観えない世界を動かす方法事例

2017年12月04日 (月) 00 : 00
それには、「石を身につけてください」と(笑)石屋的には言いたいところなんですが。

もちろん、それだけじゃ駄目です。
それ以外にも、というより、「石を身につけてさらに」やっていただくと、観えない世界からのアプローチとして、現実を動かすことができます(きっと。たぶん。)。

私は昨日の記事「私の運命を変えた恩人」の中で、「私の場合、ほとんど自分でなんの努力をすることもなしに、ほんとラッキーを絵に書いたように作家デビューできてしまったぶん、自分から何かを動いて努力する、ってことをほとんどしてきていなかったの。」ってお伝えしていたのですが、これって、本当に自分はなにもやっていなかったかな? と、自分の高次ガイドさんに聞いてみたところ、「やってたよ」ということで(笑)。

いったい自分が何をやっていたのかをお伝えしてみます。


私は、自分は作詞家になりたいな、と思うようになってから、実は生まれて初めて、新聞広告の折込チラシに入っていた「願いを叶える水晶ネックレス」という(笑)あとにも先にも^^こういうコマーシャルにつられて開運グッズを購入したのは、きっとこの時だけだったんじゃないかな? と思うんですけれど、ほんと、何の変哲もない水晶ネックレスを購入し、それを身に着けておりました。

今思うと^^めっちゃ広告に載せられた、まぁ、なんていうんでしょうか、「運が良くなるナントカ系」にときめいて、の、どちらかというと今はみなさんには、「その我欲セレクトはおやめください」とお伝えしているやりかたなのですが。

ただ私は、昔からもともと「石好き、ジュエリー、アクセサリー好き」です。
なので、我欲セレクトではあるんですけれど、もともとが、アクセサリ身につけるのが好きなので、そういうものへの抵抗がありつつ、選んでいたわけではないな、という点がセーフだったんじゃないでしょうか。

このへんはね、そうは言っても、じゃあ「なりたいものがあってそれを叶えたい」ことじたい、我欲なんじゃないの? とも思えてきてしまうところもありますよね。
たとえば「なりたいものがある」ということを単に我欲と言い出してしまうと、自分をものすごく制限する考え方になりますし、すっごい難しいんですよね~。
だって、夢持つな、って言ってるのと同じだし。
なりたいものを持つことをセーブしながら、自分に合っていること、これを見つけられる最終解脱者のような(笑)精神状態の人って…少なくとも、これは20代とかじゃ(笑)まず無理だと思うんですよね^^。
30代40代でも、なかなか、人による世界だと思う。

なりたいものになる願望を持つことが我欲というのではなく、「労せず、それが得たい」というところや、最初から「誰かがラッキーにも自分にそれをプレゼントしてくれるはず」っていうような、自分からは何もしないのに「観えない世界をただアテにしている」感じ?を我欲というのかな、と思いますね。


で、うちのガイドさんが言うところの、「でも私は自覚として、具体的になにもやってなかったよな~」と思っていたことで。
「そんなことが?! やっていたと言えるの???」
という事例がありましたので。
それをお伝えします。


私は、自分が、曲先で自分の歌詞をのせられるようになって。
そういう楽曲を、「人に聴いてもらう」のが当然楽しかったので、なんと、会社の同僚だとか(笑)後輩ちゃんやたしか先輩にも^^、まぁ、そこそこ、音楽を聴くのが苦にならないというか、好きだったりする人や、当時ライブとかいっしょに行っていた友だちとか、いわゆる「音楽業界には無関係な一般人」に配りまくるという、凄いことをしていました(当時はインターネットのない時代でしたので^^ネット配信とかできたわけじゃないので、デモテープ録音して^^紙で歌詞を印刷して。ほんと凄いアナログさを感じますが)。

