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「囚われ」ってどういう感じ? の、サンプル事例

2017年12月15日 (金) 00 : 00
生きてくって実際大変。という感覚。

とてもじゃないけれど、生きていくコトだけでも大変なんだから、自分がその中から喜びを得るためには、もっともっと対価が必要、努力も才能も運も必要…自分にはそんなの無理…そんな気力出てこない…だとか。
経験すればするほど、生きてくって大変…成功するって大変…そう確信的に思えてきてしまう人も、多いんじゃないかしら。

だから、多くの人が、運だの才能だのを欲しがるのではないのかしら。
成功するためには、何かトクベツな特殊な、そういうものが必要、という、そっちだけへフォーカスしてしまう。
(そっちへフォーカスすることじたいがいけないこと、ではないのですよ。問題は「それさえあれば」「それがなきゃダメだ」という^^極端な信念、これを「囚われ」と言いますが、自分のために、人のために、と思ってやっていることが単に「囚われ増殖作業」を繰り返してしまうことになる人も多いのです。こういうものが全部身についている実感、自信を深めるために、自分のソレを探す、勉強する、もちろん大事なことなんだけど、「上見ればキリがない」のに上を見始めて比べて、結局自信喪失になったりね。基本、人に習うことは「その師を超えられない」仕組みになっています。だから、ほんとはあんまり習い過ぎないほうがいいんだよね。あ、これはまた別のテーマですので、違う時に)

お金もそうね。お金さえあればできるのに、って考え方になる。(でもそういう考え方する人はお金があっても今度は別の言い訳を探し始めるよ、きっと。「このお金をそれに全部使っちゃったら、いざ病気になったらどうしよう」とか(笑)果てることなく心配事の理由、できない理由ばかりがでてくるのよ。)

でも、見たところ、自分の周りにも、自分のしたいことなんかして生きているっぽい人のほうが少ない。そんなふうにも見える。
だから、「なかなかできないことなんだ…」と思えてくる。
だいたいの人が無理なんだったら、「きっと、自分にも無理…」と思えてくる。
そうやって、より、それは刷り込まれて、「強固な信念」になっていくの。

ちなみにこういうのは「類友」の世界で。
自分がそういうふうに世の中を見ていると、そういう人ばかりが目に映るようになりますので、ほとんどの人間がきっとそうなんだ…生きることは我慢、苦労、大変…と人は学習していくのよ。

だから、「身を置いている環境」の影響って凄いの。これは、よく言われているでしょう? 朱に交われば赤くなる、の世界。
卵が先か鶏が先か、の世界で、いつしか、自分自身が率先して、その「朱」そのものになって自他に影響を与える側へまわるのよ。

「社会」というのはそんな色んな人の先入観の一致と合意でできあがってきているもので。
だから、「みんなそう」に見える、というのもたしかにまぁ、あながち間違いでもないから(笑)その囚われから脱するって容易ではないところはあります。



なんでこう言うのかというと。
なんといっても、他ならぬ自分自身が(笑)過去にはそうでしたから。

だからね、「自分の好きなことをして生きているふうに見える人、自由に見える人」が羨ましかったし、そうなりたかったのよ。
それでなることにした職業が、その昔、作詞家だったんですから(笑)。
私にとっては、の話ですけれど、オンガクを職業にできてそれで食べれている人々が、それに値する、と思っていた、そういうものすごく「狭い尺度の自由」ですけれどね(笑)。
自由なら何でもいい、ってわけではなくて、「こうなってああなっての自由」というこだわりスタイルがあったわけですよ(こういうことじたいが「囚われ」との背中合わせではあるんですけれどね)。
で、自分がそういう世界に飛び込めば、その仲間入りができると^^思っていたのね。

単純に「アタマが不自由」だったとも^^言えますけれどね。
インターネットもない時代だったからね~。とくに音楽業界なんて、ふつ~の人にはよくわからない特殊なところだし、内部情報が普通の人には見えない不思議世界じゃないですか。
なのである意味、「スピ系夢見るお花畑脳」^^的なところを、私は、この時代に思い切り経験しているのよね。
(だからむしろ、その後に本当のスピ系のこっちの道に進んだ時に、「守護天使が~」「ミカエルが守ってくれてる~」とか言い出さない(笑)そういった豪華キャストの登場する「観えない世界ビジュアル」「観えない世界エンタティンメント」のほうに偏らないクールな態度でいられたんだと思う。あと、「好きこそものの上手なれ」は本当なんだけど、それが必ずしも「天職」ってわけでもないよ? っていう世界を、もうわかってしまっていたので、冷静でしたし)

でもさ、自分が持っているそういった複数の「囚われ」が自分にあるまんまだと、「その世界に飛び込めば自分もそうなれる」ってものでもないの。
(スピ系独立だろうが、一般社会独立だろうが、同じ。「これが私の使命!」と息巻いて、周辺に「そうよ~」と持ち上げられていれば成功できる、高次におまかせしていれば全部うまくいく・・・なんてことはありませんよ^^)
確かに「朱に交われば」の法則もはたらくので、私にとっては、昔、音楽業界に飛び込むことで、「世間のジョーシキっぽい感じの世界」の外に、いったん出られたことは、今振り返って思うと、ラッキーだったとは思いますけれどね。
そういう「必要な経験」の段階、というものがある、ということ。
すごく楽しくて充実している、そういう経験もたくさんあったんですよ。
驚くような経験、ラッキーだと感じることも多かったし。
その反対の不運も^^たくさんあったし(そこはバーターなんだ、と諦めようと^^いつも自分を説得していることも虚しかったし)。
それでも、きっとこれは、普通の人ができない経験なんだろうなぁ…と思いながらも、でも、どうしても、何かが足りない、っていうか、怯えている自分、満足していない自分、それが常に隣り合わせで。

