見えない世界とはつまりこういうこと。

2015年03月16日 (月) 20 : 45
なんかぎっくり腰が~~~って大げさに^^記事にしたからか、みなさまに「大丈夫ですか」や「お大事に」や、お気遣いをいただいてしまいまして、恐縮でした!!
あの・・・記事にしたとおり、痛かったのは、寝ていた2日だけ^^なんです~。
病院に行った日も、まだちょっと少しだけ痛いかな、レベルで、激痛じゃないから歩けたわけでして。
もうその翌日には、気がついたら「走って」おりました^^。
(ブラックアゼツライト、めちゃお薦め♪ ←ここへ持っていくか^^と)


ところでそんな、お気遣いのメールの中に、
「詞音様の対処法は理想的です。大学病院ではなく、専門の医院に偶然たどりつくという経緯もすばらしいです~♪」
って言葉をいただいて。
そうなの、あんまりこの経緯については、ただ「ラッキーだったわ~♪」程度で^^それほど自分は深くは考えてはいなかったんですけれど、あらためてですね、その「偶然」の意味を検証できる機会をいただけました!
どうもありがとう!!
こう言ってもらわなかったら、気が付かなかった。


専門のお医者さん、あんな東海大学病院からでも歩いてすぐ近くにあるのに、なぜか東海大学病院で教えられたのは、そこからかなり離れた病院だったんですけど^^。
おそらく、私が偶然見つけた「参宮橋脊椎外科医院」という専門の病院は、たぶんできたばかりなので、東海大学病院が使ってる近隣病院データの中に、まだないんだろうな~。
つまりものすごい近所でも、「知らない」ことって、あるのね~。ということです。


最初は私はそれをなんで? ってものすごく不思議に思ったんですけれど。
だから、リハビリの先生にも、「ここを見つけたの、通りすがり、ってやつで。実は最初は東海病院さんへ行ったら、形成外科が休診で、それで受付で近隣の病院を案内してくれたんですけど、それが地図ではいちばん近いところで参宮橋の駅のちかくらしきところだったんですよね~。で、そこに向かって仕方なく歩いてて、で、見つけたんです~、ここ(笑)」ってお話したら、「あ~たしかに参宮橋にもありますね~、でも、まさに専門はうちだと思いますけど~^^、どうしてだろう」っておっしゃっていたんですよね。
ふたりで、不思議~と言いながら、自分は「たぶん、こちらはできたばかりだから、検索に出てこないとかなのではないかしら~」と言ったら、「いや~ネットにはありますよぉ~検索でも出るはずだけど~」とリハビリ先生。
まぁ、話はそこで終わっていました。


私はそもそも住んでいるわけだし、もともと土地勘があってぼさ~っと^^歩いていたわけで。
だから、紹介された病院へ向かう途中の道に、つまり、よりうちの近隣にあったことが発見できたわけですけれど。
東海病院の受付のお嬢さんは、考えてみれば、おそらく代々木以外のどこか他のところからあの病院に通勤しているだけで、ご自身が勤務している病院の近隣になにがあるか、なんて^^考えてみれば知りませんよね。
だから、パソコンのデータの中にそれがなければ、ない、ってことになっちゃう。
おそらく、東海病院さんが独自にデータとして使っている、近隣病院データベースの中に、まだそこの新しい病院はなかったのでしょう。
つまり、受付のお嬢さんにとっての近隣病院データというのは、東海病院さんのデータベースの中から範囲を広げて検索することはなく、検索がそこから外へは向かっていないため、そこにあるものだけが、「実際に存在する近隣病院」として存在しているわけです。


「見えない世界」というものも^^こういう感じなんですよね。
ない人にはない。ある人にはある。


というか、実は「見えない世界は実際にある」わけなんですが、そこにアクセスする視野の違い、なんだと。
想像力、可能性へのトライ、目線の範囲、思考領域の範囲。


われわれが普段目にしているのは、東海病院の受付のお嬢さんみたいな感じの視野で見た現実・・・なんだろうな~、っていうことですね。
とても限定された世界ですよね。
でも、「現実」ってけっこう、そういうふうに、自分で「範囲」を決めてしまっているうちに、だんだん、それが「すべて」みたいな感覚になり、そしてもう、微塵も「それ以外の範囲へ拡大」や、「移し替える」ことをしなくなりますよね。
つまり、見えない世界というのは、ある意味、「現実の拡大した先への可能性を、こちらが捨てないこと」でもあるわけですね。


