有償ボランティア、無償ボランティア

2018年11月09日 (金) 22 : 33
有償ボランティアと無償ボランティア、このふたつに「どちらに価値があるか」のトラップにハマりやすいのが…スピ系の人によく見られます。

スピリチュアルに視点をシフトし始めた人間が陥りやすい、歩みを滞らせる沼みたいなところがありまして。

スピリチュアル方面の人は、「心が美しいこと」「波動が高いこと」に価値を置きたがります(笑)。
で、「何かに対価が発生すること=人から対価を奪うこと」…という感覚を抱きがちなところもあります。
なので、「モノを売る」とか(笑)‥もう、めちゃくちゃ苦手です。
売り買い方面、の「ウリ」がとにかく苦手です。

「自分が、買う側」の場合はそれほどでもなく、自分が価値があると感じるもの、自分を満足させてくれるとわかっているものへは、対価の支払いを拒んでいないことはわかっているのに、「自分が売る側」に立った時には、困り果てます(笑)。

お金のない人にも、同様に接したい…そこで「平等=正義」やら(笑)もう、社会生活において身につけてきた価値観とスピリチュアル方面の「慈悲、慈愛」なんかとかがごちゃまぜになって、「お金を欲しがること」を”卑しさ”と思ってしまうところがあります。(そして、そういったことで金銭を得ている人への、軽蔑感覚なんかも出てきたり)

また、それが金銭ではなくても、「自分が相応の対価を受け取ること」じたいを、「あとまわしにすること」を、非常に好む性質を持っていたりもします。
「私はあなたが幸せなら幸せなのよ」というのを、「自分は求めないこと」とで引き換えに実現しようとします。
(これをやっていると、幸せを求める人たちがわらわら寄ってきますので(笑)、結果的に、「自分は求めない」だけではなく、「過剰に無理をする」現実がやってきます)

買ってもらえたら、自分だって「嬉しい」くせに^^、今度は「責任感」に押しつぶされそうな、荷物を抱え込んだような気持ちになったり、関わる人の「行く末の心配」までし始めたり。

こういった「受け取れない理由」をいくつも上げることを大得意にしていき(笑)、「受け取れる理由」をどんどん放り出していくことが大好きな人たちもいます。

こういう話は、スピ方面においての、お金の話やらなんかでも言われてることですし、「日本人特有の”美徳”」的にも言われがちなところがある話なので、たぶん、読んでおられるみなさんも、どっかで聞いた話だな、と思われるかもしれません。

(ちなみに…これ、逆の立場で、「サービスを受け取る側」いわゆる「買う側」においても…このブロックというか思考癖に捕まっている人は、いなくもないです。「対価があること」を「お金を奪われる感覚」に感じられる人は多いんじゃないかなと思いますし、「支払った以上のメリット」を^^自分が支払う側になると求めがちになってしまう、そういう人も多いハズ。まぁ、だいたい、両方この「受け取れない、支払いたくない」を併発している(笑)人は、一般的にも多いかもしれません。服飾の世界を見ていると、売り文句や消費者満足度の部分に「高見え♪」なんて言葉が出てくることじたい、それがウリ要素になることじたいが、物語っています。私自身にも、実際にこれはあるな~と、今も当然完璧になくなっているわけではないので(笑)自戒を込めてお伝えしております)





で、「なるべくなら、有償ではなく、無償のほうがありがたい」というのが、
人類全体の”集合無意識”にあります。

私はこれはなんでなのかな、と考えていたのですが。私自身にも昔は多分にありましたし。

実際に、「本当に必要なもの」生きるに最低限必要なもの、「空気」とかタダですし太陽光もタダですし、けっこう色んなモノが、よく考えてみると、無料です。
そして、どんな人にも、同様に、一日24時間は訪れ、一年365日という時間枠内でその人が自分を生きる、そのことじたいは”平等”に、一度生まれると、享受できる仕組みじたいは、この世にはあります(最低限、のところの”平等”はあるのです。ここだけは平等かなと思いますよね。ただアトランティス時代あたりだと、このへんの個別の寿命の長さの「差」も歴然だったようですよ。だから、今はまだそういう点では平等と言えるんじゃないかという気がします。しかし近年はそういう「時間」という平等性でさえ、「その人次第」の様相もありますけれどね)。

だからだと思います。

自分が持っている肉体も、「もともとは無料でいただいている」はずのもの…です。
心臓や内蔵も、”勝手に動いてくれてその機能を果たす”という…そういうことをしています。
(そういうことをしてもらえない「病気」というハンデを生まれながらに持って生まれてくる方、後天的に病気になる方もいらっしゃいますが。それはそれでスピリチュアル的には必ずその”役割”本人及び周囲への”学び”提供等、何かしらの必然的存在意義要素を持っていることがあります)

