スピ雑感

2017年04月12日 (水) 03 : 11

(都庁。本文とは関係ありません)

今日はまったく「芯」のない^^、キャッチーなフレーズもない、コンセプトすらない、雑感、駄文です(笑)。

人のガイドさんとのコンタクトの場合と、自分のガイドさんとのコンタクトの場合とでは、だいぶニュアンスが変わります。
(だから、これは人のガイドさん、だということがわかるバロメーターにもなります)
私にはこういうことは言わないな(笑)みたいな感じ。

なので、人の高次ガイド、ではなく、自分の高次ガイドからのメッセージ、というのは、言われなくても本当は誰もが自分でわかっていることがけっこう多いのでして。

ただ、それがそう思えないのは、どこかの部分で、「魔法のようになんとかならないかな」とか、「どっかから美味しい話がやってきて楽にコトが進まないだろうか」とか、「こんなはずではなかった、という部分を認めたくない(自分は悪くない)」とかですね…もろもろの、自分かわいさのエゴの思考癖が人間にはありますゆえ。
つまりどこまでも、「現象ありき」「結果」「今の状態」というところばかりに目が向いてしまい、その「意味するところ、本質を知ろうとする」思い癖が、普段はあれやこれやの理由で発揮されていなかったりしますので。

ここを鍛える部位が、なにかと昔からお伝えしている、シックスセンスです。
「額でモノを見よ」というのは、そのモノゴト、対象の、本質を知る察知する、それがこの三次元においても重要で、高次ガイダンスもすべて、そこで「解釈される」器官だからだと思います。
けっこう曖昧ですが、「勘」っていうのも、まぁ、それです。

ただ、「勘」が良くても、それを否定する「今までの自分のエゴ、習慣」というものもありますので(笑)結局、シックスセンスだけいくら鍛えても、あんまり意味ないです。

いちばん、おそらく意識されると良いのは、結局、「それが自分にとって正直な選択、と言えるのだろうか」という部分に、意識的であること、なんじゃないかな、と思いますね。
それが高次ナビ路線を航海していく舵取りの選択になっていきます。

これだと、自分にとってはそうでも、他者にとってはそうではない、ということもままありますので、わりと葛藤を生むこともあるのですが。それでも、心に正直にあること。ナビはハートです(シックス・センスというより、ハートが結論出します)。

ただまぁ、あまりにハートの声に固執しすぎると、わくわく偏執狂みたいなことにも(笑)なりかねず^^(でもそれでもいいんだけど)無意識に、わくわくしていない他者を裁いてしまう路線と伴走してしまうこともあるので。
これも注意が必要ですね。
そういう時は、わくわくバロメーターにしてても、肝心のガイダンスのほうに目がいかなくなってる場合も往々にしてありますので。

単純に自分の人生がうまくいけばそれでいい、っていうものでもありませんから。
途中からこっちメインになってきて、盲になってきちゃうような願望実現系スピへ走り出すと、高次的にはストップかける場合も、けっこうありますよ。


(都議会議事堂。本文と関係ありません)

ただ、ハートの声を大事に、とはいえ、心に正直じゃない自分であっても、だからといって、即アウト、ってことでもないんですけどね。

とりあえず、なんであれ、人はその人の寿命までは生きるのですし。
それだけでも、十分に、とりあえず生まれて生きた、その部分の使命は果たしているわけですから。
だから、あまりにスピリチュアルに正しく生きよう、ハートの指針に従っていこう、って生真面目にならなくても、「本当にそれが必要であるなら、もう、力づくでそういうガイダンス路線になるはずだ」っていうのを、期待して^^だらだら先延ばしにしていても、私は構わないんじゃないかな、とは思いますね。

このへん、最近、考え方が少し変わりましたところ。

以前は、私は、「自分の好きなこと向いてることやりたいことをしようよ派」ではありましたが(笑)。
そのほうが人生うまくいく確立が高く、また、やっていて楽しいこと得意なことのほうが伸びしろも多いのとやる気が持続したり、生きていて苦にならないところもあったりで、毎日毎日がスムーズなので、結果、停滞期間、迷路期間短縮されますし、けっこう利点は多いです。

でも、それと同じように、「うまくいかなかった経験」という停滞していた期間、自分がなにやりたいんだかよくわからなかったような期間、やりたくないことをしていた期間、それもやっぱり、とても貴重な経験なのです。
むしろ、その経験を経ているからこその今、っていう場合もね、かなりあるというか。
必須路程だったりするところもある。

どっちも、ものすごく素敵な、人生経験なの。あってよかったと言える経験なの。
一生懸命やっても叶わなかったこと、だけじゃなくて、一生懸命やらなかったからダメ人生だった、みたいな^^そういうのであっても、けっこうそれも、いい経験値なんですわ。
(って、まだ、振り返るような^^時でもないんですが)
最後まで、わかんないんですよ、人の人生は。

そして、人からの見た目、これはもう、ほぼ「どうでもいい」と言える世界ですね。
(これは、自分が良ければいい、とか、そういう意味ではないですよ)

よく、やりたいことをやらなかったことをあとあと後悔するよ、みたいな、けしかけられ方もあるけれど。
やらなかったのは、やりたくなかった、その勇気がなかった、どうしても一歩踏み出せなかった、やりたかったけど事情がどうしても許さなかった感じがしていた、などなど、その人にとってのその時の理由に見えることがたくさんありますし。

でね、たぶんですが、そういう場合ってのは、まぁ、やらなくっていいこと、ってことで(笑)片付けて、きっぱり忘れて、先へ進んでいいんでないかな、という選択肢もあっていいような気がしてきたんですよね。

だって、ほんとうにやりたいことなら、やっぱり、それやるから。人って。
そうなっていくから。そういう流れになっちゃうから。

「自分は自分の好きな自分を生きていない、生きてこなかった」って思いながら、ずるずるするほうがね、良くないですもん。
もうね、そんな、ぬる~い感じで、ぬるい生き方も、それもありじゃないかな~、と。
目の前に出てくるもの、むしろそれらをすべて受け入れた覚者の生き方、とも(笑)言えるのかもしれませんしね。

そのへんは、私は自分のガイドさんに、聞いたことないので。
そうしていたら、どうなっていたのか? 的な部分、これは、「そうしていないところから聞いても意味ない」世界かなとも思いますが、だいたい、想像がつきますけれど、それでも、そっちを経験しているわけではないからわからないのですが。(きっとこれが世界線と呼ばれる、別の平行生の世界ですね)

あとは…

もう、なんであれ、生きるしかない。これに尽きますね(笑)。

生きていれば、自分がどこかやりかたがやってることがおかしくて間違っていれば、どんどんやばいことになっていく「現象」が、それじゃだめだよと、ノーサインをくれますし。
身体が、いやだ、と^^教えてくれることもありますし。

どんな人生であろうと、高次ガイドは、最後まで見捨てません(笑)。
人数は減るかもしれませんが(というか人間じゃないから人数という表現はおかしいが)ひとりくらいは最後までお世話してくれますからね。そして、きっと「おかえり」と出迎えてくれますので。

最後まで、人生、わかりません。

今、色んなスピ系メソッドが、ほうぼうでありますが。
それらみんな将来生き残っているかどうかだって、わかりゃしません(笑)。

みずからの中にあるメソッド。
「とりあえず生きる」
やっぱ、生きてるあいだは、これですよ、みなさん。



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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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