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2010年04月09日の記事のリスト

4月の予告編

2010年04月09日 (金) 22 : 14

制作の日々に入ると、パソコンの前で落ち着いていることが非常に少なくなってしまうため、記事更新が滞る・・・というのが、例月パターンになっていて、すみません^^。


そんな中、自分の過去記事を、くまなく? なのか、ご覧になっていただいている方なども、ちらほらちらほらいらっしゃって、嬉しいです。
新規記事を更新していないぶん、なんかそこいらで発見してくださるのは、とても助かります(ヲイ)。


それでそういうみなさまの中で、勇者となると、「過去のこの作品と同じ石組みのアクセサリが欲しい」ということを、直接ご連絡いただける方も、ちらほらといらっしゃるのですが、非常に不思議なのですが、「それって、今月やるつもりなのよ~。石、仕入れてるとこ、見てました?」なことが、わりに多いのです。
なんなのでしょうね。。。
でも、こういうお声があると、「おお、今月で正解ってことね」って思います。


その、「仕入れるとこ、見てました?」な石なんですが、先月ようやく見つけたその石は、ドラゴンブラッドジャスパー。
いえね、ドラゴンブラッドのはたらきについては、もうあらためて申し上げなくてもですね、このブログ内検索でもって、「ドラゴンブラッドジャスパー」って入力していただいて、検索してもらえれば、出てきますので、時間のある方はご覧になってみてください。
もっと時間のある方は、グーグルなんかで検索していただいて、調べていただくと、いかにあんまりそこいらじゅうで売っているわけでもない石だとゆうことが、おわかりになろうかと思います。
ヘブン&アース社さんのワイヤーラップのペンダントとかで、5千円くらいだったかな。そんな感じ。


で、そのドラゴンブラッドものは、過去にも何度かやったことはあるんだけれど、ビーズが底をついていたので、もうできないな~・・・いい石なのになぁ、って、思っていたら、先月見つけたんですよ。
血湧き肉踊りましたね。
なんか昨今、マグネタイトなんかもそうなんだけど、「グラウンディングしろよ、しっかり肉体を維持しなさいよ」な石、多いな。
結局、「肉体ベース」なんですよね。
身体というベーシック部分が正常に、清浄に、機能してこその、スピリチュアリズム。


身体の回復力と、心の回復力、結局、リンクしてるし。


春になって、さまざまなニュースを目にするけれど、あれですよね、「立ち上がれ日本」とは言われても^^、立ち上がってなにをどうすればいいか、みたいな部分で、誰しもが怯えちゃってるというか、「動かないこと」をここ近年の姿勢として死守しているうちに、動き方を心と肉体が忘れちゃっている・・・いわば心の運動不足じゃないけれど^^、それが閉そく感みたいなものに繋がっていって、その空気が蔓延してるんじゃないのかな。。。
すべての原因ではないけれど、一因ではあるかもしれませんね。
「今、立ち上がっちゃうと、失敗しそうだから、様子見」
となっているうちに、立ち上がって歩いていくことそのものが、しんどくなっちゃっている・・・そんな感じ。
失敗することへの、過度の恐怖感が、さらに上塗りされている、そういう昨今なのかな。


そういう空気の中では、「創造性」そのものが発揮しづらくなっていきますよね。
だからなのかな、そういった創造性にかかわる類の、石ブレスなんかのオーダーが、増えているんですよね。
創造性を発揮させる、と言われる類の石、それだけでは、なんとなく対処療法みたいなものかもしれません。
創造性っていうのは、自分ひとりの力では、そもそも発揮できる力ではないことです。


ここんとこ考えていたのが、「人は、自分で自分を救えない」んだよな・・・・っていうこと。


これは、自分のアクセサリを買ってくださっている方の中で、いわばリーディング系の能力をお持ちで、人の未来がわかる方に、私がかねがねギモンとしてた「で、自分の未来は、そういう場合、わからないの?」という質問に、「自分のことは、よっぽどの状態でない限りは、見ないし見る気になれない」とおっしゃっておられたんだけど、なるほど、と思いました。
能力というものは、「自分のために」はたらくものではないのだな、ということ。
つまり、自分自身が苦境から脱したいがためのリーディング、その精度は、おそらく、人を見る場合と違ったタイプの答えが出てくる可能性が大きくなるのかもしれない。
占い師さんが、「自分のことは当たらない」というのに、近いのかな。


たとえば、どんなに「手術の名医」であっても、たとえば、自分を治さなければならない事態に直面した時、その手腕を自分にふるうことはできない。
だれかを信頼して、執刀をまかさなければならないわけです。自分の手術はできないんですよね^^。


十字架にかけられたイエス様も、さんざん大勢の人間を救った超能力、霊能力を発揮しながら、自分自身のことは、救わなかった。
正確に言うと、救えなかったのではないかと思う。
自分に向けては、発揮されない、それが、超能力の世界なのではなかろうか。


「自分を救いたくて」パワーストーンを持つ人は多いと思う。
「潜在能力を発揮したくて」そういう石を探す人も、多いと思う。
救われたその先に、潜在能力が発揮されたその先に、自分ではない、自分以外の人を見るとき・・・その人はもう救われているし、その能力は活かされているのではないだろうか、と思う。


自分がドラゴンブラッドを見つけたのも、そして、今回「うひゃひゃ」な感じで、アクセサリを作っている最中なんだけど、「ああ、こりゃ、自分のためではないよな」と感じるんですわ。
だって、自分のためであれば、私はもうこの石は持っているのだ。
というか、ドラゴンブラッドに限らずですけれど^^、自分のために、の石、というだけなら、今これをやっていない・・・。


しかしながら、生きるとは難しいもんですね。
自分のために、という部分を、ないがしろにし過ぎれば、それはそれで、自己犠牲という膿をためていくことになるし(そもそも、自己犠牲とは、なくていいものなんだそうで)、自分のために、という部分が、過ぎれば、それはいつまでたっても「満たされない」心を生む。
石に触れていると、その時々で、そういった偏っていった部分が、いかに偏っていたかに、気づかされることも多いです。


上記のドラゴンブラッドではなく、どこにでもある石、ですが、「ローズクォーツ」は、もう、立ち上がれ日本人的には^^全員持ったほうがいい、そういう石なんじゃないかと思うくらい^^、万人向けだからこそ、どこにでもあるのかもしれません。
「愛がベース」の発想、着想そのものから、「常識的に」これからもますますどんどん離れていかされる仕掛けが用意されている世の中のような気がしますわ。。。
「愛が常識であった世の中」ということじたい、そもそもが未経験なのかもしれないけれど、それでも、年々、「そうではなさそうなもの」の匂いが蔓延していってはいることくらいは、わかりますからね。。。
ローズクォーツは、「愛が常識」であることを、疑わない意思を連れてくる石。
だから、癒されるわけなのだ・・・・・と、毎年毎年、4月に「桜を見るたび」に、「ローズクォーツ考」へと走る自分なのですが。




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カテゴリ :  私の体験(石系 & スピ系)
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