10月22日 まるの日さん夜会に行ってきました。

2016年10月23日 (日) 04 : 35
昨日、10月22日は、まるの日さんの夜会に行ってきました。

お題は、「あの世」の実相(笑)。
こういう感じの段階というか、階層というか、まぁそういうものがある…というお話。

巷で言われるもの、自分が今までに学んで知ってきたもの、様々な知識的なものともリンクしておりまして、かつ、2012年アセンションで語られていたような類の内容ともまったく無関係とも言えずな内容でもあり。

これを自分のブログでまとめて、ちゃっちゃっと^^私がみなさまにお伝えするというのは…大変困難かと(笑)。
本当に詳しくは、まるの日さんところでぜひどうぞ、と思いますね。
(ブログランキンボタンを押していただくと^^、近場にまるの日さんブログサイトがございますので、さくっと見に行けますよ。うちのを押してもらいたいからじゃないけど(笑)これって、なかなかの利便性かと思われます。今日の時点でうち41位、まるの日さん44位のオッズつけております(笑)できれば、どっちもボタン押しておこうね♪ うちは「癒やし光線」は出ませんけれど^^)

死生観というのは…
生きている人が語るものは、生きている人から聞いたこと(仮に臨死体験などによって観てきたとしても、まるの日さんのような方が探索し続けてきて体系的にまとめられた情報としても)として「どうやらこうらしい」としか言えない面がありまして。
「絶対こうだ」と押し付けることもできませんし、だいたい、死んでみないとわからないし、そもそも…悲しいことにですね、死んでも結局、「この世程度にしか」自分の居る世界を認識できない…という感じは、やっぱり地続きのようです。

これは、既存の死生観でも語られていることですね。
この世で何かに囚われている状態は、あの世に行ってもやっぱり囚われた状態は続きますし、既存の死生観で言われていることは、「あの世では解消が困難だから、それを解消できるステージ、肉体を持っている時の生き方が重要」というふうに言われ、ここでカルマ解消の目的なんかが出てきたりしますね。

まるの日さんが語られるのは、そういった内容とはリンクする部分もありますが、しない部分、というか、囚われた状態の世界がいく段階にも分かれている(天国から地獄まで)霊的領域はどちらかというと、こちらの世界では「あの世実相」として語られるところもあるのですが、極端な話、それら全部まとめて、まだあの世のひとつの階層…いち段階目(笑)な領域…ぽいようなお話。

多少、そうかな、とは思ってはいましたが^^やはりそうなのか…的な。

そういう、又聞きの又聞きのような内容という、あくまで、私が「そうかぁ」と思えた部分についてのみ、語らせていただこうと思います。

結論から言うと。

一回限りの人生を悔いなく生きる。やれることはやったと感じられるように生きる。

これに限るかな(笑)ということでしょうかね。
死ぬ時に「あぁ、こうしておけば良かったな」がないと言える生き方でしょうか。
まぁ…これは、現状でも、わりと綺麗目な箴言的にも耳にもしますが、そういうことでしょうかね。

ただ、これは、善悪や三次元世界においての常識、正しい人ですとか、品行方正な人ですとか、愛に生きるとか、そういういかにもな^^ものとはベツモノです。(ベツモノと言ってしまうと語弊がありますね。ベツモノではないけど、いかにもな^^優等生っぽい形容詞がつく、みんなに褒められるようなお利口さんなお行儀の良さや好かれていることなどが、必ずしもソレではない、という意味です。それらが綺麗な「借り物」「お題目」であるなら、あんまり意味ないですね)
三次元世界においては、褒められた生き方ではないとしても、誰も羨ましがらないタイプの^^生き方でもいいのです。
本人が本人目線で、真にそうあれば、ということかしら。

でも別に後悔する生き方だろうが、し残しがあろうが^^、それはそれで、いいんですけれどね。
いずれは必ず、向かう先はあるというか。

死んでも終わらないし、むしろ、「やっぱりそうか…」と(笑)かねがねより、知識としても、感覚としても、ずっと以前から腑に落ちていたところはあるのですけれど。

「なんだ。死んでもやっぱり、仕事するんかい。」

というのが^^、笑える実相でありますね~。

ちなみにこの「仕事」は。
三次元世界で、いやいやしていた会社勤めのような、生きるための、自分に鞭打つ強制労働的な^^感覚のものではないですよ、もちろん。
当然ですが、本人が「ずっとこれをやっていて、まったく苦痛にならない」と言えるような、好きな仕事です。
そして、この世のような、生きるための金銭を得る目的ではなく、本来の意味で、他存在のために役に立つ、みずからが進んでそうしたいと思ってやることに抵抗のない仕事ですね。
自分を活かすことが、他存在を活かすこと、そこがイコールになる…という部分で、ごまかせない^^感じ。
自己犠牲の意識などもちろんなくて、自他の利益がイコールというのかしら。

…という段階が、あの世の一つ、つまりまぁ、一般的に言う、成仏した霊界住人が住まうと思われる世界の最上階的表現の素晴らしい霊界の最上階なのですが…これは、段階一つ目なんですね~。
この段階をクリアする、その先のほうが^^まだまだありますね。
この第一段階では、肉体を持つ人間への影響としてもかかわりを持つエリアのようですね。

ここを終えると、人間でいう「死」のような状態を迎え、次のステップへ行くそうです。
次のステップでも行う仕事は、ひとつ下の一段回目のあの世のサポート。
ここでも同様に、結局、下層をサポート。他のために、仕事。

で、第3段階目への移行がありまして。愛の領域というか^^こちらも下ふたつのサポート、全体を育むための仕事をする、まぁそんな感じ。ここでも同様に、結局、下層をサポート。他のために、仕事。
ですが、ここが完成形ではありませんで。まだその上第4段階目があり。あの世全体を掌握する段階ですね。

