カテゴリ
ちょっとスピリチュアルな話  の記事のリスト

「囚われ」ってどういう感じ? の、サンプル事例

2017年12月15日 (金) 00 : 00
生きてくって実際大変。という感覚。

とてもじゃないけれど、生きていくコトだけでも大変なんだから、自分がその中から喜びを得るためには、もっともっと対価が必要、努力も才能も運も必要…自分にはそんなの無理…そんな気力出てこない…だとか。
経験すればするほど、生きてくって大変…成功するって大変…そう確信的に思えてきてしまう人も、多いんじゃないかしら。

だから、多くの人が、運だの才能だのを欲しがるのではないのかしら。
成功するためには、何かトクベツな特殊な、そういうものが必要、という、そっちだけへフォーカスしてしまう。
(そっちへフォーカスすることじたいがいけないこと、ではないのですよ。問題は「それさえあれば」「それがなきゃダメだ」という^^極端な信念、これを「囚われ」と言いますが、自分のために、人のために、と思ってやっていることが単に「囚われ増殖作業」を繰り返してしまうことになる人も多いのです。こういうものが全部身についている実感、自信を深めるために、自分のソレを探す、勉強する、もちろん大事なことなんだけど、「上見ればキリがない」のに上を見始めて比べて、結局自信喪失になったりね。基本、人に習うことは「その師を超えられない」仕組みになっています。だから、ほんとはあんまり習い過ぎないほうがいいんだよね。あ、これはまた別のテーマですので、違う時に)

お金もそうね。お金さえあればできるのに、って考え方になる。(でもそういう考え方する人はお金があっても今度は別の言い訳を探し始めるよ、きっと。「このお金をそれに全部使っちゃったら、いざ病気になったらどうしよう」とか(笑)果てることなく心配事の理由、できない理由ばかりがでてくるのよ。)

でも、見たところ、自分の周りにも、自分のしたいことなんかして生きているっぽい人のほうが少ない。そんなふうにも見える。
だから、「なかなかできないことなんだ…」と思えてくる。
だいたいの人が無理なんだったら、「きっと、自分にも無理…」と思えてくる。
そうやって、より、それは刷り込まれて、「強固な信念」になっていくの。

ちなみにこういうのは「類友」の世界で。
自分がそういうふうに世の中を見ていると、そういう人ばかりが目に映るようになりますので、ほとんどの人間がきっとそうなんだ…生きることは我慢、苦労、大変…と人は学習していくのよ。

だから、「身を置いている環境」の影響って凄いの。これは、よく言われているでしょう? 朱に交われば赤くなる、の世界。
卵が先か鶏が先か、の世界で、いつしか、自分自身が率先して、その「朱」そのものになって自他に影響を与える側へまわるのよ。

「社会」というのはそんな色んな人の先入観の一致と合意でできあがってきているもので。
だから、「みんなそう」に見える、というのもたしかにまぁ、あながち間違いでもないから(笑)その囚われから脱するって容易ではないところはあります。



なんでこう言うのかというと。
なんといっても、他ならぬ自分自身が(笑)過去にはそうでしたから。

だからね、「自分の好きなことをして生きているふうに見える人、自由に見える人」が羨ましかったし、そうなりたかったのよ。
それでなることにした職業が、その昔、作詞家だったんですから(笑)。
私にとっては、の話ですけれど、オンガクを職業にできてそれで食べれている人々が、それに値する、と思っていた、そういうものすごく「狭い尺度の自由」ですけれどね(笑)。
自由なら何でもいい、ってわけではなくて、「こうなってああなっての自由」というこだわりスタイルがあったわけですよ(こういうことじたいが「囚われ」との背中合わせではあるんですけれどね)。
で、自分がそういう世界に飛び込めば、その仲間入りができると^^思っていたのね。