で、まぁ、ここで「感謝」、必殺技の(笑)「感謝」の出番…があるわけですが^^。

但しこの必殺技の感謝エネルギーというのは…

悲しいかな…

「その本人が、ほんとうに、そう思えないと」出てきてくれません(笑)。顔出してきてくれません。

ただ、「心が洗われるわ」「いい話を聞いたわ」というだけでは、実際には、ちょっとだけそれが出てくることもありますが…
それだけでは、長続きはしませんし、そのいい話のシェアで受け取れる共感エネルギーぶん程度です。
(共感しているフリしているだけだったりもします^^。)

生きてるだけで、感謝できるのか。
それは、「生きてるだけで感謝なんだ…」という状態になってみないと、わかりません。
(そして、その状態になっても^^「生きてるだけで感謝なんてとても思えない」人のほうが、ずっと多いんじゃないかと^^いう気がします)

自分の「存在意義が示されている日常」であれば、それが「感謝」なのか。
それは、みずからがそう実感する日常を過ごしてみないと、わかりません。

他者より優位に立てば、それが「感謝」なのか。
それは、他者よりも、優位に立ってみないと、わかりません。

欲しいものをすべて手に入れることが「感謝」なのか。
それは、実際に、手に入れてみないと、わかりません。
(実際に手に入れていない人が語るソレがありがちなスピリチュアル方面なのですが(笑)、そこが納得できていない人には、通じません。だから、それぞれの人がみずから自分の欲しいものを手に入れてみることじたいの価値があるのです。)




で、今のところですが、私が思うにですが。

そういう、上記のような、「感謝できる理由」のようなものとか、あんまり関係なくて。
実は、慈愛とか慈悲とか、ボランティア精神あるなしとかも(笑)あんまり関係なくて。

「調和感があること」…

しっくり感覚。ハマってる感覚。ちょうどいい感覚。ここかな~、と、感じます。

石との付き合いと(笑)結局、似たようなものです^^。

自分自身と調和できるのなら、上述のタイトルにもありますが、有償ボランティア、無償ボランティア、どっちでもいいですし。
そもそも、ボランティア、奉仕である必要じたいがありません。
仕事は世事。なんであっても、誰かにとっての奉仕になっています。
存在するだけで、奉仕になっているような人もいます。
(愛される奥さんとか(笑)そうでしょ? だからって^^「狙って」なれないのになろうとしてもね…「君がいてくれるだけでいい」とか言われたいわ~、とかうっとり夢を見ても、人には役割というものがあるからさ。来世では言われてみたいわ。つか、ほんと、いるだけでいい人とかになってみたいわ…とか言ってると、ほんとに居るだけの人になっちゃうので(笑)こういう高望みは来世で…でも来世はもう、そもそもこういう「ありかた」じたいがなくなってる可能性もありますけどね…)

時々…「そういう自分のことばっかり考える人が増え過ぎちゃったから、こんな世の中になるんだ」と、”協調”や奉仕精神の美徳を望む声なんかもありますが、自分自身と調和できる人は、エネルギー的に、他者に対しても、そのような「信条の押し付け」をしませんので、結果的に、平和で調和のとれた世界を、自他含めて、創造していくことへエネルギーの流れをつくるように、自分自身は動きます。(また、「平等」というのであれば、おそらくそれがなんとかこの世では^^平等に貢献する態度と言えるように思われます)
有償がしっくりする、のであれば、有償でいいですし。
無償がしっくりする、のであれば、無償でいいですし。






あの、”無償ボランティアの神”で一躍有名になられた九州のおじいさん(知っているよね?)がいらっしゃいますが。
この方は、てっていしてます。

謝礼は受け取らない。(謝礼を受け取ると、「ボランティア活動のメリット」をそこに見出す人が出てくることを懸念してだと思いますが)
講演会など、直接、自分自身が行動することで成立するボランティア活動に関係しないことは引き受けない(とくにそれで自分が有名になることや、「話を聞いてもらうこと」が満足なのではなく、自分のボランティア活動により救われる人がいることが満足だから、なのだろうと思います)。
そして、自分自身は、人の世話にはならない(食事、睡眠を取る場所、みずからの救助、誰かの足手まといや負担になることを避ける)で済むように、準備する。

