どこまで情報を断捨離するか

2017年08月15日 (火) 00 : 00
昨日の「情報の選択」では、一例として「テレビ観ない」というのをアップしましたけれど。
そのノリで、観なくてもいいネット情報なんかもありますよね。
そういうものも、見に行かなければいいだけの話。情報の断捨離ですね。

ただ、あまりに情報を断捨離し続けると(笑)自分にとっての有益な情報にまで耳を塞いでしまうという、恐ろしい独断の世界を創造してしまうことに繋がったりもします。
このへんの塩梅が大変難しいところでもあります。



これは私の一例ですが。

私はあんまり世事情に詳しくないタイプです。
テレビを観ないから、というよりも、情報収集じたいがもともとそんなに自分で得意と思っていないところもあります。

だからむしろ、この仕事が軌道に乗った…とも言えるのです。
知らない…って最強だな、と、ほんとうに、いつもあとになって思います。

「個人事業の9割が5年のうちに立ちいかなくなる」なんて(笑)いったいどこで言われている話なのか、いまだによくわからないのですが、そういうのがあるんだそうです(まるの日さんの本に書かれてました)。

確かに、「ネット仕事だけで成功して食えている人は、それをやっている人間の全体の1割」というのは、なんか見たことはあります。
そして、実際に、人に言われたこともあります。

昔、石アクセサリを実店舗に置いていただいていたお店さんがあったのですが、そこの店主さんに、「こういう、アーティスト(モノを制作する)の人たちの中で、それだけで生活が成り立ってる人って、僕は神崎さんしか見たことない」って言われました。
多くの、自分の好きな芸術が生活を成り立たせる仕事とはならないアーティストさんと接してきた方だから、その方にとっては、ほんっとうに、謎だったようです。

なんで? と人に聞かれても、さぁ、なんでなんでしょうか…でもそれができちゃってるのが私にとっては事実だから。。。ありがたいことですよね…としか、いつもお答えできなかったのですが。

でも、ココロの中では、こう答えていましたよ。
「それは、天に丸投げしているから。ですよ。みなさんもそうすればいいのに。」って(笑)。

天に丸投げ、っていうと^^見えない世界に全託、全依存っぽい話ですが。
実際には、こちらの三次元では働きます(笑)。
残念ながら、仕事じたいは、山のようにありますよ。アイム、ビジー。な世界です。

ですけれど、よそ見していないので。
よそ見する暇さえないので(笑)。
よそ見したいと思わなくなるので。

結局、「自分の今できること」にかなりなエネルギーを注ぎますので。

そういうふうにしていると、そんな、「ネット商売の大半は食えないうんちゃら」ですとか、そんな大変そうな世界前提でその中での「成功法則を学ぶ」^^そんな知識を入れようとする暇すらないわけです。



だから私は、自己啓発系の成功法則的なものを学んだことは一度もないです。
で、そっち方面のスピリチュアルな有名な方とかも、よく知りません。
(スピリチュアル、っていうと、今はこういうものもけっこう含まれてきますよね)

それともうひとつわかっていたことは。

私は、そもそもそういう「ネット商売の大半は食えないうんちゃら」だとかの固定観念が、自分の中になかったのです。
なぜなら、もともとが^^あまりネットに積極的なタイプでもありませんから(正直いって、これだけ双方向性が求められるネットの世界で、過去にはミクシィだとか、その後もわらわら出てくるチャットやツィッターやラインや、そういうものいっさいやってませんし。かろうじてフェイスブックは(笑)人に任せて^^石写真だけはアップさせていただいてますが。それも私がやっているとは言えませんし)そういうネット事情における情報通なお友だちもおりませんでしたし。
その手の情報自体に遭遇したりすることじたいが、やっていく中であまりありませんでした。