単純に「アタマが不自由」だったとも^^言えますけれどね。
インターネットもない時代だったからね~。とくに音楽業界なんて、ふつ~の人にはよくわからない特殊なところだし、内部情報が普通の人には見えない不思議世界じゃないですか。
なのである意味、「スピ系夢見るお花畑脳」^^的なところを、私は、この時代に思い切り経験しているのよね。
(だからむしろ、その後に本当のスピ系のこっちの道に進んだ時に、「守護天使が~」「ミカエルが守ってくれてる~」とか言い出さない(笑)そういった豪華キャストの登場する「観えない世界ビジュアル」「観えない世界エンタティンメント」のほうに偏らないクールな態度でいられたんだと思う。あと、「好きこそものの上手なれ」は本当なんだけど、それが必ずしも「天職」ってわけでもないよ? っていう世界を、もうわかってしまっていたので、冷静でしたし)

でもさ、自分が持っているそういった複数の「囚われ」が自分にあるまんまだと、「その世界に飛び込めば自分もそうなれる」ってものでもないの。
(スピ系独立だろうが、一般社会独立だろうが、同じ。「これが私の使命!」と息巻いて、周辺に「そうよ~」と持ち上げられていれば成功できる、高次におまかせしていれば全部うまくいく・・・なんてことはありませんよ^^)
確かに「朱に交われば」の法則もはたらくので、私にとっては、昔、音楽業界に飛び込むことで、「世間のジョーシキっぽい感じの世界」の外に、いったん出られたことは、今振り返って思うと、ラッキーだったとは思いますけれどね。
そういう「必要な経験」の段階、というものがある、ということ。
すごく楽しくて充実している、そういう経験もたくさんあったんですよ。
驚くような経験、ラッキーだと感じることも多かったし。
その反対の不運も^^たくさんあったし(そこはバーターなんだ、と諦めようと^^いつも自分を説得していることも虚しかったし)。
それでも、きっとこれは、普通の人ができない経験なんだろうなぁ…と思いながらも、でも、どうしても、何かが足りない、っていうか、怯えている自分、満足していない自分、それが常に隣り合わせで。

そんな感じをも経て、色んな経験たくさんして、真の意味で自分を「自由な人」と言えるようになるのに、ここまで時間かけてるんですよ^^。
石に出会わなかったら、今でも不満足な人生だったかもしれないと思うと、なんか身震いしますよ(笑)。

石がお好きなみなさんには、ほんと、そんなに時間かけないでいただきたいです。切に思いますよ。そのための、石は味方なのよ。




私が以前ね、とある方に、スピ仕事のことで「開業しなよ~~~あなたならできるよ」とお薦めし続けていた時にね、その方はこう言うの。
「自分のまわりで、こういうことで御飯食べることができている人間を、ひとりも見たことがない」と言うんですよ。

だからあたしは、「ここにひとりいるじゃないですかぁ(笑)。目の前に。あたしは、その「周りの人」の勘定に入っていないの?」って返したの。これに関しては、返事がなかったな。

まぁ、その方にとっては、私の存在は「異例」で「単にラッキーな人」で「自分とは別の世界の住人」としか、どうしても映らなかったのだろうと思います。
そのくらいにね、人間って、「自分の見たいものしか目に映らない」んですよ。

「思い込み」「囚われ」って、人によっては、粘着テープ状態で、どうしても取れない部屋の壁紙の汚れ模様みたいな日常になってるの。日常だから、毎日目にしているから、それが当たり前の世界になっていて、他の可能性がどうしてもわからない、むしろ知らない世界が「恐怖の対象」になってしまっている。

あたしなんか、結局、その方にとっては「いないも同然」扱いなんですから(笑)。いるのに。見てるはずのに。ここにいるよ、と、それは実態として言ってるのに(笑)。観えないんですよ。観てくれないの。

