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2010年05月19日の記事のリスト

Made in Japan

2010年05月19日 (水) 19 : 50

国産和牛絶滅の危機? というようなニュースを見つけました。
宮崎県の「和牛の種牛」が口蹄疫という伝染病に感染している、ということのようです。
松坂牛や但馬牛などの、国産ブランド和牛の「モト」の種牛さんというのがいる、ということを、このニュースで、逆に初めて知りました。
この種牛さんたちがいなくなると、そういった和牛たちそのものが、存在できなくなる可能性もあるそうですが、対策が後手後手となっている様子。。。


話はぜんぜん違いますが、
今月、実はこの「国産」ストーンに、ようやく着手しています。
Made in Japan、の石といえば・・・。そうです、翡翠です。糸魚川翡翠。


実は大昔は日本は「水晶大国」とも言われ(なので、日本の「国石」は水晶)大量の美しい水晶の産出国であった歴史があるのですが、それ以前にず~っと遡って、縄文時代だそうですが、「翡翠文化」が存在していた・・・というのは、有名な話です。
いや、有名な話、というほど、ではないかもしれません^^。
なにしろ、その縄文文化の勾玉の素材であった翡翠が、糸魚川産のものであったこと、そのものが発見されたのが、昭和の話のようですから。
この謎の翡翠文化は、聖徳太子の時代以降、つまり、仏教が海を渡り日本の歴史に顔を見せ始めた以降は、すっかり消え去ったらしいです。
世界の中で、他に「翡翠文化」らしきものがあった時代は、かのインカ帝国時代、ガテマラ・ジェードが有名ですが、南米ペルーでも、宝として扱われてきた石。


日本各地で出土される勾玉に使用されている翡翠は、なぜか、「糸魚川」のもの・・・なんだそうで。
日本の中で翡翠が産出される地域は、糸魚川だけではないのですが、おそらく、その昔、糸魚川翡翠というのは「ブランド」だったのでしょうね。今もそうですが。
「やっぱり、糸魚川の翡翠じゃないと。」
ってなことで、遠くはるばる日本各地から、糸魚川の翡翠を求めた「豪族」さんたちが、いったい何と引き換えに手にしていたのだろうか・・・と想像しちゃいますね。今の時代でしたら、まぁ、「お金」なんですけれど、それに代わるようないわば財産的なものなんでしょうか。


その糸魚川翡翠ですが、かつて水晶大国と呼ばれたその水晶が枯渇してしまった歴史の反省からかとも思われるのですが、大掛かりな採鉱は禁止されており、国立天然記念物として、糸魚川の産出地そのものは保存されちょります。
それなのに、ぁあんで、糸魚川翡翠の原石があるのさ~、というのもギモンっちゃギモンなんですが^^、拾うのはオッケーなのと、掘れば出てくることはわかっていながらも、掘らないところで見つかる原石、というものもあるのでしょう。あれですね、イギリスのストーンヘンジだとかの石も、採掘禁止なんだそうですが、そういったストーンヘンジの石を扱う業者というものは周辺にわずかながら存在します。それと同じような糸井川翡翠原石を扱う業者さん、というのも、わずかにいらっしゃるわけですね。


昨今エジプト政府が、リビアングラスの採掘を禁止してみたり、イスラエル政府が、エイラットストーンの国外輸出を禁止しているように、世界中の国々が、わりと、国産の石、そこでしか産出しないタイプの石を、商材として、無尽蔵に掘りつくして売り物にしてしまわないように、という動きがあるのも、実際の石の世界の話でもあります。


まぁ、そういった、流通経路の限られた希少石である、ということもありますが、
ながらく自分、「国産ストーン」には、手付かずでした。
いやはや、長い道のりであったと思います^^。
「石道」^^というのがあるとしたらば、なんでしょうかねぇ、「まだ自分は手にする時期じゃない」だとか、「扱えるような器じゃない」だとか、そんなところでしょうか。
ようやく、でしょうか。
で、ようやく・・・・ながらも、今この時期だからこそ、って気もします。


