手放す、の話

2017年03月09日 (木) 06 : 26
お金、転職、などなど、要するに「今までを手放す」っていうことが、自分にくっついていた余計な囚われ外しに、役立ちアイテムであることをお伝えいたしまして。

実際的に、結局のところは、日々の行動の中でそれをやっていくことになるのだけど、同じ環境の中に居続けながら、変わらない人間関係のメンツの中での手放し、っていうのはね、まぁ、けっこう大変なんですよね。

たとえば、お金、転職、あとは考えられるところは引っ越しなんかもそうだけど、離婚とかね^^。
とにかく、捨てて捨てて捨てまくる、という一手もあるにはありますが(笑)。

ただしね、こういうのもね、心の奥底に。
「全部から逃げ出したい。全部嫌なんだけど」
という、なんのみずからの気付きもチャレンジもなしの、そこからの逃避的願望という感じの欲優先だったり、まぁ、ようは「目の前の現実を受け入れたくない、認めたくない」がゆえの、捨てまくりなだけだと、実際には、その後の新規創造していけるはずの現実創造において、それでもスッキリしない、結局、場所が変わっただけ、シチュエーションが変わっただけで、似たような現実を繰り返すということはありますよね。

そもそも我々の人生そのものが、過去生からのパッチワーク的個性なども^^要素としてありますんで、どうしたってそうなる部分もあるんですよね。いい意味でも悪い意味でも。「それが三次元」と言ってしまえば^^とりあえずはいったんそこを諦めなきゃいけないような。

転職なんかも、時と場合によりますけれど(そんな職場はもう出てけばいいじゃん、みたいなのも、けっこうあるから)ひたすら、自分都合の離れたい欲求というか、そこからの「逃げ」だけが優先された目的だと、次回の場所でも、似たような課題が、結局出てくることもあるんですよね。

ただ、人間、そうやって「またか」を繰り返せばですね、いい加減、自分自身の不要な囚われた部分に向き合わざるをえない状況に追い込まれますので、これはこれで、新境地でも「またか」を経験できる、っていうのは、わりといいことなのよ。
それが本人にとって、よっぽど気づかなきゃいけないことなんだ、っていうのが、わかるわけですから。

だから、結局、環境が変わるっていうのは、気付きが増えるし、そうでなければどうしたって気づけなかったりするわけなので(笑)まぁ、やっぱりお薦めかな。

だいたい、何を捨てても手放してもですが。
「この自分」というものだけは(笑)捨てられない、っていうか^^生涯つきまとうわけなんですよ。

だけに。不要なものを手放す、って言われて、いちばん手放したいのが自分の人生そのもの^^って感じのメンタルだったりする場合には、つまり「何を手放したらいいのか」が、そもそもまったくわかっていない状態ですよね。

こういう場合は、とにかく、悲しいかな、「ぼ~」っと向き合うしかないんですよ、それでも、自分に。
(こういうことが自由にできる、プー太郎(無職)は^^お薦めなんですけれどね~。でも会社辞めると生活が困るとか、そういう恐怖感のほうが勝っちゃう場合、向き合うどころじゃない人も多そうだしね)


何を手放したらいいのか、って、わりと表面的に自分でわかってるようでわかってなかったり。
それに、「時間」だってかかりますよね。

石の中には、過去生にまで遡ってのブロックはずしを手伝ってくれるよ、みたいに言われてる石もありますし、石の説明書きだけ見ていると、ものすご~くちゃっちゃっと^^カンタンにいろいろやってくれそうな気がしちゃうでしょ。

だけどたとえば、10年20年、その人が変えられなかった性格とかね(笑)そんなのが、ひといきに変わるわけがないんですよ。
変化というのは、とっても微妙な、そしてとても些細なものでもあったりするの。


そうね…たとえばの話ですが。今思い出した話なんですけれど。

自分は、肉体面で健康じゃない、というコンプレックスを抱えているとしますよね。

常識的には、健康であることが、将来の結婚の大前提、という概念、社会通念のようなものはありますよ。
これはもう、ある程度はしょうがない話ですよね。まぁ、おおかたは、そういう感覚で、できれば健康な人と結婚しようとすると思います。
だから、肉体面で健康じゃない場合、その人は、わざわざ不健康な自分を選ぶ人なんかいない…って、そう思っちゃってもしょうがない面はありますよね。