観たくないもの、認めたくないもの、になっているのよ。
自分の夢や実現してみたい世界をその位置に、自分から遠いものにしてしまっている人って、多いんだな、って思う。
結局、望む現実が得られない、とか、働けど働けど我が暮らし楽にならず的メカニズムって、これなんですよ(もちろん、ブロックはこれだけじゃないんですけれど。ブロックのうちの強固なひとつが、これ。ということ)。
自分が、自分を認めていない、というのは、こういうことなの。

そういう、ご自身の持っている、「当たり前の常識」「一見それがまっとうにも見える不条理」的な囚われは、ほんとうに外してみてください。
あなた様の周りに、仮にひとりも「その囚われを外して生きているように見える、そんな人」がいないように観えても。

「生きてくだけで大変で。夢だのしたいことだの、そんなこと言ってられない」
「自分がそんなやりたいこととか言ってたら、生きていけないでしょ。誰が働くの? どうやって誰が食べさせてくれるの?」
みたいなこと。人間、思いがちですよね。
「やりたいことはあるんだけど、安定した会社員やめて独立とか、ありえない」みたいな発想もそういうとこから来てるよね。

こういう人々は、自分を満足させるその世界の中では、自分は生きていけない…って、最初から、諦めちゃってるんですよ。
だから、そのための「言い訳」と「それを肯定できる証拠」をね、自分で現実にして、どんどん、自ら刷り込んでいくの。
「まわりはみんなそうだよ」っていう、まわりも使った証拠固めまで(笑)必死でしはじめちゃうのよ。

全部、自分が過去にはそうだったから(笑)。こういう心理についてはひっじょうによく理解しているつもり。
(しかし、こういう類の葛藤から、ほんと、よく脱することができたなぁ…と。書き連ねていて、なんか、そう思いますね。)




もう「自分への言い訳」をこれ以上自分に刷り込むのはよそう。できないと証明するための「証拠固め」はもうやめよう。
石とともに歩むようになると。
こういう、自分に不要なものを手放す意識でいられることや、まず決意する勇気や、実際に行動に移すこと、自分の心に正直でいること、こういうひとつひとつが、やりやすくなるの。
思うことが変わってくる、日々、思っていることが以前とは違ってくる。
そういう積み重ねが、自分にこだまして還ってきます。

だから、確かに現実って…ほんとに「宇宙のギフト」ではあるんですけれど、日々の思い、っていう「こちらからのリクエストへのギフト」なんだな、っていうことが、体験、体感とおしてわかるようになってきます。

自分の現実は自分がつくっている(もちろん全部が全部ではないけれど)自分次第で、かな~り「改変」できることが、私は、石たちの助けを得ることでわかってきて、それが確信レベルとなるのに時間がかかりませんでした。

囚われているものは、ひといきに全部、やっつけてしまいたい…と思うのが人情かもしれませんが。
ひとつ、ヒトツ、いくのがいいと思います。

無理しないで。とりあえずは、目の前に出てきているものから。わかっているものから。
それと並行して、自分がちゃんとそう実感できる「宇宙のギフト」の成功体験を、地道につくっていくことをしていくのがいいと思います。
日々、自己肯定感と、そうじゃないものとのバランスが、いつも、ちょっとだけ肯定感のほうが勝っている感じでいられれば。
その割合、「光の割合」とでもいうのでしょうか。それは、日に日に、気づけば増えていきますからね。




この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

私の運命を変えた恩人

2017年12月03日 (日) 00 : 00
先月、いつもの代官山のトリミングサロンにうちの仔を連れて行った時、その待ち時間に撮影しましたお写真。



aikoさん。この方が私の運命を変えた恩人(笑)。新曲の広告(こういう看板広告って確か一週間程度で300万とかするんでしたよね。でも渋谷のメインの通りとかではないからそんなにしないのかな)。まだ新曲とか出してるんですなぁ。



なんで恩人なのかというと。「この人の楽曲を聴いて癒されたのよ私」とかそんなんじゃないですよ(笑)。
過去にもちょこっと記事にしていることなので、古い読者さんは前に聞いたかもしれない、って話だと思うのですが。



