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2008年11月06日の記事のリスト

虚業と実業のはざまで

2008年11月06日 (木) 01 : 16
「売れっ子の気分」なんて、ブログ記事を書いた翌日に、かつて時代の寵児かなんか言われた、「超売れっ子音楽プロデューサー」だった小室氏が、詐欺の容疑で捕まった。。。
いやはや、なんという間の悪さというか、なんというか^^。ちょっと、どきっとした。


「あんなの、どこがいいんだろ」と、当時作詞家として冷や飯食っていた頃に、あの一連の小室フィーバーを、私が眺めていたに違いない、と、思った向きも、いらっしゃるかもしれない^^。


そうねぇ。めちゃめちゃ、時代はかぶるわね。
でも、実は、私は小室氏のオンガクに関しては、「いい、悪い」を通り越して、何も感じていなかった、というのが正解かも。
こういうのをいいと思うヒトが、こんなに世の中にいるんじゃ、もうダメかもな・・・くらいの感じ。
当時思っていたことは、「この中で、名曲として、ヒトの心の中に残っていく楽曲なんて、ひとつもないよな」ってこと。
10年後、20年後、に、ヒトがまだ思い出す楽曲はないな、ということ。
だって、なんか、ぐっとくる、心の琴線に響いてくるものが、あまりになさすぎで。


私は、歌詞の人間なんで、おそらく、私などよりも、当時コンポーザーだった方々なんかは、もっと煮え湯を飲まされているような気分の毎日だったんじゃないかと思う。


もちろん、すべてがだめだめってわけではなく、なかには、まぁまぁ、いい楽曲もあったけれど。
ez do dance、だったかな。しいてあげれば。
ああいうのは、いいんじゃないでしょうかね。ディスコティックが三度のメシより好きだった(らしい?)小室氏の、その日常の片鱗がうかがい知れる楽曲で、歌詞もまぁまぁ、良かったと思う。


プロデューサー、って言葉を定着させたのも、この方だったような気がする。
しかしだね、やっぱ、日本のオンガク限定でいえば、名プロデューサーのはしりは、なんといっても、つっちー(土屋昌巳氏)なんじゃないかと思いますよ。
いやまぁ、もっとたくさんいるかもしれないけれど。
ブランキーが、つっちーに出会って後の、あのどんどん洗練かつ完成度の高いロックを構築していった過程と、つっちーが離れたあとセルフ・プロデュースになってからの、クォリティが下降線となり風前の灯火になっていくしょぼい過程を見るにつけ、「プロデュース能力」ってものの大事さを、痛感しますもの。


まぁ、それはともかく、
あたしがこのニュースを知って感じたのは、
ひつくのカミサマが言っている、「金がカタキの世がくる」ってのが、ますます近づいてきているのかな、ってこと。
これ、意味わからないでしょう。一見。
でも、世の中見ていると、ホリエモンの逮捕の時にも思ったけれど、結局、大金持ちになって、その金ゆえに、大変なことになっている、見本・・・みたいなね。


強運なヒト、とんとん拍子に、いっきに階段を駆け上るヒト、っていうのは、いい時のベクトルの上昇度合いもすごいけれど、針がいったん負の方向へ触れた時の下降度合いも、すさまじいものがあるもので。
凡人で良かったよ・・・ って、こういう人たちを見ると、なんとなく思う。


それにしても、訴えた「投資家」さんってヒトも、「投資」なんだから、ちっへんなもんに関わって、ソンしちまったぜ、くらいの太っ腹にはなれなかったんですかねぇ。
だいたい、こう言ってはなんだが、小室氏の版権を10億だか5億だか知らないけれど、「そんな価値ない」って、見抜けなかった、その目がふし穴のせいでもあるわけで。ビートルズの版権じゃないんだから。
普通のヒトにそんな話がまわってくる時点で、もうそこに価値がないからこそ、なのに。
株とか先物の、儲け話のようなもの。
もし、あの方の版権にそんな価値があるのなら、当の音楽業界の人間のほうが放っておくはずがないだろう。
小室氏が売れていた頃に、よってたかって、ご相伴に預かろうとしていた人々、利用してきた人々が、みんな離れていって、「虚」と化した、もらい手のない版権。紙切れ。
なんて、さびしいんだろう。


あの小室氏全盛の時代あたりから、日本の音楽ビジネスって、どんどん虚業化していったように思う。
今から思うと。
音楽って、ホントウは、実業そのもの、グレイト・ジョブなのにな。
(高い霊界から見ると、そうらしいですね。)
だって、「魂がこもった音楽」が持つチカラは、カタチもなく、さわれもしないのに、ヒトは癒やされ、励まされ、心を動かされる。たったひとつの楽曲が、誰かの人生さえ変えかねない、そういうものじゃないですか。
それを、実業と呼ばずして、なんと呼べばいいのだろうか。
つまり、音楽の作り手というのは、それだけの多くの魂への責任も、同時に併せ持っていると思うのだ。


人生は、いつか、誰にとってもそうだけど、カタチを失う時はくる。
それは一見、はかないことのようだし、それこそを、「虚」と思うヒトも多いだろう。
だけど、カタチはなくなっても、「実」は残るのだ。
それは、他ならぬ、自分の心の中に。


自分が手がけてきたことが、「虚」に振れそうになるとき、というのは、たぶん、どんなヒトにもあるのだろう。
人の振り見て・・・じゃないけれど、常に、心してやっていかないとな、と、思わされましたね。



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カテゴリ :  私にとっての2012年
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