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2009年12月20日の記事のリスト

明けの明星

2009年12月20日 (日) 00 : 17
黒い石が似合う人って、どういう人なのかな、と。
このテーマは、自分が黒石好き人間なもので、たびたび書いているようにも思うのですけれど、
あらたに加わったな、と感じることが。
(と、自分では新たに、だと思っているけれど、似たようなことは結局書いてはいるのかもしれませんが)



たとえば、東中野の今回のクリスマス展では、あんまり黒石アクセサリをお出ししていなかったことに、ディスプレイされている納品したアクセサリを眺めていて気がついたんですが。
18日にご来店くださった、足かけ3年(!!)のパワーストーン・ワークスのお客様であるK様などは、そういえばですね、それほど黒い石系を特に好んではお求めにはなっていらっしゃらないタイプ。


しかし、K様にお会いして、なるほど、その理由がわかったような気がしました。
ああ、この方は、「目をそらさない人」だから。
つまり、現実逃避をしない方。
しっかり正面からものを曲げて見ない、そして、おそらく石との出会いがもたらしている部分も大いにあろうかと思うのですが、ものの捉え方のバリエーション、奥行が広がることによって、もともとが、ものごとをネガティブ視なさならない体質に拍車がかかって、ますます磨きがかかっているのだろうな、と感じました。
だから、そもそも黒い石をあまり必要としない。


K様はすごい方です。
自分のこのパワーストーン・ワークスのblogをきっかけに、なんとまぁ、石になどそれまでまったく興味などなかったそうなんですが、うちの石アクセサリをさくさくっとお求めになることで石の世界との出会いを果たされ(!!)、その後どっぷりと、石の持つ魅力的な世界に開眼されて、今や、クリスタル・ヒーラーとしてじゅうぶんに活躍できるスキルと、天然石検定一級の資格までお持ちです^^。


あたしが、来る日も来る日も、石アクセサリをああでもないこうでもないと、うひゃうひゃ言いながら作り続ける日々の中で、そんな躍進の日々を、しっかり多忙な昼間のお仕事をお持ちになりながら遂げていらっしゃる。
そんな方も、いらっしゃるのです。


エネルギーの使い方がわからなくなっちゃっている人も増殖中の時世・・・・・なんて、ちょい暗めの記事を昨日書いてしまいましたが、あんまり、よろしくないことのほうが目立つような感じのする世の中ではあるのですが(ニュースや、マスコミは、そのように、暗いムードへ誘導していく手腕を持ってますから)もっと言い方を変えるならば、今はもう「人によって、別世界(別次元)に存在している、そして、その気になれば、誰もがそうできる」とも言える時世なのではないでしょうか。
それは、今までももちろんそうだったんだけど、あまり、ぱっと見にはわからなかった。
しかし、それが2012年かどうかはわかりませんが^^、これからもっと、人による世界(次元)の展開のしかた、その顕れ方は、顕著になっていくのではないかしら。


K様がクリスタルのお教室をいつか開かれる時には、あたしは、生徒一号になるつもりです^^。
魅力的な、愛の溢れるご本人様にお会いして、ますますそのように思いました。


愛っていうのは、持っている方からは、そのエネルギーが言わずとも伝わってくる。
だから、とても心地よい空間づくりを、自らがされているわけですね。
K様を慕われる方が多い(それは、K様自身がおっしゃっていることではありませんが、事実、そのように思います。そして、とても「ヒト」を大事にされる、面倒見のいい方ですから、ヒトが寄ってきちゃうんじゃないかしら^^)理由が、わかりました。
私も見習わなくては。。。^^と思います。



で、「黒い石が似合う人」ですが、


潜在的に、ともすると、現実逃避をしてしまうことを、自分で直感的に知る人。
いわゆる、感受性がもともと鋭敏で、その活かしどころを直感的には知りつつも、感受性そのものの存在に振り回されてしまうこともある人。
そういう人にとっては、この世は、天国~地獄が、くるくると反転しやすい場だと思います^^。
いくら、「これは必要あって起こっていることで、魂の学び、気付きのチャンスなのだ・・・」という「お題目」を言い聞かせようとしても、その「アタマでの理解」が空しく感じてしまうことは、現実の世界には、山ほどありますしね。


自分はかつて、ブログの大昔の記事なんかにも書いていたかもしれないけれど、
「超ネガティブの権化」でした。
ほんとですよ。ネガティブにものを考える選手権、みたいなものがあれば、負けないぜ、と自負できるくらいの、ネガティブ・ホルダーだったと思います。
感性というのはね、明るさ暗さ、両方を捉えます。
そして、ともすると、人間というのは、どうしてもカタストロフィのほうに感化されやすくできているし、また、そういう目線で世の中を見始めれば、その引き金となりそうな要素というのは、いくらでも転がっているものです。
だから、そういう自分が、黒い石フェチとなるのは、これはもう、石の世界に足を踏み入れた時からの、確定的要素だったんじゃないかな、って思います^^。


なかなか、ひつくの神様のおっしゃる、「アクを抱き参らせる」というような方向へは、心のベクトルは向かわないものです。
いっきにそこへ行こうと、高みを目指しても、感性が鋭い人ほど、実は傷つきやすかったり、自意識も強いので、そんな「宇宙意識的範疇」を、ひといきに手に入れること、理解することはできませんて。