私は、作詞家人生10年のうち、8年? 9年? このAIKO(私は大文字)という名前がペンネームでしたの。
つまりaikoさんより先にこのネームでホソボソと音楽業界で仕事をしていたのは、私でしたのよ(笑)。

それがね、ぽっと、この名前のこの人がイキナリ出てきちゃいましてね。
でもって、ブレイクしちゃいまして、あれよあれよと有名になってしまわれたのです。
当時私が所属していた音楽事務所のディレクター女史がね、行く先々で、私の歌詞のプレゼンをするたびに、「この人は、あの?(aikoさん?なの?)」って言われるようになっちゃって、とても営業がしづらくなってしまった…という話を聞いて。

「こっちが先なんですから(先に売れちゃったのはあっちだからしょうがないんだけど)いいんですけどね」とディレクター女史は言うものの、なんかね、その説明のワンクッション挟んだ相手のリアクションまで、気まず~い「絵」が浮かぶ話ですよね(笑)。
あ、いえ、そのaikoさんではないのです、って相手の期待を裏切るというか、確実にトーンダウンするわけでしょ?

それとね、こういう話が出てきた頃かな~、確かにね~、私は当時「lyricist AIKO」だったかな(もう記憶にない^^)なんかそういうウェブサイトをですね、作っておりまして。
そっちにね、どう聞いてもそれあたしのことじゃないよね? ぽい、「aikoさんファン」みたいな人から、やたらにメールが来るようになってしまって(笑)。
サイトをしっかり見れば「別人」とわかるはずなのに、なんでなんだろう? と思いましたよ(笑)。当時は顔写真加工したものも載せていたから、ほんと、色んな意味で別人だと^^わかるはずなのに。
「ラジオ聞きました~」とか(笑)。

なんかね、そういうのもひっじょうにうっとおしくなってきて。

で、あたしは、もういいや。と。
長年使ってきたペンネームで、ちんけとはいえ(笑)そのネームで積んできちゃった実績もまぁないわけではなくて、でも固執しているのはソコだけで、とくにそのペンネームに愛着あるかといえば、その名前で何かが世でブレイクしたというわけでもないですしね。
「いいよ、名前変えることにする。神崎詞音にしますわ、これから。」という話になったわけなのでございます。
当時は、当然ですが、ハラの中ではものすご~~~く悔しくて敗北感を感じながらもね(笑)。

で、がっつり本名からは縁もゆかりもないこのいかにもペンネームらしい名前が(笑)どうしてそんな急に決められたのかと言いますと。
ふふ、これも過去記事でお伝えしているかと思いますけれど、当時生活を支えておりました夜のお嬢のバイトの源氏名(笑)そのまま、なのです。そのくらい「ちょうテキトー」に決めた名前です。
「神」とかついているから(笑)いかにもスピリチュアルかぶれっぽいネームに見えるかもしれませんが、もうぜんぜん。
なんというか…ある意味、あたしの不良時代暗黒時代と言いますか(笑)でもその頃にも思っていたんだけど、「将来この名前で作詞家としてブレイクすることが仮にあっても、あたしはこの源氏名をペンネームに使う、ってことで、この自分の今の闇の時代の経験を忘れない、一生背負うわ」とか(笑)なんか格好つけて思ってたんだけど、ほんと、別の意味で^^こうして使い続けることになっているのが、もうなんだかとても。
ただ、一応それでも「詞音」のほうはこだわってみて(笑)作詞の「詞」に音楽の「音」だったんですよね。


私はこれで、どこからも、昼夜「しおんちゃん」「しおんさん」と呼ばれることになりました。
しおんさんと呼ばれ続けて何年になるんだろう…まさかこの名前でこんなに仕事をし続けることになろうとは。という感じですよ。本当に。


…で、何が恩人か、って。

一連の流れでわかりますよね?