実際、糸魚川翡翠を手にしてからも、「お伺いたてまくり」ではありませんが、石そのものにももちろん聞くけれど、ほうぼうの神社さんにもお伺い立てに行きました^^。(といっても、うち周辺の、ですが。氏神さまの鳩森神社さんはもちろんですが、明治神宮、代々木八幡神社・・・などなど^^、うち周辺はいわゆるパワースポット系なのです^^。実際、代々木八幡のあたりというのは、わりとですね、世界各国の宗教関係の建物、キリスト教の教会とか、イスラム教のモスクとか、が多い地域なんですが、その理由は、実はその手のエネルギーの土地だから・・・というような話を、昔聞いたことあんですけどね。近くには「OKストア」もありますがね^^)
だからといって、そんな畏れ多い石、というわけではないですよ^^。
見た目そのものの美しさでいったら、ミャンマー産のほうが、綺麗ですしね。
そういうことではないんです。


エネルギーそのものは、非常に強い石かな、と思います。
アゼツライトを持ってないんで^^、その名にたとえるのもどうかと思いますが、今の時代に、日本人の魂のために用意された和製アゼツライトみたいなものじゃないかな・・・というのが、私の感じた感想ですかね。
いろいろなところに流通しまくっていない、どこかの会社や鉱山主が商標登録なんてしていない、ここ近年ずっとの石ブームの中でも、日本を思う神様が、目立たないように^^大袈裟にその力を誇示しないように、目をつけられないように、ひそかに守ってきた石なんじゃないかな。


そんな、目立たないようにしていた石を、石使いの自分がですね、鳴り物入りで^^お出ししちゃうのも・・・ってことで、「こりゃ、お伺いが必要。」と、時間をかけて相談したわけですよ。


まぁ、反省多き過去世、前世の自分の所業を^^自分に自覚させてくれた石です。
反省が多いのは、過去世、前世、に限った話ではなく^^、もちろん、現在進行形の現世でも同じですがね。
反省多き過去世、前世の自分の所業を自覚することが、いったい何に繋がるのか? なんですが、
それは結局、大切にしなくてはならないこと(ならなかったこと)の姿が、捉えやすくなってくる、という意味では、いいんじゃないでしょうか。
過去になにで躓き、今回それをどう克服していくのか、の、魂のテーマというか、輪郭が、今も似ていることを知れば、ひとつひとつ、自分が選択する心の思いへの気配りはしやすくはなるかもしれません。
まぁでも、これは必ずしも、誰もが知ったほうがいい、というようなことでもないですがね。
そういう「繋がり」があるんだ・・・ということが、かえって、「呪縛」となることだって、人生にはあります。


この翡翠は、おそらく、その人その人の、魂のテーマにあわせた、シンクロニシティを、絶妙なタイミングで連れてくるタイプの石だと思いますので、「私に起こったようなことが、あなた様にも起こります!」みたいな、奇跡の石、っていうようなものではないと思います。
ある人には、はいあがるためのステップを用意し、こっちの人には、病気が快方へ向かうための心体状況をつくり・・・、というような、なんでしょうねぇ、結局のところ、幸も不幸も、状況というものは常に「中立」なものなのですが、そこへの意味づけ、捉え方、そしてその「運び」づくり・・・これは、誰もが自分でやらなければならないことで、それがうまくできる人であること、を、言うなれば、幸運、と呼ぶのだろうと思うのですが、そういう意味では、セルフ・メイドの幸運づくりの石・・・ですね、きっと。


縄文時代の人々は、おそらく、今よりずっと、日常がシンクロで当たり前だったのだろうと思います。
そして、シンクロしない日常となることへの、それが恐れだったかどうかはわかりませんが、神様(宇宙、ともいえるし、光とも、法則ともいえます)を離れないための一種のツールというか、お守りというか、シンボルというか、まぁ、人間はかたちあるものを必要とする宿命的な「霊、肉」を伴う存在ですから、そのかたちをつくる素材として絶好な石である糸魚川翡翠を、その昔、求めたのであろうと思います。


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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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