知らないし、やってない。
つまり、自分に必要のない余分な情報エネルギーに触れていないし、むしろやってこなかった、ということが大きいと思います。

こういうネット上にある色々なこともやったほうがいいのかな~、みたいに、もちろん^^右往左往して考えたりとかも、まったくしてなかったわけではないのですよ。
もともとは、小心者^^ですから。
どうやったら、うちのブログをまだ知らない方に知ってもらえるんだろうか、っていうことじたいは、いつもいつもじゃないけれど、わりと考えてはいることです(なので「フェイスブック広告」なんかはやっていますよ^^。お金出して。なんだかんだ言って広告費払って宣伝する、この三次元的正攻法が自分にしっくりきているのです。人の口コミなんか(笑)当てにしてちゃいかん、自腹切って宣伝。これがやはり王道だと思いまして)。
ただ、あまりに「ネットの世界のコミュニティを知らないでいてヘーキ」というこの感覚がある以上、気持ちが乗らないのに「無理してまでそういうあらゆるネット上のコミュニティ的なものをてがけるのはどうか」ということで、今はまだそういう方向に積極的にはなっておりません。
いいね! とか^^押してもらうための”おつきあいいいね!”だとか(笑)私はこまめにやっている時間がありませんから。
(今はこう言ってるけど、これも楽しいな、と自分でキョーミが出てきたら、そういうものもやる日が来るかもしれませんが。なにしろ、「人様の高次ガイドさんに会う」とか^^、もっとも私がやらなそうな^^分野の仕事も、始めちゃったくらいなので)



だいたい、私は、最初から「成功しよう」と思っていたわけではないのです。
これが、昔、「作詞家になった時」との、大きな違いです。
私は成功して、印税たっぷりいただける売れっ子作家になれないなら、それは敗北というか^^なんというか、まぁ、負け組だと思っておりましたから。

それとは違っていましたし。
ただ、「楽しくてしょうがないからこれずっとやりたいな」という^^、なんていうか、それだけだったんですよね~。
初めてのCD音盤の印税で最初に手にした5万円よりも(笑)、こういうものを作るようになって、飛び込み営業ではじめて自分の作った石アクセサリを千駄ヶ谷の実店舗さんに置いていただくことになって、それが「売れたわよ~」って知らされた時の、何千円の報酬のほうが、ずっと嬉しかったのです。
「お金じゃないんだな…」という(笑)喜びの世界を初めて知った、というか。
作詞では世に言う「成功」を掴めなかった私が、石に出会い、「こっちのほうがいい!!」と、あっさり、音楽仕事はもういいわ~、と、そっちへの執着感覚を手放せたという…それがどれだけ凄いことなのか(笑)というのは、私が「私なりの成功」というものに、日々満足できる、楽しめる、この世界を得て、ほぼ生まれて初めて^^得ていた感覚とも言えます。

私は子供の頃、漫画家になりたかった、という時代もあったのですが、あれでさえ(笑)子供だというのに^^、実は、純粋に漫画が描きたかったというよりは、どっかにそういった成功欲が^^もうあったんですよ(中学生ながらに)。で、実際に人に褒められるし、漫画で賞をとったりしたこともあるし、編集者さんにも、もっとこういうところを勉強したらデビューできるよ、ってアドバイスを言われていたりで。それをあっさりやめちゃったのは^^「なんか努力してまではめんどくさいな」というものすごい理由というのか、感覚です。本当に好きだったら、上達したいはずだし、それを努力、とは思わなかったはずですからね。

過去に私が思い描いていたような「成功のスタイル」を、この仕事には、ほとんど望んでいないことが、むしろとても不思議でした。もしかすると、わずか~~~に^^そういった世慣れた頃の(というよりも世俗の垢が思い切りついていた頃、というか)刷り込まれた成功像への願望も、多少は持っていたのかもしれないけれど、年数を経ていくうちに、それもどんどんなくなっていきました。

で、今がある、ということです。
とても幸福だと思います。



私は自己啓発系のことはよく知りませんけれど。
ただ、社会に出てから、数々やってきたあらゆる仕事とかシュミとかが。強いて言うなら、それらがその「自己啓発本」代わりの経験です。