こういった過去の経験すべてひっくるめて、今の私がございまして。

aikoさんは、私がここで、「あ~、もういいよいいよ」と、ひとつ、自分が固執していたものを「捨て去る」きっかけを作ってくれたわけです(笑)。

その後、神崎詞音となった私は、結局、シングル一枚(私が手がけた中では一番ヒットしたと言える「Dreamer」)を置き土産に(笑)、「石に出会い、石に開眼し」、作詞家の同業友だちにも「あたしもう、作詞とかオンガクの世界はいいわ。ぜんぜん未練がなくなった。こっち(石)のほうがいい。こっちをやってく。辞めるわ。」と、その決意を宣言し、誰にも惜しまれることのないマイナー作詞家生活を終え(笑)、まったく音楽業界と疎遠となり、その後は…今に至る。ということなのです。

恩人でしょう(笑)どう考えても。
これがなければ、今の私はありません。
(とくにこのことに限りませんが、人生というのは、失敗、敗北(笑)という道程ひっくるめて、よく言われることではありますが、「それでもそれがなければ今の成功がない」の連続なのです)

楽曲とかよく聴いたことはないけれど、aikoさん、このCDが売れなくなった時代に、今でもシングル出せるくらいの実力のアーティストですから。凄いよね。CDを買ってくれる固定ファンがいらっしゃるから出せるわけですから。
こういう人に今の仕事ネームにするきっかけを作ってもらえて、ブログネタにもできて(だ~れも知らないマイナーなアーティストとか、すでにもう音楽業界にいない人じゃ^^こんなのぜんぜんつまんない話でしょ?)で、あたしは、「既定路線の、魂の道」へと進むことができたのですよ(笑)。
今じゃもう、本名で呼ばれることのほうが少ないわけです。
いい加減につけた名前でしたが(笑)こんなにこの名前を活用させていただきこの名前で呼ばれることになるとは。なのです。
この先この方にお会いすることはまずありえませんが、お会い出来ることがあるなら、御礼をお伝えしたいくらいですね。


私はこのペンネーム変えたあと、KAZAMIくんのデビューシングル手がけることができて、ようやく「手応え」を感じる兆しが出てきたところ(当時は名前を変えたことがラッキーにつながっているのだと思っていましたが)、その直後ありえない失敗をして(笑)道を絶たれた感満載で、失意を味わうことになり。
詳細は省きますが、ちょうど、この代々木の地へと引越してきたさなかの出来事でして。

名前を変えた当時は「人頼みばっかじゃなくて自分でも営業というのをしてみよう」と思って、手当たり次第^^自分を売り込みしてみたら、「うっそ!」みたいな当時の私にとっては、雲の上の存在のような人と思っていたような人とお仕事させてもらったり(といっても具体的に音盤とかにはなっていなくて歌詞のお手伝いしただけだったんだけど)、けっこう色々な出会いがありました。

だから自分にとっては「これからだ!」っていう気持ちもあったわけなの。なのに(笑)ですよ。

あとから振り返るとね、もうね、そんな不可抗力の梯子の外され方といい、完全に「高次の手引」だったのよ(笑)。
「はい、もう、そこでの学びは終了。そこまででいいよ。」ということでしたのね。

この時も「もしかしたらこれで終わっちゃうんだろうか」っていう、多少予感はしていたんだけど、その後にね、これもブログの記事にしたことあったかもしれないんだけど、その私の唯一のヒットと呼べた楽曲がのちにオムニバスアルバムといって、複数アーティストの曲が集まるアルバムの一曲として収録されたんだけど、その同じアルバムの中にね、なんと、むっか~し私がOL時代に大好きでライブ通いしていたミュージシャンの方が他のアーティストさんの楽曲のアレンジを手がけていて、いっしょに収録されていて。
その名前、クレジットを見つけた時に、一枚のアルバムの中に、作家として私の名前とそのかたの名前がクレジットされている…私はこの人と同じ土俵に立てたんだ…ということに、なんか胸がいっぱいになって。
でね、不思議と、そこで「もうこれでいいのかな」ってちらっと思えたんですよね。
なんかいい記念品をもらったな^^というのかな。
(高次というのは、こういう粋なはからいをしてくれるわけなんですよ。みなさんね、「単なる偶然」なんてものはないの。ほんとにないのよ)

