み会とか、嫌がる、断る、「ゆっくりできる自分の時間が欲しいのに、そんなのつきあってられるか」って(笑)正直にそれを断る人たち、そういう若い子たちが増えてきた、みたいな話は、「そりゃそうだろうよ」って思っていましたよ。

今思うとですが、やはり、なんていうんですかね~、”ビジネスにおける”っていうおじさんたちのああいう壁のはらい方的なものに、子供のあたしはついていけてなかったんだろうな、って気がします。

で、今思うとですが、人間観察っていう意味では、「まったくの無駄」っていうわけでもなかった気がします。

仕事終わったあとの大事なプライベート、っていうほどの(笑)たいそうなプライベートってわけでもなかったんだし(笑)結局ね、「仲のいい人達同士であろうと、会社や仕事の関係の人達同士であろうと」なんか、表面的にコミュニケーション手段としてやることなんて、人間のコミュニケーションって、どのみち実際そんなに変わらない(笑)じゃないですか^^

だから、「経験」として、人のやりかたを学ぶじゃないけれど、「諦らめて」能動的に参加していれば良かったなぁ、っていう感じが、強いて言えば、当時やらずにいて、そこがもったいなかったな、って思うことかもしれません。
(人間は、「今目の前の世界の”諦めるところは諦める”ことが肝心」って、よく言っていますけれど(笑)こういうことなんですよ。同じ時間が過ぎるなら、諦らめて挑む、そうするとアナタを育てる経験になっていきますので)

自分が能動的じゃないと、「あれだけ、ほうぼう連れて行ってもらった」わりにはですね、どこの店のことも、美味しかった料理も、街と店のロケーションも、「何ひとつ、記憶にない」という(笑)あっぱれ現象があるわけです。



私の場合、とにかく、ああいった当時は、自分のイシキとして「ここは自分の居場所じゃない」的イシキが、すごく強かったんですよ。
その前提で生きてるので、「今、目の前のこと」に当事者意識がいつも持てなかったんです。

だからといって、自分のやりたいこととか、何かを見つけてチャレンジするとか、そういう気概もぜんぜん出てこなかった(笑)わけなんですよ。

心のどこかで、「偶然、そういう世界が、展開し始めること」を夢見ていたと思います(笑)。

(ありがちかもしれませんが。これ、絶対に(笑)ないですので。いや、絶対とはいいませんけれど、でも、「あなたにおあつらえの、あなたを満足させる世界」のほうから、自分が何もしないでいて、すり寄ってくる…っていうのは、ただそれを待っているだけでは、「ない」ですよ。自分でそれを「創造する」というのが、どこにいようと大原則です。でも、何もかも自分で創造する必要がないんですよ。ここが面白い部分で、自分の心に嘘がない創造の世界をつくろうと動き始めると、「まるで、そっちから、寄ってくる現象」が、起こることは起こるのです。)



おっさんたちの世界で、私が毛嫌いしていた「会わないと」コミュニケーション。

自分が「会わないと、コミュニケーションにならんのか?」と(笑)なんとな~くそれを、自分の好きじゃないものに位置づけていた、「因」が自分が生きてきた時代の中でやってきたことの中に、まぁ、あることはあるんだな…と、こうして思い出してみると、あるものなんだな、って思いました。

会うことにとくにメリットを感じていない(笑)だけならいいんですが^^、要するに「あなたがたのメリットづくりに利用されるのはゴメン」というような、自分の時間を奪われる被害者意識は、残っていたと思います。
自分のメリットでもあるのに、当事者意識がないと、人間とはこうなるのです。

ここに気づけて良かったです。

(私がヘミシンクのゲートウェイとか長年ずっとパスし続けていた理由に、その「自分の時間を奪われる感」がずっとありました。CD一枚70分なんて、そんなの聴いてられるか、というやつですよ。それ掛ける21枚ですよ。しかも、一回一回聞けばただちに次のステップへ、というわけでもないんですよ(笑)。まぁ、二の足踏みますよね)

