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石依存症は、是か非か。

2006年04月06日 (木) 00 : 30
パワーストーンだ天然石だ、って話に、「まったく興味のない人」からしてみると、石の浄化だ同調だ、チャージだなんだ、って話やその姿は「アホ」に映るようで(by旦那)、私がこういう石のことで大騒ぎしようがなんだろうが、まったく「意に介さない」わけです。

彼はもともとが幽霊たまに見ちゃうよーな体質で敏感なため、石の直接的な効力の恩恵を受けやすい人。にも関わらず、それを認めない人。
石の効果が出やすい彼に、「おい、それは石の効果じゃないか!」と私がびっくらこいても、「そおぉ?」と、すべてが「気のせい」な人です^^。
自分が「気」に敏感なことも、「気のせい」なんですね。(でも、字のままやん)

で、そういう人はですね、「現実的な努力」と「現実的な能力」と「現実的なセンス」がモノをいうと考えているし、「運がいいとか悪いとか」そういうことを気にする以前に、「自分がどれだけのことを、悔いのないように、隙なく、やれたか。」に、重点を置くので、私が石のことに気を取られているうちに、現実的側面で「ポカ」をやらかすと、そら見たことか、のよーに、そう、まるで鬼の首を取ったかのように、「だから石なんて関係ないんだよ」の理屈の披露大会が始まるわけです。

こんなふうに、「目に見えない、説明のつかないもの」を信望してしまうと、「目に見えない、説明のつかないもの」をそれほど重要視していないヒトからの憐れみを授かる機会を得ることも多くなります。

でも、うちなんかの場合は、「相手の好きなものに対して、それじたいのいい悪いに口を挟まない」というようなスタイルが出来上がっているので、私が石をコレクションしたり、石のことをごちゃごちゃ言ったりすることそのものを否定されることはないんですね。うちの中にある、膨大な石の数にあきれ果てながらも、それをムシの居所が悪い時に星一徹のようにひっくり返したりとかはしないし、私がまるで洗濯物を日に干すように石をせっせと日光浴させたり、お香を焚いたりしていても、それじたいをいいも悪いも言いません。

問題は、こういうものを「真っ向から否定するヒト」を、家族や、連れ合いという身近な生活空間に持つ場合じゃないでしょうか。

私が石のことを色々言い出してから、人にあげたりして、それこそ「実験台」になってもらったりなど、色々やってるんですけど、まぁ、それに純粋に興味を示してくださる方も出てくるわけです。
で、やっぱり人間ですから、「運」というのは、努力や実力だけの問題ではないのかもしれない…というような、シチュエイションを数々経験してくると、なにかそういう「神秘」と呼ばれるもののチカラも必要なのかもしれないな、、、なんて、思うようになる、感化されてくれる方もでてくるわけで。

私にしてみれば、そういう興味を示してくる方は、「わーい、餌食、捕獲、捕獲♪」みたいなもんで、「ん。じゃあ、この石と、この石と…」と、差し上げる石のセレクトに入るわけです。これやってるときって、すっごい楽しいんだよねー。自分の石のことを考えるのも楽しいんだけど、人にあげる、人にもってもらう石のセレクトって、とにかく嬉しい。
自分のことだと、絶対に「欲目」がでちゃうじゃない。
でも、他人相手だと、「100%、その人の幸福、成功、繁栄」を思えるわけですよ。
石選びも、そのぶんすごく慎重になるし、真剣になる。
(人にあげた組み合わせで、自分のぶんをあとで作ることもあるんですよ。自分のことを考えてると思いつかない組み合わせが、対、他人になると「へぇー♪」ってのがね、出てくるんですよ。で、コレ、いい。となる。ちゃっかり自分用も、それで作っちゃうわけです)