私が石に出会っていくことになるのと前後して、こういうことがありましたね。


みなさんもね、カタチは違えど、きっと、ある人にはこういうことって、あるのではないかしら。
全然種類は違うけれど、旦那に浮気されて長年の結婚生活が破綻に、だとか。
一生懸命やってきた、希望に燃えて始めた、好きな仕事とかがうまくいかなくなったり。
自分の人生かけてきたつもりの強い情熱、思い入れたっぷりに取り組んできたことが、実を結ばなかった…そういう経験。
本人にとっては「絶望」以外なにものでもないみたいに思えるようなシチュエイションの経験。

そういうのこそ、岐路であり、チャンスなのよ。
「あなたにふさわしい道は、本当にそれかしら?」…という、月並みといえば月並みですけれどね、でも高次がちゃんと用意してくれているの、その先に、もっといいものを。
生々しい(笑)経験をしてきているからこそ、言えることですが。
落胆するんだけどね。立ち直れない、って思うんだけどね。この先自分にはもう何にもない、って思うんだけどね。

「私がいったい何をしたのよ!!!」って恨みたくなるような仕打ちに逆上するような、世を儚んでしまうご経験されている方が、もしいらっしゃれば。

高次っていうのは、そういうことも(笑)まさに「あなたのために」用意している場合もあるよ。
あとになってみれば、それは「感謝」に変容する貴重な経験で財産なのです。
経験はすべてスキルなのですから。
(だからその高次の意図を汲み取ろうね。必ず、ストップがかかることにはその先に意味があったことがわかる時が来るから)


そうそう、文中に出てくる作詞家の同業友だち。
才能という意味では(手がけている音盤の数なんかも)この方のほうがあたしよりずっと上だったな~と思いますね。
私なんかよりもずっと営業努力もしていた人だし、「ひえ? そんな目にあったの?」みたいな(笑)修羅場経験も多かったし。
(私は、印税とりっぱぐれ経験は一度しかないんですが。そういうのだけじゃなくてね。ああいう業界、へたするといいように無料利用されちゃったり。とんでもない扱い受けるケースもありましてね。あたしはそういうのは極少ないの。枕営業なんか(笑)強要されたり^^的なエロ詐欺にも出会いませんでしたしね)
でも、そんな人でも、それだけで食っていくことができない(笑)作詞家業。
彼女は今思うと当時、食べていくための仕事として、人のヒーリングに関わるようなタイプのことをやっていて自宅をサロンにして、開業してやっていってる人でしたが。

作詞やるような人、音楽にかかわる、それでプロに一応なれるような人って、たぶん、本質が人の癒やしに関わる、そこにある人が多いのかもしれませんね。
でもさ、自分のサロン経営とか、そういうの開業することでさえ、それをやる勇気がなくて、悶々とする人もきっと世の中多いと思うんだよね。だけど、「作詞で成功する」なんてことより(笑)実はそれはいともカンタンに(自分の意志ひとつでできるから)、しかも「こっちは副業」って言いながらできちゃう、そういうポテンシャルは身につくんだよね。
ああいう、「一寸先は闇。次はわからない」的な職業を^^長年経験してくると。