なんでこんな昔の、古い時代のことを思い出していたのかというと、
うちの人がなんでそんなこと調べたのかは詳しくは知りませんけれど(ガイド差し金だと思います^^。私のブロックはずしのための)、
「過去に、日本が、良かったらしき時代」
いわゆる世界経済の中で、日本企業が世界のトップ50の中に、30くらい入っていたらしき時代があるそうなんですが、その時代に、私が過去にいた会社も、その世界トップ50の中に入っていたようで、

「ちょうどオマエが23とか24とか、20代中盤のそのあたり。でもそれ以来、そこの会社は一度もないな、そういうの」

っていう、要するに過去のバブル全盛期な話なんですが(笑)それを”思い出させられた”わけです。
(ほんと、ガイド差し金です…よくブログで言ってますが、こういう風に「身近な人を使って」アナタに必要なことをさせるのが高次ガイドのやりかたです。なので身近な人が”なにげなく”言うことやること「そのもの」がガイダンスではなくても、そこから「繋がってくること」の中に、「アナタにとって”今”意味があること」が見つかることは多いのですよ)

まぁ、だからこそ、「腰掛けで、ただ毎日会社に行ってるだけ、毎日不満垂れ流し放題」でも(笑)毎月お給料が入る、そういうレベルの人間でも”ただ社員だから”の理由で会社に食わしてもらえる、夜な夜な接待まで受ける(笑)いいご身分だったわけです。



だけど……

「今のほうが、ずっと、いい」

ですよ(笑)。

ほんとうですよ。

王族のような贅沢、まではいかないかもしれませんけど、今の時代は、人間の歴史の中においては、特殊な人々の特権だったようなことが、「誰でもできる」ようになった時代、っていう側面が、20年30年前から比べれば、遥かにそうなってきた面が、あるにはあると感じられます。

日本も、バブル全盛期よりも、今のほうが、「普通の人」が、ものすごく実は生きやすくなっている時代ですよ。

但しソレは、「本人次第」です。

そこは、景気が良かろうと悪かろうと。
時代がどうあろうと。
同じです。

(時代の雰囲気としては、「あの世1」のブルーアイランドな世界により近づいてきていると思います。それぞれの「良い落ち着きどころ」に、移行がとてもしやすい時代なので、「自分に他人に嘘をつかない、正直に生きる」のがいいんですよ)



バブルの時も、一見、野心のある人は成功街道登り詰めたり、そういう現象はありましたが、結局、落ちていっている人も多いです。でも落ちたままではなく再浮上している方も、落ちたままの方も、色々です。

音楽業界バブルは、実は、日本のバブル景気の10年あとくらいにやってきているのですが(ちょうどその時代に(笑)そのご相伴にあずかっていない作家だったんですよ…いや、そうじゃないな、私のようなものでも作詞家になれてCD音盤出せていた、ということじたい、時代のご相伴にあずかっていた、と言えますね…今はわりとソコソコ知名度があるアーティストさんでさえ、音源としてCDが出せない時代になっているので)その時代の頂点だったような人々も、この前、YouTUBEで見ましたけれど、月光さんとか。
嘘~、今こんななんだ~、と思いました。
かんたんに言うと、人はここまで落ちぶれると言ったらアレなんですが、持っていた人が「なんで?」レベルでここまで失うこともあるのだな、というストーリーにテレビでは仕上がっていたようです。

こう言っちゃうとアレなんですが、あの時代、実はこの人の会社に私はちょっと…な経験もさせられた(笑)っていうのがあったな、ってそういえば当時は思ってた(カンタンに言うと金銭的損失でいい思い出ではない^^)のをもう忘れていて、それを思い出しましたが(今はもうなんとも思ってないですよ)、今は、この人はこうなんだ~…と。
ひとりの人の人生の中でここまでの落差というものも、起こってしまうんだから凄いな…とは思いました。
そして、「能力」というのも、仮に過去と同スペックであっても、時代が変われば、波からはずれれば、かつては「価値」をつけることができていたものが、アルバイト並に成り下がってしまう世界…(月光さんは音楽の才能の人で経営はプロじゃなかったから、こうなったのかな、と。同様に一斉を風靡したビーイングのほうの方などは今大阪で不動産王だそうなので。なんの世界でもトップになる人そうでない人、いるんだな…と)