一般的には、完全にプロになりたい人がやることとしては「無意味」と言われる行動です。
小さな街ののど自慢大会とかで優勝して歌手気取りになっている歌のうまい素人…みたいなものです(笑)。
ただこれは言えていることなのですが、どんなプロも、実際には必ずこの過程を経験しているであろうことは、おそらくほぼ事実です。

そして、こんなことをしているうちに、そういう知り合いの中からひょんなことに音楽関係者が顕れました~~、のような、おめでたい偶然から、「きみ、才能あるよね。やってみない?」などという(笑)シンデレラストーリーが生まれたのよ♪ っていう、みなさんを期待させる展開があったわけでもありませんよ。

まぁ、今思うと、「虚しい自己顕示欲」とも言えます(笑)。
でも、ハートはね、子供が「ほら! こんなことができるんだよ! 凄いでしょ!!」っていう(笑)まんま、それでした。
別に、わかってもらわなくてもいいのです。
わかってもらわなくても、なんか、聴いてもらえるのが嬉しい、っていう、ほんとに、子供のかまってかまって~と同じでした(汗)。

でね、そうすると、ここが会社の同僚とかそういう会社員的な人々のいいところなんだけど(笑)むしろ、音楽とか知らないからね、「愛子って、凄いね!!」って(笑)言ってくれる人もいるの^^。
で、なんていうのかなぁ、あんまりその手合いって、普通のそういう周囲の中では、ライバルがいなかったのも良かったんですよ。
会社員の女の子たちの関心事は、多くは、そんなことじゃないから(笑)。
キレイになるとか^^、いい男子みつけてケッコンだとか、そんなこと程度でしょ。
だから、私が、素敵な歌詞を書くことに、嫉妬すら(笑)しません。

これはね、人からエネルギーを集めようとする方法でもあり、こればかりをやりすぎちゃうと、今度はエネルギーバンパイアになりますので、注意が必要ですけどね。
でも、会社の同僚程度の息抜きタイムのネタ提供程度で、最初からその「賞賛」をアテにしない気持ちでやっているぶんにはね、それほど、相手の負担にはなりません。
というか、賞賛されても^^直接それが何になるわけでもないですから、賞賛を強要する気持ちも起きないんですよね。
しかも、音楽業界のライバルを蹴落とそうか(笑)関係者に自分をアピールしようとか、余計なエゴもそこにはないぶん、気楽は気楽でした。
私はこれを、何ヶ月かやっております。

これは、結局、自分が感じる「喜び」を^^ひたすら相手の反応おかまいなしに伝え続けていた行為だったのです。
ここが肝のようですね。

その後に、「やっぱり、どうしても作詞家になろう」と決めて、会社を辞めて、そのための活動に専念するという防御に出たのです(笑)。(これは実際良い子はあんまり真似しないほうがいいと思います。あと私は当時は会社を辞める口実というのか^^心の何処かではその理由欲しさというものもあったと思いますので)

そして会社を辞めたあと、色んなことが重なって、私は直接売り込みをしたわけでもなく、たまたま会えることになった、はじめて自分のデモを聴いてもらった音楽プロデューサーに「コンペだけど、書いてみる?」と話をその場でいただき、初コンペ、初音盤、デビューへと、繋がりました。
そこにかかった時間は、本当に「最短」でした。


「え~。そんなことなら、やってるよ…」
という方もいらっしゃるかもしれませんが。

でもおそらく、たいていの方は、あんまり今、自分がいる環境での自分の周囲には、自分のそのやりたいことを、アナウンスしていないのではないかしら?
と思いまして。

「実際に、実現できたら、話そう」とか、思って、黙ってひとりでそれを「夢」にして、しまっていないでしょうか?

