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2006年04月25日の記事のリスト

ひふみ神示について。

2006年04月25日 (火) 01 : 28
ひふみ神示に書かれてある内容すべてを、いっきに把握しようとするのは、とてもじゃないですが、その道の研究者であっても難しい部分もあるかと思います。
原文を読むことを、私はもちろんお薦めしていますが、そもそも「何のことやら」状態に陥った時の、助っ人手引書はないんだろうか・・・と思うのが人情で、かつ大半は、そう思われるに違いないのでは? と思います。

私自身も、ひふみ神示に出てくる「数字」の意味などに関しては、とてもではありませんが、これはこういう意味なんだろうか? と感じつつも、実際は確信して言えるほど、体得していない箇所がほとんどです。
高級霊と巷で言われる存在ほど、「数字」そのものが言葉であり表現であり魂であり、のようなことを聞いたことがありますが・・・。

私が、原文の中で、比較的とっつきやすかった箇所は、「二日ん(ジシン)の巻」に書かれてある、いわゆる、霊界と呼ばれるものの実相が書かれてある部分でしょうか。
(しかし、これはもともとが自分の親が霊界についての知識、いわゆるメグリ(カルマ、業)についての知識を持つ、敬神崇祖の信仰心を持つ親のもとで育ったがゆえの、下地があったためかもしれません)

私は、まったくクリスチャンでもなく、キリスト教についての知識には疎いのですが、なぜか「聖書」を楽しい読み物として読むところもあったため、特に「新約」のほうに書かれている内容と、ひふみ神示に書かれている言葉で、クロスするものが多く、そのあたりをヒントにしながら、読み進めていきました。

しかし、ある意味、昨今の「スピリチュアル」という横文字系の響きの良い「精神世界」系の知識や、天然石、占い、などの方面の「心地よさげ」な系統の知識を探求している向きには、ひふみ神示のいう「行い、仕事」のことも、突飛な捉え方をする方も中にはいらっしゃるかもしれません。

ひふみ神示は確かに謎は多いですが、繰り返し繰り返し、ひつく神がおっしゃっていることで、「霊かかりもほどほどにしろよ」「霊人と語るなよ。人は人と語れよ」と、霊的世界、見えない精神世界に偏重するモノの見方や生き方をたしなめる言葉が出てきます。
「神様の御用」と称して、この世の仕事をほっぽり出してしまう生き方をたしなめるような言葉は、こういうもの以外にも随所に出てきます。
日々の仕事、職業などが、「行」であり、いわゆる「出家」的な生き方からは学べない、俗世を捨てて浮世離れする危険性についての、再三の注意が出てくるのです。
「在家」であってこそ、俗世の中で俗世の仕事をしてこそ、身魂磨きになるのだ、と。
滝に打たれたりなどの荒行修行によって知るものは「幽界」のこと、と分けておられます。

霊性に偏ってもならず、物質的価値に偏ってもならず、ということです。
なんといっても「中行く道」ですから、「モノ、コト」どちらも必要で、どちらも無いと成就しない、ということを、はっきりおっしゃっておられる。
そして、「自己犠牲」を、はっきり否定されています。
人のために自分を犠牲にする生き方であってはならないと。
「我善し、人も善し」であれ、と。

そういった、ひふみ神示のナビゲーション役として、「ひふみ神示というものは、いったいナニモノなのか?」を分かりやすく説明してくれている本があります。
中矢伸一さんという方の書かれた、「日月神示・完全ガイド&ナビゲーション」という本です。
本の帯には人目を引く「この世の大建て替え、大建て直し」「神一厘の秘策で、ミロクの世、光の御世にグレンとひっくりかえる!!」などとありますが、書かれてある内容はそういう「恐怖心を煽る」類のものではなく、「聞けば当たり前に聞こえるが、実行するとなるととたんに難しい」という、ひふみ神示に書かれてある内容が、もっと「現代のわかりやすい日本語」で噛み砕いて書かれています。

ひふみ神示原文を読んで、難解でどうもとっつきにくい、という場合には、有効な良書だと思います。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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