私はバブル全盛期には、「会わないと」コミュニケーションを避けてる(笑)人でした。

O.L時代もそうでしたが、遅れてきた音楽業界バブルでも(笑)よく考えてみると、行動は似たりよったりだったと思います^^。(でもまぁ、それで良かったんですけど、結果的には)

あの「浮かれた空気」に本当はついていけなかった人間です。
(ついていかなくても良かったんですけれど、結果的には)

そして、スピリチュアル・ブームでも(笑)
とくに「誰かや、時代に、ついていく」というわけでもなく、淡々と、独自街道を走ってきました。
(高次という、「会わないと」コミュニケーションの必要ない上司を(笑)得たからです。と言いながらも、途中までは「アセンション概念」の突飛な実現(笑)の夢と希望も捨ててはいませんでしたけれど。今はスピ業界で実際にお会いする人、学ぶ人は結局「ほうぼうにやたらとアンテナ広げずに」極小です)

過ぎ去ったスピリチュアル・ブームでも、みなさん、ちょっとそういう空気に踊らされていた方もいらっしゃったのでは?

バブルを知るものとしては、スピリチュアル・ブームにも、日本のバブルの時の特有の空気に少し似ているものもあったかな、という感じがします。

で、それが去った今なので、ようやく、

私は「会わないと(高次ガイドに)」コミュニケーションに、ようやく目覚めた(笑)ということなのだろうと思います^^。
会ってもらえるんなら、会いたいわ♪ そう思っています。




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「手」だけの理由

2020年01月22日 (水) 00 : 00
なんで「手だけがリアルに観えた」のか? の理由。

勘のいい方でしたらおわかりかもしれません。

私にとっては、肉体部位全体の中で、そこがいちばん自分にとってリアルに必要(職業柄)で、「いつも見ている、自分にとって存在していることが必要で、それをいつも自分が「見て」あることが実感できている肉体の部位」だからです。

石アクセサリをつくるのも手。

石を触るのも手。

石ブレスするのも手(これは腕ですけどね)。

ブログ記事をタイピングするのも手。

近年は、ブログにお写真載せてるのも(笑)手。

(アトランティス過去生でも(笑)「手と目を使ってダウンロード」していたんだそうです(笑)この時は目も使ってたんですねw)
個人的には、「手にも、目がある感じだな」というのも、昔からよく感じてるところがあります。

「手がなくなったら仕事にならんな」ということは常に痛感しているので、自分にとって不可欠な部位です。



そんな自分なんですが、記事でもよくここんとこ私的よもやま話に上がってるけど、一昨年くらいから、けっこう服を買うようになりましてん、の話をしているんだけど、それで何がいったい変わったのか? っていうと、

なんとか、自分の顔ってこんな顔なんだな、背格好、体型ってこんな感じなんだな、

ということを、「見る、認識する」観点が、出てきたことです(笑)。

実はですね、ここ10年くらい、「自分自身が、どんな顔しているのか、どんな姿しているのかよく知らない」というところがあったのです(本当だよ)。

体重だって(笑)めったに測りませんw
たまに測ると、びっくりします。
(年をとると、人間は太ってくか痩せてくか、どっちかの傾向があるのだろうと思いますが、うちは家系的に痩せ型なのですけれど、さらにちんまりしてきています。この前買ったファーティペットはなんと女児用子ども用ですw(普通のオトナ用のつくりだとなんかぶかぶかなんですよ…)ほんと、吹けば飛ぶ体重なんです。そのわりには、へんなところに囚われた肉がたっぷりついてるやらしい体型ですけど)

カンタンに言うと、「そういうことにこだわらなくなってしまったから」というのもありましたし。
あと、ほんとにね~、これが「うち仕事」のデメリットなのかもしれませんけれど、日常が極小人間関係(笑)なもので、「色々、着飾る」的なことが、ほんとうに、ぜんぜん必要ないっちゃ必要ないのよ(笑)。
それを人に見せる楽しみも、少なくとも、日常の中にありませんからね。
現実生活の、要、不要、の観点からだけなら、”まったく必要ない”と言えます。
「流行りのミニマム」になら、明日からでも即なれる(笑)立場とも言えたりしますよ。