それと、たぶん、あの東海病院によそから来た患者さんだったとしたら、検索して教えてもらった病院を目指す際に、どうしたって、地図のそこだけをターゲットにしてしまうでしょうから、おそらく歩いていても、教えられたそこだけしか目指さないでしょうし、それに「わざわざ病院がご丁寧に検索して教えてくれた、あなたの症状を見ることができる病院で、ここからいちばん近いところはここの病院です」と教えられた地図を疑うなんて^^しないでしょう。
だから、まず見つけられないでしょうね。


それにね、仮にですよ、私のように、それでもその専門医の看板を偶然見つけたとしても。
「え・・・なんで? こんなに近くにあったのに?・・・でも、教えてくれたところはもっとずっと先にあるし・・・」って、変だな~、って思いながらも、10人中9人くらいは・・・「病院が教えてくれた、遠い病院」のほうを目指すんじゃないでしょうか。


「自分自身が、偶然見つけた」ほうを、信用しないんです。


みなさん・・・・・
これが、わりと私が時々お話する「セレンディピティ」という、「見えない世界からの、贈り物」です。
でも、気がついても・・・・・みなさん、無視してませんか?
「あれ?」って思っても。気がついてるのに。
「誰かに教えられたほう」を、選んじゃっていませんか? 病院の人(自分より知識のある人)が言うんだから間違ってないだろう、という思い込み。先入観で。


「こっちでいいんじゃないかな、って気がするんだけど」と感じつつも・・・「でも教えられたほうが正しいだろうし」と、自分の心のなかで「そういう気がするだけ」という、つまり「自分の不確かな思いつき」という心もとなさと、「知識として正しいことが前提の情報」を天秤にかければ・・・大抵の人は、後者を選ぶでしょう。


セレンディピティは「これがセレンディピティだ」って名札つけて顕れるわけではないので、ハートが閉じている状態、自分を無意識に否定していたりする状態では気が付きにくいですし、まずそっちをワクワクで選ぼうという気にはならないと思われます。
そして、「選択」されていく世界は・・・「無難」という強固な定説を持つ^^習慣や、この世での常識のものさしや正しいとされる人の意見、多数決でそれが普通、みたいなことになっている見識など・・・が軸になって選ばれていくことになります。
自分軸は置き去りにされたままで。


これは別に私のセレンディピティ自慢話^^というわけではなくてですね。
なんだろう、この手の「たとえ話」って、実際、なかなか難しいんですよね、いざ、お伝えしようと思うと。
だから、こういうほんのささいな話の中に山盛り^^であるのに、けっこう今までも見逃してたな、って。
先月の「引き寄せ」みたいな^^トピック性があるシンクロで「うわびっくりしたぁ!」な世界も楽しいですが、ああいう「目立つ」ことだけで、世界が構築されているわけではないこと、むしろ、ささいなことの中にある、こういう何気ない選択が、現実を創っていくわけです。


つまんないこと、ささいなこと。なんですけれどね。
しかしですね、なにかっちゃ~、「あなたが望んだ現実を、創造している、選択している」って^^スピ分野では言われるでしょ、現実というものはそうだって。
これはほんと、そうなんですよね。
望みとかけ離れた現実の中にいる時、人は「自分はこんな現実は選択してないし、望んでない」って、マインドは、そこで吠えまくるわけですが。
だけどね・・・きっと。
必ずどこかにね、こういう、ささいなセレンディピティが入り込む隙間が、あったんだろうと思うんですよ。
自分が、気づいていないだけか、ちょっと「あれ?」って思いながらも、立ち止まって、その「あれ?」のほうを気に留めずに、「教えられた(先入観とか常識とか、あまり自分で考えていないほう)情報」を選んでいってる・・・つまり、それも「自分で選んだ」世界ということになるわけなんですよね。


