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2010年03月19日の記事のリスト

2012年って、実際もうすぐなんですよね。

2010年03月19日 (金) 18 : 13

「仕切りなおし」が必要だわ・・・・・って必要性を無意識に感じていたのも、おそらく有意識のこの「2012年って、もう目の前だわ」にも影響するのかもしれません。


自分がこのブログを始めた頃、心のどこかに、「天然石ブームと、この2012年モンダイは、無関係ではないかも。」というのも、実際にありました。
どうして無関係ではないのか、の根拠には、自分の中に実感として、「石たちが向いているベクトル」が一貫して、「魂の向上」にかかわるものであること、彼らがもたらす「チカラ」的なものは、結局のところ、そこへ繋がっていくがための、「成功」「改善」「復縁^^」「必然(偶然、シンクロ、含む)」なんかの、もろもろの「うっそ~~~。信じられない」の現実化だったりすること・・・であることに、経験的に気がついていたからです。


そういった、「あやしい」の二文字でいいオトナならかたづけていたであろう、天然石が、なぜか「ブーム」になろうとしていた兆しは、2004年頃にはもうあったのかな。
しかも、わりと、「いいオトナ」のほうが、そこに傾倒していっている(自分も含めて^^ですが)のは、これは、ある方向からの神計らいというのか、それだけ、「スピリチュアリティへの目覚め」を、人間は、日本人は、急かされているのだ・・・とも感じていました。
自分は2005年当時、「石(パワーストーン)の本があまりにも少なすぎる」ことに気がつき、本を書きたくて出版社を奔走していましたが、やはりその読みどおり、2006年以降には、わらわらと書店に天然石関係の本が、堰を切ったように溢れ始めましたしね。
今はもう必要ないくらいに書店の棚には石の本がありすぎかもしれません。
(そうそう、時々、「本になったら、読みたいです~」などとおっしゃってくださる方もいらっしゃって^^、そんな風におっしゃっていただけることじたいは、それはそれで大変光栄で嬉しいんですけれど、自分自身としては、「今となっては本なんて出せなくて良かったんだな・・・」って思ってるんです^^。たぶん、あの当時、なにかうまいことやって仮に本を出せていたとしたら、今の自分はいませんしね。たぶん、「鼻高さん」となってあらぬ方向へひた走っていたんじゃないでしょうか^^。もともとが、自己顕示欲強いほうの人間ですから)


あの当時は、我々の目の前に、次々に、今までには考えられなかったようなあらての石たちが、どんどんやってきました。
懐かしいですね。
大昔には、「石のブレスレットだとか、アクセサリを、誰もが作ろうと思えば、ビーズ買って作れる」ような時代になる・・・・・などと^^、想像したこともなかったし、そんなものを作りたくてしょうがないような人間に、将来、自分がなっている・・・・・などとは、微塵も考えたこともなかったでした。


今現在の我々は、というか、それは今現在に限った話ではないのですが、結局のところ、ず~っと選択の渦の中にいるのでしょうね。
なにを選択すればいいのか、もう、わけがわからないくらいに、おびただしい数の情報も、モノも、有形無形に溢れかえっている。
自分が欲しいと思うものだけに囲まれているわけではなく、いらないものも数多い。
そして、欲しいものの姿でさえ、時として見失う。


それでも、螺旋の渦は、静かに静かに、時を刻み、前へと進んでいく。


スピリチュアル的には、「宇宙へゆだねちゃいましょう」で、モンダイが解決する・・・かのごとく、で、実際にたしかに「手放しちゃう」ことでモンダイは解決することはするんですけれど、もちろん、手放すことと、なにも策を講じないでいることは、イコールではない。
やるだけやって、選択や行動の結果をジャッジしない、そして、時には、想像とは違っていたりする展開も大有りなんだけれど、それを必然と感じ取れるリテラシー(別名「感謝」ともいう)があるかどうか・・・・このへんが、実際に口だけじゃなく、「宇宙にゆだねちゃってる」かどうか、自分の本心のありかが垣間見れる部分なのかもしれないな、と、私は思うのですが。


しかし、このままだと、本当に2012年は、姿を現しますな~^^。
そのとき自分が生きて2012年を迎えているかどうかは、定かではないにせよ、あと、2年足らず。


自分はもともと、目に見えない系の世界の話とか、陰謀系の話とか、好きでしたのでね^^。
わりと早い時期に、「この世はどうなっていくんだろう」的に、そのテの終末的論調のサイトだとか見つけては、ふんふん、と読んでみたりもしていました。
その頃は、「2012年なんて、まだまだずっと先の話」でしたし、2012年どころか、来年だってわからないよなぁ・・・という、不安満載の日常を送る営業マンでした^^。日月神示を知ったのも、考えてみれば、10年前くらいでしたかね。その頃から、日月神示の意味する終末論的な部分にスポットを当てている人は、大勢いらっしゃったように思いますが、自分は、そういう「どうとでも解釈できる部分」よりも、本を入手してみて、自分で原文を読んでみたら「日常のものごとの捉え方部分」についての記述のほうが、ずっと自分にとってはありがたいものであったことを知りましたが。


ず~~~っと以前にハマッた、というか、なかなかに言い得てるなぁ、と思っていたのが、D所長のサイトだったり。(細部の予言的な内容の時期じたいは「ハズレ」てはいるのだけど、それはそれというか、そもそも「今」必要なことは、「先に何が起こるか」を当てることではないわけで)