そんな感じをも経て、色んな経験たくさんして、真の意味で自分を「自由な人」と言えるようになるのに、ここまで時間かけてるんですよ^^。
石に出会わなかったら、今でも不満足な人生だったかもしれないと思うと、なんか身震いしますよ(笑)。

石がお好きなみなさんには、ほんと、そんなに時間かけないでいただきたいです。切に思いますよ。そのための、石は味方なのよ。




私が以前ね、とある方に、スピ仕事のことで「開業しなよ~~~あなたならできるよ」とお薦めし続けていた時にね、その方はこう言うの。
「自分のまわりで、こういうことで御飯食べることができている人間を、ひとりも見たことがない」と言うんですよ。

だからあたしは、「ここにひとりいるじゃないですかぁ(笑)。目の前に。あたしは、その「周りの人」の勘定に入っていないの?」って返したの。これに関しては、返事がなかったな。

まぁ、その方にとっては、私の存在は「異例」で「単にラッキーな人」で「自分とは別の世界の住人」としか、どうしても映らなかったのだろうと思います。
そのくらいにね、人間って、「自分の見たいものしか目に映らない」んですよ。

「思い込み」「囚われ」って、人によっては、粘着テープ状態で、どうしても取れない部屋の壁紙の汚れ模様みたいな日常になってるの。日常だから、毎日目にしているから、それが当たり前の世界になっていて、他の可能性がどうしてもわからない、むしろ知らない世界が「恐怖の対象」になってしまっている。

あたしなんか、結局、その方にとっては「いないも同然」扱いなんですから(笑)。いるのに。見てるはずのに。ここにいるよ、と、それは実態として言ってるのに(笑)。観えないんですよ。観てくれないの。

観たくないもの、認めたくないもの、になっているのよ。
自分の夢や実現してみたい世界をその位置に、自分から遠いものにしてしまっている人って、多いんだな、って思う。
結局、望む現実が得られない、とか、働けど働けど我が暮らし楽にならず的メカニズムって、これなんですよ(もちろん、ブロックはこれだけじゃないんですけれど。ブロックのうちの強固なひとつが、これ。ということ)。
自分が、自分を認めていない、というのは、こういうことなの。

そういう、ご自身の持っている、「当たり前の常識」「一見それがまっとうにも見える不条理」的な囚われは、ほんとうに外してみてください。
あなた様の周りに、仮にひとりも「その囚われを外して生きているように見える、そんな人」がいないように観えても。

「生きてくだけで大変で。夢だのしたいことだの、そんなこと言ってられない」
「自分がそんなやりたいこととか言ってたら、生きていけないでしょ。誰が働くの? どうやって誰が食べさせてくれるの?」
みたいなこと。人間、思いがちですよね。
「やりたいことはあるんだけど、安定した会社員やめて独立とか、ありえない」みたいな発想もそういうとこから来てるよね。

こういう人々は、自分を満足させるその世界の中では、自分は生きていけない…って、最初から、諦めちゃってるんですよ。
だから、そのための「言い訳」と「それを肯定できる証拠」をね、自分で現実にして、どんどん、自ら刷り込んでいくの。
「まわりはみんなそうだよ」っていう、まわりも使った証拠固めまで(笑)必死でしはじめちゃうのよ。

全部、自分が過去にはそうだったから(笑)。こういう心理についてはひっじょうによく理解しているつもり。
(しかし、こういう類の葛藤から、ほんと、よく脱することができたなぁ…と。書き連ねていて、なんか、そう思いますね。)




もう「自分への言い訳」をこれ以上自分に刷り込むのはよそう。できないと証明するための「証拠固め」はもうやめよう。
石とともに歩むようになると。
こういう、自分に不要なものを手放す意識でいられることや、まず決意する勇気や、実際に行動に移すこと、自分の心に正直でいること、こういうひとつひとつが、やりやすくなるの。
思うことが変わってくる、日々、思っていることが以前とは違ってくる。
そういう積み重ねが、自分にこだまして還ってきます。

だから、確かに現実って…ほんとに「宇宙のギフト」ではあるんですけれど、日々の思い、っていう「こちらからのリクエストへのギフト」なんだな、っていうことが、体験、体感とおしてわかるようになってきます。

自分の現実は自分がつくっている(もちろん全部が全部ではないけれど)自分次第で、かな~り「改変」できることが、私は、石たちの助けを得ることでわかってきて、それが確信レベルとなるのに時間がかかりませんでした。

囚われているものは、ひといきに全部、やっつけてしまいたい…と思うのが人情かもしれませんが。
ひとつ、ヒトツ、いくのがいいと思います。

無理しないで。とりあえずは、目の前に出てきているものから。わかっているものから。
それと並行して、自分がちゃんとそう実感できる「宇宙のギフト」の成功体験を、地道につくっていくことをしていくのがいいと思います。
日々、自己肯定感と、そうじゃないものとのバランスが、いつも、ちょっとだけ肯定感のほうが勝っている感じでいられれば。
その割合、「光の割合」とでもいうのでしょうか。それは、日に日に、気づけば増えていきますからね。




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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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