そしてですね。
ここが間違いやすいところなんだけど。
たいてい・・・「あとから」なんですが、「あっちで良かったんだ!!」っていうことがでてきた、判明した時に。
人は、その、「間違った、ベストじゃなかった道を、紹介した外側の対象」を責めてみたりするんですよ。
「あの人がああ言ってたから、こうしたのに」
「最初から、そう言ってくれたら、自分はそうしなかったのに」
・・・という思いにまみれ、「自分が選択したこと」を忘れてしまいます。
ここを棚上げして、自分以外の誰か、何か、の中に「原因」を見つけて責める。
その範囲から、出ようとしなくなってしまうし、やっぱりですね、なかなか、この「ささいだけど、たぶん、どこかにあったサイン」を見逃していたかもしれない自分を検証することは、できないものではあります。
だけど、そっちへ、即、目を向けたほうが・・・現実の変化はすこぶる早いし、傷も浅いんですけれどね。
「自分を受け入れる」「自分が創った現実を受け入れる」というのは、そういうことです。
ありのままでいい、っていう綺麗な言葉は、「そこにとどまれ」と縛り付ける言葉ではなくて、・・・つまり、「どう在るかを決めるのは自分」って意味なんじゃないでしょうかね。
いったん受け入れたら、それは必ず、変えられますから。在りたいように。


15日の記事でお伝えしていた、「自分を高めることができる微細な気付きの機会が、増えます。」って、こういう感じ。
って、お伝えすれば、さらに^^わかりやすいかな、と。
「AENA呼吸&Stones」いやもう^^アセンションは置いておいても、お薦めかもなぁ。
「「石との併用」はストロング何倍速」まぢですわ~。


いろんなことが、腑に落ちたり、自分が見えていなかったことが、こういうこととか、見えてくる。
そういう世界は楽しいですよ♪


ちなみに・・・・・・
こういうことをするのが、苦手な方には苦手なことかもしれませんが。
できたら、みなさん。
(なにかと選択に迷う方、なにかを決めるのが苦手な方、心配性の方、気がちっちゃい方は^^あんまり無理せず、ほんとに、小さなことから徐々に。)
「あれ?」のほうを。
チョイスしましょう。
よくお伝えする「ハートの声」は音量ちっちゃいです。マインドにとっては理解不能な時もあります。
しかし、たいてい、そっちが正解です^^。



追記:


ただでさえ長文ブログなのに^^さらに長くなってしまって申し訳ないです。
(「書け~~~書いとけ~~~」って急かされるもので。「自分だって忙しいし他にやることあるし」とマインドの声は^^邪魔をするんですが、それは置いておいて))


「石選び」というのは、つまり、この自分にとってのセレンディピティへと繋がる地ならしなんですよ。
ふだん、私達はほとんどが経験則とか思い込みとか他者の言う正しさだとか自分の思う正しさだとか、まぁ、色々な価値観の中で生きてます。

そういった中で・・・石を選ぶ時というのは、唯一、とは言わないけれど、いったんそういうものを横においておける、普段あんまり聞こえてくる機会がないような気がしている、「自分のハートの声を聞こえやすくできる」時・・・のひとつ、なのです。
(だから「石好き」の人にとって、「石を選んでいる時」というのは無条件に心地が良い^^ってことになるわけです)


と、言っても^^そう言っちゃうと、「そんなの聞こえてこない」し、やっぱり「結局、普段通り、同じように自分は迷ってるだけ」みたいに、自己卑下に走ってしまう「マインドの声」のほうが^^どんどん音量上げていってしまう方もいらっしゃるかもしれません。


しかしですね。
その「自分のマインドの声が非常にクリアに聞こえる」ことじたい・・・そう「意識して自分を観察できる」時って。
日常では、そんなに、ないでしょ?
それさえも。
ハートの中にいる自分が、仕組んでいるのです^^。石を見せることで。
そうやって、「選べない」自分であったり、「誰かにどれが自分にぴったりなのか「ほんとうのこと」を教えてもらいたかったり」っていう・・・自分を覆い尽くしているもの、そのものに、直面させてくれます。


こんなこと、普段は、適当にお茶を濁せる話ですよね。
ものすごく納得はできていなくても、まぁ、たとえば人間関係とか、会社に行ってる時だけ「我慢」して作り笑顔でいれば、表面上は困らないし。だとか。自分のやっている仕事は、自分が望んでいることではないけれど、ここ辞めたらもう年だから他に行き場がないし、それにほかの同僚にも悪いし。だとか。
まぁ、そんなような理由付けをして仮面かぶっていることは、ひとつやふたつ、誰にでもあると思います。


