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下妻物語

2017年06月12日 (月) 12 : 16


昨日6月11日の「高次と繋がるとうまくいく、というよりは」の内容について。
このパターンにずっとハマってる~~~らしきお客様よりメールをいただきました。

それで思いついた、補足記事というか。

高次と繋がる、っていうことを、その「うまくいくための目的」というのかしら、そのイシキ(ちょっと我欲が入ってしまうから)へ持っていっちゃうと、堂々巡りスパイラルに入ることもあるかな~、という感じがします。

こういう感じなんだよな~、のご参考に、この映画がいいです。「下妻物語」。

たまたま、おととい観たばかりの日本映画なのですが。

主人公は、自分の生まれ持った境遇の中で実現できることの中で、自分が喜びを至福感を得られる自分の心が動かされることのみを生きる目的とし、その自分の好きなことをするために生きている女子ですが。

何が自分にとっての幸福なのか? についてだけは、妥協しないし、他者が言う幸福像や他者の価値観には介入しないけれど(興味がないため意見がない)、自分の意思は通す。そのため周囲に理解者もいないし、孤独といえば孤独です。

典型的な、「こんな生き方してちゃダメ」に見える生き方なのですが(笑)。大人からは「そんなの若いときだけよ~」とか説教入りそうな、普通の人には、「そんなことしてていったい何になるの?」って言われる生き方です。
もちろん、「正しさ」とも無関係です。だから、これが正しい人の道、みたいな固定観念が強固な人が観たら、いらいらさせられるかもしれません。

映画ゆえ、ちょっと極端なところもあるけれど、でも概ねこんな感じが、高次繋がり成功例の一例というか、お手本みたいなところあるかな~、という気がしました。

「突き抜けてしまう」のが良いのです。

自分を含め誰も次第に文句を言わなくなる…というか、結局、常識はずれとか人に何か言われるのが怖いとか、そういうのって、自分が自分に向かって言っているだけの台詞なのです。

自分にとっての幸福を、自分の責任で自分に正直な気持ちで追求し続ける姿勢は、次第に、それをとくに望まずとも、自分を含め周囲をもいい感じに変容させていきます。
その良い意味での影響力も感じられる映画です。



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高次と繋がるとうまくいく、というよりは。

2017年06月11日 (日) 15 : 25


このへんの感じって、ビミョーです。

高次の意向と歩調を合わせた路線の人生っていうのは、ものすごく楽。
というふうに、実際に私は感じますが。

ただそれは、そのニュアンスの「うまくいく」というのは、三次元的な価値観においての、ウハウハ人生楽ちん人生というのとは、ちょっと違っているところもあったりします。

高次の魂の部分の望み、ハートの望んでいることを実行していくことは大事だけど(笑)「そこに沿う、自分を合わせる」ことがうまくいくこと、ということも、ひとつの囚われでもあるように思いますしね。

「ハートの声が自分の本当の声」なんだなっていう、頭の智慧をつけちゃっているぶん、これがハートの声に従って生きているということなんだろうか…?…って(笑)疑いだしちゃうような場合もあるんですよ。

こんなに苦しいのに。つらいのに。
でも、そうせざるを得ない自分は、本当に魂の路線をイケてるのかしら? という。

見た目人生に向上の兆しも見えない、現実レベルでのブラッシュアップ感覚もない、という部分と混同してしまうこともあるよね。
「高次路線であるなら、そういうものがだんだん良くなっていくはず」って、先入観、囚われ(頭でつけた智慧が、執着、囚われになることもある)になって、実はもう、ずっと高次路線を生きている人なのに、その自分自身を否定しながら生きてしまうようなケースもあったりするんだな、と。

それはなぜかというと、苦しいから。
だから、逃げ出したくなっちゃうし、認めたくない(自分を)というメビウスの中で苦しみ続けることになる。

高次側じたいが、そういう過程を踏ませることを、あえて促す場合もあると思います。

そして、「本人みずからが気がついて」そこを出て行くこと、その先にある光の自分に気がつくことを、静観している。
要所要所に、救いの梯子はぶらさげてくれてはいるけれど、両手両足の筋力使ってそこをよじ登るのは、本人みずからの意志と実際行動によるものでしかないの。