で、意気揚揚と、石に興味を示された方のところへお持ちして、多少、浄化のこととか、取り扱いを説明するじゃないですか。
その際にね、「あれー、それ先に聞いてたらなー。」っていう問題にぶちあたったことがあって。
その方の奥様が、「モノ依存」、つまりお守りだとかそういう、得体の知れないカタチあるグッズに「頼る」のが大嫌いな方、ということで、持ってるのがバレたら大変だ、っていう話だったんですわ……。

道理でねー…。
よぎったんですよ。その方のためのブレスとか作成してるときにね、「奥さんのための石」ってやつが。だから、実は「奥さんのぶん」も、用意してったんですよね。
なんかね、勘なんですけど、本人にも必要だけど、たぶん奥さんに必要なんじゃないかな、って感じたんだよね。

んなわけで、目のつくところに置いておけない、ということだったのと、身につけることができない、ということだったのとで、んーー、でも、石は持ち主の境遇を理解するし、そりゃ、眺められる場所に置いてもらって、堂々と天気のいい日にはお日様のもとで浄化&チャージしてもらえるほうが、いいに越したことはないんだけど、と思いながらも、人間いろいろありますからね。
「石優先」
ってわけにもいかない人もいるのだなぁ、と。

私の石好きにまったく口を挟まないでいてくれるうちの旦那に、あらためて感謝しましたけどね。

そういうお守りなどが嫌い、という方から見ると、たぶん「モノに依存しているように見える」ことに対する嫌悪感からなんだろうな、ということは察しがつきます。
だけど、残念ながらですね、
石はどんなに「依存したくてもさせてくれない」し、石に限らず、お守りなんかもそうですけれど、「これを持っていれば、幸運が、とか、チャンスが」ってのは、ある面では真実で、ある面では嘘なんですね。

そもそも、自分が何もしないでいて、「運」もなにもあったもんじゃありません。
だけど、「やれる努力はすべてやった。あとは、天まかせだ。」という段階になった時に、ここでまた「やれるだけの「運を良くする」実地行動」に出ることのひとつが、私は「石を持つこと」だと思うんですね。

手前のことで恐縮ですけど、私の実姉が、司法書士試験に三浪目で合格した時の話なんですけど、普段あの人は、そういうパワーストーンとかのアクセとか身につけたりとかしない人なんですが、なぜか私に声をかけてきたんですよ。
「もう、やるだけの勉強はすべてした。合格祈願のための神社さんへの御参りも万全。それでも、受かるためにやれるすべてをやっとこう、と思うから、なんかそういう試験に受かる石、探してくれないかな?」と。

私がそういう石のことに詳しい、ということは知っていたからなんでしょうけど、とにかく、絶対受かるはずだという自信があっても、最終的にはそういう試験って、僅差のところで「運」が左右するんですね。落ちた2年を振り返ると、そうだったらしい。
で、私は「カーネリアンブレス」を差し上げたわけです。
三度目の正直で、彼女はその司法書士試験に合格しましたわ。
(今はそういう「試験合格石」ってブルーレースみたいだけど、当時はカーネリアンが定番だったのだ。要するにアゲート系は、そういう石ってこと。「競技者を不敗にする石」ですからねぇ…。アゲートをお薦めする意味がわかるでしょ?)

これは、別に「カーネリアンが、だから凄いんだ」っていう話ではなくて、「石依存」でもかまわないんじゃないか、って場合の、「条件」を話すときの例としては、好例なので話すんですけどね。

人はどのみち、「何かにすがる」ことなくしては生きられないようになってます。
モノにすがらない、と思って生きている人であっても、自分が生きていくために「仕事にすがっていたり」「旦那様にすがっていたり」「お金儲けにすがっていたり」「恋愛にすがっていたり」「趣味にすがっていたり」何かしらにすがっている。
そういうものに一切すがっていない、という人でさえ、「そういうものに一切すがらないという信条」にすがっているわけです。

私自身は、めちゃめちゃ、「神様にすがって」生かされております。




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カテゴリ :  石のホント or はてな?
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