そして、あの世のまた上に、次の階層、ガイド、天使などの階層があって、その上にトータルセルフなどの領域があって…という順番的なものは、自分的知識としても「そんな感じ」とリンクはしておりましたが。
ここでも同様に、ほうぼうのスピ世界をご存知のみなさまもなんとなくはおわかりかと思いますが、下層をサポート。他のために、仕事。

単に「成仏」と言っても。
何段階も^^成仏後にも、上昇段階がありまして。

やはりこれがひつくの神様の言ってた、「死ぬまで手習い、死んでも手習い」の世界^^なのかぁ~~~と^^、久々に、私が過去にこの世を生きるバイブル的に感じられたひふみ神示の記述が(笑)蘇ってくるようでした。

どこまで行っても、「他が為にと、我が為に」は、セット状態ですね。
あんまり好きな言葉じゃないんだけど他存在、全体への「奉仕」が喜び^^というのかしら。(あんまり「奉仕」という言葉を使いたくないのは、三次元的には、奉仕精神というのはどこかで自己犠牲精神ですとか、丁稚根性から自立できない言い訳や、その人の狭い価値観や愛情の押しつけでしかない余計なおせっかいや過干渉、個人の自惚れた陶酔^^でしかない自己顕示欲とも混同されて表現されていることもあるので)
「すべて繋がっている」と^^いうのは、まぁ、そうですね。

私が「死んでも仕事するのか」の認識を持つことになった、影響書物は、このひふみ神示です。
ひふみ神示が、私たち人間存在の理由を明かす真実の書だから! 必読! おすすめ! っていう話ではありません(笑)。

ですが、ところどころそういう、「これがこの世やあの世の実相にちかいだろうな」と腑に落ちるというか、理由なく納得できるような、人間存在の根拠というか、なんで「この世でこうして存在しているのだろうかね」に対しての、的を得た記述や、「この世で霊性を磨くとはなんぞや」(ひふみ神示的には、「身魂磨き」)に関してのヒントは、散りばめられている神示だと思いますし、私個人は、「そうか、こう生きればそりゃ楽かもしれん」という指南書というか、どちらかというと、「この世を、自分の好きなやりたい仕事をすることで、清貧ではなく清富として生きられる、いわゆる高次の自分が望む生き方にリンクしていける」そのためのヒントが書かれている書物と思えます。

昨日のまるの日さんが探索されている、何段階もある、あの世も、結局、「他がために」の喜び表現を、「我がための仕事」として、それぞれが自分の得意技、スキルを活かし、自分で納得し、好んでそうしている状態で運営されているのが、あの世の、上の方の実相…という感じでした。

これって…ひふみ神示のいう、「我良し」が優先されていたら(笑)確実にできないことです。
なにしろ、「素の状態」で完璧にそうでないと^^筒抜けですから、そこにいられませんのでね。

基本、この世ともそういう面は変わらないといえば変わりませんが、この世は「それをしなかったとしてもとりあえずはちょっとごまかしながら生きられる」環境も^^ございますし。
それをごまかさずに、個人の選択により、段階飛ばすこともできますよね(もちろん、三次元目線では楽々ではない、葛藤が生まれることも、勇気や苦労がが必要な場合もありますが)。ある種、それも生きている人間の強みでもあるのかな、という気がしました。

ひふみ神示は、アセンションとリンクして取り上げられてもいる機会の多い書物であり、予言的な内容(地球に三千世界がやってくる、われわれの世界がぐるんとひっくり返り一変する、半霊半物質化する的な)も多々ありまして、どちらかというとそちらが、アセンション方面では注目される内容で、そっち方面から知る機会がある方のほうが、多いかもしれませんが。
そういった内容すべて鵜呑み、まるごと信じる^^というか、そうなってしまうと、むしろ、本質から遠ざかる危なさも兼ね揃えた、両刃の剣な書でもありますので、万人にお薦めはし難いところもあり、私自身は昔は時々ブログにも書いていたけれど、すべての人に必読と言えるかについては、石のようには^^プッシュできないというか^^、お薦めしていなかったのは、そのためですね。

私がちょこちょことずいぶん過去の方の記事に書いている、ひふみ神示の解説とまでは言いませんが、「これはこういうことかな~」の内容が、そんなものでも^^なんと、今まで目にしたひふみ神示の解説の中で、いちばん理解できた! などとおっしゃってくださるような^^ひぇぇええなお言葉もいただいておりまして(ビックリ)。

何段階も色々な領域のある霊界や、そこを卒業したさらにその先をスムーズに行けることと、この世をスムーズに、自分の本質の望みに沿ったロードを行けることというのは、実は、完璧にリンクしておりまして。

今、わたしたちは、生きながらにして。
それらすべてを、実は、経験中です。…と、私は、感じました。
死ななくても^^、今まさに、何段階も何段階も、行ったり来たりしています。
行ったり来たりができるのは、生きている者の特権だと感じます。
霊性の違うもの同士がコラボでき、コミュニケーションできる、かかわることができる、この肉体世界の特権行使中とも言えるかと。

最近、ひふみ神示の内容なんかで、ここは紹介ありかな~みたいな解説とか、私がしてもいいのかな~…って、ぼんやり思っていたんですけれど。(難解部分の解読!! 新解説!! みたいな^^のとは違いますよ、もちろん)
「そういうこともしていく必要があるのかな」と、実はまさにぼんやり思っていた昨今でもある中で。
「死んでも仕事」を^^思い出させてくれた^^、昨日の、まるの日さんの夜会でございました。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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