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変容について

2013年08月11日 (日) 20 : 44
昨日は、私が時々お世話になっている、本山さんのスピリチュアル・セミナーに行ってきました。また、立川。今年は、立川に縁があるな~って思いますね。


「変容について」というお題で、いわゆる「アセンション」についての、本山さんの持っておられる見解を、順序立ててご説明していただきました。
前回、アカシックレコードのセミナーの時は、とにかくビックリマークがいくつも頭の中に点灯するオドロキで、瞬時に腑に落ちて行った、本山講師(というつもりはご本人はないかもですが)のアセンション講義、とっても楽しみにしていきました。


みなさんは、アセンションって、もう終わっちゃったと思っておられますか?
2012年、地球の滅亡もなかったし、これといって大きな事象も起こらなかったし。
やっぱり、ノストラダムスの大予言と同じで、この手の末法思想ってほんと、いんちきだわぁ~あほくさい、っていうのが、一般的見解で、すでに過ぎ去った2012年ですが、そもそもアセンションなんていう言葉すら、いまでもまったく知らない方が、世の中のスタンダードなのかもしれませんよね。


まぁ、そんな流行から^^遠く離れたアセンション、いまだになんだかこだわっていると、やはり此の世の中では奇異な目で見られちゃうのかもなぁ・・・という、「人間らしい恐れ、人目を気にする面」も、もちろん私の中にはふんだんにありますが、それでも、「これって、2012年限定の世紀末崩壊イベント・・・ではなくて、むしろ、実に今現在も続行中で、今、そしてこれからが本番というか、大事な期間を過ごしていることになるんだよね☆」というのが、まぎれもなく事実だと思います。


もちろん、世の中も。少しずつではありますが、変容の兆しも顕れてきています。
ただ、こんな現実の変化のスピードでは・・・と、煮え切らないいらいら感をお持ちの方も、もちろん大勢いらっしゃるだろうと感じます。
意識が、公的であればあるほど、世の中のうらっかわが以前から透けて見えている方であればあるほど・・・この「変わらなさ」というのか変化の遅さは、怒髪天ものとも、言えるかもしれませんよね。


以下は、昨日、私が個人の方に宛てたメールの一文なのですが。。。
これは結局、自分への念押しという面もありますよね。
というか、なにかしらのコミュニケーションにより、自分の中から出てくるものは、相手に対してお話していても、それは自分へのメッセージとなっている・・・ということは、本当に多いな、って感じます。

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2012年12月21日のシフトを境にですね、今現在も、シフト期間なんですよ^^。
「あ~、とくになにもなかったな。2012年アセンションなんて嘘ばっか」ではなくて、続行中なのです。

内面の問題というか、それぞれの人の、イタイところ^^が、だんだん本当に隠せなくなってきているというか、保留にするにも、そこを保留にすると前へ進めなくなってきている・・・だれしもに、そういう現実傾向が出てきている最中だと思われます。

これは個人的感覚ですが、以前よりも、境界線が薄くなっているというか、なので、共感能力的なものがもともと強い方であれば、エネルギー的により外部影響を受ける機会も増えてきているように見えます。
(集合意識なんかもそうです~。昨月ブログ記事で、「カネボウのリコールのニュース」なんて知らなかったのに、自分も自分の問題で「これはリコールになっちゃうのかなぁ」っていうあやうい問題に^^まさに自分が直面していたこと、を書きましたが。リコールって言葉すらそれほど知らずにいたのに、そういう想念が出てきましたから^^)

だから、「自分ってこういう人」って、だんだん言えなくなってきている人も、みなさん言わないだけで、わりと増えていると思いますよ。
でもそれを否定しないであげてください。
認めたくない状態を経験することは、たしかに気持ち悪いものですし、その部分を変容させることがてっとり早くできればそれに越したことはないですが、魂が伝えてくる大事なレッスンである場合には、石はそちらを尊重します。
さくっとひとつの問題が解決することだけが、すべてではないですし。

