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2011年07月17日の記事のリスト

石の浄化

2011年07月17日 (日) 16 : 26
この「石の浄化」というタイトルの文章は、随分以前(たぶん、2005年頃)に書いたと思われるものです。
今日、ちょっとしたついでに、パソコンをいじっていて、たまたま見つけちゃいました。
ブログにはあまりこの手合いのことを載せていないので、こういうのも時にはいいかな? と思ったので掲載しておきます。



「石の浄化」

浄化に関しては、よく「パワーストーンの取り扱い方」的に言われているのが、

・流水にさらす。(浄化)
・塩埋めする。(浄化)
・太陽光・月光に当てる。(浄化・パワーチャージ)
・土に埋める。(浄化)
・お香、ハーブ(セージ)の煙でいぶす。
・水晶クラスター(アメジストも可)に乗せておく。(浄化・パワーチャージ)

などです。

流水は、水道水ではなくて、湧き水やミネラルウォーターが良いとか、一晩水道水を流しっぱなしでさらしておくとか、その謂われは一様ではありません。
日光浴、月光欲にしても、丸一日とか、三日三晩とか、午前中の太陽光のみ、とか、やはりその謂われはさまざまです。
水晶クラスターにしても、人によっては「すべての石のパワーが無に帰する」とか、「すべてをリセットしてしまうので、願掛けが無効になる」だの、かなりオカルティックに人を怖がらせるような謂われを主張する人もあり、様々です。

石の浄化で、大事なこと、肝は、「持ち主本人が、それをやりたくてやる」ことに尽きるということです。要するに、「石を好きになる」ということです。

浄化中毒になってしまって、本心では「面倒くさいなぁ」と思っているのに、義務感とか「これをやらなきゃ石が力を発揮しないから」というような現世利益というか、人間側の都合である、自分自身の願望に執着する心から、浄化を繰り返しても、石には何も伝わらないです。
本末転倒にならないように、「自分が何のために石を浄化しているのか?」を、よく考えると、それこそ石に気付かされます。

まず、石に嘘はつけないです。自分の本心に嘘がつけないのと同じことです。
なので、面倒くさいなら無理しないこと。
自分の好きな浄化方法、無理のないやり方で充分です。

私は、水道水、クラスター、日光浴、たまに気の向いた時にお香、ごくごくごくたまに、月光浴、それくらいです。その頻度も、かなりアバウトです。
日光浴も、すごく短時間です。つまり、自分自身が日光浴を充分堪能したぞ、と思えるタイミングで切り上げています。

時々、神社でお水をいただいてきて、石が埃を被っていたらそのお水を含んだ布で拭く、などの、自分で思いついたやり方や、あと、気がついたら「見る」「声に出さなくても、何か話し掛ける」その程度です。
そこに、石にいてもらうことが嬉しいと思える自分がいる、それは、石のほうでも「そこにあなたがいるのが嬉しい」という相思相愛状態を示している証です。

それで、石が何かしてほしいことがあれば、サインを出してきます。
好きな人のためには、人間も骨身を惜しまないですよね。
だから、自然に「石を好きになれば」、相手である石に喜んでもらいたいから、石が喜ぶようなことをするようになってしまうのです。

これは、私自身の体験ですが、私などは「石に浄化が必要」ということすら、長年知らないで、パワーストーンを手にしてきた人間ですが、石は、ちゃんと働いていました。

たとえとしては微妙かもしれませんが、たとえば、ペットの犬。
犬は、綺麗な洋服を着せてもらったり、ドッグカフェに連れて行かれたり、綺麗に毛をカットしてもらって見栄えを良くしたり、ということでは喜びません。

これは、すべて「犬を誇示したい、人間側の見栄、自己顕示欲」です。
「かわいい犬を連れている自分」に満足しているのは飼い主だけで、犬は、人間のその自己満足の道具にされているだけ。
犬を可愛がっていることは事実ですが、心の中の優先順位として、「かわいい犬を他人に見せびらかしたい」欲求のほうが強い場合もあるかもしれません。

じゃ、犬は、どうしたら、喜ぶのか。
飼い主が、心からの愛情をかけて可愛がり、遊んであげる、それだけです。

いっしょに楽しめる時、綺麗なドッグカフェに連れて行ってもらえなくても、飼い主がいっしょに楽しい思いをしながらの近所の散歩、それだけで充分です。
犬は、飼い主の心にとても敏感です。
まっすぐでポジティヴな曇りのない飼い主の愛情が、大好き。
飼い主がトップブリーダーでないからと、可愛い洋服を買ってくれないから、と、自分の境遇に不平不満や文句を言う犬は、存在しません。

石にも、この感覚に近い部分があります。
(ワンコのように、愛情を求める動作さえしない、与えっぱなしの愛、見返りを要求しない愛、という点では、犬よりも次元が高いわけですが。)

そして何よりも、鉱物の持つ次元というのは、より神性に近いものがある(波動がより高次元に志向している順番は、現状の世界では、鉱物>植物>動物>人間、となります。その生態を真剣に観察、考察すれば、一目瞭然)ので、石を愛する心、石を綺麗だな、と思う心、石を大切にする心、感謝する心、そして何よりも、変わっていく持ち主の姿を見せてあげられることが、石たちにとっては、何よりの浄化・パワーチャージです。

彼らにとっては、その変化を持ち主といっしょに体験する喜びが「目的・成果・報酬・力の源」なのですから。
「石が喜ぶ=自分が喜ぶこと」なら、形式どおりの「浄化方法」でなくても、たとえば、自分独自の浄化方法「これは、浄化だ。」と、自分も楽しいと思えることをするのがベターです。

「こうでなくてはいけない」という宗教の教えのような思い込み、固定観念、強迫観念に縛られること、それが最も、石たちの願うところから遠く離れた世界です。

浄化が必要なのは、人間側のほうで、本来、自然そのものである石に浄化は必要のないものなのです。


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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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