でも、自分が「なぜそうしているのか」っていうことに関しては、あんまりマインドは触れたがらないんですよね^^。


石というのは、時に、そのマインドが触れたがらないもの(つまり「ハートの声」を聞くのが怖いわけです)をですね、さらっと感じさせてくれちゃうところがね、あるんですよ。
だから・・・時として、人によっては、それが「癒やし」に繋がる前に、投げ出したくなっちゃうような、まどろっこしさであったり、直接劇薬のような「効果」なんてものがないように思えたり、また、その「効果」があったらあったで、そこからさらに逃げ出したくなっちゃう、見たくなくなっちゃう場合だって、あると思います。
まぁ、かさぶたが分厚ければ、それだけ、剥がれる時に、すごい違和感があることだって、あるでしょう。


それでも、縁あって、手元になぜかいる石。自分が選んだ石。
そのどれもが、まちがいなく、助っ人です。
ハートの指令で、自分が自分を救うために、やってきているのですよ。


それでね。
どうやって選んだらいいのか。
っていうことですが。
どうやって選んでも^^いいんです。人に聞いたって、べつにかまわないと思います。
なにがなんでも、「自分がピンときた」みたいな世界にこだわる必要もないです。


ただし、何を基準に選んでも、たとえば、「ここに書いてある意味が必要だと思った」でも、「ぱっと見、どうしても惹かれて」でも、最近私がやっている星座ものを「自分は何々座だから」ってだけの^^理由でも、なんでも。


ご自分が選んだことに、常に自信を持ってください。
ここがほんとに重要です。
で、たとえば、そこになにか「後悔」や「失敗」したんじゃないか、の思いが出てきたり、っていう時であっても、状況や、自他を責めずに、その選択をした自分を上記で言う「認める、受け入れる」をいったん、やってみてください。
いい、悪い、のレッテルを貼ったままにしないことを、してみてください。


話は変わりますが、そうそう、その上記の「星座もの」なんだけど。
私は、やる前から、こうなるんではないだろうか・・・と想定はしていたんですが^^。


さすが^^パワーストーン・ワークスの^^熟達されたお客様たちは。
あれね、必ずしも、その星座の人たちだけが^^手にされているというわけではないのよね、あとから聞いてみると^^。
けっこう、「ぜんぜん自分それじゃないんだけど~」って言いながら^^買って頂いてるケースが多くて。
笑ってしまいます~。
じゃあ、月星座とかアセンダントがそうなのかな? っていうと、そういう場合もあるし、そうじゃない場合もあるし。


この、自由度の高さ。
自身を「カタにはめていない」とらわれのなさは、みなさん、天下一品ですよ^^。
だから、「文章読まないで買っちゃいました~^^。で、あとから、読んでみたら!! うわぁ、自分にまさにぴったりぃ♪」みたいなことも、よくお伺いしますし。


でもね、こういう話ばっかり先に聞いちゃうと、「自分は石に対してそういうふうになれない」って臆しちゃう方もいらっしゃるかもしれませんけれど、これだって「こうならなきゃいけないモデル」というわけではないのですよ。
また、いくら「直観で選ぼう」とか言われても^^、直観というものが常に正しく見える現実を速攻連れてくるかどうかは、直観で選択してみないとわからないことですし、正しい、正しくない、の二択は、その本人の今現在の状態により、どちらにも転ぶラベル付けなのです。


お勧め基準は、正しさとか、自分に合う合わない、を決めようとするのではなく、「これ好き!」「嬉しさ」「トキメキ」「ワクワク」「気分がアップする」などの・・・自分自身の、正直な、上昇感覚です。
これなら^^わかるでしょ?
「正直な」というのが^^ここでもミソだけどね^^。ここで、「人ウケ」を最前列の基準にし始めるマインドが^^出てくるかもしれませんが、人が見て、じゃなくて、「自分が見て」を基準にしてください。


そもそも、だれもが、自分起点の宇宙をまるごと内包している、オリジナルな「神」なのですから。
「あなたのための石」が、そこに用意されていないわけないじゃないですか。
まぁ、ひとりひとりオリジナリティあふれながらも、最終的にはひとつに繋がってる^^けどね。


石たちの、鉱物の世界のように。
それぞれが個別に元素記号で表示できる、いわゆる元素という非常にピュアな素材の集合体であり、それぞれが少しずつその見た目からして違っていますけれど、それこそが個性であり、優劣ではなく役割、全体のハーモニーを作り上げる要素ですから。
ひとつでも元素が入れ替われば、ぜんぜん「別」の鉱物なのです。
・・・私達、「人間」を見るようではないですか。
同じ肉体、ほぼ共通仕様の肉体を身にまといながら・・・ひとりとして同じ人はいない奇跡。
すごいよね。






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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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