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2005年10月19日の記事のリスト

石との出会い2

2005年10月19日 (水) 04 : 10
石との出会いというのは、それこそ人それぞれで、本当に何気ないたくさんの偶然が手伝って、その出会いという場がセッティングされていることが分かります。
(石に限らず、人生すべてがそうです)
よく、パワーストーン選びに「直感で選ぶのがいい」と言われることがあります。
直感って何?とか、そもそも自分そういう第六感とか霊感とか、ないしなー、というのが、大方の人間が思っていることだと思うし、そういうものがあれば、人生こんなに苦労しないぜ、とも思うかもしれない。

でも、直感っていうのは、そんなに大それたもののことではないんです。
「私、勘がいいんだよね。」って、自慢するほどのことでもないんです。
だって、皆が本来持っているもの、なので。ただそれが無意識の中に眠っているか、意識的に取り出して使おうとしているか、の違いです。

私は、パワーストーン選びには、この「直感」を一番お薦めしますね。
自分で選ぶのって、簡単です。
「あ、これは好きだな。綺麗だな。欲しいな。」これだけですから。
よくある選び方に、その石の持つ力、効用を選定基準にする場合もあると思います。もちろん、これもアリ、です。しかし、この場合、大切なことは、その石の現物や販売サイトに載っている写真などを見て、先ほどの「あ、これは好きだな。綺麗だな。欲しいな。」の感覚になれるのであれば、効果はもうその購入を決めた段階で始まっていると思います。なぜなら、自分で選び気に入った石であれば、愛情かけて可愛がる、大切にしてあげられる可能性が高いから。でもこの感覚が今ひとつのまま、石やその石のアクセサリーを購入した場合には、今ひとつよく分からない半信半疑感覚に包まれる可能性もあるように思います。
まぁ当たり前といえば当たり前のことです。だって、ピン、ときてないんですから。
(こういうのは、次元の違う話ですが、「金持ってる持ってない、で結婚相手を決める」とか、そういう何らかの自分が浴する特典に期待して結婚相手を探す女、的なさもしさに似てる感じしちゃうんですけど、ヘンですかね。で、いざ金があるからと結婚したはいいが、相手の男性に対して「人間的に面白味がない」とか言い出す女。つまりそういうことですわな。条件で何かを選ぶ、というのは、そういうことです)

ただ、石というのは、意味もなくただただお金の力だけで、そのホルダーのところへやってきたりしません。
やってきたらやってきたなりの働きを、必ずします。たとえ、その持ち主がその石に対して、客観的に見て最高のご主人様でなかったとしても、です。
でも、その働きが、本人が望むこととは違う現実をもたらすケースもしばしばです。
幸運がやってくる、と思っていたのに、どう考えても不運としか思えないことばっかりになったりすることだって、場合によってはあるのです。

これは、いったい何なのか。

往々にして、石との相性などがよく言われることですが、私が思うに、自然の摂理、つまりいわゆる神様の計画とでもいうのでしょうか、そういうものに外れた本人の願望に関しては、石は「そうじゃないよ。」ということを知らせる場を与えるように感じるんですね。いずれにしても、もたらされたものが一見、本人の目には不運に見えるものであったとしても、その後に来る大きなチャンス、成長の機会に巡り合うための器を整えさせようとする働きをするようなところが、石たちにはあるように思えます。
(つまり、その価値が分からない段階の人には、その価値が分かるように仕向けてあげる、という感覚でしょうか。何しろ、石って、いわゆる神様から来ている類のモノなので、神的視点から見るとそうなるのかなー、と、しばしばその時点での個人的欲求には不本意な現実をプレゼントするケースもあるのです。それを、受け取る側が「気付けたことに感謝できるか」「落胆するか」が、人間に与えられた「自由意思」の部分ですね。)

