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2013年05月15日の記事のリスト

ハートに入る練習中

2013年05月15日 (水) 18 : 31
フラワーオブライフを読んでいない、ってブログに書いたら、「ハートの聖なる空間へ」という本を送ってくださいました方がいらっしゃいました。さっそく付録でついている誘導瞑想のCDを使って、ハートに入る練習しておりますが、「おっっ自分は今ハートの中にいるぞ」という確かな感覚やビジョンにはまだ遭遇していないような気がします。


あれなんですよね、けっこうこういうのって、なにかと「洞窟」であるとか、映像イメージがこういうものである的な前情報が入ってしまっていることが多いので(そもそも本にもドランヴァロさん本人の見ている映像のイラストが随所にあったりしますし)、そういう映像をなんとなく期待しちゃうというか、いわゆる「自然の風景っぽい画像」がスタンダードなようなところがあるため、実はそうでもないものが出てくる可能性もあるからね、って部分、つまり「なにが出てくるかわからない」という「空白地点」まで意識を持って行くことが、けっこう難しいのかもしれないな~と。


石なんかもやっぱりそうですね。
すごく自由度の高い世界だと私は思ってはいるけれど、それでも時々、自分の感覚オンリーを信用できずに、けっこう「証拠揃え」的に、外側情報をかき集めて検証しているような時もありますし。
(これは自分の独断、決めつけ、みたいなものを回避する、という意味では、悪いやりかたではないと思います。ただそれが、たとえばもし「誰もこういうふうには言ってないな」であったとしても、だからそれが「間違っている」ではない、というふうに、つまり「ではどうして誰も言っていないのに、自分はこう感じるのかな?」っていうふうに仕向けていく材料提供されている・・・と思うことが、けっこう大事かもしれません)

「人によって言ってることが違う」って、昔はよく言われていた天然石の世界ですが、最近は「コピペ的とも思われる」な販売者さんのほうが圧倒的ですので、それほど言っていることの差異があるようにも見えないけれど、そのぶんの、「必ず出てくる」その奥行きや例外は、持ち主さん自身が見つけていかなくてはならないし、また、石のほうでもそれを持ち主さんに望んでいるというか、期待しているように思います。
コピペ的な感じがあまりしない販売者さん(自分のような事例)の言うことであっても、それは「一側面」に過ぎず、やっぱり、石っていうのは、その持ち主さんのパーソナリティーによってもともに成長、変化していくようなところのあるイキモノというか、厳密には生物ではないので、カタチを伴った意識体とでもいうのか。


話がそれました。
さて、そんなハートに入る練習中である私ですが、昨日はちょっと「おっ」っていう映像が感じられまして。
なにかと上記にあるように「洞窟」とか、なんだろう、場所特定できそうな映像が取沙汰されるのがこのテの世界の話なんですけれど、そういう感じの「こんな場所っぽい」感じはついぞわからなかったのですが、実は「アカシックに入る時のシンボル」にも出てきたことのある、見たことのあるブツが、登場しまして。
なので、もしかすると、私はハートの聖なる空間に入っていたのではなくて、自分のアカシックのほうへアクセスしていたのかもしれないです。
ガイドさんらしきヒト(ヒトっていうか、ちょっと宇宙人ぽい感じ)も登場していましたし。
で、そのシンボルみたいなものを持って、ぐるぐると螺旋階段のようなものをガイドさんについて上がっていくわけなんですが、頂上というか、光のある場所に出てきて、ぱあっと見晴らしのよい感じのする広い場所に出てきたわけです。
で、ガイドさんに促されて(言葉は使用してません)そのシンボルを、たぶん海原だと思うのですが、その高いところから海に向かって放り投げた、いわゆる「捨てる」ということをしていました。


たぶん、ハートの聖なる空間に入る前に、捨てるべきものであったのかと。
しかし、アカシックに入る時のシンボルとして見たものを捨てるって考えてみるとちょっとヲイヲイ・・・って気もしなくもないですが、それを海らしき場所へ向かって放り投げている時の気持ちは、なぜだかとても心地よいすっきりとした気持ちというか、「そうするべくしてそうしている」肯定感があったんですよね。


これがいったい何を意味する行動なのか、というか、そもそも流れとしてどうしてハートに入ろうとしちゃっているのか? っていうのも、考えてみると、自分でそうしたくてしているというわけではないですね。
なにかこう、ケセラセラな感覚というのか、それとね、もう大半の方は2012年が一見ふつうに過ぎてしまったので、長年、特定のスピリチュアルなフィールドで語られてきたアセンションのことなどもう終了したブームとして、結局ノストラダムスと同じでよくある終末論のひとつとして忘れ去られておられるかもしれませんが、私はアセンション世界は実はこれからが本番なんじゃないかと思っています。


でね、その世界では、ハートの磁気エネルギーで人は生きて行くというか、今現在でしたら、どちらかというと「気」という、日本語にもある「気の持ちよう」という部分が、けっこう人の人生模様を左右する、世界を形成していく面がありましたが、それプラス、ハートの持つ本当の力が開花していくんじゃないか、それがアセンションなんじゃないか、って。
「気の持ちよう」というかなり確信的に手応えの感じられる世界観でさえ、今現時点のこの世では、少数派のたわごとにしか^^聞こえない手法でもあるので、その上を行く難関「ハートの持つ本当の力の開花」なんてことになっていくと、もう完璧に「同次元においては実現性は厳しいんじゃないだろうか」とも思えてしまう面はありますが、現状では、いわゆる宇宙カレンダー的には、地球がその方向で行こうとしているのは、わりと現実のようでもあるようですし。


まぁこれはどこかに書いてあったことではなく、私の妄想です。
そして、自分自身が今現在どの程度どのハートの持つ潜在的な能力を、この世界において活かしているのか? というと、まだ実は一割くらいなんじゃないか、石のことを感じたりする時で三割程度、そんな感じじゃないのかな~って。
石に関しては、完璧ではないかもしれませんが、自分の中のどこで感じ取ろうとしているかと言えば、やっぱり、ハートの声なんですよね。
でもたぶん、それでも自覚できる部分では、三割くらいじゃないのかな。


私としてはここの精度も上げていきたいです。
まぁ、私が自発的に持とうとする向上心の類って、そういう「まき餌」みたいなところで保ってるようなところもありますし。
今はそれも、見た目誰にとってもおいしい実利のあることが確定しているように感じられるまき餌、というわけでもない分野ですので、より、このハートに入る世界というものが現実にあるということを、そして実はそれがもっとも個人においても全体においても、おそらく世界を形成するうえでとても有効な手段であることを、いい意味でプロパガンダしていく、それも「なるべく、わかりやすく」というチャレンジしがいのある表現能力を培うことを意図してやっていく、きっとそういう時期なんじゃないかなぁ、さすがに。というふうに感じます。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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