私にもね、無意識下にそういう感じ、あったと思いますわ。
自分の意志ひとつでできるタイプの夢の実現、というような意味なら、あの自分ではどうにもならなかった世界を経験してきているからこそ、こっちのほうが楽というか、スイスイ行けるスムーズ感もきっとあったのです。
苦労の経験がのちに活きる、みたいなのは、こういうことね。
ハードルの高いことをやり続けている人にとっては、普通の人が難しいと感じて尻込みするようなことも、そう映らなくなるところがあるんですよ。向いてるとか向いてないとかできるとかできないとか「実際にそれをやってみればわかるんじゃないの?」という、ほんと、それだけだから。

(高次ロードには、手抜かりはないのよ。そういう下準備が、おそろしいまでに万全なんです。私が、大企業O.Lからそれ辞めて、直、石の仕事っていうんでしたら、たぶん習って終わりか、「自分にそんなことできるんだろうか」「そんなことで今の収入レベルを維持できるのかしら」「やっぱり安定した給料が出る会社員でいるほうが安全よね」などと(笑)悶々とし続ける期間がやたらに長かったのではないかな~、と思いますからね。ちなみに、収入という意味でしたら、私は大企業を辞めてからのほうが、あらゆる仕事それぞれで上回っていることのほうが多かったです。そして今もそうです。いっとき派遣で貿易事務をやっている時もありましたが、その時くらいでしたね、昔のO.L時代レベルに戻ったな、感があったのは。実はその時期は私にとっては社会人リハビリ期間のような時期でそれ以上できるバイタリティ、エネルギーがなかった時代。その時期にね、この人はソウルメイトだったんだな、ってあとから振り返って思えたような人に出会って、なんとかその先生きる気力が出てきたというのか自信が持てたというか、励まされています。うまくできているんですよ、人の人生は)

作詞家同業友だちは、私が、「石がいい! こっちがいい! 作詞なんてもうどうでもよくね?」みたいな(笑)勢いになってて舞い上がってる時に、「自分には今の仕事(サロン)にどうしてもまだそれが言えないんだよねぇ…そう思えない。やっぱり作詞、って思っちゃう。そう言えるのが羨ましい」って言ってましたね。今どうしてるのかなぁ。疎遠になっちゃったから。
彼女がなんであれ、成功しているといいな。(そういえば^^昔、石ブレスも調子こいてプレゼントしたっけ(笑))

当時の彼女から観ると、彼女にとって作詞やめちゃうことは「諦める」感じに取れていたんだろうな、って思います。
サロンのほうが私の道、って言ってしまう感じは、たとえそれが軌道に乗って経営がうまくいってそれでちゃんと生活ができていってる現実があっても、それはそれ、ということだったのでしょう。
たしかにそれだと、進めないこともありますよね、人は。
もちろん、人間諦めが必要なシチュエイションもありますが、それを認められるのは、すべてやれることやりきった、その清々しさを受け入れられる心境になる、その時でないと無理なこともあります。

私の場合、そうじゃなかったんですよね~。
諦めというよりは、あの当時の私にはね、「作詞じゃなくて、こっち! こっちがやりたい…!!」の感が満載だったんですよ^^。
だからあとから振り返ってみてね、まるで私に作詞家として成功する道を諦めさせるかのように(笑)どんどん梯子を外されていってる現象の意味もわかったのよ。

それにね、私の場合、ほとんど自分でなんの努力をすることもなしに、ほんとラッキーを絵に書いたように作家デビューできてしまったぶん、自分から何かを動いて努力する、ってことをほとんどしてきていなかったの。
それもちょっと勇気出してやってみたら、「え!」って思うような人に歌詞書いてもらえませんかと言われて、その人のファンで超満員のライブハウスで、その楽曲が演奏されている…みたいな幸せ経験が得られたり、そういうこともあったのに、それでも、自分で営業しつづけるという努力はしなかった。やっぱり、どこかで「誰かが私を見つけてくれる、見出してくれる」という人任せのラッキーを夢見てたのね。