効用で選ぶ場合の決め手というものがもしあるんだとしたら、その、持っている願望は果たして自分の魂の成長に、どれだけ必要なものなのか?という観点から見ることも大切かもしれません。
単純に、幸せになりたい、傷ついた心を癒したい、って思いがあったとしますね。
で、石が手元に来る。何も、何も、起こらない。彼氏との出会いもなければ、収入アップもない。残業だって相変わらず多くて、休みもやっぱり取れそうに無い、もう、くたくたで・・・限界。石なんかに頼ったところで、所詮こんなもん。石は綺麗だけど、特に何もしていないように見える。ちっとも癒されてなんかない。

こういう場合、この石は、本当に何もしていないのでしょうか。
私は、何もしていないのではなくて、おそらく、その石のホルダーとなった人が癒されるために気付かなくてはいけない重要なこと、というのが、その変わらない状況の中に隠されていて、それに気付かせるためのサポートを一生懸命無言でしてくれているんだと思います。

そもそも、幸せの基準、というものは何なのか?
実はそれが曖昧なまま、幸せになりたいよー、というのは、そんな願いを込められた石のほうも困ってしまうと思うんですよね。
だから、石の側で、こうだよ、と、一歩進んだところを示すと、我侭な石ホルダーは「なんだよ、それ。」と不満の心が変わらない。持ち主の心が変わらなければ、喋れない石たちはどうしようもないのです。心が変わらないと、実態は変化していかないものだから。これは、普遍の鉄則です。そして、石はそういう自然の法則にとても忠実です。

金出して雇ったとたんに、何を頼んでもいい召使、石はそういうものじゃない。
肉体を持ってたかだか何十年しか生きることのない私たち人間よりも、遥か昔から、それこそ何千年の歳月をこの地球上で生きてきた、実は大先輩、という存在です。
まぁ、そこまで大袈裟に考えなくても、それでも少なくとも、石全般に私が感じることですが、人間を不幸にするために手元に導かれる石なんていない、ということでしょうか。
気付かなければいけないのは、私たち人間のほうなんですよね。
私たちは、日本に生まれ、色々なものが豊富にあり、望めば色々な情報を手に入れることができる環境を与えられている。そういう立場に生まれ、私たち一人一人が、この恵まれた環境に感謝し生きる中で、恩返ししていかなければいけないものが、必ずある。
それが、生きている、生かされて今この場に肉体を持ち、モノを考え、活動できる、ということなんじゃないでしょうか。
パワーストーンは、そういう当たり前だけど大切なことに気付かせてくれる、サポート的存在を買って出てくれる頼もしい友人であって、頼るため、依存するための存在じゃありません。
現実を生きる主役は、あくまでも自分で、それを変えようとする、切り開こうとするのも、自分です。

石は喋りません。何も語らない。文句も言わない。
でも、固有の、個別の意識は、それぞれに持っています。
私は、石のリーディングと呼ばれるものや、ストーンセラピーなどの専門知識は持っていないし、そういうものも受けたことはないのですが、ある日、突然なのですが、石が発している「気」が見えるようになってしまったんです。(「気」というのは、天然石に限らず、人工的に作られたものや、もちろん、植物、動物、そして人間も発しています。これが最初に見えた時は、嬉しかったと同時に、ヤバイ、と思いましたけど)
巷で言われる「波動」のようなもの、ですかね。石のその波動というか、振動は、ちゃんと手に伝わってきますよ。元気がいい時もあれば、そうでもない時がある。そして、それは自分自身の映し身のようなものでもあります。
これは、証明のしようがないのが残念ですけれど。
「ほら、こんななっちゃってるよー、喜んでるよ。」と、私が見えても、見えない人には本当に見えないわけで。

実は、このブログを始めたのも、そういう石たちに急かされて、、、というのも、理由のひとつでもあります。
もっとちゃんと私自身が、鉱物知識などストックしてから・・と、考えていたのですが、「そんなの待ってたら、あと何年時間があっても足りない!早く!すぐやれ!時間がない!」というふうに。
まぁ、石が急かした、というよりは、石を通した力という存在、なのでしょうけれど、こういうものについても、追々触れていきたいと思っています。