なんであろうと。どうせいつかは必ず我々一人残らず死ぬんですから。有限なんですから。

あれをやっときゃ良かったな~みたいな後悔とか、中途半端な夢の追っかけ方とか、自分が本当はいちばんやりたかったことを否定しながらの人生にはなるべくしないのがいいと思います~。

「うまくいく」の定義も^^向こう基準だから、必ずしも三次元的幸福と言えるかどうかビミョーってところもありますしね~。

でも、三次元基準度外視したところで、ハートに嘘付かない生き方になってくると本人が内面的に充実してくるし現実も最適状態に変化してくるし、その路線へ舵を切ることは結果「いい感じになっていく」ということ…をもっとみなさんにうまくお伝えしないとな~って思います。

よく人生は、ダイヤモンドの原石の研磨に喩えられますけれど。
但しダイヤモンド原石は、原石の段階から^^他の石とは違う光を放っていますけどね。見る人が見ればわかります。なので、磨けば光る、と言ってもだれもかれもが私はダイヤモンド、ってわけでもありません。

このへんがね~。いろいろ難しいところなんだよね。
ダイヤモンド級じゃないことが^^ぴったりハマる役割と言うか、その人の路線であることも、ありますから(笑)。

でもそれも、高次は教えてくれているのよ。随所随所で。

高次と繋がると、うまくいく。
これは真実だけど、「うまくいってる感じがないのに、苦しいだけなのに、それこそ高次路線(その過程)」という路程も、三次元ではあるのよ、ということ。

見た目善悪や、この世の常識や価値観は、ここには持ち込めないです。
けっこう、非常識^^ですよ。高い次元の人々(人じゃないけど)は。


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生涯エネルギー

2017年05月09日 (火) 00 : 00


まるの日さんのブログをまとめて読んでいたら、「猫一頭あたり生涯で150万円かかる」らしき、なんらかの試算があるそうな、って文章がありまして。

あそこは保護猫含めて17頭いらっしゃるそうなので(笑)まぁ、はなっからそこを考えちゃうと、まずできないであろう多頭飼いですが。17頭は猫カフェ並み?(←行ったことありませんが)そうなるとたしかにまぁ、猫がいるあいだじゅう、ずっと大変かもしれませんね。それでもそのお世話をする意義、余りある恩恵がありますよ、きっと。
(確か、デヴィ夫人がわんこ15頭くらいの多頭飼いの方でしたかと。ずらら~~~と。親子なんかもいたり。犬種も色々。デヴィ並みということですね(笑)。なのでデヴィ夫人並みの経済力ゲットが期待されるということですよ(笑)。素晴らしい)

むしろ私は「そんなに安いかな?」と思ってしまいましたが。
生涯一頭あたり150万円というのは、なんとなく最低ラインというか、フードもまぁずっとカリカリだったりとか、トリミングも自前(わんこの場合。ぬこにトリミングは? あるの?)、あんまりグッズ買ったりせず、生涯に渡って健康で、そんなに病院代のかからない仔のケースではないかしら。



もし、この数字を聞いて、「そんなにかかるの~?」という印象を受ける場合には、いい意味で、犬猫を安易に飼うことの歯止めになると思いますので、お金がかかるからという理由で家族を捨てちゃうような人とかへのストッパーになるから、この手の指標的な数字情報は本来は好きではありませんが、最低ラインは、先に知っとくのはまぁ、いいと思います。
「かわいい~~~」「もふもふ~~~」「一目惚れ~~~」みたいに、赤ちゃん状態で買ってきちゃって、その後に病気になってお金がかかるからいらない、捨てる、みたいな行為をする人がこれ以上増えないためにも。

150万円なら、彼らの存在意義、存在価値、そのエネルギーの付加価値から換算したら…月あたりにしたら、激安(笑)ですよね。
平均寿命での話ですが、これだと月いちまん程度しかかからないことになるのよ?…凄い立派な孝行家族ですよ。

でも、彼らの命の価値を、そんな月あたり換算なんて、本当はできませんけどね。
実際には、彼らそれぞれにかかる金銭エネルギーは、個別なものなのです、本来。
(うちは、月いちまんってことはないですし)



そして、人間ひとり頭の「生涯エネルギー」も。当然個別だと思います。
でもそういう「ひとによって違う」ものなのに、なにかと将来へ向けての試算をしちゃってる、しかもあたかもそれが今ないと将来に渡って得られないし支払えないんじゃないかのように不安を掻き立てるような触れ込みをされているのが、現代社会であり。

