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悪を抱き参らせる

2006年04月24日 (月) 00 : 59
ひふみ神示の中に出てくる言葉に、「悪を抱き参らせよ」という言葉がある。
神様は、悪も善も共に、と言う。悪も善もないのだと。
そして、悪も改心したら善いほうに回してやるし、むしろ悪の改心は早い、悪を非難して「人が、人が」と言っていたことが、全部自分のことだった、ということに気付くであろう、と。

悪の非難をしているうちに、“善のつもり”でいた己が、実は大変な思い違いをしていて、身魂磨きに何度も“お出直し”になるということも、ひつく神はおっしゃっておられるが、これは、新約聖書の中にも似たような記述がある。

「先の者はあとになり、あとの者が先になるだろう」と。

これは、畑を耕す人のたとえ話の中に出てくるのだが、要するに、何年も何十年も善を志向し魂を磨いてきた“つもり”の自分と、最後のわずかの時にいっきに身魂みがきに参加し、ほんの短い期間だけ頑張った人と、「神様からの報酬が同額」であることに腹を立てた人に対する神様の言葉。

なんで自分はこんなに頑張って苦労してきたのに、後からほんのちょっとだけ頑張った人と、同じ報酬なんでしょうか?と、神様に抗議している農夫への言葉なのだけど、私達は本当に気をつけないと、日常的にこの気持を抱く場面に出くわすことが多い。

「人がみんな始めたら」「世の中がそうなったら」
と言っているうちに、自分の未解決のめぐり(カルマ)にまったく手をつけていないどころか、新しくめぐりを積む生き方をしていたのだった、と、必ず気がつく時がくると思う。

私達は、まず自分を許し、他人を赦し、自分から見て悪に見えるものを赦し、そしてまるごと抱きとめて、そこから変えていかなくてはならないのだ。それは、「人がやってくれる」のを待っていても、無理なのだ。
そのために生きている、と言っても過言ではないのではないだろうか。

一歩外に出れば、そのことが分かっていても「まるで魂を試されるかのように」ありとあらゆる、そのことを体得させられる場面に出くわす。
まるで、本当に筋書きのあるドラマのようだと思う。
このからくりが分かっていると、「どんな人に出会っても」あんまり驚かないし、そこで「悪を抱き参らせる」を自分なりにクリアできれば、ピンチがかえってチャンスになり、嫌だ、と最初は映った人が“神様に変わる瞬間”を経験できる。
これは、本当です。うわー、自分は何もしていないのに、相手が勝手に変化している・・・
という経験。ひふみで言うところの「嬉し嬉し」状態ですね。

楽しければいいじゃないか、という人も多いし、好きなことをして生きていきたいし、という人もいる。人は人、自分は自分、と、自分の世界を大切にしたがる人もいる。
どれも間違いではない。
そこに、「我良し」オンリーの心が働いているのでないのであれば、だけど。

自分を維持していくことで精一杯の人が溢れている世の中だ。
神様が用意してくれている、身魂磨きの試験場は、まさにスリリングで奇跡に満ち溢れた大劇場なのだと思う。
観客は、大勢いらっしゃる。
それは、それぞれの人の守護神であり、守護霊、指導霊、など、多くのスピリットが私達が「真人間」となるために、一日も早く天地宇宙の法則を理解するようにと、毎日の中にたくさんのヒントを与えて誘導してくれている。


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カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
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