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石との出会い1

2005年10月19日 (水) 03 : 38
始めまして。神崎詞音と申します。

さて、私が今回どうしたものか、パワーストーンのあれこれについて語るブログなんて始めちゃおう、と決意させた主役は、世の中で「パワーストーン」と呼ばれる石たちのことを、私なりの視点でお伝えしたいという思いが、日に日に増してくるようになったから、というのが、主な理由です。

それらの石たちは、誰もが、おそらく耳にしたり目にしたりすることもある存在ではないかと思います。石は、ジュエリー貴石、半貴石として分類される石から、それこそ溶岩まで、私たちの身の回りに溢れています。経済力のある日本には、ありとあらゆる地球上の原産国から、地球上にある様々な鉱物がやってきています。この国に居ながらにして私たちは、それらの石から、その遥か遠い地に居た頃からの「気」を頂戴できるという恩恵に浴しているのです。

私は、もともとが宝石好きで、美しく輝く石たちが大好きでした。私がその昔、社会人になった時、初めていただいたお給料で買ったものは、ホワイトゴールドの台に組まれた大きなガーネットのスクエアカットの指輪でしたし、その後も、とにかくジュエリー好きな私は、OL時代に、様々な宝石を集めました。(後日お話する機会もあるかもしれませんけど、これらの宝石たちは私の手元を離れていったものも数多いのが事実です。本当に、びっくりするくらい、石というのは持つ人を選ぶというのは本当のことだったんだな、と、後に何年も時を経てから知りました)

私自身が、石たちと出会うことによって様々に気付かされてきたことは、私特有の解釈で、万人に共通する類のものではないかもしれませんし、石好きの人の傾向としては、なんとなくその「固有感覚」を分かっていて、敢えて、こうだ!と断定しないようなところもありますし、実際、断定できないです。なぜなら、石も、持ち主に呼応して成長したり停滞したりするからです。よく、パワーストーンショップなどのサイトを覗いたり、街でパワーストーンを見かけたりすると、その謳われている効用が微妙に違うことが多いですよね。中には、まるで正反対の解釈をしていたりすることもあり、そういった外部知識を詰め込んだ頭で、自分に相性のいい石はどれだろう?と探すと、選びきれなくなりますし、なんとなく、石を持つことそのものが、とても面倒な感覚になることがあります。石同士の相性とか、これとこれは組み合わせてはいけない、とか、そういう記述を目にすると、ビビリます。

水晶についても、本当にその解釈は色々です。信じられないくらいに、その水晶の形状に対して意味付けがされて高く販売されていることもあるし、そういう稀少な形状のはずでは?というものが、東急ハンズなどの鉱物の販売コーナーで、びっくりするくらい安い価格で売られていたりするのが、パワーストーンです。

私は、価格などの問題に関しては、どちらも正解、なのだと思います。価値観という感覚があるでしょう?石に対しての価値観の問題です。高い、暴利を貪っている、という感覚であれば、買わない。でも、その「え?」という価格を高いと感じない人もいる。ブランド、というものの概念も、人間の価値観を上手にコントロールした概念を上手に利用したものでもあり、付加価値というものに対する欲求と、付随する実態(実際の現実的なクオリティですね)のバランスが見事に調和しているものは、パワーを持ち、人に支持されますよね。ヴィトンのバッグや、シャネルや、ティファニー、その名前そのもののフォースを人々が認めているからこそ、ああいった高価格が維持されている。

石との出会いは、結局、自分の審美眼が試される実験の場を与えられている良い機会、とも言えるのじゃないか、と、私は考えています。

実際、自分に必要でない石は、絶対に手元に来ません。来ても、紛失したり、何らかの理由で、手元を離れていきます。買ってはみたけれど、何か今ひとつピンと来ない石、すごく好きで大事にしていたのになぜかあまり身につけなくなってしまった石のアクセサリー、って、ないですか?それは、御用を終えた、もしくは、御用待ち、ですね。