そういう私も、やはり、蓋をし続けたい問題の蓋をしても蓋をしても、ずっと直面し続けております。
どうしようかと思ってます^^。

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昨日は本山さんの講義のあとに、「ヒューマンデザイン」という、ほぼ完ぺきに自己の立ち位置を、魂が何を意図してこの自己の姿を選んでこの世にいるのかを知ることができるであろう、手法、これを手掛けておられる、本山さんのゲリースクール時代の同期の方の、その「ヒューマンデザイン」とはなんぞや、いうものすごい駆け足の説明がありまして。(ほぼ完ぺきに自己の立ち位置を知ることができるだろう、魂が何を意図してこの自己を選んでこの世にいるのかを知ることができるだろう、というのは、私がそのヒューマンデザインという手法に対して持った感想であり、そのようには説明されたわけではありません☆)


ひととおり終了したあとの、質問タイムにですね・・・。
おおおおお、きたきた~~~、という質問、疑問を投げかけておられる方がいらっしゃったのが印象的でした。


そのご質問者さんは、そのヒューマンデザインが、個人個人の立ち位置、此の世においての自己の役割の属性などを知り、自己を向上させていくためのツールとなることはわかるけれど、それで、世の中変えられるのか? 世の中全体の危機感のないこの集合意識を変容させられる部分には、なにか役立つ面はあるのか? ということを、訴えておられました。


かんたんに言うと、
「今、そうやって、個人の生きやすさだとかを追求している場合か? こんなに危機的な世の中に、安穏と、本当の自分を追求などしている場合ではないのでは? そして、自分のことしか変えられないのであれば、自分一人が向上なんかしても、やる意味ないんじゃないか」ということを、おっしゃりたかったのではないのかなぁ・・・と感じました。


その方から見て、「変わらない多くの人のイシキ」というものが、とても危機的に見え、その方は「それを変えられない自分」に対して、とてもいらいらしている・・・そういうふうにも見えました。
つまり・・・変わらない世の中に、もし見えるのだとしたら、それはやはり、自分が自分を変えようとしていないから。そこと連動してしまうのですよね。


個人的には・・・少し前になりますけれど、JR南浦和駅での電車乗客全員での、電車の車両とホームのあいだに落ちて足がはさまった女性の救出劇という・・・誰に指示命令されるでもなく、「全員が、たったひとりの人を助けようと、察して、行動する」ことができる、そういうところがもうDNAの中に備わっている「日本人ってば☆」なほっこり感覚というのか、そういうニュースなんかも、見せてもらったばかりですし。
かくだんに、日本人って、人の目を気にするという部分が、良い面悪い面両方に顕れやすいところはありますけれど、やはり、ハートの中に良心を住まわせている、人が人としての誇り、思いやりを持って目の前のものごとに対処する・・・という面では、良質な国民性が備わっていて、天が期待する国・・・というかまぁ、役割はあるなぁ、と思うし。
それだけに、いらいらしちゃう方の気持ちも、わからないではないんですけれどね。
(日本は「世界中の国のお手本と本来はならなければならない立場」であることから、いつまでも逃げてはいられないんだろうなぁ・・・というか、そこにもたしかに「タイムリミット」はあるとは感じますけれどね。。。)


本当の自分を追及したり。
自分を向上させたい、と思うこと。
世界は変わらないのに、世界のためにも、って想いを持ちながら、そうし続けること。
でも直接的には、とくに誰もが政治家であったり、なんらかの意思決定機関の権威ではなかったりすれば、システムは変えられない。
たしかに、焼け石に水・・・かもしれない。
自分ひとりがどんなに変わったって、世界は変わらないかもしれない。
しかし、やはりですね、実は、ひとりひとりが、魂の此の世で成したいことの意図を掴む努力をして、向上すること、変容することで、やっぱり世界は変えられるって・・・私は、感じますね。




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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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