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荒んだ社会?

2008年06月20日 (金) 00 : 09
確かに、そういう側面も昨今起こる事件には、背景にその「荒んだ社会」が存在しているから、という理由の一端もあるのかもしれないけれど、なにか、驚愕するような事件が起こると、その「荒んだ社会」を煽る記事っていうのも、どうかと思います。
今日デンシャの吊り広告で見た、先般秋葉原で発生した無差別通り魔事件の記事のことなんですけれどね。


つまりマスコミというのは、この日本社会が今ひじょうに「閉塞」している不安な社会である、という認識を、植え付けたいわけです。
閉塞感のない人にも、危機意識を植え付けたいわけなんですよね。
このままこの閉塞した社会、いわゆるこれも耳慣れた言葉だけど、「格差社会」を放置することの弊害を訴えている記事に、一見、見えなくもないのですが、こういっちゃなんだけど、その記事書いている人は、格差社会による弊害らしきセンセーショナルな事件を扱うことで、ゴハン食べているわけだし、人の不安や不満を煽る手法、っていうのは、常に人の興味を引くための古典的な手法ですのでね。


ちなみに、「格差」なんてものは、別に今この時代に始まったことじゃありませんし。
私たちが「人間として地上に生きた各時代」に(いわゆる「過去世」ってものも含めて)すべての人が「平等」「同等」であったことなど、たぶん一度もないし、この国が一億総中流だと思っていた時代にだって、のっぺりとした経済的、社会地位的「平等」なんてものはありませんでした。
そして、今よりももっと、やり直しが効かない社会背景があったように思います。


そういう頃はそういう頃で、「個性がない」「ぬるま湯社会」などと、ひたすら煽っていたように記憶していますし、そう言いながらも、今も昔も、突出した個性が認められているかといえば、そういうわけでもないですし。


「派遣社員」という括りの立場の人間の不安定さみたいなものを、ひじょうにアッピールしてくれているのだけど^^、残念ながら、無差別殺人を起こした人の動機にその部分だけが影響しているわけではなく。
だけど、いわゆる身分不安定な人たちを、格差社会における「底辺」と認識させるには、もってこいの事件だったのでしょう。
吊り広告の見出しには、その認識がない人間を底辺と認識させ、不満、不安を煽り、底辺ではない人間までもを「底辺に位置づけ」させたいのだろうな、という、隠れた意図が見えているような気がしました。


ある意味、事件を起こした人間を、意図してかどうかはわかりませんが、擁護し、言い訳を作ってあげているだけ、とも言えるし、自分にとって不遇だと思われる事象を社会のせい、人のせい、自分を取り巻く環境、時代背景のせいにするという格好の都合の良い理由に共感する人間を増やそうとしている・・・・のではないかしらと。


つまり、「身魂みがき」の邪魔をしているわけですね。


正規雇用という形態に属する正社員であろうと、非正規雇用の派遣社員、アルバイト、パートであろうと、自分の今のシゴトがあることに感謝し、環境に感謝し、地に足をつけてイキイキを毎日を生きる人間が増えてもらっちゃ困る、とでもいうような、そんな感じがしますね。


そもそも、今日のような時代がやってくる100年前、200年前、には、そのような「安定」の概念すらなかったでしょうし、江戸っ子なんぞ「その日暮らし」が当たり前だったんじゃないでしょうか。
年金制度なんてものができあがったりしたのも、つい最近の話です。もちろん、5年、10年ではありませんけれど、それほど歴史を持つ「将来安泰」を目論んだしっかりした制度ってわけではありません。


近目で見れば、確かに「ちゃんとした、安定した会社員」でいることが、多少生きていく上での選択肢として模様眺めした場合には有利にも見えますが、それが、永続性を持つ安泰、というのとも違うかと思います。


マスコミと呼ばれる、ニュース提供の現場でも、実際に現場を動かしている人々は、ほとんどの人が「非正規雇用」の立場の人々かと思われますし、昔から「格差」を象徴するような世界ではないかと。
競争を煽り、差を生む仕組みを賞賛する、実は張本人というか、それこそ、「いい時はもてはやして人を利用し、潮目が変われば、おかまいなしに切り捨てる」を、地でいく、そういう世界。


起こってしまった事件については、たしかに心が痛むのは事実で、派手な事件として報道されるされないに関わらず、日々、自分のこころを見失ってしまうような人が増えているのも事実なのかもしれませんが、「そういう人が増えている → 自分もそういう人になってもかまわないかも」っていうのは、またまったく別の話で、「自分の現状を卑下する要因」として、外側の世界には否応なくこういった「煽り」も、今後増えていくであろうことを、思った次第です。


それが実際のところ、「2012年」を節目とするかどうかは、わからないですが。



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カテゴリ :  私にとっての2012年
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