本当に、つらくて自分にはハードルが高い、そんなふうに苦しんだ仕事の経験ほど(笑)、実は、「今」とても役に立っています。
(そもそも、上記にある「飛び込み営業で、自分の石アクセサリをお店に置いてもらえませんか? って^^見ず知らずのブティックさんにお願いする」というような行動も、営業やってなかったら、絶対にできなかった心臓に毛の生えた恐怖の^^積極性です。)
そして、将来これがなにになるんだろう、みたいな考えとかなしに、なんとな~く続けただけのお華などの習い事ですとかも。
作詞のスキルは、それこそ、石のコトバを読み取る^^というか、「観えない世界の言ってることをこっちに持ってくる」ためのやりかたを、あの時期に学んでいたのだと(笑)言えます。
それから、大会社の正社員辞めちゃっても(笑)むしろ、それからのほうが、金銭的な、という意味ではスキルを上げていっております。生きてくために、挑戦しなきゃならない…そういう立場におかれると、もう、なんとかするしかないわけですから、そこで色々な「とくに望んでいたわけでもない潜在能力」というものが(笑)発揮されてしまうのです。
(私が、12日の記事で「エゴが期待している(笑)タイプの能力ではない場合もある」と言っていたのはこういうことでもあり)

その人、その人の、「経験」。それはすべて財産であり、その人ならではのスキルです。
どんなに人から見てつまらなそうなことであろうと。三次元的な負け組^^経験であろうと。財産なのです。また、成功でも在るのです(まだそう思えない…という場合。一生思えない人もいるかもしれません。それは、死んでから^^きっとわかります)。

これは、私だけにあるのではなくて。
多くのみなさんにも、同様にあるはずです。

それらが、「潜在能力」とともにかたちを変えて表出する時に。
今までの負(に見えていた)の経験すべてが、このためだったか…に気づける時に、「感謝」や「成功」へのステップとして、ぐるん、とひっくり返ることもあるんですよ。

こういうふうに、「天の采配」というのでしょうか、「高次の、辛抱強い、導き」というのでしょうか。
実感しちゃうと(笑)もう、いよいよ、丸投げが始まっちゃうわけです。
信じざるをえないというか。

すなわちそれは、「それを信じている、自分を信じる」ことでもあるのです。



タイトルの「情報の断捨離」と少し離れてしまいましたが。

外側情報の断捨離、あえて情報を入れない、ということは、やってみる価値はあります。

余計な情報がある、知ることで、かえって、抵抗感が生まれたり、自信を失ったり、羨んだり、余計なネガティブ感情が生まれる種を植えているようなもの、になってしまうことも、ままありますから。

ですが、「自分の中身の断捨離」は^^やめましょう。
やめましょう、っていうか、結局「できない」と思います。
(「ハートの中の人」は、実際に、それこそがいわゆる世にいう「本当の私」となりますので^^、断捨離しようにも、すげ替えることが、こちらにはできないのです)

「こんな過去はないほうが良かった」となげいていても、断捨離したくても、本当に手放せる時は、「それがステップだった」と自分で本当にわかる時。
また、そうなると、手放そう手放そうとする、その感情そのものがもうなくなります。
気づけば、手放すことができています。

その本当にわかる時を迎えるためには、今、目の前にある自分の世界を「意味がわからなくても」逃げ出さずにいったん認めて、そこから一生懸命生きる。。。泥臭いというか(笑)結局それか…なんですけれどね。
だけどそれが自分を本当に豊かにしていく道かな~、と。
ようやく言えるようになりました。

そうそう、これは、私の台詞ではなくて、叶姉妹のお姉ちゃんのほうの^^台詞なのだそうですが。
すげ、この人、頭切れる人だな、と癒やしフェアのトークショーで思ったんだけど。
こんなこともおっしゃられているようですよ。

「不可能を可能にするチャレンジは当たり前。可能を不可能にしてしまうこと。それはあってはなりません。」

これ^^「高次ガイド」が言いそうな(笑)。
日常に、いかにわれわれが、「自分にできそうなことなのに、それを自ら不可能にしているか」を端的に言い表している名台詞だわ、と思いましたので、最後に、ここに拝借しました。



この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page