だから、「石ロード」では、それは絶対にやっちゃいけない! っていう強い思いがあったから、最初は「ゼロ」でなんにもなかったし、まったく先は観えていない中で、二足わらじだろうが自転車操業だろうが、がんばってこれた、自分がやるべきことをしていない状態、自分に不正直な状態、人のせい世の中のせいにする状態を作ってはいけない、って思ってこれたんじゃないかと思うんですよね(つか、まさに、こういうことに順繰りに気づかせてくれて、サポートし続けてくれていたのが、順繰りに出会っていく石たち(笑)だったと言えまして。初めた当初はこういうふうに洞察はしていませんでしたよ。ただただもう^^ひたすら毎日石のこと考えているのが幸福でいつも胸がいっぱいで楽しくてしょうがない、その連続でしたので^^)。

まぁ、結果として、諦めて他を探す、諦めて現状を受け入れる、それとどう違うんだよ? という現実現象レベルではたぶん、一緒なんですけどね。
だけど本人の中では、その「自分のやりたいことはこれだ」感があって、今までやってきたことを捨てて転身するのと、そうじゃないのとは、天地ほどの違いがあったんですよね。
(高次から見れば、それさえも実は^^どっちでもいい、っていうか。なんであれ、その人の「本質が活かされるロード」であればいいのです、あっちからは。だからね、今私はこう言っているけれど、その「これだ」みたいなのも、本人に別になくてもいいのよ。使命だとか生まれてきた目的だとかツインソウルだのなんだの(笑)むしろそれが囚われになって、今度はあらたな執着を生む場合もあるしね。私の場合は、石に出会って、誰に言われるでもなく自分でそれが感じられたから、前に進むことができた。それだけの話です)

なんであれ、みなさんも、精一杯、「今」自分のできることを、自分を信じてやってみてください。
これだけやって、やれることは全部やった、と言えて、あとは野となれ山となれ。その状態から先は、高次の仕事です。
「結果」というまだ見ぬ未来だけを追い求めるのではなく。
「今」の積み重ねの先が「未来」ですから。


この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

くうねるあそぶ

2017年11月19日 (日) 00 : 00
この仔たちは、くうねるあそぶ、それだけでヒーリングエネジーを振りまきます。

よく遊びよく食べてよく休む、それが彼らの仕事、役割というか、無邪気であることがお仕事。

こういう仔たちは「観えない世界」的には単に表面上のそれだけではない、飼い主さんのための凄い仕事をしているのです。

「石」は彼らのような生き物ではないのだけれど、これに通じるものがあります。



こういう様子を見ているこちらは嬉しくて充実して幸福になるし、この仔が喜ぶことをしたいという気持ちになります。

高次から見た人間もそんな感じなのかしら、と。「無邪気」の顕す字のごとく。

邪気のない人には、高次直結のエネジーが降りてくるから、古代から人間は邪気払いに熱心だったのかもしれません。

邪気払いの秘訣は、くうねるあそぶ(笑。人間の場合は「くうねる仕事」かもしれません。これは単に「お金を稼ぐ」ことだけが仕事ではありませんよ)。そして、「信頼」なのかな、と思います。

飼い主さんを疑っていない状態での「くうねるあそぶ」ができているこういう仔たちを観ていると、そんな感じがします。

飼い主さんとのコミュ度合いによって、この仔らのエネジー発揮の度合いも変わってくるということです。

そして、「石」も(笑)これに準ずる感じなのですよ^^。石との信頼関係が大事なのです。

石をこちらが疑わないことも必要だけど、あちらにとってもそれは同じで「石に疑われない人間」である状態というのが、いい感じのコミュニケーションなのかな~? と感じる次第。

高次とのコミュニケーションもそうで、一方的なものではないのです。





この記事のシェア&ツイートfacebookでシェアTweetする

カテゴリ :  ちょっとスピリチュアルな話
follow links FB pageGoogle+Go to top of page ページの上へ移動

ページの上へ移動
Go to top of page