こういう態度、信条にあって、ご自身の能力、スキルアップのために、余念なく、日々その能力を活かそうと、肉体を維持される努力をなさっているそうです。

(私自身は、無償ボランティアはやっぱり辞めとこう(笑)というか^^そんな時間がないのもありますが、このおじいさんの言う「謝礼」…これの対応がめんどくさいのです。
こんなこというと罰当たりかもしれませんが^^、けっこう「ぜひお礼を」とかモノ送ってこられたり^^そういうのが苦手な時期がありました。。。母が送ってくる巨大葡萄に^^文句言うくらいです…あの記事を見れば(笑)うちに食べ物を送るのは絶対によそう、って^^きっと思った方も多いのではないでしょうか(笑)。うちはまるの日さん家みたいに、人がやたらに食べモノを送ってくる率が少ない^^感じがするんですけど、それはたぶん、そういうタイプのいただき物に満足できるエネルギー交換に慣れていない(東京の人はその傾向あるかも)のと、しっかり相応の「対価」を受け取っているシステムができあがっているからではないかと思います。大変ありがたいことだと思います(笑)。貰えるんだったら^^やっぱり好きな石を買える金券とか(笑。それがお金です)そういうほうがありがたいです。欲しいものは”自分で買いたい”タイプなので、せめて何が欲しいか先に質問していただけると助かりますね。地方の方から見るとこういうのを「東京人冷たい」と見るのかもしれませんが^^、でもさ、そういう「お礼」→「お礼のお礼」→無限ループで、人同士の自由を縛る発想、見た目体裁の良いおつきあい、しきたりなんかの数多くを創ってしまっているのが、田舎の異端を嫌うよそ者排除の濃い付き合いとか村八分とかにつながっていくのではないの? と思いますけどね。人間同士が協力しあいながら助け合って生きていくあり方じたいは好ましいと思いますけれど、「みんな一律これをやらなきゃダメ」「参加するのが義務」みたいな強制的ルールや罰則みたいなイジメがあるのは息苦しい話ですよね。だから私は過去に”アットホームな和気あいあいなみんな仲間のような会社”とかそういう(笑)文言がある会社とか^^職探しでは一様に避けたりしてましたよ^^。そこが”売り”になってる時点でやばいと読めます。実は「実力ある人が多い」業績がいい会社は…そこを会社じたいの売りにしていなくても自然に当たり前に和気あいあいだったりしますしね…)





実際のところ…
これは、「有償、無償」無関係に(笑)とても大事なポイントで。

何かを人に提供する仕事においてもそうですし、直接的にそうではない人にとっても、三次元では「実際性」は大事ですので^^。

「あなたが幸福になることが、宇宙に貢献する」みたいなのも、これです。

安い、タダ、の”使えないもの””負担になるもの”を、人は与えられたい、たんまり欲しいわけではないですよね(笑)。
たとえ無償でも、「実力のないボランティア」は、誰からも望まれません。厳しいですが。
とくに今はもう、それが顕著になってきています。

たとえ無償で人に何かをすることにおいても、その実力を養うことが、必要だなと思います。

なので、「綺麗めな、施し、奉仕精神」「心の綺麗さ」「純粋さ(?^^実はこれもトラップ)」ゆえに、対価を拒む…対価を受け取れない…対価が苦手…を理由にしてしまう、もしそういう方がいらっしゃいましたら。

「それは、貴方の、”本当は自信のない部分”を、隠すための、言い訳」

にしておりませんか?

そこを、じっくりと、見つめましょう。そして、実力ある人になっていきましょう。
この世でもあの世でも(笑)同じです。
(ちなみに実力っていっても、たいそうなものではなくて、自分ができること、得意なこと、自分がそこにおいて上達が嬉しいと思うことなど、どうしてもやりたくないことをやる、という話ではありません)

人から愛される愛されない、の類も、結局、似たようなところがあると思います。
愛する実力があれば(笑)そこをベースにしていれば、愛されないことじたいはたいした問題じゃないと気づくので、結果その人を満たします。(愛されるようになります。愛を欲しがらない人のほうが愛されます。ただ、その原理だけ知って「無理に」そうしようとしても、無理です^^。そこが難しいところでもあります)

あの世は”適材適所”なので(実際はこの世でもそうですが)、本当は自信のない部分からそれを隠して動く必要がない、それが”できない”ところです。
本当にできることだけをする、そういう世界。だからきっと、”居心地”そのものは悪くないはずです。
でも、本当は自信のない部分を克服していく、のようなシチュエーションじたいがそれだとありませんので、「変化」しません。

自分が隠しているもの、まだ気づいていないもの。
それを、みずから行動で克服して、ステージが上がる機会を最短で持てるのが、三次元でもあります。

そして、自分にとっても居心地よく、人にとっても居心地のよい世界…この同時発生状態をつくることは、三次元世界においても難しいことではありません。あっちでできていることは、こっちでもできます。

それ以上に、未知に挑戦していく機会があることのほうが、実はスリリングであり(笑)魂側はそれを知っているから、そういうそれが必要なポジションに立たされる人間も多いのです。

”副業解禁”なんていうのも(笑)、テコでも動かない人も多いから^^、高次側面から見れば、テコ入れですね。
また、「お金が必要なのに、お金がない…」みたいなことも、お金を作るにはどうすればいいか? を考えて行動するチャレンジの機会と言えるので、必然的に人は何かをしなければならなくなるから、そうなっているとも言えますし。

この世はいい場所(笑)なんですよ^^。
このメリットを活かすために、生まれてきている人も、きっと多いハズ。

この世ではマイナーな存在である、「石という助っ人」の有効性を(笑)見出している人であるなら、またとくに、そういう人が多いハズ…

そのように感じます。



この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  高次ガイダンス
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page