私は石コレクターのはしくれとして、「ま、これは持っとかなきゃな。」という動機で石を買ったり、「すっごく品質が良いのに安い!」という動機で、その石を購入することもしばしばです。そういう石については、自分の心の反応、そして石側の反応も様々です。でも、ひとつ言えるのは、必ず「いらないものはやってこない」ということ。たとえば、安かろう悪かろう、だった経験なんかもあります。これは凄くショックでした。こんな風に石を取り扱う販売店だってあるのだ、ということが悲しくなりました。つまり心の中をよぎった後悔は、これをこの値段でこんなに買うのなら、すごく良いものを同じ価格で一粒だけ買ったほうが良かったな、という類の後悔ですね。でもね、そんな石たちでさえ、健気に私に色々伝えてくることがある、私を成長させようとしてくれているのが分かるんですよね。「品質が悪い」というネガティブ概念を、持つことを恐れる人は、とりあえず高品質を謳うお店で購入しておけば、いいのではないでしょうか。

私の場合は、高いものと安いもので、どう違いがあるのか?を、試したい欲求もあり、アトランダムに色々手出しをしておりますが、現時点での私的結論は、大差ない、というのが事実です。見た目の美醜にものすごく囚われる人なら別ですけど、1000円くらいで売っている天然石ビーズの一連の石と、そのビーズの10倍くらいの値段で売られている既製品とどう違うのか?と言えば、価格による違いなんてないです。但し、ごく稀にその中に「安かろう悪かろう」的なものが混じる、という感じですね。(人によっては、高いのに、え?のパターンもあると思います。)

石の価格は、パワーストーンとしての力の優劣というよりは、市場の中での稀少性と需要とのバランスによって、その価格価値が左右されている点が大きいと思います。モルダバイト、ラリマーなどが、欲しいけど目が飛び出るようなお値段、というのも、そういうところから来ています。

これから追々書いていきたいと思ってますけど、モルダバイトについては、確かにホントに高いんですけど、モルダバイトホルダーになって何も変わったことがない人って、ほんとにいるのかな?と、私的には言えてしまうくらい、ビックリ現象を起こしますよ。但し、そのビックリは、あくまでもその本人が気づこうとする貪欲さといったら変ですけど、「起こることすべてに意味がある」という価値観を持っていないと、「ただ不思議」で終了してしまう類のものです。

これは、すべてのパワーストーンについて、言えることです。恋愛運を上げる、というから買ったのに、恋愛運なんて、少しも変わらん、という人は、自分自身が本当に変わろうとしていないから、なんです。現状維持を頑なに維持しようとする自分自身の本質的な部分に語りかけてくる石のメッセージを、無視してしまうんですね。ここが、人によって効いた、効かない、が左右される分かれ目でもあるし、石を販売する側のその石に対する意味付けの違いを左右する肝でもあるかと思うんですね。

石は、別に何もしてくれません。私たちの魂に働きかけてくれる、メッセージを送ってくれる、っていうことは本当にしていますけど、それを受信しようとする、そしてそれを自分の成長に繋げようとする人間側の器がないと、ただの石ころ、となります。あくまでも、かわいい石を「パワーストーン」という存在にするのか、「石ころ」「身を飾るだけのもの」にするのか、は、人間側なんです。これは、石だけに限らず、人生の中で起こるすべてのことが、そうなんですけどね。愛を愛と受け取るのも、試練と受け取るのも、人間側の思い次第ですからね。

今の私にとって、石たちの位置付けは、その手合いのパワーを発揮する云々を期待してのものというよりは、単純にその存在が健気で愛しくて仕方がない、生き物のような感覚ですね。飼っている犬と同じです。(うちの犬は、私の石たちへのそういう愛情が分かるのか、石を見たり触ったりアクセ作成などをしたりしている時に、しばしば焼餅を焼いて、その妨害行為をする、石の上に寝転がったり、私の膝の上に来て、腕にまとわりついたりしますけれど、そういう愛情の感覚に動物というのはとても敏感なんだな、と驚かされますね)

これから、たくさんの種類の鉱物について、書いていこうと思っています。こんな考え方もあるのだなぁ、という読み物として、石について興味を持っていただけたりしたら、もう極上の幸せに感じます。変な作詞家の変な思想にしばしお付き合いくださいませ。


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