だけど、服を買うようになると、人に見せる見せない別問題で、いやがおうにも、「少なくとも、自分は、自分を見ている」わけ(笑)。「ださ!」とか(笑)、「まぁこれはいいな」「これは似合うな」とか、その違いは自分でわかりますでしょ。

で、イシキが変わるので、実際に見てるところが、部分だけ、平面感覚じゃなくなってくるんですよ。
(私は、石に関してもそうですが、わんちゃんや、ようするに「自分以外」に関しては、平面で見ていないんです。ですが、「自分自身の物質としての肉体の姿」は平面どころか、物質としての存在感そのものが希薄なところがずっとあったんです^^)

クレアボヤンスには、この立体的観点、造形イシキは、必要なものなのです。そしてそこに「遭遇している私」が必要なのです。いなくなっちゃ駄目なのです。
(って、観えてないくせに(笑)オマエが言うか、なんですけれどね)
なので多少変わってきたとはいえ、それでもいつももっとも「見て、必要で認識し続けている、手」これがまず観えたんだ~、ということ。

ここを解消するリハビリ(笑)のために、
「10年ほとんど買うことのなかった服」を(笑)ほぼ10年分と言えるレベルに、ひといきに買うことになったんだろうなぁ…と感じています。(服に散財する、すっごい言い訳(笑)のようですがw)

服買えば、それを着て必ず姿見に自分を写して、全体を観ようとしますし、コーディネートのバランス感とか、だんだん「全身レベルで自分を見ざるを得なくなる」ところがあるのです(笑)

そういうことだったのか… と、感じていますよ。
(ただし、うちのガイドのお薦めは、「これだけじゃない」です(笑)。服ならまぁ、もともとが服好きでしたんで、とっかかりやすかったんですが…それはまず「自分をちゃんと見る観点」ですからw)

クレアボヤンス云々の話ではなくて、服のお洒落が、その人にいい影響を与えるのは、単に見た目だけの問題ではないです。
常に「その人を形作るエネルギー」として一体として機能するようになるので。
お洒落になることで自信が出てきて、その人じたいに自信が出てくる人、っていらっしゃいますが、そういう、人の本来持つ輝きを引き出す部分があるので、「モノ増やしたくないミニマムの人から見れば、無駄」かもしれませんが(笑)確実に無駄じゃないですよ。
これも「人による」わけです。

ちなみに、「手ひとつ見ただけ」で、これだけガイダンス、必要情報が「わかった感覚」で湧いてくる、
これが「クレアコグニザンス」能力によるものです。
高次ガイドが、わけわかめの私に、手取り足取り教えてくれた、ということではありません(笑)。

ガイドコンタクト、ガイドメッセージ、とのいうのは、こういうふうに「自分でわかる」ように、こっちが多少示されている高次ガイダンスの意図の読解力を持つ必要があるわけなのですが、「え~、そんなの私にはわかんない…(汗)」という人を助けてくれるのが、「高次スマホの石」なわけなんですよ。



「見ている」ぶんには、人間というのは、何を見ても「平面」にしか見えない構造になっています。

でも、実際にはモノは立体感ありますでしょ。
質感として、容積ありますでしょ。

私は、「音」とか「文字(言葉)」「空気」とかにも、その質量というのか、見えはしないけれどぶわっと存在として平面ではなく有る感じ、有るから感じている、ということでしょうか、それなら、感じるのです。
だから、見えないけれど(笑)他のクレアは、発達できてきていたところはあるのかなと思います。

そして、そこを「感じる」そこと一体化する際に、仮に自分が透明でそこにいないとしても(笑)、それを「見る」ためには自分がいることをやはり端折れない(笑)ので、まず、自分という立体の肉体構造を知る、見る、感じる、これは必要だったんだな~と思っているところです。