新卒でいい会社に入れなかったら負け組とか。
さんざん得してきたように見える団塊世代^^一括りにして、世代ごとに罵り合ったり恨み持ったりとか。
だから、既得権のポジション争いというものに、人は必死になるところもあるし、人との椅子取りゲーム的な競争めいた社会、勝ち組負け組風味な社会が継続されてくんですよね。

実際には、「競争」とリンクしてないんだけどな。これ。実感として。
だれかが自分が欲しかったあのポジションを得ちゃったから、自分にはもうそこがなくなっちゃった…自分はダメだ…あきらめなくちゃ的なものではないのです、宇宙采配というのは。
「必要だったら、必要なだけ」用意してもらえます。

だから、猫17頭いるなら^^その猫達の生活まかなえるエネルギーは用意されますし。
大人二名なら大人二名なりの、大人二名子供二名なら、その人数ぶんの。
都心の家賃の高いところに住みたいなら、それなりの。
自分の実力では高い家賃が払えないからという理由で、ちょっと不便だけど自分にはここらへんが妥当、という発想になるなら、その「ここらへん」それなりの。

自分が自分の現実をつくると言われる世界、そのとおりに現実はつくられていきます。
そこを、まぢ「信じられるか」の世界…。それだけ、という気がします。



現代において、「お金が生きていくに欠かせないエネルギー」なのであれば、そこはもう諦めるというか(笑)受け入れて進むしかないし、「何かを維持するのにお金がかかる」という意識よりも、「それだけのエネルギーを扱えるに相当する自分」という意識シフトをしたほうが、おそらく、生きてて楽だし(笑)。
エネルギーを消費しないように消費しないように、という路線を選択することも、もちろん人によってはいいことなのかもしれないのだけど。人それぞれ、色々考え方あっていいのかな、と思いますね。

金銭に例えると、「エネルギーを使うこと」への恐れとか咎める気持ちを自他に持つことよりも、その思いを手放したほうがずっとエネルギーの流れが良くなるのは実際のところで(これは、今の仕事をするようになってから、私自身、実感していること)、使い続けるとエネルギーが安定供給状態になっていきます。

また、「必要なこと」に集中してエネルギー使っていると、自然に「不要なエネルギー」に関しては使わなくなる(金銭で言えば無駄遣いと呼ばれるものをしなくなる)ので、結果、省エネにもなるし、自分も、自分の周囲も豊かにしていけるのではないかしらと思いますし、その先に繋がってくる繋がりのある世界を豊かにしていける…という、自分の周囲には見えてない広範囲の世界への貢献もできるのではないのかな…と、今現在は、思っているところです。
というか^^、これは以前から思ってることですけどね。

(この「必要なこと」がそもそもわからない^^という方もいらっしゃるかも。これはですね、「ハートの要請」が、その「必要なこと」でありまして。表面的な欲の部分、楽したい得したい思いとか、見栄とか体裁とかの類ではありません。)



ちなみに、エネルギーというのは。
これは電力なんかがそうで、昔記事にしたこともあったと思いますが。
「稼働時」がいちばんエネルギーを使います。
スイッチいれた時が、いちばん電気代を食うわけでして。
そのあと「つけっぱなし」にしているぶんには、稼働時にかかるほどのエネルギー量は使いません。(だから、ずっと電気は使いっぱなしのほうが、節電という名目でこまめに電源つけたり切ったりするよりも^^電気代という意味では実は安いのです)

これは、われわれの「行動」にも、言えるところがありまして。
なんでもそうですが、「始める」時が、スタートさせる時が、いちばん大きなエネルギーを要するのでして。
だから、「やったことがないこと」を始める、新たな世界へ進むことは、腰が引けて当たり前。それだけ大きなエネルギーを要することを、私たちは感覚的に知っているからです。

なので、新しいことを始めた時は、始めたら稼働時はしばらくは大変です。
ここはやっぱり覚悟が必要。
でも、慣れてくると、わりと楽だし、軌道に乗ってくるとさらに省エネになっていて楽。この原理なんだろうな、って思います。
(ここで、辛抱できずに、「デンキつけたり消したり」をするから、「新しいこと始めて失敗したかも…」みたいな迷いが出てきたりして、使うエネルギーの総量が増えるだけ増えて、前に進まず足踏み状態、というロスが生まれるのだろうと思います)


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