だけどね、今健康だからって、将来に渡って健康とは限らないのよ。
その逆に、今不健康だからって、将来に渡って不健康なのか、といえば、やっぱりそうでもないこともあるの。

昔ね、OL時代の先輩の、お母さんの話なんですけれど。
先輩のお母さん、実は結婚する前好きだった人がいて、本当はその人と結婚したかったらしかったんだけど。
そのお相手は、結核持ちだったそうなんですよ。

一昔前の時代、結核持ちって、長生きできない、っていうのが通念でしたから、お母さんはね、結局、その人との結婚は諦めて、他の人とお見合い結婚したそうなんです。
それが、その先輩のお父さんなんだけど。

見るからに健康そうなところが^^決めてだったらしいのに。
先輩と、先輩のお兄さん、ふたりの子供を設けて、ふたりがまだ小さい頃に、お父さんは突然死。
先輩のお母さんは、結局、女手ひとつで、仕事を続け、ふたりをオトナになるまで育てることになり。

で、その不健康で長生きしないだろうな~と予測したお相手は、先輩が、その話を笑いながらしてくれた当時でも、なんと「まだ生きてるらしいんだよね(笑)結婚もして子供もいるみたいだし」というオチがある話でした。

結核というのは、昔は治らない病という観念があったみたいでしたけど、医学が進歩して、治る病気になったから、というのもありますが、この話のポイントは、いろいろありますけれどね。

ひとつは、何事もそうですが、「自分を一見は利するように見える条件、計算だけで、選んじゃダメよ~」という点。
健康な人と結婚すること、それが将来の自分にとって有利だろうから、という、当たり前そうな常識ベースでの選択でしたのに。
不健康だった、本当は結婚したかった人は長生きしてて、健康を条件で選んだ人は、さっさと死んでしまい、一人で子供二人を育てることになった、という。

でも、その結果的に長生きになった、もともとの結核持ちだった恋人側からしてみれば、その理由で離れていった女性と結婚しなかったことのほうが、きっとね、幸福な人生を歩むことにはなったわけです。

先輩のお母さんは、そのお見合いで結婚した先輩のお父さんのことを、容姿が好きではなかったらしいのね。
だからね、お父さん似の先輩に、「整形したかったらお金出してあげるから、整形してもいいよ」って言ってるんだよね~、とかね、その先輩は言うんですよ。
(まぁ、今で言う、毒親っぽい発言ですな。こういうことを実の親に言われて娘がどういう気持ちになるか、とか考えられないメンタルの女性ではあったのでしょう。だから、もしかすると、なんでかあっちは生きてて…という部分に、本人気づいているのかどうか、ちょっとわからないところあったかな)

その先輩ご自身は、とても出来た人でしたから、この話の一連の示唆する部分については、おわかりだったようでした。
よくご自身のお母さんの話は、いわゆる母という立場となった人に対してのダメ見本的にお伺いすることがあったので、なにかと「なにゆえこの人を母として自分は生まれてきたのか」を常に見つめておられるようなところが、あったような感じがします。
ただきっと、私が想像する以上に、母に傷つけられたり傷に塩塗られるような感じの、埋め込まれているトラウマ的なものが、もうあの当時からけっこうあった人だったんじゃないのかな~(こういう話を、笑い話として、人にできる人ではあったのだけど)と思います。


人間というのは、
生きているだけで。

人にトラウマつくったり(とくに、家族というのは、トラウマの温床^^なところあるのよね)。
自分が人にそれをやってしまう、そういう人自身も、どこかで囚われた手放せない(というより、手放さなきゃいけないことにさえ、気づいていないかもしれない)ものを抱えているから、そうしてしまうわけなのですが。

受け取る側も大変ですよね。知らず知らずのうちに、こんなことが?! っていうブロック要因をいっぱいストックしていることって、ありますよね。
しかしながら、その受け取ったトラウマを気付かず「手放せない」ままに、生きていけば、また自身も、今度はそれを人にやってしまうかもしれない、ってことだってあるかもしれず。

だからね、色々、私たちが、自分が囚われているものにみずから気づいて、そこから自由になることというのは、とても意味があることなんですよ。

自分が楽になるだけではなく、回り回って、それが他者のためでもあるのですから。
(自己愛の話といっしょですが。自分を大事にできる人=他者を大事にできる人。ここはどうしても符号しちゃうので)



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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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