石もそうですよ。

写真は平面ですから、写真でしかないので、だから、うちの石アクセサリの実物をぜひ手にして、質感を感じてほしいな~と、いつもお伝えしているところもありまして。

ぜひぜひ、質感伴う、そして「見えないけれど、実際にある、膨大なエネルギー」を持つ、石の心地よさ、これをお手元に。
そのように思います。



これ、ヘミシンクのゲートウェイのエクササイズによく出てくるんですが、「実演しなきゃなこと」がけっこうあって。

「回ってください」とか(笑)なんかそういうのあるんだけどね、

自分の肉体の身体感覚の束縛を離れる試みでありつつも、結局使うのは、自分の光の身体がある前提の、自分が実態として、そこに参加している状態の想像なので。
自分がどんな姿だったかを知らないと、そもそもそういうの想像できませんし。

そして、人物もそうですが、そこにあるものを正面や側面、裏面からだけではなく、「頭上から」「離れたところから」立体的に観ていく、その感覚、もともとの今現在の肉体物質レベルでの観察眼が、クレアボヤンスにはどうしても必要かなという気がします。

(というかまぁ、それが、高次がこっちを見る視点ではあります。ただ、ほんとうに「高次ダイレクト」側から見ちゃうと、たぶんこっちのやってることなんて(笑)直接見えませんw なので、間接的に、人間に近い「高次ガイド(もと人間経験がある、霊界の人)」の、取次が必要になるのです。私達生きている人間は、高次ダイレクトにご指導いただけますが、コミュニケーションはダイレクトではないです(無理ですw)。なので、高次ガイドを通して、「その人が理解できる、気付ける感じで」伝えてもらえるわけです)

クレアボヤンスは、視覚の記憶力に優れている人が有利なのかな、と思います。
見た目のビミョウな変化にすぐに気づき「ここが変わった」とすぐわかるような、そういう感じでしょうか。
私は、「石」なら(笑)それがわかるんですけど^^、日常のすべてにおいてそういう細かいところをすべて観察しているタイプではないので、どうしてもここが難易度高いところ。
基本は、人の顔や姿かたちを一度見たら忘れないとか、人や風景の見た目の変化とか着てるものとか、即わかる、思い出せる、記憶しちゃうような人はクレアボヤント向けなんじゃないのかな、という気がします。
で、ジロジロと人や目に映る対象物をはっきり見ることができる(笑)やはりコレですよ^^。
あたしは石やわんちゃんたちにはそれができるし、知り合いになったらまず姿を忘れないんですが、それ以外は普段でもこれは苦手なのです^^。とくに「人」相手は(笑)ちょっと苦手かも^^。

あ、だから、刑事さんとか(笑)びっみょうな観察眼を要するような職業の方とか。本人イシキしていなくても意外とクレアボヤントだったりするんじゃないでしょうか。(「刑事の勘」とかいうじゃないですかwあれはいつも人や場をただぼんやり見てるわけじゃないから、鍛えられるんじゃないかと。あの人達は見た目を「一瞬で」記憶しますよ。ただベクトルが「悪いの見つけるため」のほうだから^^そこは辛いかもね。あと個体差あって得手不得手もあるだろうから、刑事なら全員必ずそう、と言えるかどうかはわかりませんが、過去に私が出会った刑事さんはそうでしたね。遠い未来に、「警察のいらない社会」が訪れたとしても、その能力は別の形で活かせると思います。だから、この世に今、存在している形態に無駄はないんですよw 悪いやつがいるから捕まえようと、必要あってその観察記憶能力を伸ばせる方もいらっしゃるわけです。ぜひ、刑事職の方には「霊媒」の素質が素地がありますので(笑)、現実世界だけではなく、見えない世界にも興味を持っていただきたいものです)
あと、患者さんのビミョウな変化に本当は気づかなければいけないお医者さん看護師さんなどもそうですね。意外と医療系の方が、クレアを鍛えると、現実面でも能力アップに繋がるような気がします。(これも表面的には「悪いの見つける」の世界かもしれませんが、「良くなるための悪いの」なので、刑事さんとは違う気がします^^)


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