あるいは、人に言うのが恥ずかしい…そんなことやってるの? 思ってるの? って思われる、バカにされるかもしれないのが恥ずかしい…という気持ちや。

周囲に伝えてはいるけれど、それは純粋な喜びの形態ではなく、不安とか、「無理だよね」の否定形で伝えてしまっているだけ、とか。

色々、そういった壁が、もうその時点であると思うのです。


ガイドさんいわく、私がやっていたその一見無意味な^^へたすると「へぇこんなのできるんだ~凄いね~」と人に言われるだけで終了する単なるシュミで満足の世界で終わるのが関の山になるのが普通一般的だったとも言える行動は、観えない世界的には、自分のエネルギーを高めるという意味でもそうですが(人に対してこちらが応援をいただくことを強要、依存しちゃダメですけれど)、いわゆる宇宙サポートを^^呼ぶには最適なことをしていたとも言えるそうです。

そうですね。何しろ、自分の「喜び」を振りまいていたわけですから(笑)。
あれが無意味な行動じゃなかったことにオドロキですが、そう言われてみると、スピ的にはまさに(笑)理にかなっているではありませんか。気づいてなかった。

また、その音楽業界という世界に直接関わっていない人たちへのアプローチだったことで、こちらも純粋だったし、だから相手も純粋に、凄いね! や、応援してくれるエネルギー、そういったものに触れることもできていたそうなので。

路上ライブなどは、目の前を行き交う群衆へのアプローチはつまり「私を知らない人々」になります。
なので、対象は「私に関心がなくて当たり前」の人々です。
この、自分を知らない人々へのアプローチができる状態の前段階に、まず、たったひとりでも、知っている人に「凄いね!」の言葉をもらったりしていることは、とても大きいようなのです。

「私を知らない人」への「聴いて欲しい」のアピールよりも、一応、「私を認識している、知っている人々」のほうが、当然ですが、ちゃんと「反応」が約束されているわけですから。
それだけに、勇気がいるといえばいるのですけれど、この勇気を突破していると、「知らない人」へのアピールの敷居が非常に下がる、それはごもっとも。

そういうことをしながら、「自分を知らない人々へのアプローチ」、路上ライブができる(笑)体質へとなっていける…ということなのだそうです。

一見、知らない人に向けてのほうが、気楽に見えるんですけれど。
だから、むしろ知らない人相手だから、気楽にそれができるところがあるのだと思っていましたが。

実際のところは、まず、自分の身近な半径に、自分の正直な姿を見せる、そのあとに広げていくのがいいのだそうです。
(考えてみると、私も、石ブログは唐突にやってはいませんね。まず、自分の知っている人にアプローチしているというか、石の良さを伝えることをしておりました)

ブログというのは、最初は路上ライブのようなものですよね。
ただ、これも続けていくうちに、「目の前全員知らない人ばかりだった世界」から、いつも見に来てくれる人、最前列で応援してくれる人(笑)、だんだん、私を知っているから見に来てくれる人…が増えていきます。

だから、勇気がいるのも最初だけです。
というか、こういうことに限らずなんですが、たいていのことって、この「勇気」っぽいものが必要なのって、最初のエンジンかける時だけなんですよ。たった一回の。

あの水晶ネックレスは、そういうことができる自分になる状態をつくる、つまり、「自分の正直な姿で行動する」ための、浄化の役割をしていたようです。(今思うと恥ずかしげもなくよくそんなことをしていたな…とも思いますが(汗)。考えてみると、確かにそうですね、「自分を知っている人」にそれらを話すことのほうが、知らない人相手よりも、勇気がいるんですよね・・・)

たしかに、正直だったなぁ、不思議と。
そうか、そういうことだったのか…と。ガイドさんから聞いて、思いました。


自分のハートに嘘をついていないことを、ただ自分が胸の内で知っている。それだけではなくて。
それを、声に出したり、言葉にして人に言えることができること。これは実現しやすいそうですよ。


そんなサポートをしてくれるのが、こちらです(笑。最後は、宣伝に繋げます)。

「True Voice」ブレスレット」ブレスレット


浄化の役割はこちらかな。

「David Geiger Crystals」ブレスレット「4」



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カテゴリ :  パワーストーンアクセサリ
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