そういう人にとって、黒い石は、盾ともなり、且つ、もともと誰もが持っている「光の要素」を表に自らが顕していくための、より研ぎ澄まされた強さを、サポートしてくれる役割が強いんですね。
暗闇での「光」は、際立ちますよね。
光の部分への、揺るがない自信。
黒い石ほどに、自己の内部の光にスポットを当て、現実の中に、天が用意してくれている「天国的要素」を見出させてくれる石は、他のカラーの石にはないんじゃないか^^って気がするくらいです。
非常にシンプルに言えば、「自信」ということでしょうか。
それも、なにかを恐れるがゆえ(もしくは、それが「賢さ」であると信じるがゆえ)にかき集めた「保証」とか「財産」「地位」「賛辞」それから、おなご的にかわいく言うと「愛されている」だとか^^、そういったものを得ることで生まれるタイプの自信ではなく、もっと、自己存在の基本的なところから湧き起こってくる、自信、強さ。


つまり、もともとは、いわゆる「真我」の部分は、とても強い人である、ということ。
しかしながら、現実世界には、さまざまに受け取りたくない波動っていうんでしょうか^^、そういうもので充満している世界も存在します。
平たくいうと、「いらないものからの影響」ってことですが、実は、この「いらないもの」を察知する能力が、黒い石に魅かれる人は、長けている・・・・・という、ありがたい天分はあるのです。
今の世の中、「無自覚に、いらないものの影響を、どんどん取り入れている」人間は多いです。
そこを考えると、黒石好きは、仮に、「なぜ、魅かれるのだろう?」が本人にわかっていなくても、潜在的にわかっているぶん、天の恵みかもしれません。



ところで、
先般、ミネラル・ショーで手にした、ゴールデン・セラフィナイトなんですが。
この石を見ていて、ふと思ったのが、「ルシフェル?」でした^^。
ルシフェルとは、堕天使となったルシファー(悪の総指揮官)が、ルシファーと呼ばれる前の、呼び名。
ミカエル大天使の、双子の兄なんだそうですね。(実は、同一人物(ヒトじゃありませんが^^)説なんかもありますよね)


明けの明星。
そんな感覚の石です。
明けの明星、ルシファーというのはラテン語が語源で「光を帯びたもの」という意味でもあるそうです。
聖書の中では、イエス・キリストのことを現わして、「明けの明星」「曙の子」とも言われています。


だから、これってば、「相当持つ人を選ぶ石なんじゃないかな~」と感じたのかな。
黒石の裏番長、ゴールデン・オブシディアンがとても似合いそうだわ、と思ったけれど、なるほど、そういうことか。と。
こんなこと言うと、ホワイトで高次元なスピリチュアル系の方々が度肝を抜いて、お怒りを買うかもしれませんが。
いや、決して、喧嘩を売っているわけではありませんので。
私がそう感じただけです。


ルシファーが、ルシフェルに、還る日。大天使ミカエルとタッグを組む日。
いずれにしても、想像の範疇を超えた最強パワーです^^。
そういうビジョンではありませんが(天使のビジョンとか、私はビジュアルを見る人間ではありませんので)なんとなく、ものすごく希望的なイメージが感じられます。


ちなみに、私は特に白魔術黒魔術双方に興味があったりするわけでもなく、キリスト教信者などでもなく、仏教の世界も良く知りません。個人的にそう思うに過ぎませんが、善悪という概念振り分けで、「悪」の側に「分」があることがあるとしたら、なんといっても、「個別の強さ」だろうな、と思います。
別名、「我」の強さ、とも呼ばれるもの。
自己愛に過ぎる愛だとしても、愛は愛ですから^^、自分を愛する強さ、それは強大な力を持ちますしね。自分を愛そうとしない人よりは、そりゃ、何倍何十倍ものパワーを持っていますよ。
(「我はあってもならず、なくてもならず」のとても取扱の難しいもので、これが、善に振れたり悪に振れたり、が、人生ですかね)個別の強さ、能力、才能、頭の良さ、などなど・・・・という意味では、「善」は、「悪」にかなわんのです^^。
憎まれっ子世に憚る、とも言いますが、一因はそんなところにもあるように思います。


しかし、「個の強さ」には、限界があります。
「善というのは、ひとりひとりは、悪の個別の強さにはとうていかなわなくても、「和する」からチカラ何倍にも生まれるのだぞ・・・」そう、これも、ひつくの神様がおっしゃっている言葉なんですが、昨今、「なるほどな」と思わされることが多いです。
スピリチュアル用語的には、「シェア」という、それです。
自己の「個」に限界を感じる時、それは、挫折という一面を伴って顕現されることも多いのですが、おそらく、そこからが「和する」ことを知る一歩目、次に知る真理のドアを開いていくための、必然であるのかもしれません。


ところで、「天使存在」についてですが、自分の場合はどちらかというと、天使天使とわけもわからず、天使存在を「人間のための御用聞き」みたいに、「私を守ってくれる、導いてくれる、サポートしてくれる存在」という風には考えてはおりませんが、ものすご~く、その「ご苦労なお役目」に関しては、頭が下がる気持ちがしています。


彼らが人間に期待し、もし、「サポートしてくれている」のだとしたら、単に、個別の人間の身の安全保障というのではなく、「いかにその人が、自分の中に宿している「神性の種子」を、他者のためにこの現実世界で花開かせることができるか」へのサポート。
この一点につきるのではないかしら、と思うのですが。
彼ら天使存在ほど、我々人間は、人間存在を創造した、親(神様)を愛し慕い、その理想の実現に奔走しちゃいませんので^^、たぶん、天使存在が我々生かされている人間に期待している、そして裏切られ続けているのは、その部分なんですよ。


そういう意味では、私たち人間ひとりひとりが、「もとルシフェル」である、とも言えるんですよね。



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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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