こういう、スピリチュアル的思想の世界に首を突っ込み始めると、その当初っていうのは、現実世界に適合が難しくなる^^っていうんでしょうか。
なんか、非常に、世の中のすったもんだが、自分を取り巻く世界、そうではない世界含めて、あほらしく薄っぺらいものに見えてきちゃって、別の意味での「厭世観」も芽生えてきたりもするんですよね。
かえって「生き辛く」なったりもするもんです。
この世界を作っているのは、他ならぬ自分なわけですから、そういう場合の「生き辛さ」の感覚というのは、「膿み出し」でもあることに、のちに気がつきましたけれど。


この世では、人にそれを要求するのではなく、自分自身が「愛ある人間、与えることができる人間」となる必要性があることがわかっちゃうと、かえって「アイセルわけないやい」な状況ばっかりに遭遇することだってあります。
まぁ、これなんかも、ある意味「ひっかけ問題」というか、光明を知る前の一波乱なだけなんですけれど。
価値のあることだからこそ、困難で、苦しくて、邪魔が入るわけですよ。


自分にとっては、天然石は長年ずっと細々と好きではあったんですけれど、別の意味での「パワーストーンって、本当だ」を自覚したのも、石の波動が見えるようになったり、石が言っている(正確には、それは言葉ではないけれど)ことがわかるようになってきたのも、こういう頃とクロスしていて、で、その石が「在家であってこそ、解脱の真髄がある」ことを、ひとつひとつ教えてくれているのがわかったわけです。


この場合の「在家」というのは、市井の中に、俗の中にふつうに善い人として生きる、ということです。
つまり、石を使ってなにか自己の霊的覚醒のようなものを求めて、求道者的な修行や小技(いわゆる霊的能力系ね)という特殊能力を身につける浮世離れした「出家」的な行動に走らなくても、無理にナチュラリズムに目覚め生きようとしなくとも、フツーの社会の中で揉まれ苦労しながら、社会の中で仕事や人間関係を通して、その中で魂を磨いていくこと、そこにこそ、手に職、ではありませんが^^、実態として顕現していける「逞しいスピリットの実力」を磨けるのだ、ということ。


これは、おそらくこの地上、地球上に生きる誰にとっても、不変の真理ではないかと思います。
そして、必ずしもそこに「石が必要」というわけでもありません。
確かに助けにはなってくれる面は多々ありますけれど、石は、免罪符代わりにはなりません。石持ったから、これでカルマが消滅♪ などということもありません。
課題をひとつひとつ片付けていく、一歩ずつ進んでいくのは、自分自身の霊的意識、肉体意識、に他なりませんから。
その、「できることから逃げていたこと」を知り、「できる自分であったこと」を、教えてくれる、背中を押してくれる存在、というだけです。
(押しには強弱^^ありますけれど)
先日の記事のモッカイトが、とても、そういったパワーストーンらしい一面を見せてくれています^^。
「復縁の状況は作ってあげるけれど、よくも悪くも、そこからの気づきはあなた次第だよ」そういう感じ。


結局のところ、この世がどうにかなっていくこと(地球の波動が上がっていくだとか、人間のDNAが変化し超能力が目覚め波動が上がっていくだとか、アセンションに伴う現実現象世界のカタストロフ的事象だとか)がモンダイなのではなく、行き着くところは、アセンションがどうこうというよりも、いずれにせよそれぞれが自己のスペック(霊的な人格とでもいうのでしょうか)を上げていくことが、この世で生かされている期間の目的であり、且つ、それが自他の向上、奉仕、愛、に繋がる行為なんかな・・・という理解で、なるべくそういう「意識を持ってやっていければいいよな」ということもあっての、現在でもあるわけです。
まぁ、「常にそうあるべく」ではありたいんですが^^、常にそうもできてもいないかもしれません。


2012年については、
というよりも、2012年以降も、世界が続いていくこと(もしなんらかの混乱の中にあっても、なくても)を前提にモノを考えてはいますが、どちらかというとですね、「おお、今日も生きている・・・今月も生きることができた♪ ありがたい・・・来月もなんとかなるであろう♪(自分が手抜きをしなければ)」的な、「常に、今」な感じです。
特に、昨年の3月で「派遣終了」してからのこの一年は、ひと月、ひと月、がそれです。
そしてなぜか心はどんどん平穏というか、かな~りシンプル構造になっていってるわけです・・・・・・・・。
これは、喜怒哀楽がなくなっていっている、というところの、シンプル構造ではなく、う~ん、説明が難しいですね。
自分は、出家状態など望んでなかったのに、気がつけば、出家状態みたいなもの、とでもいうのでしょうか。。。
人生とは不思議なものだと思います。
そして、会社員などの「定職」を持たない、社会的地位のない今の現状は、普通にはいかにも「不安満載」な立場となっていいはずなんですが^^、不安の二文字からずいぶん遠いところに来ている気がします。


以前、必殺!仕事人が好きだったんだよなぁ~、ってことを書いた記憶があるんですが、あのストーリーに萌えだった理由はですね、昼間はフツーの職業を持つ、いたってフツーの人間で、故藤田まことさんが演じておられた中村主水など、今でいうところの公務員だったりするわけなんですが^^、そういう人々が、あの激変っぷりというか、百戦百勝の無敵の仕置人へと変貌するわけで、自分はそういう隠された裏の鷹の爪を持つ・・・という感じが好きだったわけなので、だから、けっこうシチュエーション的に「昼間はふつーの派遣社員、それ以外は、石の仕事人」な頃の自分がわりと好きだったんです^^。
それが、今はその裏側だったはずのお役でしか^^生かされていないわけで。
自分は「影のお役」だと思っているし、光の当たる場所へ、みなさんに進み出ていただくための黒子・・・そういうつもりで、作る石アクセサリがお役に立てることが、自分にとっての王道だと思っています。




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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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